第53話 隣人
次の日、僕らは第7砦に向かって出発した。この前は馬車に乗せてもらえたが、今回は歩きだ。
「いきなり応援要請というのは驚いたでしょう」ハイデさんは気さくに話しかけてくれた。
彼は陰のようにベルトルト隊長に付き従っていた印象が強かった。意外に明るい人だ。
「ええ。南から魔人が出たという話には驚きました」と、フラウ。
「そうでしょう。僕らも驚きました。なんとか、攻撃をそらすことはできたのです。が、第六砦からはなんの連絡もありません」
「それは、第6が連絡もできない状態だということですか?」
ハイデさんの話によると、最初にのろしを上げたのは第6砦近辺の村だったらしい。それから立て続けにいくつかの村から救援依頼の、のろしが上がった。おかしいと思い、第7砦の兵士が駆けつけてみると、すでに村は破壊されていた。
「その、村を守護する、黒い民はどうなんですか?」
フラウが言葉を選んで、尋ねる。
「黒い民? そんなものたちからの救援要請なんてありませんよ。こちらが応じたのは、正当な入植地の村ですよ」
僕たちは目を交わした。
「えっと、助けてくれとか、そういう、黒の民の避難民みたいな人たちは……いないのですか?」
僕が尋ねるとハイデは肩をすくめる。
「基本的に僕たちの砦では、黒い民の受け入れはしていません。村の外にはいますけれどね。ベルトルト様は、そういうことは厳しい方なので」
僕らの砦よりいくぶん内地寄りにある砦だからか。気風が違うとは思っていたけれど、ここまでとは。もっともあたりまえのように黒翼の民が入り込んでくる13砦のほうがおかしいのかもしれない。彼らは敵、というのが星の帝国の建前のはずだから。
一日中、歩いてたどり着いた第七砦では、兵士一同がきちんと整列して迎えてくれた。
こんなことをする部隊があるなんて、僕は知らなかった。こういうのを、閲兵とかいうのだろうか。僕らの砦ではありえない歓迎ぶりだ。逆に慣れているらしいフラウは、すっかり貴族のお嬢様のような笑みを浮かべてお礼を言っている。
「お久しぶりです。フラウ殿。応援の要請にこたえていただきありがとうございました」
この砦の司令官であるベルトルト中佐が敬礼をする。
「ゆっくりとお過ごしください、と言いたいところですが、ことは急を要します」
ベルトルトはすぐに僕らを作戦の指揮を執っていると思われる広めの部屋に案内した。
「第六砦からの連絡がないと、ききました。なにか、知らせは届きましたか?」
「ありません」
ベルトルトは机に広げた地図をさした。
「これが現在わかっている被害状況です」
「作戦用の光板はないのですか?」フラウが尋ねると、ベルトルトは首を振った。
「もうしわけない。ここには大型の設備はないのですよ。使える人の数が限られているのでね」
「失礼しました。ここは、第13砦と違って光術が使えると聞いていたものですから」
「内地に近いとはいえ、そちらとあまり変わりませんよ。黒の大地ではこういう地図のほうが役に立ちますからね。見てください。ここが、第七砦、そしてこちらが第六砦です」
その間に、小さな建物の模型が並んでいる。
「黒が襲われた村、そして白がまだ無事な村です」
「結構な数があるのですね」フラウがつぶやく。
「この辺りは最近開拓に力を入れているところなので」
帝国の村が周りに一つもない13砦周辺とは状況が違うのだろう。取次の兵士が紙に書いたメモを差し入れた。ベルトルトはそれまで白かった模型を黒に取り換える。
死体の散らばっていた黒の民の村を思い出して、僕は地図に意識を集中させた。
第六砦のある方角から黒い模型の村が点々と続いている。フラウがそっと模型に指を乗せた。
「具体的に、どういう状況なのでしょうか」
「いま、主に住民を避難させているところです」
「魔人を狩るという作戦ではないのですね」
「ええ。とてもではありませんが、人手が足りません」
「私たちのほかの応援は、どうなのですか?」
「3と4からは断りが入りました。使者を送った第8と第12からは返事がまだありません。光板の通信も通じているか、不明でして。第6は、言わずもがなですな」
「そうですか」
「しかし、あなたが来てくださった。これからは魔人掃討の作戦がたてられる」
フラウが驚いたように顔を上げる。
「わたしが、ですか?」
「ええ。あなたはこの辺境地区の中で指折りの光衣使いだ。光量はここにいる誰よりも多い。あなたがいれば我々は勝てる」
「確かに私の光量は高いかもしれません。けれど、わたしは、実戦の経験がありません」
「前に魔人を退けられたと、お聞きしましたよ」
「あれは、たまたま、砦にあった古い砲台を使っただけです」
「それでも、ですよ」
隊長がライク准尉やラーズ曹長を応援に派遣した理由が分かった。光量が多く、光術を使った実戦の経験がある人を選んでいるのだ。ならば、僕は?
魔人戦では役に立ちそうもない自分に地味に落ち込む。
「どうされたのですか?」
食事をとりながら一人で悶々としている僕にハイデさんが話しかけてきた。
「いや、なんで、僕なんかがここにいるのかと思って」
「? あなたがフラウ様の従者だから、でしょう?」
「従者といっても、お世話係というか、教育係というか。で、くっついているだけなんですけどね」
「あなたは、レオン家の家臣ではないのですか? フラウ殿に忠誠を誓っているのでしょう?」不思議そうにきかれた。
「家臣? 何のことです?」僕のほうが聞き返したい。
「ご存じないのですか。いや、失礼しました。家臣ではない? やはり、そうだったのですね。このあたりの出で軍籍を持っているというのは奇妙だなと思っていたのですよ」
ハイデさんが説明してくれた。普通、従者というものは家臣がなることが多いのだという。特に、大きな家の場合は代々仕えている人たちがいてその中から選ばれることが多いのだそうだ。
「ハイデさんはベルトルト隊長の従者なのですね」
「はい、私の出はルース家に代々仕えた家柄です。もっとも、家は絶えていますけれど」主家はおとりつぶしになったが、ハイデさんはなんとかゆかりのあるベルトルトのもとに潜り込んだらしい。運がよかったと、ハイデさんはそれでも誇らしげに話す。
僕なんかが、従者という伝統ある地位を名乗るのはおこがましい気がしてきた。いままで、何も知らずに適当に名乗っていたけれど、今度から世話係ということにしよう、と僕は決めた。
自分の部屋に戻る前にフラウの部屋をのぞいてみると、彼女は一人で窓の外を眺めていた。
あれ? 沈んでいる?
表向きは平然とふるまっているけれど、疲れがにじみ出ている。
「フラウ、平気?」
「ああ、アーク」彼女は物憂げに返事をした。一瞬、夢の中で見た女の印象がかぶる。
「明日、魔人退治に出発だから早く寝たほうがいいよ」
「そうよね」
そうはいうものの、彼女は動く気配はない。僕の言葉にもどこか上の空で、窓の外に視線がさまよっていた。
窓の外には暗闇が広がっていた。村人たちはみな砦に避難させていると、ベルトルト隊長が言っていたことを思い出す。
「緊張してる?」
僕が聞くとフラウはようやくこちらを見た。
「わかる?」
「うん。魔人と戦うのは初めてだよね」
フラウは、目をまた窓の外に目を向けた。
「わたし、本当に初めてなのよ」フラウの小さな声がきこえた。
「うん」
「模擬戦はやったことがあるけれど、戦ったことなんてないの」
「大丈夫だよ、フラウなら」僕が明るく言うと、少女がこちらをにらむ。
「やったこともないのに、どうしてわかるのよ」
「そりゃぁ、フラウは、強いじゃないか。魔獣と戦っても負けたことないだろ」
「獣と人は違うわ」
「それはそうだけど、ここにいる誰よりも等級が高くて、魔力量も多い。君が勝てなければ、だれも魔人に勝つことはできない」
フラウはふいと目をそらした。
「わかっているわ。私の等級が高くって、星の妃候補にあげられたこともあって、だから私はみんなの先頭に立って戦わないといけない。たとえ、まがい物でも。そうよね」
薄暗い部屋の中で、フラウの顔に影が差している。こうしてみていると、ちょっと生意気な外見相応の幼い少女のようだった。
「まがい物じゃないよ。本物だよ」
「でもね、私はフラウなの。なんにもできない、芋の植え付け一つできない……歩くのも苦手なの。みんなと同じように走り込みもできないの」
ああ、そうか。僕は気が付いた。
そこにいるのは、幼い少女だった。中身は、どうであれ、ただの小さな女の子だ。
それなのに、僕らは何を期待しているのだろう。
「無理しなくてもいいよ。フラウは、フラウのままで。星の妃とか、そんなことは僕らには関係ない。意味ないからね。そんな、内地のごたごたは」
事実、長い間僕はフラウがそんなに身分が高い人だったことを知らなかった。単なるお嬢様だと思っていた。
「でも、みんな、姫様と呼ぶわ」
「みんながフラウのことを姫様とか呼ぶのは、フラウが自分で勝ち取った称号だよ。フラウがあの時僕らが全滅しかけたところを救った。だから、みんながフラウに恩義を感じている。君は、僕らにとっての英雄なんだよ。たとえ、砦の周りを一周も走れなくてもね」
フラウの雰囲気が少し和らいだ。
「ごめんなさい。アーク。弱音を吐いて……その、ここの人たちが、フランカとして私を扱うから……」
「いいんじゃない? 勝手に言わせておけば。僕らにとっては、君はフラウ、小さい子供なんだから」
「もう、だから、私はあなたよりもずっと年上だと言っているでしょ」
だいぶ、いつものフラウに戻ってきた。僕はホッとする。
「それよりも、大変なのは僕のほうだよ。僕は本当にいかないといけないのかなぁ。それこそ、足手まといにしかならないのに。正直、僕は怖いよ」
「大丈夫よ。アークのことはちゃんと守れるから」
きっぱりとフラウが言う。なんて漢前なのだろう。一度、女の子にいってみたい台詞だ。
「アークこそ、本当にいろいろと私を助けてくれている。戦闘とかそういうものじゃなくても、ね。戦うこと以外にもやることはあるわ。むしろそちらのほうが多いくらいでしょ」
あれ、励ましているはずが、励まされている。
「そうかな。できれば、かっこよく戦闘で活躍したいのだけどね。そのほうが、女の子にもてそうだ」
「そんなに、女の子にちやほやされたいの? ちやほやしてほしいのなら、『子猫の館』の……」
「あれは、却下」僕は身震いをした。
「そう、僕は、ライク准尉の小説に出てきたようなことがやりたいんだよ。ほら、騎士が好きな姫君に活躍を誓うとか、ああいう場面。『姫君、あなたをお守りすることこそ、我が誉。わたしはあなたに剣をささげ、あなたの剣として……』あー」
僕は詰まってしまった。
あなたの剣として勝利をささげる。とか、言いたいところだ。でも、僕よりもフラウのほうが強い。
「『盾として……』うーん、盾もしっくりこないなぁ。肉壁?」
「なに? 肉壁って」
フラウが笑った。屈託のない笑いだった。
ああ、彼女が、こんな風に笑ってくれたら……泣いている娘が頭をかすめた。
「僕は、フラウの杖になるよ」
自分でも考えていなかった言葉がするりと飛び出してきた。フラウが驚いたように顔を上げる。
「僕はフラウを、支える。普段は役に立たないかもしれないけれど、まぁ、杖って、賄ばあさんくらいの年になったら必要だろ」
「そんな年になるのは、まだだいぶ先よ」
いつものフラウになった。僕はほっとした。




