第6話 訓練
フラウが来てから、僕の生活はちょっと明るくなった。
彼女はひ弱だったけれど、一生懸命僕の仕事を手伝ってくれた。
そんな姿を見て元は胡散臭い目で見ていた連中も、こっそり彼女を支援するようになった。それは僕の雑用が減って楽になるということでもあった。
今日は彼女を外壁の洗濯女たちのところへ連れて行った。これはフラウの着替えを彼女たちから分けてもらうためでもあった。
「アーク、あの子に仕事を押し付けてはダメよ」
陰でリリ姐さんが僕に忠告した。
「あの子の体は幼い。わかっているとは思うけど、あんたたちと同じように動くようにはできていない。それに……気丈にはふるまっていてもいろいろと考えてしまうことはあるはずよ。あの子は、ノラ育ちのあんたとは違っていいところの出なんだから」
「わかってるよ、わかってるって」
なにしろ、僕は世話係という名前の責任をとる役なのだ。フラウの体調を気にかけるのも僕の役目である。
この前、ヘルドから聞いた事故の話を思い出す。隊長のあいまいな態度や、彼女とかかわろうとしないライクをみていると、ありえそうな話だ。
建前上はレベルの高い者は、僕らのようなレベルが低いもののように裁かれることはない。レベルが高いものは悪いことなどしないからレベルが高いのであり、レベルが低いものはレベルが低いから悪いことをするのだ。そう僕らは叩き込まれていた。
でも、実際には違う。等級が高かろうと低かろうと悪い奴は悪い奴だ。だから、罪を犯すことはある。ただ、刑罰の中身が違うだけだ。僕らが処刑されるところを、追放とか幽閉、僕らが追放されるところ事実上の等級の切り下げを行うといったように。
それを考えると、その子供まで処罰するなんて、フラウの両親はどんな罪を犯したのだろう。
ちょっと想像がつかない。
そういうことに耳ざといヘルドに遠回しに聞いてみたのだが、彼もよくわからないようなことを言っていた。
フラウ本人に尋ねてみようという気にはなれなかった。彼女はどこかかたい殻の中に閉じこもってしまっている。僕にはとても踏み込めない何かを彼女は抱えてしまっていた。
何を考えているにせよ、昼間は彼女は必死で僕らの仕事を手伝ってくれた。訓練も頑張って、僕に命じられる雑用にもついてくる。彼女はとてもいろいろなことを知っていたが、同時に僕が驚くほど無知なことがあった。
いまもこれから彼女に筆記を教える時間だった。
「文字を書いたことがない?」
読むことはできるからてっきり僕は文字が書けるのだと思っていた。
「ええ」
「でも、書類は、読めるんだよね」
「もちろんよ。ただ、こういうふうに紙をあまり使ったことがないだけよ。それでも、やったことはあるわ。古代文字は書物に書いてあるものが多いから」
フラウは恥ずかしそうに目を伏せた。
「え、じゃぁ、どうやっていろいろなことを伝えていたんだい?」
「それは、光板があったから。みんな、それで連絡を取り合っていたから」
いったいフラウのレベルはいくらなのだろう。僕は想像もできなかった。僕の等級では光板はほとんど使い物にならない。かろうじて位置を発信できるのと、緊急時の短い符丁を送るのが関の山なのだ。
僕は、でも、その質問をするのをやめた。それに触れてほしくないと彼女が思っているのがありありとわかったからだ。
「隊長に頼んで、光板を貸してもらう? それとも、ちょっと書く練習をしてみる? 文字もだけど、手信号は使ったことがある? あれも偵察のときに使うから、覚えておいたほうがいいな」
ほっとした表情を浮かべて、フラウがうなずいた。
「実務部隊は僕たちが使っている事務用の文字はほとんど使わないんだ」
僕は説明しながら、石板に文字を書く。
「公用語は学校では習わないの?」
「僕らのような黒い民は学校には通えないよ。資格がないからね」
「でも、アークは、普通に書くことができるのでしょう?」
「僕は初等軍学校に行ったからね」
正確には入れられた、だ。初等軍学校というところは、向こうの“僕”が思い描く“ショウネンカンベツショ”に近い場所だった。秩序に反する下層民のガキを監視する場所なのだ。
等級の高い人たちは僕たちを秩序に従うように教育する素晴らしい場所だと思っていたみたいだけど、中身はとんでもない。
案の定、元お嬢様のフラウは初等軍学校というとほっと顔をほころばせた。
「アーク、すごくまじめだったのね。等級以上の勉強しようと思うなんて、すごいわ」
誤解もいいところだ。僕はあいまいな笑いを浮かべて、フラウに記号を教える作業に戻った。
フラウも学校に行ったのだろう。レベルが高い者たちは、同じようなレベルの者たちだけが通う学校に通う。そこで、僕たちが学ぶことができない光をあやつる技を学ぶという。僕たちはその技を知らない。ただ、町に据え付けれられた大きな画面に映し出された映像でそういうものがあることを知っているだけだ。
きっと、彼女の通っていた学校は“僕”の通っている学校に近いのだろうな。
僕は今日こそはちゃんと“夢”を見ようと思った。
夢の中の“僕”はいつもいつも“学校”がおもしろくないとこぼす。友達と話すのは楽しいけれど、勉強は退屈で面白くない、家にいたほうがいいという。
それは贅沢というものだよ、“僕”。
僕はいつもそう思う。
僕から見ると、“僕”の通う学校は輝きに満ちている。
たわいもない“ソウジジカン”の会話、“タイイク”でひそかに隣の女の子に心をときめかせ、“ブカツ”で趣味について語り合う。
“僕”のいるところには“光”を使う人はいないけれど、秩序も何もない等級のない世界だけれど、なぜだろう、どんな映画の中の景色よりも光り輝いている。
僕は“僕”がいてよかったと思う。僕も夢の中では光っている。現実では光ることのできない5レベルの下層民だけれど。
フラウはとても真剣な顔で、僕の説明を聞く。
彼女も、必死なのだ。お嬢様がここで暮らしていくのは大変だ。なれない作業、慣れない環境。
大体のものは公用語を話せるとはいえ、中には恐ろしく下品な物言いをするものもいる。
食堂で、下ネタを連発する隊員をフラウはきょとんとした顔で見ていた。まるで理解できない言葉を聞いているように。意味が分かった後顔を真っ赤にしていた。それすらもからかいの種にする連中がいる。その場は曹長が威嚇して何とかなったけれど、僕も彼女の盾になることができないことが増えてくるだろう。
夜になって、一緒に三階の見回りをしてから互いの部屋に戻る。
魔が出るから、こうやって見回りをしているのだというと、彼女はかわいらしく首をかしげた。
「魔なんて本当にいるの?」
「いるさ」僕は即答した。「魔は暗闇に潜んでて、人に取りつくんだよ。それで、取りつかれた人は魔人になるんだ」
「そうなの? 本当に?」
「そういう話だよ。……僕はまだ見たことないけれど」
彼女の住んでいたところでは光がたくさんあって魔が生まれることはないのだろう。
小さな明かりを消すと部屋の中は暗くなった。
窓の外は暗くて、星が瞬いているのが見えた。
夜はフラウが泣いている気配がする。昼間は気を張っていても、夜一人になるといろいろと考えてしまう。僕も軍学校の時にそうだった。僕の場合は“僕”という逃げ道があったので、さっさとそちらに逃げていたけれど、最初の年は同室のみんなひそかに泣いていたのを僕は知っている。
“ナモシラヌ、トオキシマヨリ、ナガレヨルヤシノミヒトツ……“
僕は“僕”の音楽の時間に覚えていた歌を口ずさむ。こうして音に出すと、奇妙な旋律だ。
これは僕の見たことがないウミと木の実の歌だった。
この前見た“僕”は“うたのてすと”だからいやだといいながら、懸命に歌詞を覚えていた。
隣の窓が開く気配がして、僕は歌うのをやめる。
「フラウ?」ひそやかな問いかけにこたえる声はない。
「フラウ、ごめん、うるさかったかな」
「……」
「もう寝るよ」
僕はそっと窓を閉めて寝床に戻る。しばらく耳を澄ませていたが、窓を閉める音は聞こえなかった。