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旅団本部

 午後十時。

 静まり返った要塞にコツコツという軍靴の音が響き渡る。五百キロの航空爆弾の直撃を受けても崩壊しないように、頑丈な鉄筋コンクリートで造られたこの要塞は音が反響しやすい事で知られていたが、男が発する音はやり場のない怒りに満たされたその表情も相まって、一層大きく響いているように感じられた。


 その靴音が止んだのは施設内のある部屋の前に着いた時だった。

 

「中佐殿。いかがいたしましたか?」


 部屋の前に置かれた机の前で書類作成に励んでいた若い少尉は、部屋の前で立ち止まった男に気が付くと、慌てて立ち上がり挙手の敬礼の姿勢をとった。

 扉の外に副官のデスクがある部屋というのは狭い要塞内では殆どない。その数少ない例外が、この旅団長室だった。


「旅団長閣下にお会いしたい。取り次いでくれ」


「閣下は参謀長のイオニアス大佐と面会中です。申し訳ありませんが、お取次ぎすることはできません」


「少尉、君が副官として忠実に任務を遂行しているのは分かっている。だが、この件は急ぎ閣下に直接確認せねばならないことなんだ。何とか取り次いでほしい」


 副官の少尉は怪訝そうな表情を浮かべたが、中佐の表情からただならぬ気配を感じ取ったのか、それ以上何も言わずに旅団長室に入っていった。


「旅団長がお会いになるそうです」


 待つこと数分。旅団長室から出てきた少尉は静かにそう告げた。


「ありがとう」


 中佐は少尉の眼を見て礼を言うと、何かに急かされるように勢い良く扉をノックした。


「第三遊撃大隊長ヨハネス中佐、入ります」


 返事を待たずに扉を開けると、室内にはバックラー要塞の指揮官たる旅団長ことジェラルド准将と旅団参謀長のイオニアス大佐が椅子に腰かけたままヨハネス中佐を出迎えた。


「ヨハネス中佐、急を要する報告と聞いた。旅団参謀長も同席する。報告したまえ」


「はっ。報告します。突入した第一大隊の全滅が確認されました。負傷者三十八名を除いて、大隊長を含む全員が戦死、もしくは敵の捕虜になったものと思われます」


「確かか?」


「はい。第一大隊の生存者からの情報と、捕虜とした敵の斥侯を尋問して得た情報を総合するに、間違いないかと」


 報告を受けたジェラルド准将はそっと目を伏せると、小さく「そうか」とだけ呟いた。


「失礼ながら申し上げます。自分には今回の攻撃の必要性が分かりません」


「ヨハネス中佐!」


 イオニアス大佐の咎めるような視線を無視して、中佐は旅団長へ詰め寄る。


「いいえ、言わせてください。我が旅団に与えられた任務は海軍がエリーの街に住む民間人を退避させるまでの間、要塞を死守し敵の侵攻を食い止める事だと記憶しております。今回の攻勢作戦は作戦目的の達成に何ら寄与するものではありませんでした。参謀本部の命令とは言え、何故このような作戦を了承されたのですか!?」


「やめんか! 中佐、貴様のそれは旅団長閣下に対する口の利き方か! 立場をわきまえろ」


 腰かけていた椅子を立ち上がる勢いのまま蹴り倒し、要塞全体に響き渡るような声量で怒鳴り声を上げた大佐に、ヨハネス中佐は怯むことなく射貫くような視線を向ける。


 沈黙が部屋の空気を支配する中でヨハネス中佐とイオニアス大佐は睨みあう。


「敵は今この瞬間にも総攻撃の準備をしておるのだ。そのような状況下であるにもかかわらず身内で争ってどうするのだ? 旅団内部に余計な確執を作ることが君の望みなのか。どうなんだ、中佐?」


 いつ腰の軍刀が白刃を見せてもおかしくない一触即発の空気を破ったのは、この部屋の主であり難攻不落の要塞に展開する数千の将兵を率いるジェラルド准将だった。


「……違います」


「ならいい。突撃した第一大隊長は貴様の同期だったな? 貴様が怒鳴り込んでくる理由は分かるし、納得がいかないのも分かる。説明してやるから、まず座れ」


 毅然とした態度で語るジェラルド准将を前に、中佐は勢いを削がれたのか静かにうなずくと、イオニアス大佐から差し出された椅子に腰かけた。


「よし、まず今回の攻勢作戦を決断した理由を説明しよう。参謀本部の若造が送ってきた命令文は精神論が入り乱れる滅茶苦茶なものだったが、鉄道網の奪還は確かに必要なものだったのだ」


「参謀本部のプライド以外にこの作戦の意義が?」


「君には急な方針転換に見えただろうが、私と旅団長のもとには以前より鉄道網を確保するように再三の指示が出ていたのだよ」


 中佐の疑問に当然のように答えたのはイオニアス大佐だった。つまり、旅団参謀長クラスの重鎮しか知らされていない情報を基に攻勢作戦の実行が決定されたということになる。


「発端は陸軍情報部からの定期報告だった。バックラー要塞攻略の為、共和国軍は今まで秘匿されてきた大口径列車砲の戦線投入を決定したとの連絡があったのだ。同じ時期に海軍作戦本部からも、内々にエリー港へ続く鉄道網の奪取するよう要請があった」


 旅団長の口から聞かされる列車砲の情報に、ヨハネス中佐は少なからぬ衝撃を受けた。だが、この情報が中佐を含めた第一線将兵全員に共有されなかった理由の想像はつく。

 参謀本部が送った電報は、戦局劣勢の報告が届くことによる前線部隊の士気崩壊を防ぐための欺瞞だったということになる。


「戦局が劣勢なのは私とて承知の上です。ですが、この状況下において貴重な一個大隊もの戦力を無理攻めに使う作戦は、如何に上級司令部の指示とはいえ容認できません。閣下はそれを了承されたのですか?」


「情報部の報告が事実だとすれば、投入される列車砲の口径は六〇(センチ)にもなるらしい。この要塞も五百キロの航空爆弾には耐えられても、一トンを優に超える重量の砲弾には耐えられない。任務達成の為に、これを排除する必要があると判断した」


 初めて聞く情報に中佐は今度こそ口を閉じた。六〇(センチ)もの大口径砲など余りにも規格外すぎてその破壊力など想像もできない。砲兵隊の装備する大口径榴弾砲でも一五五(ミリ)砲がいいところなのだから、その大きさがわかるだろう。


「この列車砲の進出を阻止する為に、私が第一大隊による突撃作戦を立案した。作戦は本国の参謀本部と調整し細部を修正した後に、旅団長の裁可を得て実行に移された」


「列車砲の進出阻止の必要性はわかりました。ですが、この作戦は色々と無理があるようにしか思えません。ありったけの戦車を護衛に付けたとはいえ、たかだか歩兵一個大隊程度の戦力では二個師団もの敵が守る守備陣地を突破することなど不可能です。参謀長閣下も旅団長閣下もそれは分かっておられたはずです」


「無論だ。第一大隊だけでの作戦遂行は困難であるという点は、参謀本部も含めて皆承知している。そこで第一大隊の突撃と同時に、第十空挺師団から抽出した一個大隊を敵後方へ降下させている。今この時も彼らは補給の望めない敵地のど真ん中で潜伏しているはずだ」


 なるほど。参謀本部も旅団長も考えなしに大隊を突撃さてたわけでは無いのだろう。それは中佐も認めざるを得ないが、作戦の全貌を知ったからこそ意図を尋ねておかなければいけない点が浮き出てきた。


「つまり……第一大隊は第十空挺師団の降下から敵の逸らすための囮ということですか? 参謀長閣下が立案した作戦は第一大隊に死んで来いと命ずるものだったのですか!?」


 ヨハネス中佐の悲痛な叫びに、険しい表情を浮かべていたイオニアス大佐は中佐から視線をそらした。


「そうだ。私がその作戦を受け入れ、実行を命じたのだ」


 それ故に中佐の叫びに答えたのは、大佐の話すままに任せて黙って聞いていた旅団長だった。


 静かだがハッキリと伝えられたその言葉に激情をあらわにしていた中佐は、力を失ったように項垂れた。


「……閣下はご存知のようでしたが死んだ大隊長は士官学校の同期でした。四年の長期にわたって同じ釜の飯を食い苦楽を共にした友人です。生還の望めない作戦命令を受け取ったアイツは何か言ってましたか?」


「この作戦の全貌を君には伝えないようにと言われた。参謀本部からの檄文に激怒していた君が知ったら、必ず止められるだろうからと」


 絞り出すように紡がれた残酷な現実を前に、今度こそヨハネス中佐は膝から崩れ落ちた。


「アイツは……大馬鹿野郎ですよ」


「列車砲は必ず第十空挺師団が排除する。第一大隊の犠牲を本当の意味で無駄にしない為にも、我々はこの要塞を守り切らねばならないのだ」


 旅団参謀長の呟きには願望と決意が入り混じっていた。それはこの部屋の男達が感じているであろう想いに違いなかった。


「海軍作戦本部からの報告では、最後の住民達を載せた巡洋艦が明後日の正午に出港するらしい。列車砲の方も本日の夕刻に共和国の基地を出発したとの情報が入っているから、明後日の午前中までの間が正念場だろうな」


 来るべき決戦の時は、前線の兵の知らぬ間に刻一刻と迫りつつあった。



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