05号 上
私は自室の椅子に座り、窓から曇天の空を見つめていた。
「殿下。王が、お気付きになられました……」
「……!」
部屋に入った茶髪の侍女が、私にそう伝えた。
私は自室を出ると、足早に王の寝室へと向かう。
王の部屋の前には数名の兵士が居て、何れも緊張の面持ちで構えている。
私は部屋の扉をゆっくりとノックすると、挨拶をして入室した。
「ディアーデです、入ります」
中に居る我が父、アイゼンタール王は、部屋の寝室のベッドで横たわっている。
今その姿は、全身に包帯を巻かれており、瀕死の重体だ。
側に腰掛けると父は眼だけをこちらに向ける。
私は父の手を握り、優しく語りかけた。その手にも包帯は巻かれ、冷たくも温かくもない。
「……お加減は、いかがですか? 陛下。こうして生きてお目にかかれるのも、兵達のおかげです。彼らには私から深く、礼を述べておきましょう。今は全てを忘れて、お休みになられて下さい」
本当は今にも泣き出したい。愛すべき父が無慈悲にも、死の淵に立たされているのだ。
だが今はそれをすべき時ではない。何故なら、危機はまだ去っていないのだから。
「……ディ、アーデ……」
「陛下……! どうかお静かに。傷に障ります……」
口を動かす事もままならないはずの体で父は応える。
私はそれを諌めるが、父は首を横に振り話すことを止めない。
「……すまない、わしは、ここまでの、ようだ……」
「……! いけません陛下、弱気になどなっては。これからも国を、私達を導いていただかなくては……陛下……?」
突然、生を諦める父に私は動揺を抑えて、口調を乱さぬよう柔らかく返す。しかし。
「ディアーデ、聞きなさい……。わし亡き後は、お前が国を、導いて行くのだ……。お前には、覚悟ばかりさせて、すまないと思う……」
「何を……。何をおっしゃるのです、私は、陛下と共に歩む道を自ら望んだのです。誇りと思うことはあっても迷惑だと感じた事はございません。そしてそれは、兵達も同じ気持ちでしょう。ですので、どうか生きて……」
「もう……お前の顔も、よくみえぬ……。せめて、もういちど……『ちち』と……よば、れ……」
「駄目ッ! 陛下! お戻りになって……! へい、か……? お、おとうさ……ま……!?」
父は二度と、応えることはなかった。
「う、そだ……お父様……! いやあああぁぁぁ…………!」
⎯⎯三百年前・アイゼンタール⎯⎯
私が父の死を後に部屋を出ると。
殿下……殿下……と兵士達は私の言葉を待った。
「陛下は……。陛下は、お休みになられました」
おお……! と安堵する兵士達に私は続ける。
「陛下は私に、軍の指揮を命ぜられました。以降は私の指示に従いなさい」
ハッ! と兵士達に士気が戻る。
「まずは状況を整理します。それが済み次第、今後の事を追って報せます。その間、交代で半休をとりなさい」
「「「了解しました!」」」
「……それと……。これは一人の家族として皆へ伝えます。父を……よくあの死地から連れ帰ってくれました。本当に、心から感謝します……!」
私は私に出来る最大限の礼を述べ頭を下げる。
すると、兵士達は黙して敬礼で返し、持ち場へと下がっていった。
……一人を除いて。
「殿下。陛下は、本当にお休みになったのですな?」
彼は父の補佐を務めていた信の置ける臣下の一人だ。
「……はい……。安心してお休み頂けるよう、我らが努めなければなりません……」
「……よく、分かりました。殿下の望むままに」
彼は父の代から私達家族を一番側で見てきた人間だ。私達の気質を私達以上に理解している。故に、今の会話で、全てを悟ってしまったのだと思う。
「感謝します……」
私は、彼が深く訊ねないことに感謝し、次の方針を立てる事にする。
「来い」
「はッ!」
アイゼンタール王国⎯⎯
古くからここでは国土から『燃える水』こと油が湧く。その範囲は徐々に拡大し、現在は七割にまで及んだ。
この、油を含んだ土壌が余りにも多い土地柄は、作物の成育も難しくまた、雨が降ればその土は河川を伝い、海へと流れれば漁が出来ないことも必然だった。
時の王は、この油を燃料にした兵器を開発し、国の産業にしようとした。
完成当初は複数の国が興味を示した。しかし、動力である燃料が、油と知ると態度を一変させる。
理由は、世界の主要燃料が魔動石だった為に、油田や掘削技術というものを持っていなかったのだ。
その為、兵器の他、燃料までも輸入しなくてはいけない事を、彼らに気付かれてしまい、輸出される事はなかった。
王は発想を切り替えた。
王国は、兵器を扱う兵士『火線兵』が主体となる兵器師団を、軍に組織させる。
それを魔獣や亜人の紛争地帯には傭兵として派遣したり、未開の土地ではあらゆる資源を収集することで、自国の存続を図っていった。
あくまでもこの武力は、それらの為にだけ向けられ、決して侵略には使われなかったのである。
時代が、当代の王にまで移り変わった頃、やがてそれは起きた。
魔族の出現である。
魔族は、マウンデュロス、グレイスバーグ、エインセイルの三国へ、同時に進攻を開始した。
この事態を好機と捉えた父王は兵器師団を三国へと派遣する。そして、魔族を撃退することで報酬を支払うという契約を、三国と締結させるのだった。
我が国の兵器はたとえ魔族であっても有効であった。
劣勢や膠着状態であった戦況を緩やかに押し返していくと、魔族との戦は終息を迎える。
私はその時、帰還した艦の出迎えをした。だがそこから下船する者の姿は、傷つき、碌な治療がされないままの兵士達であった。
何があったたかと報告を受けると、彼らから驚くべきことを耳にする。
それは、魔族との戦闘中におき、街を破壊したとして、三国は莫大な違約金を請求してきたのだ。無論、我らはそんな事をするはずがない。また財政豊かでない我らには、とてもその額を賄い切れるものではなかった。
当然その請求を、我らは不服とした。だが相手は、傷付いているとは言え三国である。支払いを拒んだところで、アイゼンタールのような小国一つを潰すことなど容易い。
よって王は、開戦という苦渋の決断した。それはアイゼンタールの歴史上、最初の侵略戦争になった……⎯⎯。
⎯⎯既に消耗し、正面から攻める戦力がない我が軍は一計を図る。
まず、エインセイルへ違約金を支払うように見せる。そして次に、兵士を財宝を運ぶ荷の中に紛れ混ませて、合図とともに、内と外から同時に攻める……これが、現在我らに出来る、最大の策であった。
⎯⎯結果、エインセイルの攻略はあっけないものとなる。
迅速に従順な姿勢を見せたことで、大きく油断を誘えた。おかげでこちらの策は、全て計画通りに運んだのである。
いくらか船で撤退されたものの、壊滅させたと言っていいだろう。この時に、我らは魔族が封印されたとする『聖剣』を手に入れるのだった。
その後、我らはエインセイルから得た財宝で国力の回復に努める。しかし、それから約二ヶ月後のこと⎯⎯。
港から見える沖合いに、マウンデュロスとグレイスバーグの戦艦が現れたのだ。
どちらの国の大陸にも、片道で一月はかかる。これでは僅か数日で兵を編成した計算になる。
つまり、初めからこうなることを、両国に予測されていたのだ。
反撃の予想はしていたが、遥かに早い動きに我らは万全ではない。
上陸されれば兵力で劣る我らに勝ち目は無いに等しい。ならば海上へ出て迎撃するのだ、我らにはその手段がある。
我らは兵器を搭載した艦で、迫り来る敵艦を撃つ。しかし圧倒的な数の違いから、あたかも雲に撃つようでもあった。燃料の尽きた味方の艦は、白兵に持ち込まれると、沈んでいった……。
両軍の上陸を許すと徐々に押され始める。
我らは王に策を命じられて本国まで下がり、王は自らしんがりとして、エインセイルに踏み留まった。
王が限界まで応戦し、撤退を始めると、好機とばかりに追走する両軍。そして王はアイゼンタール唯一の農地へと追い込まれた。
いいや違う。
奴らを誘い込んだのだ。
⎯⎯王が命じた策。
それはその農地に予め油を撒いて染み込ませておき、王自身が囮になることで敵を引き付け、大軍もろとも火の海へと沈める⎯⎯。
これが、王の決断した策、であった。
その策により、追走を行った敵は全滅させたものの、こちらが失った代償もまた、大きいものであった……。
⎯⎯三百年前・クロイツェン⎯⎯
「王よ! 報告します!」
「なんだ、騒々しい……!」
「も、申し訳ありません……!」
「うむ……。それで、何があった?」
「は、はッ! 隣国アイゼンタールが、我が国へと進軍を開始しました!」
「なッ! なんだと!?」




