第62話 葬儀
僕が久しぶりに“僕”の夢を見たのは、砦が落ち着いたころだった。
カタカタカタカタ。
キーボードをたたく音が聞こえる。
“僕”は何かを調べていた。
僕には読めない、異国の文字と思しき図形が画面を流れていく。不思議なことにその意味は分かる。“僕”の理解したことは、僕の中に直接流れ込んでくる。
カタカタカタカタ。
時々、もっと小さい画面の表面もいじった。
フラウ……なんとかしないと。
怒り? 焦り? 決意? そういったものが入り混じった思いを僕たちは抱いている。
僕は夢の中でも、小さな、そして大切な友人のことを考えていた。
“君”は“彼女”を助けたいんだね。
“僕”は僕に尋ねる。
そうだ。と、僕は答える。
“彼”の知る彼女は、今のフラウではないけれど、それでも、フラウだった。
僕たちは彼女たちの祈りにこたえたいと思っている。
熱心に“モニター”を見ていたからだろうか。僕の目覚めはあまりいいものではなかった。それでも、朝早くから活動しなければならない。朝の裏方としての打ち合わせ、外壁の人たちとの調整、それから隊長への報告とやることはたくさんある。
先だっての魔人戦で、クリフ隊長は足を負傷してずっと寝たきりだった。フラウが治療しなければ、足を切らなければいけないかもといわれていたらしい。
「姫様は、まだ気にしているのか?」
隊長は、報告に行った僕にそう聞いてきた。
「ええ。フラウは責任感が強いですからね」
隊長は櫛の通っていない頭をくしゃくしゃとかいた。
「あの時、第7砦の応援に行けと命令したのは俺だ。姫様の気にすることじゃない。読み間違えたのは俺の責任だ」
あの時、対魔人戦でまともに戦えそうな面子を送ったのは正しい判断だったと僕も思う。まさか、再び砦が襲われるとは思ってもいなかったのだ。
「姫様には、みんな感謝しているんだ。彼女がいなければ、もっと多くの人間が命を落としていたからな」
彼は、同じく医務室に寝ている人たちをみた。そこは、老若男女の集う普通の診療所になっていた。建前は兵士しか入れない砦だったが、いまやここは難民の野営地だ。
「隊長、黒の砦からの馬車はまだ到着しておりません」
「死者は、そのままか?」
「はい。黒の民の犠牲者は砦のはずれに墓地を作って埋めました。ただ兵士の埋葬は、まだ」
「お迎えが来ないんだったら仕方がない。それで、物資はどうなっている?」
「相変わらず食料の供給が遅れています。黒の町からの支援はまだ届いていません」
僕は声を潜めて、報告する。
「申請は受け付けられたようですが、そのう」
言いにくい内容に言葉が途切れる。
「なんだ? また、何かをよこせと言ってきたのか?」
「前にもあったのですか? その、彼らはもっと遺物を送るようにと……」
「くそが」
隊長が怒鳴ったので、周りの患者が一斉の僕らのほうを見た。
「くそが」
隊長は声の調子を落として罵った。
「ほかの砦からの支援は、どうなんだ?」
「それも、返事がありません。どこも、いろいろと混乱しているみたいで」
第7砦からの返事がないのはいいとしても、第12砦からの返事がないのはライク准尉と気にしていたところだった。
「隊長さんの様子はどうだった?」
部屋を出たところでフラウとすれ違った。彼女は、最近ジョイス医師と一緒にけが人の手当を行っている。
「だいぶ、回復しているよ。そろそろ歩く訓練もするといっていた」
「よかった。それで、エマちゃんは?」
「エマは、あれからずっと寝ている」
「そう」
エマは魔人の襲撃以来ずっとふせっている。ずっと、ポナの魔窟の奥にこもったきりで僕が言ってもあまり話をしてくれない。それまでは、砦の厨房の手伝いをしたり、畑仕事をしたりと、順調に回復しているように見えたのだがどうしたのだろうか。
ジョイス医師も忙しい中、たびたび訪れているようだがその表情は芳しくないものだった。
「私が治療できたら、よかったのに」
「仕方がないね。光はエマに毒だから」
光を拒絶するエマにフラウは近づくことすらできない。特に今のように光術を使った後はだ。はがゆいが、僕らにはどうすることもできないのだ。
黒の砦からの馬車が来たのはそれからさらに数日たってからだった。
馬車を先導してきた士官は迎えが遅れたことをわびた。
この日ばかりは、僕らも神妙な顔をして神殿の儀式に臨む。
ついてきた神官が祈りをささげ、僕らは祈りをささげる。外壁の住人も儀式を見守り、死んだ兵士のなじみだったのだろう、洗濯女の何人かはすすり泣いていた。リリ姐さんがそっと泣く女たちを慰めている。
無理をおして、参列した隊長も青い顔をしてそっと彼らに花をささげた。朝、そのあたりで摘んできた野草だったが、ないよりはましだ。
僕らも次々に棺に花を供えた。花を供えながら、母親のときにはそれすらできなかったことを僕は思い返していた。まだ、棺桶があるだけましなのだ。
彼らの遺体は仮面をかぶった通称墓守の手によって馬車に積み込まれ、すぐに黒の砦に向けて出発した。
あっという間の出来事だった。
「気味の悪い奴らだったね」サラが顔をしかめながらいう。「なんだか、生きてないみたいだったよ」
「そりゃ、墓守だからな。あんな変な仮面をかぶっているし、なにより、一言も話さないんだぞ」
「話さないじゃなくて、話せないんだぜ」古参兵がわざと怖い顔をした。
「なんでも、墓守になったら舌を抜かれるらしい。墓所の秘密を洩らさないために、な」
「えー、嘘」サラはますます嫌そうな顔になる。
「おいおい、子供を怖がらせるなよ」
もう一人の兵士が喪章を外しながら、注意した。
「いずれ俺たちもお世話になる相手なんだからな。もうちょっと、敬意をもってよ」
「そりゃそうだけどよ、でも、あいつらの手には触れてほしくないぞ」
「ヤダヤダ。あたしもヤだ。でも、あたし、あいつらのお世話にはならないから。あたしが死んだら、ちゃんとこの地に埋めてもらうんだ」
サラはほほを膨らませる。
「これだから、黒い民は」
おどけた調子にみんな少し笑った。仲間を失ったのは悲しいし、やることは山積みだったけれど、何かが終わった気がした。
「アーク、ラーズ曹長、話がある」そこへライク准尉がやってきた。
「なんですか? ライク准尉」
「私はこれから町に行かなければならない。呼び出しがかかった。ラーズ曹長、その留守の間、砦の指揮を任せる」
「俺にですか?」ラーズの声が裏返る。
「そうだ。本当なら、クリフ隊長が行かなければならないのだが、今はああいう状態だ。代わりに、わたしが行く」
「それはまた、急な話で」
「アーク、事務方の作業はお前に任せる。わからないことがあれば、そのままにしておいていい。なるべく、きちんと記録をつけておけ」
そんな、無茶ぶりを。僕は言いたい気持ちを飲み込んだ。任せるといわれても、お任せくださいとは到底いえない。
「俺は何をすればいいのですか?」
「幸いにも隊長は回復しかけている。困ったことがあったら、彼に聞けばいい」
ライクは隊長の運ばれていったほうをさした。
「当分、偵察任務はできないだろうから、やることと言ったら訓練くらいだな。それなら、ラーズ、お前にもできるだろう?」
「それはもう」
ラーズらしくもない熱心な返事だ。
「やったな。アーク」
案の定、彼は不埒なことを考えていた。
「隊長はあんな感じで、ライクの奴はいない。俺たちの計画を進める絶好の機会だな」




