12号 混沌とした調和 3/4
……私が目を開けると、知らない天井であった。いや、三百年前の人間である私に、知っている天井があろうはずがないのだが。そう自嘲して一先ず上体を起こすと⎯⎯。
(あ、あ、あ……ライトの部屋ーー!?)
必死に記憶の糸を手繰ると、診療所を飛び出し⎯⎯彼の部屋の前まで来た事は覚えている。
(はッ!? 服……は変わってない……)
頭の中はぐるぐるとまわり、情報が上手く整理出来ない……そこへ部屋の扉が開き現れたのは⎯⎯。
「あ、起きていたか……ん……?」
彼は言いながらお盆を机に置くと、こちらが混乱している事も構わず近づいてくるので、つい私は声を荒げる。
「一体貴方は何を⎯⎯むぐッ!?」
一瞬何が起きたか分からず素早くまばたきをすると、彼の手で口を塞がれていた。そして彼は人指し指を立てて。
「静かに。もうすぐ夜明けだけど、まだ隣で両親が寝ている。大声は勘弁な……」
そう言って苦笑いし、口に当てていた手を額に移動させると。
「かなり体を冷してたみたいだから熱を心配したけど、大丈夫そうか……」
それを聞き私は思わず顔を触ると少し熱いと気付いた。
そして彼は、部屋の机に置いたお盆から、白湯の入った湯飲みを私に差し出す。
「あ、ありがとぅ……」
私がそれに口をつけたことを確認して、彼も椅子を私に寄せて座り、もう一つの湯飲みで白湯を口にした。
(何を話せば……)
そう考えていると、彼が口を開いた。
「……ディグの足が、無事に戻った。アンクの側に居てくれて、ありがとう」
「そ、そう……。よかったわ……」
彼の仲間の事を私に話されても困る……だが、彼が知りたいことは、そこではなかった。
彼は顔を伏せて。
「……ラファエルの所へ、戻らなかったのか?」
「え……どうして、そう思うの?」
「彼には、今の事を伝えるように頼んだからだ。お前が知らないのはおかしい」
「……!」
「……診療所を出てから、どうしていた? お前……宿にも戻っていないんだろう? どうして、俺の部屋の前で寝て居たんだ……もしかして俺が、ノックに気付かなかったのか……?」
「ごめんなさい……あなた達に、迷惑をかけるつもりはなくて……」
「違う。俺が聞きたいのは俺の部屋をノックしたのかどうかだ」
私は首を横に振る。
「……本気で言ってるのか?」
私は首を縦に振る。私は確かにノックをしなかった……いや⎯⎯。
「どうして……!? そこは、嘘でも何度もノックをしたと言ってくれても⎯⎯」
「⎯⎯出来なかったッ」
「……何があったんだ……頼む、教えてくれ……」
私はアンクと少しやりとりをしたことを話す。そして。
「⎯⎯気付いてしまったの……どうして私から受け取れないのか、どうして彼女達は私に見せつけるような事をしたのか……そして、あなたが何を背負って冒険記者になったか……」
「………………」
「思わず飛び出していたら、村外れの石台で、一人だった……。それでも頭が冷えて帰ろうと思ったの……けど、宿も診療所も、もう入れなくて……間抜けね……」
「そんな遅くまで……寒かっただろう。俺が家の鍵をかけていなくて、良かった……けど、そこまできたらノックくらい⎯⎯」
「あなた達は、私が知らないだけで、とても強い絆がある……それを知ったら、私の居場所がないって知って! 出来るわけ……ないじゃない……!」
「ディアーデ……思い詰めすぎだ……」
「私は……この時代に居ちゃいけない……!」
「待て! それはいくらなんでも極論だろう!?」
「だってそうじゃない! 私が居なければ聖剣はこの時代まで残らなかった! そうすれば、あなた達だって傷つくことはなかった!」
そして、今こうして悩む事もない⎯⎯けれど。
「それは違う!」
彼は強く否定すると、湯飲みが落ちた音と共に、私を抱き締めてくれていた。
「いいか……? お前が行動を起こさなければ、アイゼンタールはどうなっていた?」
「!!」
「ディアーデは、自分の国を守る為に必死だったんだろう!? それを放棄すれば、お前の望む未来に繋がったのか!?」
私は彼の胸の中で首を横に振る。
「でも結局、国は滅んだわ……。私が愚かだったせいで……」
「ああ……それは残念だったと思う……けど、後悔はあったか?」
「後悔……?」
「お前は最後の時まで、自分が最善だと思うことをやりきったんじゃないのか?」
ああ、そうだ……私は⎯⎯。
「後悔……してない……!」
「なら、それでいい。そこから先は、お前が考えなくていい……誰だって三百年も先の事なんて、予想できないだろう?」
「ライト……」
「ディアーデ、俺はな。本当は後悔していた」
「えッ……」
「地下にいる魔族と戦った時、もっと戦えた、もっと上手くやれた、俺が聖剣を求めなければ……そう振り替えってばかりだった。あいつらを思い出すとそれを強く思う……」
私は彼の心情を吐露される。彼も同じように抱えていたのだ。
「でもそれは止めた⎯⎯いや、止める事が出来たというべきか」
「それは……」
「聖剣があったから、冒険者を志した。そして、腕を磨くきっかけをくれた。確かに俺達は傷付いたが、それを戻してくれるのも聖剣だとわかった。それは聖剣がなければ、ここまで充実しなかっただろう」
「…………」
「それは全て、ディアーデが繋げてくれたことなんだぞ?」
「わたしが……?」
「だから、仲間じゃないなんて思うな……悲しいじゃないか……。仲間でいれば、助けたり助けられたり、そんなものは茶飯事だ。だから俺は返してもらわなくていいと言った。お前に、自分で気付いてほしかったから……!」
「~~~~……!」
「ディアーデ……お前は愚かじゃない。後悔して、振り返ってばかりだった俺なんかより、ずっとだ……!」
それから私は、彼の胸の上で、時間を忘れて泣いた。
「⎯⎯あ……」
彼が体を離そうするので力を込めてしまう。
「……すまない……夜が明ける。二人ももうすぐ起きるだろう……短いが、少し寝直すといい」
彼の言う通り窓からは朝焼けが射し込んでいる。私はそれに小さく頷き、彼から手を離した。
「まだ、やることが残ってる」
それだけ言い残すと、彼は部屋を後にした。
~三日目・アンクの解放~
あの後、頭が冴えてしまった私は寝付くことが出来ず、彼の両親が家を出た後に連れ出された。
診療所に着くと、周囲は彼と一緒の事を触れられるが、彼は途中で一緒になったと何でもないように話すので、私もそれに、ならっておくことにした。
「⎯⎯で、うちの娘はどうやって解放されるんだ?」
そう話すのはファムの父親だ。私は聖剣の中に封印されているときに、皆の事情を断片的だが知っている。
彼はその質問に返す。
「はい。最後は、聖剣それ自体を壊します」
そう言って彼は、柔らかい布に挟んでおいた、あの『悪魔の指』を皆に見せた。
「こんなモンで壊そうってのか!?」
「はい。こんな物と言いますが、この中にも、同じように人が入っているのです」
息を飲んで皆が驚くが。
「貴様……騙したら、承知しねぇ……!」
「どうぞ、お気の済むように。もし壊せなければ、残された聖剣で俺を刺してもらって構いません。抵抗もしませんので」
彼は口調を強めて覚悟を話す。諦観しているようで少し怖い。だがそうではない、彼の中では確信があるのだ。
(まあ、その時は私が⎯⎯)
とそこまで思った所で新たに気付かされ、ふっと表情が微かに崩れた。
「ライト。私は彼女の側に付くわね」
「ああ、頼んだ」
⎯⎯処置台の上で、ファムは昨日のアンクと同じように心の準備をしていた。
「あ、ディアーデさん。あの親父、どうだった?」
「どうもこうも、ライトに食ってかかってるわ」
やっぱり、と彼女は笑うと、側にいる二人へ。
「集中したいので、少し二人だけにしてもらっていいですか? 居ない時に勝手にしないので」
二人は頷いて処置室を出て行き、彼女と二人きりになる⎯⎯正確には聖剣にアンクがいるので三人だが。
「あの、ディアーデさん」
「ディアーデ、でいいわ」
「それじゃあ、ディア」
「!?」
そうきたか、と少し怯むが彼女は言葉を続ける。
「手紙は読んでくれた?」
「ええ、アンクにも聞かれたけれど」
「あ、そうなんだ……だからか……」
彼女は一人で納得をする。そしてそれを続けて明かした。
「昨日ね、石台の方へ走っていくのを見て、少し心配したけれど……」
「うん……実はハイデンへ来る時、ライトにね⎯⎯」
『……ペンの中に居たお前は、俺をこんな風に見ていたのか……?』
「初めは意味が……わからなかった……。それどころか余計に、彼に対する気持ちの変化に気付かされて、苦しくて……」
「ディア……」
ファムは優しく私を抱き寄せ、ゆっくりと背中を叩く。
「けど、そうじゃなかった。その時彼が見ていた私が、彼本人に重なっていたんだって……アンクに気付かされた……」
「うん、大変良くできました。……それで、今の気分は?」
私達は少し体を離し。
「お陰様でね。ようやく吹っ切れた……今の私ならあの時と同じことを、彼にしてあげられるわ」
「ふふふ……そっか……!」
「その反応、やっぱり演技じゃなかったのね?」
と、そこまで言うと彼女の持っていたペンが空に綴る。私は咄嗟に手帳を出していた。
“そんな楽しそうな話し私抜きでしないで~!„
「……だって」
その言葉に私達は笑いあうと。
「⎯⎯はー、それじゃあ、ディアも一緒に混ざる?」
と、ファムは私に手を差し伸べる。しかし、私は逡巡して。
「いいのかしら……混ざって……」
“私達に遠慮してる?„
「遠慮、というか……よく、平気ね……」
「平気? 違うよ⎯⎯」
⎯⎯彼が少し欲張りだから当然、と彼女は私の手を引いた。
⎯⎯俺とディグとラファエルが待合室で雑談を一区切りつけると、処置室から黄色い声が届くので。
(((な、何を話しているんだろう……?)))
と、興味を引かれてしまう俺達だった……。
⎯⎯その後、アンクとその母が処置室から現れ。
「ライト! おかえり!」
「アンク、良かった……! でも、それは、こっちのせりふだからな……ただいま」
おそらく彼女は、俺が村に戻ったことを伝えたかったのだろう。俺も帰還の挨拶を返す。
声を震わせる俺に気付いたのか、彼女は俺の頭を撫でる。
「……アンクもおかえり」
「うんっ、ただいま……!」
俺達が改めて正しい挨拶を交わすと彼女の母が話す。
「アンク……本当に良かったわ……けれど、私は何も出来なかったわね……」
俺はすかさずそれを否定する。
「いいえ、ありがとうございます。それにアンクのお母さんには、まだ頼みたいことがあるんです。声の戻ったアンクと一緒に⎯⎯」
俺は二人に頼み事をすると、すぐそれの打ち合わせに入ってもらう。
「私には……何もないのかしら?」
と、俺達がやりとりする間にディアーデも処置室から戻っていた。
「いや、ディアーデもお疲れさま。ありがとう」
「! ええ……!」
「それで、お疲れついでに頼みがある」
「頼み、何かしら?」
「うん。俺と少し、ちゃんばらをして欲しい⎯⎯」
それからその日、俺達は聖剣を壊す為の準備に入っていった。
~四日目・ファムの解放~
皆を戻す計画もいよいよ大詰めを向かえた。
前日、ディアーデにちゃんばらを頼んだのは、俺と、彼女で、聖剣と悪魔の指を振るい、お互いを壊そうと考えた為だ。彼女とは船で、打ち合いの訓練をしていた。その動きは洗練されていて、我流である俺は振り回され続けたものの、繰り返すうちにそれを跳ね返せる実力をつけさせてもらった。
だが、今回使うのはいわば『棒』と『棒』なので、剣とは勝手の違う長さである。故にその問題を事前に打ち合わせた。
そして当日⎯⎯。
(さて、残るはどっちがどっちを使うかだが……)
聖剣にはファムがいる。俺は当事者としての責任を果たしたい……が、それはディアーデが悪魔の指を持つことになり、ソレを持たせるのは気が引ける……なので。
「ディアーデ、先に選んでいいぞ」
俺は彼女に先に選ばせると、彼女は少し悩んで⎯⎯。
「⎯⎯いいのか? だってそれ……指だぞ?」
「いいわよ。ライトもファムを助けたいのでしょう?」
それに……と彼女は付け加えると。
「聞こえているのでしょう!? 私の国を巻き込んだ事、私は絶対に許さない! だからあなたがどうなろうと、私は知らない! せいぜい自分が無事に出てこれる事を祈るのね!」
その言葉を、ヴィバリウス王へ向けるのだった。
俺とディアーデの準備が整うと。
「「⎯⎯、⎯⎯⎯⎯……」」
アンクとその母から俺達に魔法の障壁が届く。これは前日二人に頼んでいたことだ。
悪魔の指にかけられた『過臨界付与』、それと聖剣とがぶつかると、激しい衝撃が発生すると言っていた。となれば、その爆心となる俺達はひとたまりもない。それに耐えられるよう戦着となり、二人からも障壁をもらうことで吹き飛ばされないようにするのだ。
……実はこの戦着……俺が売らずに、皆に黙って持っていたのだ……。初めの頃は、ペンが剣に戻ると淡い期待を抱いていたから……。
それを正直に明かすと、当然、訝しい目を向けられてしまったが「も~~うこの際だからいい!!」と、承諾してもらった……。
⎯⎯右手に聖剣を持つ俺と、左手に悪魔の指を持つディアーデが、収穫終わりの村の畑で対峙する。ここも、当日までに均して、足をとられないようにした。
遠巻きでは、俺達を仲間とその家族が見守る。それ以外の村の人は危険なので、家屋の中に退避してもらった。
俺はもう一度呼吸を整えるとディアーデに訊く。
「……いいか、ディアーデ?」
「いつでも……!」
彼女のいい返事を確認して、俺達は交互に合図を数える。
「いち!」
「に!」
「「さん!!」」
声と同時にお互いへ踏み込む二人。
ディアーデは下から上へ、腕のしなりを使い⎯⎯。
そして、俺は上から下へ重力に逆らわずに⎯⎯。
それぞれで振るわれた得物が切り結ばれた瞬間……!
ごぉぉぉぉ……ん!
俺達を中心に、巨大で、分厚い、空気の壁が発生した。
山や、村の木はしなだれ、屋根も吹き飛ばされまいとはためく。
「「くっうぅぅぅ……!?」」
剣と指をぶつけ合う俺達は、衝撃で痺れる手に更に力を込め、地面を踏みつけて抗った。
遠くの仲間や家族は、男衆が壁となり盾となる。
そして、相反した二本は、打点からひび割れを鳴らし⎯⎯。
やがて同時に、分断され⎯⎯。
(……さらばだ……)
四つに砕けたそれは灰へと還り⎯⎯。
(私達の、遺恨……!)
吹き荒ぶ風圧に飲まれ、溶けていった……。
⎯⎯大気が収まるが、巻き上げられた土埃で視界は晴れない。
俺は姿勢を低くして封印されていた二人を探す。と、土埃の切れ間に細身の肢体⎯⎯すかさず外套を被せて、抱き起こすとその名を呼んだ。
「ファム!? 起きろ! 目を、開けてくれ……!」
すると彼女は、俺の首に腕を回し抱きついてきた。
「お、おい……!?」
「……何か、言うことは……?」
「こんな時に何を⎯⎯!?」
「あーあ……このままだと、また親父に殴られちゃうねー?」
(う、うぐ……!)
彼女に被せた外套はすでにはだけ、産まれたままの姿である……。俺は⎯⎯。
「……おかえり、ファム」
一番無難な言葉を選んでいた……。彼女は。
「ま、それでいいよ……ただいま……!」
と、俺の頬に唇を軽く触れさせると、回した腕を戻したので、視界が晴れるより先に外套で包むと、抱き上げてやった。
土埃を抜けた先にいたファムの父に彼女を預けると、彼は診療所へと歩いて行った。
すると、背を向けていた土埃の中から。
ライトー!? 手伝ってー!
「すぐ行く!」
声に応えて晴れかけの畑を進む。そして。
「ライト!」
「ああ……!」
そこに俯せていたのは、小太り気味の、男であった⎯⎯。
⎯⎯その後俺は、小太り気味の男⎯⎯ヴィバリウスをディグと協力して診療所まで運んだ。
先に運ばれていたファムに異常がないか確認していた為、男の方は後回しである。
そして家に戻り休んでいると、やがて母も帰宅し、ディアーデも言伝てがあると、共に訪れた。
母はファムについて、多分大丈夫だといい、男の方は元気過ぎて問題だとか……。ラファエルと共に村長の所へ行ったらしい。
「母さん。全てが終わったら、見せたい物があったんだ……」
用意していた物、それは⎯⎯。
「この、字……エリー……って……」
俺は、黙って頷いた。
そして、ディアーデは全員の快復祝うからと、酒場に行けということだ。母のこともあり、そっと一人にするのが良いと思い、向かうことにした⎯⎯だが。
「⎯⎯ディアーデ、ほんとに来ないのか?」
「ええ……貴方のお母様を見ておく。だから、気にしないで楽しんできて」
「そうか……悪いな。しばらくしたら、食事でも持って行かせる」
⎯⎯酒場で開かれた催し。それはそれは、飲めや唄えやの大宴会であった。
俺はあまり酒を嗜まないが、全てをやり終えた達成感で飲む酒の味は格別で、つい夜更けまで飲み過ぎ酔い潰れると、気が付く間もなく瞼を落としていた……。
「⎯⎯ぉい、起きろ……色男……」
その声の主は言葉とともに、こつりと俺のこめかみに酒瓶を当てる。
(……色、男……)
その言葉に反応して俺の脳が働き出す。
「……ディグ~、うらやましいだろ~……」
「はいはい、勝手に言ってろ」
「んがっ」
と、こいつは俺の頭に酒瓶をそこそこの強さでぶつけてくる。俺は息を吐いた。
……今のように露骨に煽られた時は、否定をすると余計に相手を喜ばせるだけである。ならばいっそ、自惚れ思い上がったように装い、道化ぶったほうが以外と波立たないものだ。……自論だが。
(……それに、あいつだって、ファムのこと……)
自分で自分の言葉を説明しているとディグが離れていくので。
「……かえるのかー……?」
俺はテーブルに突っ伏したまま顔だけ向け彼に訊く。
「当たり前だ。明日からは、裏方以外の仕事も考えていきたいしな……」
その言葉にディグは大人なのだなと素直に感心した。
(おれの……こんご……)
「……どうした?」
「いいや……おやすみ、ディグ……」
「おう……ってお前は起きろよな……!?」
「……ああ……」
図星を突かれた俺は、うるさいよ……とはつっこめず、彼の赤い顔に力なく手を振った。
椅子に腰掛けていた俺は、伸びをして体を解し、血を巡らせる。
辺りを見ると、酔いつぶれ寝ているのは、ファムとアンク、俺とファムの父だった。
とそこへ、酒場にはファムの母が現れて、自分の旦那を叱咤し、娘に声を掛けている。そして娘は応えるように、ヒラヒラと手を振って応えていた。
俺は父を連れて戻ろうと思うも足元が覚束ず、酔いを覚まそうと、酒場外のデッキで風に当たりに行くことにする。
⎯⎯デッキの手すりに掴まり深呼吸する。
秋が深く、まもなく冬に入ろうとする時分、その夜風は肌に染みる。されど酔い覚ましにはちょうどいいだろうと、しばらくそこからの景色を眺めた。
村の小高い所に酒場はあるので、ここからは村の入口方向や石台が見える。近い所で俺の家も見えて、灯りが点いていたのでまだ起きてるのかなと思った。
(あ……留守番させて、少し悪かったな……目ぼしいものでも、持っていこう……)
少し酔いが覚めたのか、ふと思い出す。そして⎯⎯。
『⎯⎯君に章を贈ろうという話が来ている』
『⎯⎯もうこれ以上……私に背負わせないでよ……!』
(どうするかな~……)
とその時、右側に温かく柔らかい何か……。
「えへへー……」
そう腕を取り身を寄せるファム。
「っと……寒いぞ?」
「あっためて~」
「おい……」
しばらくさせておこう……そう思ったのだが彼女は訊ねる。
「冒険は、楽しかった?」
「楽しい……どうかな……辛かった、かもな。今となっては、その意味があったと思えるが」
「そう」
冒険中、俺は、ずっと封印されていた。なので、冒険をした『実感』がない。だが、俺を解放するために冒険してくれたターレスが居た。その時の無力さを痛感している。
「ライトぉ~おかえりぃ~」
「擦り寄せるなって……」
「ね~え……あたしの体~……本当に戻ったのか、ライトが確認してよ~」
「ぶっふ……ファム……」
これは彼女のなりの慰めか……たしかにごぶさただったな……確かに彼女は男っぽいところも見せるが、その体つきは女性で、少し濃い肌は健康的な色気がある……等と、酒の入った頭なので理性が揺らぎ、俺の右手は彼女の肩へゆっくり伸びていく。しかし。
「おじゃましま~す」
とアンクが俺の左側へ現れ、左腕を取れば。
「アーンクぅ~、もう少しだったのにぃー」
「うふふふ……」
二人がかりで俺の胴を締める。そして、理性よりも本能よりも、生命の危機を覚えた俺は⎯⎯。
「えええい! 離れろヨッパライー!」
と俺は強引にふりほどけば、二人は小さく悲鳴をあげてしりもちを着き身を寄せ合う。
「あーん、ライトが怒ったー」
「でもでもぉ怒ってもカッコいいねぇ~えへへ……」
「そー? 私には可愛くみえる~……」
「あ~言われるとそぅかもぅ……」
(お前ら……)
彼女達の目はもう、完全に焦点があっていないのだろう……。
俺達は冒険中に酒を飲んではこなかった。翌日に酒が残って全力を出せないのはごめんだ。そのせいで飲み慣れておらず、このありさまである⎯⎯俺を含めて⎯⎯。
そんな感じで興が削がれ萎えてしまうと、少し酔いが覚め冷静さが戻る。
「ちょっと考え事をしていて、もう少ししたら帰るよ」
二人にそう話すと、俺は上を向いて星を見る。
「その癖……ライトは……昔のまんまだね……」
「えっ?」
「まあ、いいよ……っと」
その言葉と共にファムはよろよろと立ち上がり、アンクにも手貸して立たせた。
二人はまた、俺を挟むようにして並んで手すりに掴まると、ファムが口を開く。
「……授章するかどうか、まだ悩んでるのー?」
「いや……俺は……辞退をしたいんだ……」
「……言ってたね、それ。どうして?」
「授章をしたら……周囲の期待に応えなきゃだろ……? でも、俺はもう……冒険者を続ける自信がない……。また同じ目にあった時……もう一度立ち直れるか怖くて堪らない……!」
「なるほど……じゃあ辞退しよっか?」
「けど、それじゃまたディアーデを傷付けてしまう! 俺はもう、仲間が傷付くところをみたくない……!」
「じゃあ授章すればいいじゃない」
「ファム……! 俺は真面目に⎯⎯!」
振り向くと、ぴし とファムは俺の鼻を弾いて。
「いた⎯⎯わっ」
「……ばか……」
優しい口調で言いながら、俺の頭を包むように胸で抱く。そして。
「……何あたし達の事で、負い目なんか感じてるの……そんな物まで欲張らなくていいの……」
「ファム……」
「ライトはこれからも、自分が正しいと⎯⎯一番良いと思う事だけ選んでいけばいいの……」
「……!」
それは奇しくも、俺がディアーデへ伝えたことに似ていた。
「……けど、もしそれが間違いだったら……」
「あたしね、ライトやアンクみたいに頭良くないから、わかんないだけど……間違いってどこからが間違いになるのかな? ……たとえ選び間違っても、自分が正しいって思えるまでやり続ければ、いつか正解になったりしないのかな……」
「……それは……」
「だから、正解か間違いかで選ぶんじゃなくて……きっと、一生懸命に頑張れる方を選び取るのが一番の正解……」
「一生懸命に……頑張れる方……」
その言葉は不思議にも俺の心の中に落ちてきた。とその時……。
「わたしもまぜて~……」
と力無い口調が聞こえると、アンクが膝を落とし腰に抱きついてくる……が彼女は寝息を立てていて。
「寝てる……?」
しかし彼女は間延びした口調で。
「ライト~……。なかまがね、いちばんきずつくのは……けがじゃないの……うらぎられることなの……まちがえないでね……」
それだけ言うと再び寝息を立て始めるアンク。
「もう……アンクったらなんて寝言……」
そうファムは言うがどこか楽しそうだ。俺はふっと笑うと。
「ありがとう、二人共。……帰ろうか」
そうして、俺は父を、ファムはアンクに肩を貸しながら、家路へと着くのだった⎯⎯。
⎯⎯ファムとアンク・その帰り道⎯⎯
「はっ……はっ……アンク頑張って……」
「うぅん……ねぇファムぅ……」
「はぁっ……なにー……?」
「ライトったら……ひどいとおもわない……? わたしたちというものがありながら……」
ファムは達という言葉に少し引っ掛かるが酔っ払いの戯れ言と聞き流し。
「きっと……こんかいのぼうけんで、たくさんのひとをなかせたにちがいないんだわ……! ディアはきっと、ひょうざんのいっかくなのよ……」
アンクの言葉にファムが突っ込む。
「いや……ライトは、聖剣に……なってたんでしょ……はぁ……っ」
「でも……ぺん、でしょう……? きっと、あんなことや……こんなことが……」
「待って待って……!? はぁっ……アンクってば、どれだけ酔ってるのよ~……ふぅ、ほら着いたよ~」
と、アンクの家の前に着くと彼女は突然すくっと立ち⎯⎯。
「あ、あれ? なんだ……立てるじゃん~……!」
ファムは力尽き地面に仰向けて息を切らす。そこへ。
「ファム~……お外で寝たらあぶないわ~……一緒にあったまりましょ~……?」
アンクは、ファムを背中から羽交い、自分の家に引き込もうとする。
「うっわー!? だめー! いやいやいや……い~~や~~ぁ……」
既に力の入らないファムは、抵抗も空しく、アンクの家に消えていった……。
「っ?」
俺が自宅の扉に手を掛けると何か、遠吠えのようなものが届いたような気がして振り向く。
(……遠いから大丈夫だろ)
そして父に肩を貸しながら扉を開けて帰宅の挨拶をした。
「ただいま」
「あ、おかえりなさい」
ディアーデが食卓の椅子に腰掛けたまま挨拶を返してくれる。母の姿が見えないので彼女に訊ねるともう寝室で休んでいるという。
食卓には、昔祖父母から届いた手紙が散乱している。俺は一先ずそこに酒瓶を置いて、後で聞く事にした。
酔った父を、母の隣で寝かせたくないので俺のベッドへ放る。ベッドの悲鳴は父のいびきにかき消された。
(あー……重たかった……まあ、床で寝るとするか……)
ディアーデの元へ戻り、手紙の事を訊ねる。
「……うん、お母様から見せてもらってた……」
「そうか」
「それにしても、ライトくらい先に戻っても良かったでしょう? ま、大方二人に挟まれてぬくぬくしていたのでしょうけど」
(うッ、見てたのか……?)
「図星かっ。貴方、ほんとわかりやすすぎよ……」
ディアーデは呆れ気味の口調で言う。俺はわかりやすいのか……あまり気にしたことがないので分からない。
「……いやちょっと相談に乗ってもらってた」
「相談?」
「まあ、それはいいだろ。……ところでディアーデは、人に戻ってから酒は口にしたか?」
「……いいえ」
「だと思ったよ。飲みやすそうな果実酒をいただいてきたんだ。飲むなら、付き合うぞ?」
俺は言いながら食卓の酒瓶を手に取る。その中の色は彼女の瞳の色に近い。
「……頂こうかしら」
「わかった、用意しよう」
俺はすぐ近くの台所へ立つと。
「手紙、どうすればいい?」
「あー、重ねて脇にでも置いてくれ」
俺はグラスを二つ出し酒瓶の栓を抜くと、それの一つに注ぎ始めた。
「……なんだか、慣れてるわ」
「昔な。酒場やカフェで、給士をしたことがある」
注いだグラスの一つをディアーデに出す。
「お待たせ」
「ありがとう……」
ディアーデは礼を言うと、ゆっくりとグラスに口をつけて。
「……うん、おいしい……」
「口にあったようで、何よりだ」
と、彼女は顔を綻ばせてくれる。俺は明るい口調で言いながら自分の分を注ぐ。
俺が、注ぎ終えたグラスを持ち食卓の方へ向くと、彼女は隣の椅子の座面を軽く叩いて俺を招くのでそこへ腰を下ろす。そして俺達はグラスを小さく鳴らした。
俺が一口つけると、また彼女も一口つける。
「……もう、大丈夫みたいだな」
「ライト……ええ。ごめんなさい」
「もう、いい」
それ以上言葉はなくとも、二人の間には確かに存在する充足感。そんな静かで穏やかな時間が流れていると。
「ディアーデ?」
彼女が俺の肩に頭を預けた。
「うぅん、酔ったみたい……」
「……嘘だな。そんなに早く酔うか……」
俺は、彼女らしくない態度を看破したのだが。
「む~……本当だもん。このままライトに朝まで介抱してもらうんだもん……!」
「お、おい……」
彼女は俺の肩に乗せた頭をずらし、膝の上まで落としてくる。
……ここまでされると、さしもの俺もどういう意味か気付いてしまう……。
だが、それに応えられない理由が一つ思い当たってしまった。
俺は彼女の頭を優しく撫でると、その亜麻の髪の指触りが心地良い。
「気持ちは、嬉しいんだが…………ベッドが、空いていない……」
(ふぅん……そうやって断るんだ……)
「えっ」
ディアーデは体を起こすと、グラスに僅かに残った酒をあおり。
「帰る……」
「おい、暗いぞ……」
俺の言葉を無視して、彼女が立ち上がるとふらつくので俺は慌てて支えた。
「っておい、ほんとに酔ってたのか……?」
「よっれまへん!」
「……どっちだ……」
呂律の回らない舌で否定しても説得力がないのである……。
「……はぁ、今日はもう泊まって行け……母さんのとこで」
「ううぅぅ……」
不服そうなディアーデに肩を貸して二人の寝室を目指すと、ふと壁に鋲で止められた紙が目に止まる。それは、俺が手紙と称し送っていた数枚の記事で⎯⎯。
「見ろ、ディアーデ」
「え……」
と、彼女の視線をその壁にやらせる。
「以前お前は俺に返すなんて言っていたが、むしろ俺が前借りしてたくらいだぞ。ありがとうな」
それは、俺が聖剣に封印されていた時に、彼女の体を借りて書かせてもらっていた物だ。便りのないままよりかは、少なくても定期的に知らせた方が健在であると伝えられる⎯⎯そうセラテアに提案を受けていたのだ。
しかしディアーデは。
「~~~~!」
俺の体に腕を回し、ぽかぽかと背中を叩き始めて。
「しょうららいの~! らんれらかららいろ~!」
「あああわかったわかった、早く寝ような」
「ぅぅ~……」
ディアーデは既に聞き取れない言葉で話すので、俺は小さい子どもをあやすようになだめて、寝室へ来た。
扉を静かにノックする、そしてゆっくりと開け、暗い寝室にこちらの灯りを促しベッドまで進んだ。
「母さん。父さんは、酔って俺の部屋で寝かせた。ここにディアーデを寝かせていいか?」
母は穏やかな寝顔のまま静かに頷いて、少しずつ……自分が寝ていた場所を譲った。
そこに、ディアーデを横にならせて、俺は布団をかけてやる。
「おやすみ。二人とも」
そう言って俺は、手紙やグラスを片付けに戻り、その後、自分の部屋へと入り⎯⎯。
(……惜しい事をした……)
⎯⎯俺のベッドで大いびきをする父を見ながら、野営用の厚布を、装備から取り出した。
父というのは、子にとっての壁になるものらしいと、聞いた事がある……。
(……おやすみ……)
……だがこれも、自分が最善の判断をしたと、そう思う事にして、挨拶と共にまぶたを閉じた。
⎯⎯隣の部屋⎯⎯
「……ディアーデさん……?」
カタリナが小声で話す。
「……?……」
「これは、私の寝言なのだけど……」
ディアーデは黙って促し。
「昨日の朝、不思議な事があったの……」
「……はい……?」
「起きたらね……洗いたての、湯呑みが出ていたのよね。それも、二つ……」
「っ!?!?」
「ふふふ……変よね~……おやすみなさい……」
……ディアーデは、布団を深く被るしか、出来なかった……。
そんな一夜が明けて⎯⎯。
「この数日間、お世話になりました、お母様」
⎯⎯俺達は、家の外で両親と出発の挨拶を交わしていた。
「いつか、本当に娘になってくれると安心なのだけど……」
「それは……彼次第でしょうか」
「おい……!? 真に受けなくていい……!」
……酒の抜けきっていない頭に、その手の話題は本当に頭が痛い……。
「見送りは、いいんだな」
「ああ。用事を済ませたら、俺は帰ってくる予定だから」
「うん、いってらっしゃい」
二人に出発を告げた俺は、ディアーデに腕を貸しながら王室馬車の元へと向かう。すると⎯⎯。
「⎯⎯あッ!?」
と、何故かアンクの家からファムが顔を出し、こちらを見付けると、凄い速度で走ってきた。そして地面にへたり込み、自分の肩を抱きながら、俺達に言い放つ。
「みッ! 未遂だったんだからなッ!?」
「「??」」
疑問符を浮かべる俺達をよそに、もうアンクとは飲まない……とファムは続けて言った……。
そして彼女は立ち上がると、俺達二人に抱きついて⎯⎯。
「⎯⎯とにかく、二人とも、いってらっしゃいっ」
「まあ……俺は戻ってくるんだが……」
「……っ……」
「? どうした」
「う、ううん、なんでもない」
はっとしたディアーデに訊ねたが、そう返された。
⎯⎯そして、俺達が王室馬車の側に到着すると、そこには旧王ヴィバリウスと、ラファエル、御者が既に揃っていた。
「悪い、待たせた」
と俺が詫びると⎯⎯。
ヴィバリウスは、ディアーデの正面で、両膝と額を地面につけると激しく嗚咽を始めた。
「……村長の家で、聖剣の伝承を知って、いたく感銘を受けたらしくて……」
ラファエルがそう説明した。
「……ありがとう……! そして……すまなかった……!!」
声を震わせながら言うヴィバリウス。
「……お前……!」
それを見た俺は少し調子の良さを覚えてしまう……が。
「……ディアーデ……」
彼女が俺の腕を離すと、やがて男へ告げた。
「私、ディアーデ═アイゼンタールは決して貴方を許しません。この先も、許すことはないでしょう……!」
そう彼女は強い口調で言い切る。だが、少し表情を和らげると。
「……ですが……貴方が、この時代を生きる一人のヴィバリウスとして、生きていくというのであれば、私も同じく、一人のディアーデとして、貴方を許そうと……そう思います⎯⎯」
⎯⎯こうして、故郷で起きた、混沌とした数日間は幕を閉じた。
男は、馬車に乗り込むと、次はそれに感動して、泣いていた……。
そして俺達は、ラファエルが以前、ハイデンへ訪れた時の話に耳を傾けて、それを、王都までの道連れとした⎯⎯。




