第31話 上町
途中で見かけた巨大な光板で時間を見るとちょうど昼時だった。巨大な広告板の中でキラキラと光る女優がうっとりとほほ笑むと、手から鳥が飛び立った。どうやら最新の化粧品の広告らしい。
この辺りまで来ると、治安がだいぶ良くなってくる。兵士が二人番をしている広告板の前の道には死体は転がっていない。出店も並んでいて、食べ物の匂いが漂ってきた。
フラウがそわそわと屋台の饅頭をうかがっている。
「フラウちゃん、食べたいの?」
「いえ、どんな味がするのかなって」
「本当は上町でおいしい食事を食べようと思っていたのだけれど、一つくらいいいわよね」
ヴァイスさんがほかほかと湯気を上げる饅頭の包みを買ってきた。
「ありがとうございます」
包みを受け取るととてもうれしそうにフラウは笑った。こういう笑い方をすると外見相応に子供っぽく見える。
「こうやって、歩きながら食べてみたかったんです」
彼女はフーフーと肉入りの饅頭をさましながら、嬉しそうにいう。
「ひょっとして、こういう食べ方をしたことがない?」
「あるにはあるけれど、本当に小さい時。叔父様とお祭りに行ったとき以来なの。候補に選ばれてからは勉強が忙しくて」
フラウの表情に影が差す。僕はその憂いを気が付かないふりをした。
僕らは肉汁のついた指をなめながら、表通りから裏通りに回った。
「表から行くと、色々面倒なのよね」
ヴァイスさんは僕の知らなかった道を通って上町に入る。
「へぇ、こんな道があるんですね」
「この道は、兵士と会うことがないからいいのよ。直接外壁を抜ける道にも通じているしね」
なんでそんな道を知っているのか聞くのは野暮だろう。
上町は下のごみごみした街とは雰囲気が全然違う。整然とした内地と見まごうような建物が並び、あちこちには光版がおかれて、宣伝や番組を流していた。道路も清潔で乾いている。
それでも、裏に回ると僕らのような下町から勝手に侵入してきた連中がうろうろしているし、ゴミが散らかっていたりするのだが、悪臭が漂うようなことはない。
ここで暮らしているのは、内地からやってきた人や将校クラスの兵士たちだ。つまり、等級の高い人が集っている町だった。
ヴァイスさんは外套を脱いだ。金色がかった茶色の髪に薄い青い目をした彼はどこから見ても等級の高い美青年だ。
「あなたたちはそのままのほうがいいわ。ここではあたしがご主人様で、あなたたちはお付きね」
いたずらっぽくヴァイスさんは笑った。
「さぁ、あなたたち、今日は目いっぱい楽しむわよ」
堂々と道の真ん中を歩くことに最初は緊張したが、すぐに慣れた。なんということはない。“僕”が町に遊びに行くときと同じようにふるまえばいいのだ。
「まずは、腹ごしらえよ」
ヴァイスさんは表通りのいかにも高そうな店に平然と入る。まさかの、顔パスだろうか。
当たり前のように奥の席に腰を下ろして、僕たちに同席するように勧め、メニューを頼む。
従業員も、僕たちの等級は見なかったものとして丁重に扱う。
「好きなものを注文してちょうだい」
「いいのですか?」フラウが尋ねる。
「ええ。大丈夫よ。この店の主人はあたしの上客なの」
何を食べていいのかわからなかったので、ヴァイスさんおすすめの肉料理にした。
がっつり肉の料理だった。大きい肉の塊に酸味のある甘いソースがかかっている。塊にもかかわらず、ナイフがすっと通る柔らかさで口の中でとろけるようだった。こんなおいしい料理は“僕”も食べたことはない。
夢中になって食べている姿を見て、ヴァイスさんは満足そうだ。
「おいしいでしょ。ここの名物料理なのよ。男の子にはぴったりだと思って。フラウちゃんは、どう?」
「はい、おいしいです」
フラウは“僕”の知っている“くりーむしちゅー”の豪華版を食べていた。
「それはよかったわ。舌の肥えている内地の人に褒められたら、料理人も喜ぶわ。それはそうと、アークちゃん、あなたのご両親、内地の人だったの?」
「いや、僕の両親はこの辺りの生まれだけれど」
なぜ、そんなことを聞くのか、僕は首をかしげる。
「ううん。食べ方がきれいだな、と思って」
「学校で仕込まれたからかな?」
ずらりと並んで無言で食べ物を胃に入れていた時のことを思い出した。料理の味が急になくなる。
「ごめんなさいね。変なこと聞いちゃった」
「ヴァイスさんは、内地の生まれですよね」思い切って聞いてみた。
「そうよ。あたしは、星都の出よ。いろいろあって、ここに流れてきたの」
フラウちゃんと同じね、と軽く流す。
「結構多いのよ。あたしみたいな人間は」
一度堕ちると這い上がれないのよね、そう彼はもらした。
「それよりも、フラウちゃんは、どんなお店に行きたいのかしら。お土産といってもいろいろあるでしょう?」
「そうですね。まず、お世話になっている姐様たちへのお土産と、装飾品がいいと思うのです。おばあ様へは、温かいひざ掛け、それからサラちゃんのお菓子とか……」
フラウが指を折って数え始める。
「なぁ、フラウ。頼まれていたお土産も忘れないでほしいな」
一体どれだけの物を買うのだろう。僕は不安になった。
女の買い物は長い。僕はそれを実感した。
ヴァイスさんとフラウはあちこちの店をはしごした。ああでもない、こうでもないといいながら、結構な量の品物を買っていく。その荷物を持つのは、お付きの僕だ。
「さぁ、次に行きましょう」
「ちょっと待って、休ませて」
僕は荷物を抱えて、ふらふらしている。
「仕方ないわねぇ。あと一軒だけ回るから、そこの噴水のところで待っていて」
ヴァイスさんが広場の中にある七色に輝く泉をさした。
「それが終わったら、念願のお菓子よ。さぁ、行きましょう」
女二人?は僕を残して、最後の店に突撃していった。
僕は、大きな噴水の脇に腰を下ろして休んだ。
噴水の周りには子供たちが集まって、芸人が人形劇をしているのを見ていた。そういえば、小さい時はこっそりこの辺りまできてああいう大道芸を見物していたな。そんなことを思い出す。
「”まだら”のおとこはいいました。もし、わたしにその金の種を分けてくれたならば、まものをたいじしてみせましょう」
僕も知っているおとぎ話だった。
“まだら”の邪悪な“外れた杖”の物語だ。言葉巧みに人々に取りいった“まだら”の男は報酬を払わないことに腹を立てて、町の人を連れて黒い土地に向かう。そこが楽園であると人々をだまして、黒い土地にいざない、そして一緒に行った人たちは魔人となって人々を襲う。それを光の勇者が退治するという子供向けの話だ。
「“まだら”のおとこはいいました。わたしとともにいこう、そうすれば、そこにはすばらしいばしょがある」
人形遣いは器用に黒いローブを着てつえを持った人形を操る。
「すばらしいところ、ぼくも、わたしも、いきたいな」
話を知っている子供たちが、黄色い声を上げて人形を止めようとする。
人形遣いが顔を上げた。
銀色の髪がさらりと揺れる。
僕は人形遣いを凝視した。
間違いない。シャンといっただろうか。補給係だといって、僕たちに近づいてきた女だ。
「それでは、おまえたちをつれていってしまうぞ、がお」
黒い人形は本性を現して、背中から黒い布を出して逃げ惑う子供人形を包み込む。
「こうして、“まだら”のおとこはこどもたちをつれていってしまいました。おしまい」
「えー、勇者さまは? 聖女さまはいないの?」子供たちの間から不満の声が上がった。
「“まだら”をやっつけないと」「悪いやつをせいばい、せいばい」
「今日はここまでだよぉ。続きはまた今度ね」
銀髪の少女はにこやかに手を振った。
それから、当たり前のように僕のほうを見て笑いかけた。
僕は荷物を片付けている彼女のところへ歩いて行った。
「なんのつもりだ」
「なんのつもりって、なんのことかなぁ」
前からの知り合いのように気やすく彼女は返事をする。
「だから、なんで、ここにいるんだよ。それから」僕は頭をふった。「なんで、あの時、補給士官のふりをしてあそこにいたんだよ」
「ここにいるのは、芸を子供たちに見せるため。あそこにいたのは、君たちに装備を渡すためだよ」
「嘘だろ。神殿の人間が、なんで、軍人のふりをして現れるんだよ」
「軍人のふりってねぇ。ちゃんと、装備は用意したでしょ。仕事はしたよ」
女は人形を丁寧に布にくるんで、紐を巻いて止めた。
「むしろ、ボクに感謝してほしいくらいなんだけど。本職の軍人だったら、君たちに装備なんか用意しないよ。いつまでもだらだらと引き伸ばして、そのまんま。あいつら、職務怠慢だからね」
「フラウのことを探りに来たのか? あの子が、マダラだから、そ、その、始末するために」
声が震えた。怒りのためか、恐怖のためか、よくわからない。
「ちがうよぉ。たしかに、お姫様もどうしてるのかなぁ、とは思っていたけれどね。ボクは君に会ってみたかったんだよ」
「ぼ、僕を、始末するつもり……」
女は声をたてて笑う。
「違う、違うよ。それは誤解だよ。本当に見てみたかっただけ。大きくなったかなぁって。ああ、アハトの仕事を見たから、そう思い込んだんだねぇ。あんなことめったにしないよ。最近はね」
シャンの口調は率直で嘘はなさそうに思えた。それでも僕は彼女のことは信じられない。
「今日出会ったのだってたまたまだよ。たまたま、仕事で子供たちに芝居を見せていたら、君が通りかかったんだ。それで、ちょっと早めに切り上げた。子供たちは怒ってたけど、いいよね。本来の話に近い形で、終わったんだから」
本来の話? なんのことだろう。
「“まだら”の男は民を連れて、黒い大地に行ってしまいました。それで、お話はおしまい。ほら、聖典に書いてあるように、黒い大地は黒い民を飲み込んだ、だよ。勇者とか聖女とかは後付けだね。神殿の浅知恵さ」
シャンは、おそらく神官であるにもかかわらず批判的なことを口にした。
「そんなことよりもさ。もっと楽しい話をしようよ。“夢”の話とか、さ」
夢? 僕の舌が凍り付いた。
「最近どんな夢を見てる? “夢”の中で誰と会ってる? 君の“夢”の舞台はどこ? ああ、いきなり聞かれても困惑するよね。”夢”の話、他の人にしたことないだろ」
シャンはすべての荷物を片付け終えて、ひとまとめにして背負った。
「もう少し話していたいけれど、彼女、ちょっと大変なんじゃないかなぁ」
シャンの目線を追う。
小さな外套を着た人影が、無用に光る男と言い争っているようだ。
「姫君を助けるのは勇敢な騎士じゃないとね。気を付けて」
そして、またね、といわれた気がする。
その時には僕はフラウのほうへ駆け出していた。




