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参謀将校の前線視察

 ここに付いた時に一番最初に感じたのは、予想以上に肌寒いということだった。

 我が軍の工兵隊が必死になって復旧した鉄道のお陰で、栄えある参謀本部がそびえ立つ共和国首都ディナルから十時間程度で到着した旧帝国領。

 初めて降り立つ地だが、見渡す限り友軍の軍服で埋めつくされているから不安はない。ここも今まで視察に訪れた前線とそう変わった場所ではないということだ。


「コリンズ中佐殿、お待ちしておりました。長旅はいかがでしたか?」


 お世辞にもいい乗り心地とは言えない軍用輸送列車を降りると、駅のホームに俺の名前を書いたボードを持った中尉が待ち構えていた。

 今回のように現地部隊が気を効かせて迎えを配置してくれると、現地に着いてからは迷わずに済むのでありがたい。


「中尉、出迎えご苦労。参謀本部勤めが長いと長距離移動には慣れてしまったよ。ここだけの話、上司の作戦課長は現場を見て来いとうるさい人だからな」


 俺の愚痴に中尉は、曖昧な笑みを浮かべることで受け流すことにしたらしい。陸軍参謀本部の作戦課長と言えば、将来の陸軍参謀総長候補と言っても過言ではない。

 そんな人間に対する愚痴なんて、聞かなかったことにして受け流した方がいいに決まっている。


「あれが例の要塞か?」


 自分が作り出してしまった微妙な空気を改善するため、あえて分かり切った事を聞くことにした。


「はい、バックラー要塞です。要塞の後方斜面に敵の砲兵隊が展開しているようで、苦戦を強いられています」


「報告に合った件だな。こっちは敵の砲兵が見えないが、敵は観測部隊だけ高台に配置して砲撃してくるから反撃もままならないってやつか……憎たらしいな」


「全くです。味方の砲兵連隊も対砲迫戦では常に不利な状況で戦闘を行っていますので」


 険しい表情を浮かべる中尉とバックラー要塞を見比べながら、俺はこの要塞攻略が決まった時を思い出していた。


 帝国軍がエリー港を足掛かりとして、共和国内地への大規模な着上陸作戦を準備中である。この情報は最初に帝国陸軍情報部からもたらされ、ついでそれを裏付ける情報として大規模な敵海軍のエリー港への入港が共和国海軍の哨戒部隊によって確認された。


 これを受けて共和国陸軍参謀本部はただちに検討を開始。優秀な参謀たちによる熟考の結果、帝国軍がエリー港を橋頭堡として共和国領内への上陸作戦を準備中であり、その目的は第二戦線の構築と判断された。

 ついで参謀本部は敵の上陸予想地点の割り出しと、防衛計画の策定に取り組んだ。その結果には、国防省のみならず大統領府も顔色を失った。


 共和国首都ディナルから約三十キロ地点。そこに存在するファーバー湾こそが、敵の目指すであろう上陸予想地点であるとの試算結果が記されたレポートが政府主要機関に提出されたのだ。

 この結果を受けた大統領府は、陸軍に対し上陸作戦の阻止を命令。参謀本部はエリー港攻略作戦の立案に入ったのだった。


 参謀本部の将校たちによる度重なる議論の結果、猛将と謳われたディラン・フィッシャー大将を司令官とした第三方面軍を編成。周囲を山に囲まれたエリー港へ続く、唯一の街道に立ちふさがるバックラー要塞の攻略を命じたのだった。


 いかに難攻不落と謳われたバックラー要塞でも、一個方面軍を投入すればあえなく陥落するとの見方が主流だった。だが、結果は散々なもので方面軍が行った二回の大規模攻勢はあえなく失敗に終わってしまった。


 当然、この結果には陸軍上層部のみならず大統領府も危機感を覚えた。もたついていると帝国軍に第二戦線を作られかねないという恐怖も大きかったのだろう。

 大統領府にせっつかれた陸軍は、参謀を派遣して現場の状況を報告することにしたのだ。勿論だが、求められる報告は『悲観に満ちたものではあってはならない』という条件付きで。


「全く……嫌な仕事を押し付けられたものだよ」


 もうお分かりだろうが、件の方面軍司令官であるフィッシャー大将をせっつく任務を与えられた可哀想な参謀はこの俺だ。

 表向きには、新兵器の大口径列車砲の有効性を見極めるという任務が付与されてはいるが、敏感な現場が参謀本部の意図に気が付かない訳はない。


「……どうかされましたか?」


 急な独白に中尉が怪訝な表情を浮かべていた。参謀という人種はあらゆる角度から物事を精査するのが仕事なせいか、自分の世界に入り込んでしまいやすいらしい。

 俺もまさにそのタイプだったから、気を付けるようにはしているのだが、これはクセみたいなものでどうにも治らない。


「あぁ、いや何でもない。それにしても一個連隊もの砲兵が並ぶ景色はまさに壮観だな。この砲が一斉に火を噴くところを見てみたいものだ」


 話題を逸らす意図もあったが、この言葉は本心から出たものだ。三個師団からなる方面軍の全砲兵火力が駅から僅か数百メートル先に展開していたのだ。

 全ての野砲はバックラー要塞にその砲門を向け、砲撃の機会を今か今かと待ち構えているように見えた。


「次の大攻勢の際には、列車砲と連携して効力射を加える予定です。中佐殿も滞在期間中に、ご覧になれるはずですよ」


「そいつは楽しみだ。あのデカブツを我が軍の砲弾が吹き飛ばす様は、想像するだけで実に心が踊るよ」


「砲兵隊の火力は各師団の後方に配置された前方火力調整所の指揮を受けて、適切に発揮されるようになっています。電話線を前線まで引っ張るのは骨が折れましたが、これのおかげで連隊の砲火力運用は格段に向上しています。次の攻勢ではあの要塞を文字通り木端微塵にしてくれますよ」


 そう語った中尉はどこか自慢げだった。よく見ると彼の胸には砲兵科の所属を示すバッチが誇らしげに輝いている。

 恐らくこの電話線を使った通信網の構築に彼が一役買ったのだろう。広大な範囲に有線で通信網を張り巡らせることが、どれだけ大変だったのかは想像に難くない。


「さぁ、車を用意しましたのでこちらへ」


 世間話は充分にしたと判断されたようで、中尉は軍用のジープへと促した。この車には天井が無いので雨が降ればずぶ濡れだが、幸いにも今日は晴れている。

 運転手の伍長へ答礼しながら車に飛び乗ると、中尉の合図を待って車は走り出した。


 他の戦域でも司令部への視察を経験してきたから分かるが、周辺環境の違いはあれど居住区や野戦病院の配置などは大体似たり寄ったりになってしまうものだ。

 それ故に他の戦域との違いなどがあれば、すぐに気が付く。例えば砲兵隊のすぐ後ろに積み上げられた砲弾の量とか……


「中尉、第三方面軍の砲兵はかなりの弾薬を備蓄しているように見えるが射撃機会が少ないのか?」


「いえ、その逆で戦闘ではかなりの数の砲弾を消耗します。一回の戦闘で一万発以上も消費することがあるくらいです。正直言って砲弾が足りないくらいです」


「そうなのか? それにしては他の戦域と比べて即応弾が多いように見えるぞ」


 高く積まれた砲弾を眺める俺を見て、中尉は何か合点がいったような表情を浮かべた。


「実のところ第三方面軍の弾薬備蓄量は厳しい状況にあります。ご覧になっている即応弾が砲兵連隊の保有する全ての砲弾です」


「なに? 湿地弾薬庫に予備弾薬を保管することになっているだろ?」


「予備弾薬を用意できるほど弾薬に余裕が無いのです。ただ、これでも列車のお陰で毎日一定量の砲弾を受領できるようになったので助かっています」


 これには驚いた。てっきり砲弾が余っているものかと思えば、前線には予備弾薬をすら満足にないという。参謀本部の補給課は何をやっているのか?


「了解した。全く、前線まで視察にきた甲斐があったよ。補給課の連中には俺から言っておく」


「助かります。次の大規模攻撃前には充分な数の砲弾が欲しいと思っていたので」


 中尉はここにきてようやく小さく笑みを浮かべた。前線視察でこういうことがあると、ここまで来てよかったと思える。小うるさい作戦課長の指示も聞いておくものだ。


「間もなく司令部に到達します」


 中尉がそう告げると同時にひときわ大きな天幕が視界に広がった。これが三個師団を率いる第三方面軍の司令部なのだとすぐに分かった。

 流石に方面軍の司令部なだけあって人の出入りは多く、車は人込みを避けながらゆっくりと減速してから停車した。


「司令官室へご案内します」


 中尉の誘導に従って車を降りて、司令部の天幕をくぐりながら奥へと進んでいく。


「こちらです」


 中尉が足を止めたのは何の変哲もない天幕の前だった。とても三個師団を束ねる方面軍司令官が鎮座する部屋には見えないが、それも質実剛健を好むフィッシャー大将の性格が表れているように感じる。

 ここまで付き添ってくれた中尉に礼を言ってから、身だしなみを整えて姿勢を正す。


「参謀本部、コリンズ中佐。入ります」


「入れ」


 間髪入れずに返ってきた野太い声に気圧されながらも、それを悟られないように表情を引き締めて天幕をくぐった。


「中佐、遠いところご苦労だったな。前線の空気には慣れたか?」


 猛将と謳われたフィッシャー大将は、銀色のマグカップを片手に作戦図に落としていた目線をゆっくりと上げた。


「はっ、精強なる前線将兵の働きを見て私自身も襟を正す思いです」


「そうか。貴官の派遣については参謀本部からも連絡を受けていた。何でも近々投入される新型列車砲の有効性を見極めるためだとか」


 噂通りの鋭い眼光だ。この目で睨まれると思わずすくんでしまうと言う参謀本部の同僚たちの弁は、あながち間違いではなさそうだ。


「はい、投入される列車砲は六〇糎の大口径を誇る新型砲です。対要塞・対水上艦射撃を想定して設計されており……」


「建前はいい。貴官の任務はそれだけではないのだろう?」


 続けようとした説明は大将の言葉で遮られた。こちらを見定めるような視線に次の言葉が出てこない。蛇に睨まれた蛙とはこういう事を言うのだろうか。


「いえ、新型砲の有効評価は決して建前などでは……」


「ふん、まぁよい。参謀本部の意図は分かっている。貴官の口から言いにくいのであれば儂が言おう。参謀本部の連中が言いたいのは『こんな要塞一つ落とすのに時間をかけ過ぎだ。どんな犠牲を払ってでも速やかに要塞を突破しエリー港に集結する敵海軍部隊を撃滅せよ』だろう?」


 流石に参謀本部にも在籍していた経験があるだけはある。フィッシャー大将にはこちらの意図は全てお見通しということか。猛将は世渡りも上手らしい。


「はっ、確かに参謀本部の中にはそのように言う一派もおります。しかも、それだけではなく政府中央もこの要塞攻略戦の動向を気にかけていると言う噂も流れております。陸軍としても注目度が高いことは確かかと」


 だが、俺だって負けてはいられない。陸軍上層部の意志を代理として伝えに来たのだから、丸め込まれるようなことがあれば評価に関わる。

 今回の視察が共和国政府の意向によって行われていることを匂わせて、大将をけん制することを忘れない。


「ほぉ、それは気合を入れて取り組まねばな。だが、あまり心配する必要はないだろう。敵の防御戦闘は間もなく限界を迎えるはずだ」


「と、言いますと?」


「先日、戦車を含む一個大隊が前線の哨戒線を突破してこの近くまで前進してきたことは知っているか?」


 その報告書なら読んだばかりだ。大攻勢の失敗を受けて、前線の師団長が兵を後方に集結させたタイミングで敵の一個大隊が決死の突撃を敢行。兵力が薄くなった前線は支えきれずに、一時的とはいえ方面軍司令部付近まで敵の進出を許したらしい。


「はい、ここに来るまでの列車の中で報告書を読みました。見た限りではかなり危うい戦いだったように感じましたが」


「事実危なかった。あの状況から前線を突破してくるとはな……敵ながら恐れ入った。だが、あれでは破れかぶれの突撃と同じだ。事実、大した損害を受けることなく敵の一個大隊は殲滅されている」


「つまり、敵は弾薬や食料に限界が訪れていると?」


「いや、偵察機の報告では海軍部隊がひっきりなしに接岸を繰り返しているらしい。物資欠乏の線は薄いだろうな」


 陸軍航空隊が偵察支援任務に就いていることは報告を受けているが、帝国海軍の対空砲火により侵入が極めて困難らしい。大まかなことは把握できても詳細な偵察行動は難しいらしい。


「では何故そのような判断を?」


「……貴官はこの要塞を見て考えなかったか? 他戦線も膠着し制海権も帝国に握られた以上、エリー市内への侵攻ルートは実質的に要塞正面のみ。しかも、要塞は重厚な塹壕と高地に存在するがゆえに一方的な弾着観測が可能。海軍艦艇が接弦を繰り返すのだから補給の心配もない。軍事上、最良の防御地点だとは思わないか?」


 なるほど。確かにその通りだ。参謀本部の高級将校が、連日のようにバックラー要塞周辺の地図と睨めっこに興じている理由もここにある。


「参謀本部も同じ意見です。敵ながら見事な采配だと」


「工兵隊を動員して坑道戦も展開してはいるが、参謀本部のみならず中央政府も早期陥落を命令してきたとなれば、時間のかかる坑道戦での突破は絶望的だ。もはや、いかなる犠牲を払ってでも突撃による早期陥落を目指すほか無くなったわけだ……」


 小さく独白したフィッシャー大将は、すっかり中身の冷えたマグカップを葉巻に持ち替えて火を付けた。


「ふぅ、参謀本部の作戦課でも要塞攻略に関して検討を繰り返しているのだろう。参謀本部の見解を聞かせてくれ」


「……参謀本部としても突撃による突破しか道はないと考えております。砲兵部隊の突撃支援射撃のもとに全方面から突撃を敢行。数の利を生かして敵の防御陣地を突破するほか無いかと」


「つまり、奴らの作戦意図に関する新しい情報は無いのだな」


 大将は残念そうに呟いた。その物言いでは、まるで敵には別の意図があるかのようではないか?


「閣下は帝国軍が別の意図をもって要塞を防衛しているとお考えなのですか?」


 大将は葉巻を深く吸うとゆっくりと息を吐いた。


「儂が思うに、奴らはあの要塞を維持し続ける意志がないと感じている」


「それはあり得ません! 連中が要塞を放棄すれば、第二戦線構築に向けた橋頭保たるエリー市を失うことになります」


「そうだな。だが、連中は奪われた陣地を取り戻そうともせず後退を繰り返している。典型的な遅滞戦闘のやり方だ。エリー市の防衛を本気で考えているならば、こんなやり方はしないだろう」


 フィッシャー大将の推測は確かに筋が通っている。だが、それは飽くまでこの老人が打ち立てた推測に過ぎない。それを裏付ける情報が無ければ、いかに猛将の言葉と言えど戯言に過ぎない。


「まぁ参謀本部でも、敵の意図に変更が無いと判断しているのであればそれで良い。儂の作戦方針に変更はないから、貴官は安心して中央に報告すると良い」


 大将はそれだけ話すと葉巻の火を消した。それがまるで、胸に秘めた不安も一緒に消そうとしているかのようで何だか落ち着かない。

 彼の話は、数万の人命に責任を持つ指揮官故の重圧からでた杞憂で終わるのか……その答えを知っているのは恐らく、要塞の向こう側にいる帝国軍だけだろう。


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