信念
「非常呼集、非常呼集。総員戦闘配置に着け!」
第二次総攻撃の失敗から三日が経った昼下り、前線基地内に甲高い警報が鳴り響いた。
「第一小隊、直ちに第二次防衛線へ急げ!」
デイビット中尉の中隊長任命に伴い、新たに第一小隊長へと就任した先任曹長が小隊の指揮を執るべく警報発令と同時に、第二次防衛線への配置命令を下した。
命令を受けたルイス達は武器庫で受領した軍用ライフル銃と、クリップ式の弾倉に装填された七.六二粍ライフル弾数十発を携行し第二次防衛線へと急行していたのだった。
「クソ! 一体、何が起こってるんだ!」
「このタイミングだ! 敵襲に決まってる!」
愚痴をこぼしながら陣地へ向けて走る隊員達を、車両部隊が颯爽と追い越していく。あれを見ると必死に走るのがバカバカしくなる一方、科学の進歩の恐ろしさを実感させられる。
数十年前までの輸送手段と言えば馬だったが、ガソリンの発見により登場した自動車はその常識をいとも容易く打ち破った。疲れを知らず馬よりも速く走り、一度に大量の兵士や武器を輸送することができる自動車の存在は戦争の在り方を大きく変えた。
科学の発展と言えば今、彼らが手に持っているライフル銃もそうだ。今まで武器と言えば槍や剣の方が一般的で、銃は突撃前の一斉射撃でもって敵の士気を削ぐことが専らの仕事だった。
だが、それも昔の話である。彼らが持つボルトアクション式ライフルは弾倉を備えることで連発を可能とし歩兵の主力装備となった。更に言うならば連射を前提として開発された機関銃の登場は、古来より続いていた騎兵という兵科そのものを廃止させるほどの衝撃を軍に与えている。
産業革命以降の科学技術発展は人々に多くの幸をもたらしたが、戦争をより悲惨なものに変えていたのである。
「負傷者が通るぞ! 道を開けてくれ」
彼らを追い越していった車両部隊と入れ違う形で、衛生兵が第一小隊の正面に躍り出た。この場合、道を譲るべきは当然の如くルイス達のほうである。
ルイス達はサッと左右に分かれ、担架を担いだ衛生兵たちに道を譲り前進を続ける。だが、次に目に入ってきた負傷兵たちの惨状を見てしまった瞬間、ルイス達は足を止めずにはいられなかった。
担架に乗せられて運ばれる兵士たちは皆、自らの血に濡れていたのだ。千切れかけた足を押さえて苦痛に呻く者、顔面を撃たれたのか顔をガーゼで押さえながら暴れる者……彼らこそが科学の発展という輝かしい歴史のもとに生み出された被害者たちに違いなかった。
「おい、敵の状況はどうなっている? 第一次防衛線は無事なのか!?」
第一小隊員の仲間が、比較的軽症の兵士を捕まえて状況を聞き出そうとした。自分達が進むべき先から重症者が多数運ばれてきたのだから、その反応は仕方がないことだろう。
「分からない。敵は突然やってきたんだ! 帝国軍には戦車もいて、機関銃陣地が片っ端から潰されちまった。俺は何とか逃げ切れたが他の仲間は……」
負傷兵はそこまで話すと口をつぐんだ。第一小隊の面々も恐怖の表情を張り付けた負傷兵から、これ以上の情報を引き出すことは憚れたようでただ絶句するほかない。
「辛いことを聞いて悪かった。お前たちの仇は俺達が討ってやるから、今は安心して休んでくれ」
負傷兵が小さく頷くのを確認すると、小隊は負傷兵を後送作業に従事していた衛生兵に預け、再び前進を開始した。怒り・恐怖など様々な想いを胸に前進する第一小隊だったが無情にも彼らの目的地たる第二次防衛線はすぐそこに迫っていた。
「おい、第一次防衛線が突破されたぞ!」
「敵はすぐそこまで来てるぞ! 対戦車砲はどうした!」
「機関銃弾が足りないぞ! 早く弾薬を持って来い!」
陣地から少し離れた場所まで前進してきた第一小隊にも、その怒号はしっかりと聞こえていた。第一次防衛線が陥落した今となっては、この第二次防衛線こそが基地防護の要なのである。そこに詰める将兵たちは皆真剣だった。
第二次防衛線は前線基地内にある小高い丘の麓に設置されていたが、それには稜線を盾にすることで敵の銃撃を防ぎ、尚且つ丘を越えてくる敵に対しては機関銃の十字砲火で撃滅しようという意図があった。
「よし、第一小隊は既定の配置にて待機。敵接近の際は各個に射撃せよ」
「了解」
第一小隊は小隊長指揮のもと、持ち場の塹壕に飛び込むと射撃準備を整え戦闘に備えた。第一次防衛線が突破されたのならば次の主戦場は、小隊が着々と迎撃準備を整えるこの陣地である。
だが、彼らの予想に反して現れるのは味方の負傷兵ばかりであった。
「おい、味方はまだ退却できてないのか?」
「逆じゃないか? 今頃、体勢を立て直した第一次防衛線の部隊が反撃してるのかも」
「帝国軍の奴ら、こっちの準備にビビッて要塞に逃げ帰ったのかもな」
数刻が過ぎても未だ姿を見せない敵兵に、しびれを切らした若い兵士たちが苛立ち始める。
それはルイスも例外ではなかったが、彼の苛立ちは戦場に相応しくない色鮮やかな洋服が、彼の瞳に映った瞬間に立ち消えた。それが内地から来た従軍酒保の少女だと分かった時、彼は塹壕から飛び出していた。
「馬鹿! 持ち場に戻れ、ルイス二等兵!」
小隊長の怒鳴り声を背に受けてもルイスは止まらなかった。負傷兵に肩を貸して必死に後退する女の子を見て、放っておくという選択肢はルイスにはなかったのである。
「お嬢さん。大丈夫ですか!?」
「私は大丈夫です。でも、この人が……」
少女は茶色のフードを目深に被っているせいか、その表情を伺うことはできなかったが声の感じから焦っているのがわかる。銃撃戦に巻き込まれて怖かっただろうに、彼女は気丈にも肩を貸している兵士の心配をしていた。
「ルイス! 命令だ、早く戻ってこい!」
「待って下さい! 負傷兵と民間人が居るんです!」
小隊長に怒鳴り返そうとした時、稜線の向こう側からディーゼルエンジン独特の大きなエンジン音と地響きが伝わってきた。味方の車両部隊は稜線を越えていないから、この状況でその音を鳴らすモノと言えばその正体はただ一つ……
「来るぞぉぉ!」
誰かが塹壕で叫んだのと稜線を戦車が越えたのはほとんど同時だった。
「撃て! 撃てぇ!」
小隊長の絶叫と共に各陣地の機関銃が一斉に火を噴いた。
そのほとんどが吸い込まれるように敵戦車に命中したが、七.六二粍弾では敵戦車の分厚い装甲板を貫通する事はできなかったようで、跳ね返った弾丸が尾を引きながらそこら中へ吹っ飛んでいった。
そんな危険な場所に期せずして放り出される形となったルイスにできることと言えば、民間人たる従軍酒保の少女に覆いかぶさり機銃弾の跳弾から守ってやることくらいだった。
「クソッ! 機関銃じゃビクともしないぞ!」
「おい! 対戦車砲はまだ来ないのか!」
虎の子の機関銃をもってしても重厚な装甲に守られた戦車を撃破するに至らず、兵達の焦りは募る一方だった。そして、そんな彼らに追い打ちを掛けるように新たな人影が稜線を越えた。
「敵部隊、稜線を越えました!」
「射撃目標変更、小隊は敵歩兵部隊に火力を集中せよ」
「待って下さい! それではルイスが射線に入ります。まず、ルイス二等兵と民間人保護を優先すべきです」
「くっ……だが、敵は目前だぞ」
この時、小隊長は難しい決断を迫られていた。すなわち土嚢で守られた安全な塹壕を飛びだす危険を冒して部下を救出するか、見捨てて敵を攻撃すべきかの二択を突き付けられたのである。
「狼狽えるな! 曹長、我々に仲間を見捨てるという選択肢は存在しない」
そのようなときに背後からよく知った声が聞こえたのは彼にとって朗報以外の何物でもなかった。
「デイビット中隊長!」
野戦任官で中隊長へ任命された上官は、小隊長時代と変わらぬ経験に裏打ちされた自信と威厳をもって迫りくる帝国軍を見据えていた。
「我が中隊は全力をもってルイス二等兵と民間人を保護する。第一小隊は前進用意!」
「しかし、それでは敵の射線に身をさらすことになります。余りにも危険では」
敵は戦車を含む一個大隊である。その前に躍り出る危険性を考えれば、デイビットの命令は自己の保全を考えない無茶なものに思えた。
「心配無用。状況は間もなく好転する」
瞬間、敵戦車の目前で地面が爆ぜた。
急な爆発に泡を食った戦車が急停車する。だが、爆発はそれで終わることは無く独特な風切り音の後に散発的な爆発が続く。
「六〇粍迫撃砲初弾弾着。続いて効力射が来ます」
何が起こったのかは観測員が全て教えてくれた。そしてその数秒後、観測員の言葉通り敵戦車付近に猛烈な爆発が引き起こされた。
「よし、これよりルイス二等兵と民間人を救出する。躍進距離五〇! 小隊続け!」
「おう!」
第一小隊はデイビットを先頭に塹壕を飛び出しルイス達の前に躍り出た。後方で射撃を継続する迫撃砲分隊からの効力射が敵部隊の視界から彼等の姿を消していた。
「二分隊は制圧射撃を続行。一分隊は救助を援護しろ! ルイス、怪我は無いか!?」
「デイビット中隊長……どうして?」
中隊長に昇進したはずのデイビットが、自ら陣頭指揮を執って猛烈な砲撃が降り注ぐ救出しに現れたことにルイスは思わず呆然としていた。
「時間がない。怪我はあるのか無いのかどっちだ!」
「ありませんっ」
戦場の混乱に放り出されたとはいえ、おっかない上官を怒らせた時の記憶まで吹っ飛んだわけではない。ルイスには気の毒だがデイビットの訓練はしっかりと成果をあげていたのだ。
「よろしい。ルイス、お前はお嬢さんを塹壕までエスコートしろ。俺はコイツを後送する」
そういうや否や、デイビットは呆然とするルイスを尻目に手際よく負傷兵を移動させる手筈を整えていく。
本来、一歩下がった位置に陣取り迎撃戦闘の指揮を執るべき中隊長が、一介の兵隊を直接助けにやってくるなど前代未聞の事である。
自ら救助に動いた中隊長を支援する為、焦った中隊本部は六〇粍迫撃砲だけでなく擲弾筒や大隊直轄の八十一粍迫撃砲まで繰り出して敵戦車部隊に激しい弾幕射撃をくわえる有り様だった。
そのような手厚い支援もあってルイス達は、無事に第二次防衛線の塹壕まで後退することができたのである。
「中隊長! 遮蔽物もない場所で敵に姿を晒すなど、救出の為とはいえ無茶が過ぎますよ。少しはご自分の立場を考えてください!」
ルイス達が塹壕に戻ると真っ先に駆け寄ってきたのは中隊本部班の面々であった。戦死した前任の中隊長とは違い自ら前線に立つスタンスのデイビットにまだ慣れていないのか、一同は皆揃って困ったような……いや、一部には苛立ったような表情を浮かべているものもいる。
「心配をかけたな。性格なのか命令するより先に体が動いちまうもんでな。こればっかりは簡単に治りそうにないんだわ」
「中隊長はよくても私達は寿命が縮む思いでしたよ。今後はこのようなことが無いようにお願いします」
中隊本部班の面々の言葉は正に切実なものだったのであろう。彼らの眼前で中隊長戦死などということになれば、戦車の登場でただでさえ焦りが見える兵士達が総崩れを起こしかねない。
無茶をしたルイスを救う為に、彼らの胃腸が犠牲になったことに今更ながら気が付いたデイビットは小隊長時代と同じやり方は部下への負担を考慮して慎もうと内心反省していた。
「最終弾、弾ちゃ~く……今!」
だが、その反省は迫撃砲の弾着観測を行っていた観測員の声によって中断された。状況が目まぐるしく変化する戦場では本来、反省など後回しであるからこれは適切な判断である。しかし、それは中隊本部班の面々にとっては不幸なことでしかなかった。
「効果を報告せよ」
デイビットの問いへの答えは観測員が答えるよりも先に敵が教えてくれた。
砲撃によって巻き上げられた砂埃を切り裂いて飛来した砲弾が、デイビット達が展開する塹壕の左側方に着弾したのだ。
「被害報告!」
「第三小隊 通信士負傷! 戦闘続行に支障なし!」
続々と飛び込んでくる報告を聞く限り損害は軽微。だが、敵はあれだけの砲撃を受けた今でも戦闘能力を喪失していなかったという事実が衝撃をもって部隊に伝わった。
敵はどれほどの戦力を残しているのか?
彼らを覆っていた砂塵が晴れる。
そこに立っていたのは、稜線を越えた時に見えた一個大隊規模の帝国軍ではなかった。
履帯を切られ擱座した戦車、死傷者の中に佇む歩兵達。迫撃砲の集中射撃をもろに受けた彼らには、最早まともな戦力など残されていなかったのである。
だが、それでもなお……彼らの闘志は潰えていなかった。
『突撃にぃ進めぇ!!』
ボロボロになってもまだ、指揮官の役目を果たさんとして立ち上がった帝国軍士官の号令の下、満身創痍の帝国軍は前進を開始した。
「対戦車砲、射撃用意よし! いつでも撃てます!」
展開が遅れていた対戦車小隊が対戦車砲の敷設を終え報告してくる。デイビットが号令を下せば直ちに対戦車砲が火を噴き、敵戦車を物言わぬ屑鉄に変えることができるだろう。
「あいつらまだやる気かよ」
しかし、ボロボロになった今でも変わらず指揮旺盛な帝国軍の姿はデイビット達に少なからぬ動揺を与えていたのである。
「奴らは撃っても向ってきます! まるでゾンビです!」
「中隊長、命令を!」
仲間の骸がよりかかっていた鉄条網を銃剣で切り裂きながら、鬼気迫る表情で突撃してくる帝国軍を前にして兵士達が狼狽え始めている。
デイビットは指揮官として一刻も早く部下を守る決断を下す必要に迫られていた。例えその命令による結果が、戦闘ではなく一方的な虐殺になろうとも……彼にほかの選択肢をとることはできなかった。
「突撃破砕射撃を行う。目標正面、接近中の帝国軍。攻撃はじめ!」
「撃てぇ!」
デイビットの命令は単純であったがゆえに、狼狽えていた兵士達に瞬時に伝わり実行に移された。
機関銃の射撃を皮切りに対戦車砲が、続いて小銃が火を噴き大量の弾丸が敵に向かって撃ち出されたのである。効率よく敵を殺傷するために計算された機関銃陣地を前に帝国軍の突撃は無力であった。
だが、堅牢な防御陣地を前にしても敵は決してあきらめなかった。圧倒的な鉄量を前に勇敢にも一歩も引かずに立ち向かい……そして全滅した。
デイビットが命じ、共和国軍が放った弾丸は帝国守るために立ち上がった男たちの夢や信念、希望を完膚なきまでに叩き潰した。そんな戦闘の後に残ったのは両軍将兵の骸とひたすらの沈黙だけであった。