表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
最下層の僕と追放された公女様は辺境の地で生き残ります  作者: オカメ香奈


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

64/177

第64話 死病

 ジーナが去った後も僕らはしばらく無言だった。

 エマのいる部屋の前でみんな物も言わずに、立っていた。


「魔人病というのは、なんだ。サラ」

 ようやく言葉を発したのはジョイス医師だった。


「……魔人病は、……人が魔人になる病気だよ。このあたりでは、とても恐れられている。だって……」


「いつから知っていたんだ? いつから、エマがその病気だと気が付いていたんだ?」

 責める相手ではないのはわかっていた。でも、言葉にとげが入る。


「気が付いたのは、最初からじゃないんだよ。本当だ。最初は、エマちゃんはただの体が弱いだけだと思ってた。でも、あの子の病気が光に関係してるって、フラウ様を嫌がるようになって、それで、疑って……」


「本当に、本当に、魔人になるのか? その、間違いじゃないのか?」


「死ぬか、魔人になるか、どちらかだといわれてる。そうなる前に、大地に返すのが、通例だから……」


「じゃぁ、黒い民はみんな知っていたんだな。あれが、その……くそ」


 死という言葉を口にしたくなかった。いらだちのままに殴りつけた手は痛かったが、その痛みのほうが楽だった。


「アーク、落ち着いて」

 フラウが床に座り込んでいる僕の正面にきてそっと手をつかんだ。

「まだ、何かできることがあるかもしれない。ね」


「一般的な病気なのか。だれが、あの子がそんな病気だといったんだ? そんなに簡単に診断がつくはずはないだろう」

 ジョイス医師がエマに質問を浴びせかけていた。


「みんな、疑っていたかも。でも、認めたくないから。みんな、嫌だから、口にしないよ」


「いや、そもそも本当に、そんな病があるのか。こういっては何だが、黒い民の間のうわさか何かじゃないのか? 例えば、魔が人につくとか、そういった類の」


「何人もの人がそれで死んでいるんだよ。あるにきまってるじゃん」


「そんな病気が今まで表に出てこなかったとは。私には到底信じられない。記録にはそんなことは何も書いていなかった。そんなに重篤な病なら、なぜ、いわない?」


「当たり前でしょ。いわないよ。そんなの嫌だもん。かかったら死ぬ病気なんて。それも、わかったら決断を迫られるんだよ。戦士に告げるか、それとも、家族の中で……」

 サラの声が震えた。


「おにいちゃん?」

 エマが部屋の扉のところに立っていた。


「エマ」

 僕は慌てて彼女を部屋の中に押し戻す。目の端でフラウがそっと離れるのが見えた。


「みんな、何を話していたの?」


「たいしたことじゃないよ」

 どこまで話を聞かれていただろう。僕はエマを寝台に戻す。


「うるさかったかな。起こしちゃったね。ごめんよ」

 暗い部屋でよかったと思った。

「今日は、調子はどう? ご飯はちゃんと食べたかな?」


「うん。せんせいがね、おくすりを飲みなさいって。あたらしい、おくすり」


「そうか」


 何を話していいのかわからない。いつも、どんな話をしていたのだろう。

 魔人病……光を拒絶する、治らない、不治の、死ぬか魔人になるか……

 同じような言葉がぐるぐると頭を回っていて、止められなかった。


「ねぇ、おにいちゃん、久しぶりに“学校”のおはなしをして」


「軍学校の話かい?」


「ううん。昔はなしてくれた“小学校”の話。ほら、エマが入院するまえにずっとおはなしをしてくれてたでしょ。おぼえてる?」


「ああ。あれか」


 ずっと封印してきた夢の中の話だった。“僕”の通っていた学校の話だ。そこでは、おいしいものがたくさん食べられて、学校にみんな通って、勉強して。エマは、“幼稚園”に行くんだよ、と話した気がする。“僕”の経験したさりげない日常の話だったが、エマは何度もその話をせがんだ。


 夢の話をしてはいけないよ。ここだけにしなさい。

 その言葉が、これまでエマに話してきた物語を封じてきた。

 でも……


 今はそんなものはどうでもいい気分だった。


「そうだな。そろそろエマも“小学生”だね」


 もし、あそこでエマが暮らすことができたならどんなによかっただろう。“僕”の住んでいるところでは人が魔人になることはない。そもそも光自体が存在しない。そこだったら、エマが光拒絶で苦しむこともなく、普通の女の子として過ごせる。学校にも行ける。勉強もできる。

 成長して、大人になることも。


 僕はそんな別の未来の話をした。学校に通って、いろいろな行事を経験して……


 本当に、暗い部屋でよかった。


 途切れがちの、感情のこもらない話をエマは楽しんだだろうか? 

 妹の反応がなくなるまで、僕は、切れ切れの支離滅裂な話を続けた。


 静かな部屋の中で僕はずっとすわっていた。

 隣にある妹のぬくもりがなくなる日が来るかもしれないと感じつつ。


 誰かの手で、消し去るくらいなら、いっそ。


 暗い予想に身が震えた。


 そんなことは、耐えられない。僕の中で熱い怒りがわいてくる。この状況に対して、あるいは、自分自身に対して。


 仕方がない。そんな空虚な言葉ですべてをあきらめてしまえるのか。


 あきらめるな。“僕”のかすかな意識がそう鼓舞する。


 どれだけの時間が流れたのだろう。


 部屋の外にはまだ、医者とフラウとサラが待っていた。

 医者は何か一人でぶつぶつつぶやいて、サラとフラウは黙って座り込んでいた。


「なぁ、先生。あんたに専門家としての意見を聞きたい。今の状況を、打ち破ることのできる方法はあるだろうか。どんな小さなことでもいい」


 ジョイスはエマに付きまとうストーカー医者だ。だが、今はその執念が頼りになる。

 医者は、淡い明かりの中でもはっきりわかるほど血走った眼を上げた。


「彼女の病状は進んでいる。だが、その進行は内地の例とは比べ物にならないほどゆっくりだ。ポナペンチュラの魔道具はある程度の効果を上げていた。だが、その効果が薄らいでいる。もっと、光のない場所、隔絶された場所が必要だと思う」


「ポナの魔道具では抑えきれてない? 新しいものが必要ということか?」


「それもある。あとは土地の問題だ。大地は汚染されているところでもある程度の光を発している。完全に光のないところというのは、確認されていない」


「サラ、黒の民の土地でそういう土地は知らないか? 光術の使えない土地だ」


 サラは首を振る。


「ないよ。それに、戦士たちのほうがこのあたりのことはよく知っている。彼らは、狩りにもたけているから」


 ジーナの警告を思い出す。黒の大地にエマを連れて行けば、自由だと思っていた。黒の町で底辺を這いずり回って暮らすよりもよほど自由に生きられると。

 でも、その土地でも僕らは逃げ道をふさがれた。たとえ黒の大地に逃げたとしても、どこまでも追ってくるとジーナさんはいった。彼女は必ず行ったことは実行する。

 目の前で道が次々とふさがれていくような気がして、僕は唇をかむ。


「汚染地帯とか、どうだろう? 高濃度の魔力がたまっている危険な場所と聞くけれど、あそこなら魔力の干渉で光が届かないということはないだろうか」

 医者がエマに尋ねている。


「あのね、これを言っていいのかどうかわからないけれど、光術が使えないような土地でも魔人病は出るんだよ。むしろ、そういう土地のほうが強い強力な魔人になるから、近づくなっていわれてる」


「強い魔人が? そう。光がとおらないから余計魔人化しやすいのかしら?」

 フラウが尋ねる。


「よくわからないけれど、あそこは光術をあまり使わない黒翼でもきついって。魔力が強すぎて、魔に侵されやすいからダメだって」


「光のない場所、隔絶した場所……」フラウが小さくあっという叫び声をあげた。


「フラウ? なにか、思いついたのかい?」


 僕は一抹の希望を託して彼女を見た。博識な彼女のことだ。なにか知っていることがあったのかもしれない。

 フラウは、僕にそれを言うのをためらった。


「あっ」


 彼女が話したくなくて、僕らが知っている共通の場所。


 僕は立ち上がる。


「駄目よ」

 すかさず、フラウが制した。

「あそこは危険すぎるわ。第一、どうやって行くつもりなの?」


「行く方法はある。それも最短だ」


「まさか、あそこから飛び降りるつもりじゃないのでしょうね」


「なんだ? 心当たりの場所があるのか?」

 医者も期待に腰を浮かせる。


「どこ、どこなの?」

 医者とサラの二人の希望にすがる目に僕はフラウをみた。


 あそこのことは秘密にしておこうといったのはフラウだ。


「私とアークが偶然見つけた場所があるの。そこは、先史時代の遺跡で、呪文部屋のようなところだった。そして、そこでは光術はほとんど役に立たなかった」


「そんな場所があるのか?」医者は興奮したように叫ぶ。

「どこだ。それは」


「場所は、秘密にしておこうって、フラウと話したんだ。大量の魔石とか、装飾品とか、わけのわからないものがたくさんあって、危険だって。まるで何かの研究施設みたいだと僕らは……」


「け、け、け」

 怪しい音が背後から聞こえた。

「研究だって!」


 いきなり会話に割り込んできたポナがよだれを垂らした犬のように僕を見上げていた。


「…………ポナ、どこから現れた」


「ずっといた。そ、そ、それよりも、研究だ……ま、まさか、そこは、古代の工房じゃないだろうな」

 最悪の相手に話を聞かれてしまった。まだ、ライク准尉のほうがましだったかもしれない。

「な、なんでそれを黙っていたんだ。アーク。さっさとボクをそこに連れて行くんだ」


「あー、それは……」

「あそこは、人の入る場所じゃない。たまたま、見つけた場所だから」


「なら、黒い民も知らない場所かもしれないな」ジョイス医師が興奮した声を上げる。

「そこは、本当に光術が使えない場所なのか?」


「あー、なんというのか、まるで魔力を遮るかのような呪が施されているって、フラウが」


「す、す、す、素晴らしい。ボクの研究が実を結ぶかもしれない。ひょっとして、例の装置が動くかも……この魔道具がさらに改良できるかもしれない」

 ポナは手にした魔道具を振り回す。どうやらこれをエマのところに持ってきたらしい。

「はやく、ボクを案内するのだ」


「案内するのだ、といってもだな」


「一方通行なの。行く道も危険だし、帰りも長くて危険。よどんだ空気の場所もあるし、わたしたちはたまたま帰れたからよかったけれど、あそこにおち…、いった人は多分全員亡くなっている」


 そう、フラウの渾身の光術があったから何とか生き残れたのだ。等級の低いものだったらあのままどこかにたたきつけられて肉片になっていただろう。


「だが、ほかに選択肢があるのか?」医者が眼鏡をかけなおした。「エマの病状はよくない。あの黒翼の女ははっきりと殺害予告をして帰った。彼らと戦って生き残れないだろう」


「行くの?」

 フラウが顔を曇らせる。僕の心はもちろん決まっていた。


「すまない。フラウ。力を貸してほしい。僕だけではあそこに行くことはできない。どうしても、君の光術が必要だ。お願いた。もう、ボクにはほかの手は思いつかない」


 フラウは長い間ためらっていた。


「勝手に砦を離れるのは軍規違反よ。アーク、それって脱走罪に問われるのではないかしら」

 ようやく、絞り出すように僕に尋ねる。


「大丈夫だ。フラウ。今、ライク准尉はいないし、隊長は寝たきりだ。ラーズ曹長はあれだから、事情を話せば協力してくれる。少しくらい砦を離れても文句を言う人はいないよ」


「そういうのではないかと思っていたわ……坊ちゃまはすでに行く気満々みたいね」


 鼻歌を歌いながら、踊るように歩き回っているポナ坊ちゃまはそこだけ異質な空気が漂っている。


「私も行く」変態医師が力強く申し出た。「私は医者だ。最後まで被験者の面倒を見る必要がある。これは私の生涯をかけた研究なのだ。たとえ、どんな犠牲を払っても私はこの病を克服してみせるぞ」


 フラウの手を握らんばかりの勢いで彼はフラウに詰め寄った。

 エマの未来のためにこいつを除いたほうがいいのではないかと一瞬思った。医者が付いて行ってくれることはたしかに心強いけれど、こいつは例外だ。


「あたしも行く」サラが主張した。


「駄目だ。お前はここに残るんだ。危険だから」


「あたしは役に立つ。小さいけど、この二人よりは体力あるし」サラはポナと医者をさした。


「駄目。本当に危険なところなんだから。何かあったらリリ姐さんに顔向けができない」


「アーク、あの変態医者とエマちゃんを二人きりにしてもいいの?」

 サラが耳元で囁く。


「あ」僕の心は変わった。「仕方ないな。よろしく頼む」


「アーク、あなた何勝手なことを言ってるの」

 フラウががっちりと手を握る僕らに悲鳴に近い声を上げた。


「急いだほうがいい。あのジーナという女が戻ってくる前に、移動するんだ」

 医者は先ほどまで打って変わったように生き生きと僕らに命じた。

「私は医療品をとってくる。ポナ坊ちゃまの車のところに集合だ」


「ああ、ボクもいろいろともっていかなければ。測定器と、本と……」

 坊ちゃまと医者は慌てて走り去った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
script?guid=onscript?guid=on
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ