07.5号 人に戻った王女様 下
途中で休憩を挟むこと歩き始めて二日目。正午頃、ディアーデは目的の川を見付けた。その瞬間、彼女の目に生気が戻る。
川辺に寄ると、まずは問題がないか試しに手で掬って水を含む。
確認を終えた彼女は頭ごと水中に入れて飲み始めた。
やがて息が切れて、顔を出すと激しくえづく。
自分の腰よりも浅い川。その澄んだ水面には、懐かしくも、疲労でやつれた顔が映っている。
ディアーデは、一度川辺から離れると、大きく仰向けて空を眺めた。
白い雲が流れ、草の匂いと太陽の熱を感じる。更に疲れ、渇きと飢えを感じることで、改めて『生』を実感した。だが、死に瀕することで気付くという皮肉でもある。
彼女は思う。
(これから、どうしたらいいの……?)
渡航出来ていれば何か、別の生活が送れたかも知れない。だが失敗した事で、もはやそれも叶わなくなった。
(私は戻ったのに、私を知る人は、誰もいない……)
誰もいないのに、追っ手を掛けられてしまった。
(そっか……。知り合いもいないのだからもう、私は私である必要がないんだわ……)
そう思い立って上体を起こすと、懐からナイフを取り出した。手入れの行き届いているそれに、自分の顔が映り込んで反射する。そして彼女は⎯⎯
自分の髪を、切り落とした。
金の髪束を草原の上に落とす。この髪は自分でも自慢の髪だと思う彼女だが。
(……これでいいの……。これで、私は……)
生きて行く決心をする。それには自分の姿を変えて、追っ手の目を誤魔化す意味もあった。
ナイフの刃身を鏡にして、乱暴に切り揃えた彼女は、金の束を集め立ち上がる。
そして、川辺に戻ると、唇を噛んで嗚咽を堪え、それを、川へ流した。
込み上げる喪失感に、頭を振って払う。
彼女は気を取り直して、服に着いている血を濯ぐ為に上着を脱いだ。
その血は中着にも着いているが、それを脱げるほど、安心出来る状況ではない。
無心になり、濯ぎ始めると。
「⎯⎯きゃぁッ!」
短い悲鳴。それは女の子のもので、対岸の、少し下流から聞こえた。
ディアーデはナイフを持ち、強引に川を渡って悲鳴の元へ寄ろうとする。
川幅は五~六メートルだが、体に合っていないズボンが抵抗を受けて上手く進めない。
「誰かいるの!?」
息を切らしながらも近くへ行き、声をあげて背の高い草を掻き分けると。
そこには、転がった桶と、尻餅を付いてそれを眺める小さな少女。
思わずディアーデは、少女を落ち着かせようと、ナイフを落として少女を抱き寄せる。
「大丈夫よ。……何があったの?」
「か、かみ……」
「髪……?」
ふと、ディアーデが桶を覗くと、僅かに残った水に、金髪の毛が混じっていた。それは紛れもなく。
「……ぁ~~……、ごめんなさい……。それは、今さっき流した私の髪よ……」
「ふ……ぇ……?」
震える少女は、恥ずかしそうに顔を赤くして答えるディアーデを見た。
二人は、お互いの状況を説明しあう⎯⎯。
少女は、近くの民家に使いに来てから、水汲みの手伝いをしに、川へ来たところだった。
「私は……⎯⎯」
(あれ、私はなんて説明したらいいの……⎯⎯!?)
聖剣の封印を解いて、エインセイルで追っ手を掛けられたところ、この川で正体を隠す為に髪を切り、服を洗っていた。
(⎯⎯いや、どう考えても異常だわ……。何を言い繕っても不自然な気がする……!)
頭の中で嘘を組み立てるがどこかが必ず破綻してしまう。しかし。
「?」
少女は無垢な瞳でディアーデを見つめている。
……ディアーデは、この顔に嘘はつけないと、観念した……。
「……これを見なさい……」
言いながら視線を中着に促すと、少女は ハッ と顔色を変えて。
「たいへん! おねえさんケガしてるの!?」
「えっあっいやちょ、はなしを……」
少女は中着をまくる。当然そこにケガはない。
「……あれ?」
「この服は借り物よ……」
ディアーデは裾を強く戻す。
「私も、これからどうするのがいいのか、よくわからないのよ……」
「おねえさんは、まいご?」
「ううん、もっと酷いかしら……」
何気なく訊いた少女に、ディアーデは自嘲しながら返した。
「もう行きなさい、お手伝いの途中なんでしょう?」
少女に背を向けて続けると、少女は桶を拾って水を汲む。すると。
少女はディアーデの手を握る。
「なんのつもり……? ちょっと……!」
少女は何も答えずに引いて行く。そして草むらから出ると指を差す。その方向には確かに、簡素ながらも家のようなものが見えた。
少女は尚もディアーデを引いて行こうとする。
「分かった、分かったからもう手を引かないで……!」
その言葉を聞いて少女が止まると。
「……向こうに上着を置いて来たのよ」
そう続けるディアーデに、少女は笑顔で返した。
⎯⎯上着を取って戻ると、少女はディアーデの手を再び握る。そのまま二人は、家に到着した。
「お水くんできました」
「イムイちゃん、おかえりなさい。いつもより遅かったみたいだけど……あら……?」
少女が告げると、中から現れたのは老婦人だった。
ディアーデは丸めた上着と外套で中着の血を隠し、緊張の面持ちをしている。
「あらあら、そちらの人はどうしたの?」
「えっと、よくわからないんだって……」
「まあまあ、迷子かしらね?」
「もっと、大変なんだって……」
「そうだったの……。大変な迷子さん、何もお構いできませんが、ゆっくり休んで下さいね」
婦人の優しい言葉にディアーデの緊張が切れ、目から熱いものが溢れる。
「ありがとう……ございます……」
「そう……イムイちゃんは大変な迷子さんを見付けてくれたのね。とっても偉いわねー」
えへへ……、と少女は年相応の反応をしながら桶を運ぶ。そんなやりとりをしながら二人は家の中に入って行った。
ディアーデはそれを見送ったが、少女はすぐに出て来た。
ありがとう、おばあさん。
はい、気を付けて帰るのよ。
「おねえさん、わたしのお家にいこ?」
そうディアーデに声を掛けると何か手渡した。少女が駄賃として貰った芋である。それは既に火が通って間もないのか、温かい。
「おばあさんが二人で食べなさいって」
「……! ありがとう。……いただきます」
少女は、それを頬張るディアーデを見ながら、笑顔で自分も続いた。
⎯⎯二人は手を繋いで少女の家を目指す。しかし、周辺にはここ以外の家は目につかない。
「……そのお家はどこにあるの?」
「あっち」
そう少女が指したのは密林で、その入口が口を開けていた。
この島は南北を隔てるように山脈が連なる。そしてその麓は、人が滅多に立ち入らない密林だ。ディアーデは、自分でも思わないほどに南下していた。
(密林に、人が住んでいるの? でも……)
ディアーデにとっては三百年振りの外の世界。その間に変化があったとしても不思議ではない。……そう、あの時、船に乗れなかったように。
密林の中だというのに、少女に気後れする様子が見えない。間違えば遭難も免れないにもかかわらず、少女はディアーデの手を引いて歩いている。
それよりもディアーデは不思議に思う。
密林だというのに、あたかも道があるかの如く、左右に木々が別たれている。その光景はまるで。
(昔、本で読んだけれど、海が左右に割れていくみたい。……あれ、というか……)
本当に木が動いている……!?
「ッ!?」
「あ、気付いちゃった」
遠目では狭かった木々の隙間が、近づくにつれて広がっていく。
「……一体、どうなってるの……?」
「魔法だよ、おねえさん」
「魔法って……あなたがしているの!?」
「ほかに居ないでしょ」
あはは、と少女は笑いながら答える。
「傀儡草樹って言うんだって。……それでね、おねえさん」
「な、何……?」
少女は得体の知れない力を操りながら、ディアーデに尋ねるので少し身構える。
「……カイライって、なに……?」
「……操り人形、かしら……」
「あー、そっかー! そういうことかー」
と少女は一人納得している。魔法を使えても言葉は難しいようだ。
「操り人形かー。わたし王都につれていってもらった時にいっかいだけ見たなー……⎯⎯」
会話しながらも少女は、右手の五指を操り木々をよけさせる。
……ディアーデは、ただその姿に圧倒されて、少女の声も届くことなく、密林深くへと導かれていった……。
「⎯⎯おねえさん?」
「……えっ、どうしかした?」
「着いたよ。ここが、今わたしたちがいる隠れ里、だよ」
「ここ、が……」
少女に密林を案内され、辿り着いたのは隠れ里だった。少女の正体からそれが、魔法使いのものと気付くのに時間はかからなかった。
里と言われても建物ではなく、草や布で組まれた天幕ばかりで、田畑はない。かわりに羊や馬といった動物が多数で、それは人影を優に越す。そしてその人らも、ディアーデが知っている特長を皆、一様にしていた。
「戻ったかね、イムイ」
「あっ長、ただいまもどりましたー」
少女が長と呼ぶ老爺と挨拶をする。また彼女は、被っていた帽子を脱ぐと、そこから長い耳が現れた。
「はい、おかえり。……して、そちらは?」
「あっ……その……まいご、です、たいへんな……」
「ほっほっ……、大変な迷子か。それは難儀じゃのう」
ディアーデは婦人と同じ紹介をされて少し緊張する。外套を纏ってはいるが、上着の血は完全には落とせていない。
「お邪魔……します……」
「ここに客とは、いつぶりじゃったか……。もてなしたいところじゃが、わしらも、もうすぐ移動するでな、忙しないが許されよ」
そう言ってその場を去る長に、ディアーデは頭を下げた。
「移動する、って……?」
「うん、もうじき梅雨になるから。この辺は低いから、すこし高いところに行くの」
「ふうん……」
魔法使い達は密林の中を遊牧的な移動生活をしていた。なのですぐに畳めるように住居は簡素で、田畑を持たないのであった。少女が使っていた魔法があれば、密林を移動するのも、苦にしないのである。
「来て、おねえさん。わたしのお家はこっち」
少女の家に促されたディアーデの、隠れ里での生活が始まった⎯⎯。
少女イムイの家族は、留守であった。育てた羊の、毛や肉、乳といった物を町々へ卸す為に、よく家を空けるのだという。
里でディアーデは、草を編み、薪を割り、野草を摘む。魔法使いの生活は民と大きく変わらない、彼女はそれを知ることで、魔法使いに対してのわだかまりが、少しづつ薄れていった。
⎯⎯そして、ディアーデがここに住み、早一週間が過ぎると、里は移動日を向かえた。
「おはよう、おねえさん」
「ええ、おはよう。イムイ」
後に起きたディアーデが天幕を畳んでいると、先に起きた少女は、長のところへ挨拶に行っていた。そして長は、ディアーデのところへも挨拶に来た。
「おはよう、ディアーデ殿」
「おはようございます」
挨拶を返したディアーデだが、長は何か言いたそうに黙るので、彼女はそれを尋ねた。
「? ……何か?」
「ああ、いやすまん。……ここに身を置くと聞いて驚いたが、よく続いたものだと、感心したのだ。育ちが良さそうな娘に、暮らしていけるものかと……」
ディアーデは王女であった。だがある日を境に、身の回りを自身でもするようになったのだ。
「ここの生活は、充実しています。それに、着る物まで用意して下さって、ありがとうございます」
「用意、というか、娘が昔着ていたものでな。男の儂がこんな物を残すなど、この歳にもなって少し恥ずかしいのだが」
長は言いながら頬を掻く。
「良いではないですか、物保ちが良くて。あの、娘さんのことを聞いても……?」
「ん、手の掛からない子でな、王都で暮らしとるよ」
「そうなのですか。では、その方にも感謝を」
今、天幕のほうも片付けますね。そうディアーデが続けると背を向けた。長はそれに優しく頷くと、彼の肩に梟が停まる。外の親者との連絡用である。
二人の会話中に、少女が畳むの引き継いでいた。ディアーデはそれに加わろうと天幕に寄る。すると。
突然、ディアーデの足に何かが絡まった。悲鳴を上げる間もなく、彼女は身体の前面を地に打つ。
「おねえさん!?」
「いったた……なんなの……?」
ディアーデの足に絡んでいたのは草であった。だが自然の物ではない。幾重にも捩れ、輪を作っていたのだ。
少女はそれを解こうとする。また、ディアーデは服からナイフを出そうとするが、着替えてしまって、無いことに気付く。
里の一方が騒がしくなる中、そこへ現れたのは。
特長のある長衣と濃紺の長い髪をした、魔導大臣の、イズンであった⎯⎯。
⎯⎯数時間前・執務室⎯⎯
「……マスター。ギルドからも、彼が戻ったという報せはありません」
「広報の人間に、海岸沿いでアイゼン港まで行かせたけど、情報はないわ……」
「……そうか……」
弟子とセラテアから連絡を受けて、イズンは重く返事をした。
聖剣の管理は代々の魔導大臣の役目である。
中に魔族が既に居ないとはいえ、紛失したとなれば、その責任追及は避けられない。
そして、先日届いた手配書である。それはエインセイルからで、そこには男の冒険証を使おうとした女とあり、男装で服は血で汚れているとなっていた。極めつけは人相である。長い金の髪、碧の目……、それはイズンに継承された記憶の、ディアーデ王女の姿と一致した。
執務室の机、すぐ横の窓から軽いものが当たる音。
イズンは思いに更け耳に入らなかったが、弟子はそれに気付く。
「マスター。里の使いです」
「……ああ」
イズンは窓を開けて、使いである梟を腕に停まらせて中に入れる。
「里に何かあったのかしら?」
「いや、ただの定期連絡のようだ」
「ああ~。そういえば、もうそんな時期ねー」
イズンは手紙を開けてセラテアの質問に答えた。すると。
「何……?」
「どういたしました?」
「……すまんが、少し出てくる」
「えっ!? ちょっと……!」
イズンはテラスに繋がる戸を開けて。
「説明を……」
言いかけるセラテアに手紙を投げ渡す。
「事情を知る人間が行かねば収拾がつかん。今日中に戻る、二人で上手くやっておいてくれ」
そう言い残し、イズンはデッキから飛び降りた。
二人はそれを追って下を覗くと、既に馬に跨がるイズンが見えてくる。
そして、彼女の腕にいた梟を空へ放つと、それを追うように王都から出て行った。
残された二人は届いた手紙に目をやる。
そこには、梅雨前に移動する旨と、ディアーデを名乗る娘が居候した……という内容であった。
⎯⎯現在⎯⎯
「⎯⎯これは魔導大臣殿。ご無沙汰しております、立派にご活躍中であると伺っております」
長は礼をせず、明るく、しかしとぼけた印象の挨拶をすると、イズンは馬から降りながらその挨拶を返す。
「そう他人行儀になさらないで下さい。それより、突然押し掛けるように戻ったことをお許し下さい」
そう詫びを述べるイズンも、普段とは違う口調でどこか楽しそうに、長と会話する。
ディアーデと少女はいまだ絡んだ草と格闘中だ。
「して、今日はどういったご用向きで?」
「あー、長の書いたディアーデという少女に用がありまして……」
「居候を申し出た、あの娘に?」
イズンはその言葉を聞き流すと、格闘中の二人に近づいていく。
そして、ディアーデと少女に影が落ちる。二人は影の主を見上げると、その主は口を開いた。
「はじめまして……と、挨拶するべきかな……。ディアーデ、アイゼンタール王女……」
「王……女…………おひめさま!?」
「……昔の話よ……」
ディアーデと少女は格闘を止め、イズンは草の枷を解いてやる。
「何故ここにいる……とは、今は聞かん。だが、何故私が来たかは、想像出来るだろう。……大人しく、ついて来てくれないか? 抵抗されると、その少女を悲しませることになる。私にそれをさせないでくれ……」
「…………いいわ」
「おねえさん! ッ!?」
ディアーデは少女を抱きしめる。そして。
「ここまで連れてきてくれて、ありがとう。もう行かなきゃいけないみたい。私の荷物、持って来てくれる?」
少女にそう囁いてディアーデは抱擁を解く。
二人が立ち上がると、少女は寂しそうに荷物を取りに行った。
「……随分となついてる様だが、何をしたのだ?」
「酷い言われようね……。両親があまり家にいないから、寂しかったんでしょう……」
ディアーデの言葉を聞いて、イズンは少しばつの悪い顔をした。
「髪は、切ったのだな。人違いかと思ったぞ。しかし……」
「……なに?」
「いや、少しやり過ぎではないのかと、な……」
「……同じ事を言うのね……」
「何?」
「なんでも! あなたに言われたくないって言ったの!」
「そうか……。そうだな、気を付ける……」
やがて少女が荷物を持って来た。それをディアーデは微笑んで向かえる。
だが、少女はそれ以上ディアーデに近づこうとしない。
そんな様子に、ディアーデは自ら近づいて荷物を手に取ると、少女はゆっくりと手を離す。そして、もう一度抱きしめた。
「持って来てくれてありがとう。また、会いましょう……」
その言葉に少女は首を縦に振る。
二人は、短くも長い抱擁の中で、再会を誓い合うのだった。
⎯⎯ディアーデとイズンを乗せた馬が、密林の中をゆっくり駆ける。障害物が多く速度が出せない。
そんな中、先に声を出したのはディアーデだ。
「ねえ」
「んー?」
イズンは少女から渡された荷物を漁りながら返す。
「魔法使いなんだから、空を飛んだり、瞬間移動できたりしないの?」
「……それは、そなたは宙吊りで運ばれたいと解釈していいのか?」
「はっ?」
ディアーデは言葉通りの想像をしてしまう。
「なんでそうなるのよ!」
「暴れるな、落ちるだろう」
尚もイズンは、丹念に荷物を漁りながら会話する。
「空を飛ぶのは出来んこともない。だが、二人以上は無理だな。それに目立つ。それと瞬間移動か」
「ええ!」
「それをやると、自分が『どのくらい移動して、何処へ来たか』を知る必要が出る。迂闊に使えばあっという間に迷子だ。それを目の届く範囲で繰り返すと、魔力の消耗が激しい。逆に、目の届かない距離を移動しようとすると最悪……」
「最悪……?」
「出現先が木や岩や土の中ということもありうる。その場合、周囲を吹き飛ばして脱出するしかない。もう一度移動するテもあるが、余計に深く入り込む可能性が残って不確実だ」
「何よそれ!」
思っていた回答と違う事にディアーデは腹を立てる。
「空を飛ぶ、転移と一口で言っても、その実は複数の術の組合せだ。それを偏りなく行って、初めて安定した事象に出来る」
イズンは魔法のタネを少しだけ明かし、言葉を続けると。
「それよりも王女」
荷物を漁り終えて尋ねる。
「はい?」
「そなた、ペンは何処へやった? あの蒼銀の棒だ」
「知らない! 潜心でも使えばいいでしょう!?」
「……誰の真似だ……。おい、こちらを向け……」
「何よ……!?」
ディアーデが振り向くと、イズンが睨む。そして余りの不快感から口に手を当てて向き直る。
「う……ぶ……。いまなにをしたの……?」
蒼白の表情でディアーデは息が上がる。
「これが潜心だ。……心の中に他者を入れてまさぐられるのだ、気持ち悪くなって当然だろう。……私も師から何度受けたか……」
イズンは、今ほどの潜心で、ここ数日のディアーデの動向を知る。
「それを……さきに……」
「おっと、そなたが求めたのだ、恨まんでもらおう。……にしても、城跡に置いてきたとは、やってくれたな……」
二人の乗った馬はやがて密林を抜ける。だが、そこに広がっていたのは青空ではなく、一面の厚い雲だ。
「ディアーデ王女」
「何よ……」
「こうして私が自分の事を明かすのは、何故だと思う?」
ディアーデは質問の意図が読めず考える。いやそもそも……。
「……何て答えて貰いたいのよ……」
少し顔を伏せて答える。
ふぅ、と軽く息を吐き、馬の速度を上げるイズン。
「……そなたに信用してもらうためだ」
「っ!」
それはディアーデが最も期待していなかった答えであった。
「先の潜心だが、心を固くなにしているほどその反動が大きい。より強い力で抉じ開けねばならん」
イズンは、それだけではないと、付け加えて。
「私は、これでもそなたに同情している。……三百年、長かったであろうな……」
「………………」
「そしてそれは、彼もではないのか?」
「え……」
「確かに、お前からすればそこまでする義理はないのだろう。だが、一番近くで、手を伸ばして居た彼を引き落としたこと、それについてはなんと考えているのだ?」
イズンが言い終わると、二人の間に沈黙が流れる。馬の足音だけが、彼女らの耳に届いた。
やがて二人に ぽつりぽつり と冷たいものが当たり始める。
「「……あっ」」
「追い付かれたか……。仕方ない、飛翔すぞ! しっかり掴まれ!」
「えぇっ!? とばすって、きゃっ!?」
イズンは、言うが早いか、目の前の後頭部を押さえ付ける。
一方、無理矢理屈ませられたディアーデは、その薄くない胸が圧迫されて苦しい。
馬は前脚を上げる体勢になったかと思う瞬間。
栗毛色の馬は、白馬へと姿を変えて、巨鳥ほどの翼をその背に生やした。
加速して、やがて震動が消えると、白馬はみるみる高度上げて行く。
「ちょっと何!? これも魔法!? 目立つんじゃなかったの!?」
「『擬装』していた天馬の仔、それを解いただけだ。それに雨になれば家にも入ろう、今のうちだ!」
密林での会話を覆すイズンに、ディアーデは納得がいかない。
「魔法使いって! なんなのよもーーーー!?」
二人は激しさを増す雨の中、クロイツェンに向け、天馬で駆けていく。
ディアーデは、初めて乗った天馬の感動よりも、状況を飲み込んでいくことの、慌ただしさが勝った……。




