第21話 旅路
次の日、僕らはベルトルトたちに見送られて砦を後にした。別の巡回商人の馬車に乗り換えて、黒の町を目指す。この商人の馬車をここの砦の人たちは頻繁に利用しているらしく、僕らが乗り込んでも別段何も聞かれることはなかった。
明るい森の中を、馬車がひく荷馬車はかけていく。
「あ、見て。フラウ」
僕は空を指さした。空の一角に輝く円盤のようなものが浮かんで見える。
「飛空艇だよ。すごいなぁ」
僕らの砦で飛んでいる飛行艇を見たら、大変な騒ぎになる。敵のものだからだ。この辺りで見かける飛行艇が銀の国のものであるわけはないので、のんびりと観察できた。
飛空艇はかなりの速度で僕たちがやってきた方向へ流れていく。
「一度、乗ってみたいなぁ。フラウは乗ったことがあるんだよね。どんな感じだった?」
「どんな感じって、あまりそんなに乗り心地のいいものじゃないわよ」
砦に来た時あまりいい思いをしなかったのだろう。フラウの返事はどこかぶっきらぼうだった。
でも、僕の興奮は収まらない。
「いいよね。空を飛ぶって。僕は小さい時から、あれに乗ってみたかったんだよ。雲の上をビューと、ね。ただ乗るのではなくて、運転してみたいなぁ。ぐるりと旋回するのはどういう感じなんだろうなぁ。こう、煙で円を書いたり、ぐるりと一回転してみたり」
僕は遠ざかる銀色の機体を見送った。
フラウはそんな僕の様子をじっと見ている。あきれているのだろうか。
「ごめんね。ちょっと興奮してしまったよ。砦で見る飛行艇は敵のものが多いから、こんなにじっくりと眺めることができなくて。えっと、どうかしたの?」
フラウの目が怖い。ちょっと羽目を外してしまったようだ。
「アーク、飛行艇は、飛行艇はそんなものじゃないわよ」フラウは軽く頭をふる。「ぐるりと回ったりするものじゃないから」
「そうなのか? こう、速度を出してビューンと飛ばないのか?」
「飛ばないわよ。むしろ浮かんでいるというのが正しいわね」
僕はがっかりした。“僕”のやっていた“ゲーム”とはちがうみたいだ。
黒の町に近づくと、道がしっかりとして車と行きかうことが多くなった。それでも、交通量は“僕”の知る道よりもずいぶん少ない。
基本的に僕らの移動は歩きだ。
馬は“僕”の世界のかわいらしい生き物に外見は似ているが、中身はずっと凶暴で扱いが難しいし、車を操るにも光術が使えることが前提となっている。僕らは自分の足で歩くというのが一番の移動手段なのだ。
「馬車を使えるだけありがたいと思わないといけないよね。……何を見てるのかい?」
僕は熱心に外の様子を見ているフラウにいう。
フラウは飛行艇には興味のかけらも示さなかったが、町の郊外を食い入るように見ている。
僕は何がそんなに面白いのかと、思いつつ眺めていたがどこから見ても普通の農家の光景だ。
「このあたりでも食料を生産しているのね」
「そうだよ。町の食料をこの辺りで作っている」
「全部、本土のほうから持ってきていると思っていたわ。ここは黒い大地で、食べ物は作られないと一般に言われているから」
「持ってくるだけでは足りないからね。仕方がない」
黒の大地が汚されていることは僕らも知っている。そこでできたものを食べるのは不浄なものを取り込むということであまり褒められた行為ではない。僕ら、黒い街の住民はそれでもこの地でできたものを食べていた。清浄な食べ物なんて、食べたこともない。
「ねぇ、黒の道は、どこにあるのかしら?」
「死者の道のことか? あれはあの辺りじゃないかな」僕は高い建造物の向こうをさす。
「ここからは見えないのね」
「うん、だいぶ距離があると思うよ。ほら、あの、きらりと光ったあたりがそうじゃないかな」
僕は光を反射して光って見える方角をさした。
「あれが、死者の道ね」フラウが感慨深そうにため息をついた。
「あの道の先に黒の砦があるのね」
「だといわれている。僕は行ったことはないけれどね」
母と別れた時のことを思い出す。同じように遺体袋に入れられたいくつもの体とともに馬車にのせられてあの道の向こうに消えていった。あの先で、魔につかれないように封印されて地に帰るのだという。僕らのような貧乏人は葬列についていく余裕はない。
「フラウは行ったことがあるの?」
お金持ちの彼女ならば、葬列の儀に参加できるだろう。どんなところか知っているのかもしれない。そう思って聞いてみたが、フラウは首をふる。
「ないわ」
「そうか。気になるよね。どんなところか」
「ええ。黒の砦、墓所がどんなところか知りたいわ」
昔から星の民が埋葬されてきた土地だ。“僕”のイメージでは延々と墓石が並ぶ荒れ果てた土地なのだが、実際はどうなのだろう。
「君たち、休暇かい?」僕らが話していると、気さくな御者がそう話しかけてくる。
「いえ、任務なんです」
「ほお、任務で、こんなに小さな子供を使いに出すのか」彼はフラウをみていう。
「まぁ、任務ですから」
僕とフラウはあいまいに笑ってごまかす。
御者はフラウに質問されるままに、この辺りのことを教えてくれた。僕も知らない町に外にある農村の話だ。彼もそうだが、多くのものが元兵士とかその家族らしい。
「確かに、この土地はけがれているといわれているけれどなぁ」御者は苦笑した。
「そうかといって、俺たちのような等級の低いものが暮らせるところはこの辺りにしかないからなぁ」
光術の使えないものが追放される制度は表向きなくなった。でも、実質的な追放は続いている。
やがて、前方に黒い街の影が見えてきた。黒い石で組まれた第一砦、僕らの呼び方では黒の町、内地では葬送砦と呼ばれているらしい。この黒の大地と内地の唯一の接触点であり、墓場への道の始発点である。
町が近づくにつれて不快な臭いが漂ってくる。いかにも健康に悪そうな腐った空気の臭いなのだが、僕にはとても懐かしい街の匂いだ。
「どこに行けばいい? 砦の入り口付近でいいか?」
御者は親切にも既定の場所よりも先に僕らを送ってくれた。幼い外見のフラウに気を使ってくれたようだ。
砦の入り口、内地の連中からしたら出口、のあたりはそれでもかなり整えられた区域だった。昼間だと襲われることはめったにない兵士が巡回する区域である。
馬車から降りると、ぬかるんだ泥のいやな感触が長靴を通して伝わってきた。どこからかしみだしてきた汚水が混じっている泥は嫌なにおいがした。
「気を付けて」
僕はフラウが降りるのに手を貸そうとして、振り払われた。
「だから、わたしはあなたよりも年上なの」
「小さい、低い身長の人に手を貸すのは当たり前だろう」
僕は言い返す。
「気を付けて、突っ立っていると馬に食われるぞ」
僕らは不快ぬかるみを避けながら、第一砦の正門を目指した。正門の周りは広場になっていて、その周りを店や屋台が取り囲み、人混みができていた。僕らのような辺境の砦から来た兵士や、第一砦に勤めている兵士が買い物をしたり、食事をしたりしている。
「こっちだ」
僕は脇にある扉のほうにフラウを案内した。
砦に入る入り口には長い列ができていた。
「あっちのほうがすいているわよ」
フラウは閉ざされている大門の反対側にある扉をさす。
「あっちは、内地の人間専用の扉だ」僕はフラウを引き留める。
「僕らのような辺境の砦の兵士はこっちに並ばないと」
フラウは見るからに不満そうだったが、おとなしく列に並ぶ。
だいぶ並んでからようやく僕らの番が来た。
「第13砦から来た……」
「許可証は?」
名乗る前に聞かれた。
「許可証? ですか?」
「そうだ、この砦に入る特別許可証だ」
そんなものは隊長から預かっていなかった。
「いえ、持っていません。あの、僕らは……」
「許可証がないものは砦に入ることはできない」
係官はこちらを見ることもせずに、手を振ってあっちに行けと合図をした。
「待ってください。そんなもの、前はいらなかったじゃないですか」
「今はいるんだ。お前のような田舎者を選別するためにな」
「どこで許可証というのはもらえるのですか」怪しい雲行きにフラウが割って入る。
「許可証は、お前の上官である将校が出してくれるだろう。チビ」
彼はフラウの高い声を聴いて、意地悪な笑みを浮かべる。
「将校であれば、許可証を出せるのですね」フラウが聞き返す。
「そうだ、もらってこい。さっさと列から離れろ。クソガキ」
「ならば、わたしの」フラウが自分の身分証をはずそうとした。
「何の騒ぎだ」
そこへ声が降ってくる。
周りに並んでいた男たちが引いた。あからさまに。
薄い金色の髪に淡い空色の瞳、肌の色も白いその男は“僕”の目で見ても美男子の部類に入る。そして、極めつけにその男は光っていた。
フラウの発していた柔らかい銀色の光とは違う金色の光だった。いかにも光っています、といわんばかりの派手な光だった。“高級ブランド”とあからさまにわかるものをごてごてと身に着けている勘違い男、そう“僕”だったら感じるだろう。
僕らのくたびれた軍服ではなく、袖飾りのついた正規軍服がまぶしい。物理的に。
「は、申し訳ありません。ギデオン卿」
お偉いお貴族様らしいその光る男はちらりと僕たちのほうを見た。
「なんだ、ドブネズミどもを騒がせるなといっていただろう」
僕らに高圧的な態度をとっていた男たちが這いつくばるようにして礼をする。
「今日は高位のお客様がいらっしゃる日だ。くれぐれも失礼のないようにといっておいたはずだが」
なんていやみたらしい男だ。こいつは自分がピカピカしていることをわざと僕らに見せつけている。ここまで、あからさまに“俺様すごい”と主張されると腹も立たない。
「おい、お前ら。何をしている。失礼だろう」
係官たちが棒立ちしている僕らを乱暴に引っ張った。
「いやいや、いいさ。彼らも初めて私のような貴族を見て驚いているのだろう」
男は寛容な笑みを浮かべて目を落とした。
「無理もない。私ほど高位の貴族を目の当たりにできる機会は一生巡ってこないかもしれないのだからね」
そうなのか? フラウ? フラウは硬い表情のまま固まっていた。たぶん、絶対、フラウのほうが地位は高かっただろう。
僕らの沈黙を都合よく解釈したらしい男は機嫌よく背を向ける。
「ともかく、騒ぎは起こさせるなよ。印象が悪くなるからな」
男は僕たちに最悪の印象を残して、華麗に立ち去っていく。男の残したキラキラする光が見えなくなってから、僕とフラウは下町のほうへ引き返した。
「……宿に行こうか?」僕はフラウを誘った。
「ラーズ曹長が、おすすめの宿を紹介してくれたんだ。砦の者たちがここに来るときにはそこに泊まっているみたいだよ」
僕の住んでいた町とは区画が違うが、なんとかたどり着けるだろう。
「ごめんなさいね」フラウが突然謝った。
「あの、貴族がみんな、あの人みたいじゃないから。ああいう人も、いるけれど」
いやな経験でも思い出したのだろうか、フラウは顔をしかめる。
「わかってるよ。かなり、変わった人だよね」
「あの男は、本物じゃないわ。貴族は、上に立つものは、もっと民のことを考えなければいけないのよ」フラウは自分に言い聞かすようにつぶやく。
「等級が高いものは、その等級に見合った貢献と奉仕が求められるのよ。それが光と秩序の求める高貴なものの試練なのよ」
「ふうん」
それ以外に返事ができなかった。貢献とか、奉仕とか、僕の中ではろくでもない黒い記憶と結びついている単語だった。こういうことを口にする人間がいたら、避けろ。それが僕の経験則だ。
そんな忌まわしい言葉を口にするフラウは、それでもいつものフラウだった。
フラウにはあんな言葉をを口にしてほしくない。
僕はもやもやする思いを抱えて、それでもラーズ曹長に聞いた宿を探して歩いた。
だが。
「ねぇ、本当にこっちでいいの?」
「……………この地区だと、曹長はいっていたよ」
一目で歓楽街とわかる町の入り口で僕らは立ち尽くす。まだ日も暮れていないのに、いかにもな空気が漂ってきて足を踏み入れるのが怖いのだ。
「そ、曹長のおすすめというから、ひょっとしてそういうお店なのかしら?」
「いや、いや、普通に宿だっていってたけれど」
僕はともかくフラウは誘拐されて売り飛ばされそうな場所だ。
「外套をかぶって、顔を隠していこう」
制服はごまかしようがないので、僕らは外套を深くかぶって恐る恐る町に入る。
誰かに絡まれるかもしれないと緊張したが、逆だった。
僕らが宿を訪ねると、みんな、親切に教えてくれた。
親切すぎるほどの扱いだった。
「あ、あそこね。それなら、そこの角を曲がって……」
声をかけるのを間違えたかな、と思った殺気を放ったお兄さんも店の名前を聞くとがらりと態度を変えて道を譲ってくれた。
なんだろう、避けられているような気がする。
周りで見ていた人たちもさりげなく僕らに道を開けているような気がするのは、間違いではないと思う。




