第9話 呆然とした伍長
「えっと、じゃ、次行こうか、えっと、スプラ伍長? こちらを確認しよう」
スプラ伍長、十五歳、女。
十四歳で兵士養成所の入隊試験にて不合格となり志願徴兵にて二等兵となる。
「え!? 兵士養成所に不合格ってあるの?」
「基礎体力テストはあります。兵として最低限の運動が可能かどうか、程度の確認で、ランニングを行いますが、制限時間もなく、走り切ればいいだけで、小官自身、これまで不合格になった者を聞いたことがありません」
ちなみに、大半の国民、つまり、志願兵とならない者も、国民皆軍人の下では軍人となる。
という、建前で成り立ってはいるが、国民全員が本当に軍人になってしまっては、産業が成り立たなくなるため、徴兵という形で召喚された時のみ兵となる者が大半となる。
これがいわゆる、徴兵、という名前の兵だ
二等兵、一等兵、上等兵、特務上等兵に分類され、二等兵は基本、訓練兵で、戦場には出ない。
半年くらいで自動的に一等兵になって、それぞれの地へ派遣される。
上等兵は徴兵を何回もされていて、ベテランとなっている兵の事だ。
特務上等兵は一等兵が戦死した場合に二階級特進して戦死者名簿に載る階級で、まあ、生きた人間は存在はしない。
で、だ、この子は二等兵として補給部門のセンターキッチンで食材の調理をしていて、そのまま一等兵になっても続けて今に至る、というわけだけど。
「え? なんで先月まで一等兵だった子が、伍長で隊員になってるの?」
一等兵と伍長の間には歴然とした格差がある。
一等兵は徴兵であり、職業軍人である伍長とは違う。
何度も徴兵されたベテランでも、着任するのは上等兵であり、職業軍人である伍長になるには、兵士養成所を出る必要があるのだ。
「そうですね。先ほど本人に確認いたしましたところ、昨月人事のヤグニス大尉殿より、職業軍人にならないか、とのスカウトを受け、特別に昇進したとのことです」
「……えー」
人事の一存で三階級も昇進するんだ?
ていうか、そんなに人手不足だったのかよ、この隊?
「いや、ちょっと待って? そうなると、この子、女の子で、兵士養成所を通過せずに伍長になったんだよね?」
「……そう、なります」
俺の言いたいことを理解した曹長が、ため息を吐きそうな表情で答える。
徴兵ってのは、男性は二等兵のうちに兵として訓練され、最低限戦力になりえるように鍛えられてから、一等兵として各地に飛ぶ。
だが、この国では女性は自ら志願でもしない限り、つまりは訓練所に入って職業軍人にならない限り、前線に行くことはない。
各地後衛でも、大半は職業軍人の女性が担うため、徴兵の女性は基本本部で雑用を担うことになる。
大半は調理関係の人員になり、この子もそうだ。
そして、この子は伍長でありながら、兵士養成所を介していない。
つまり、兵としての訓練、徴兵でも訓練所でも一切受けずにここにいる。
「……えー」
さすがにそれ以外の言葉が浮かんでこない。
何これ?
いや、確かに失敗するための部隊は理想だけどさ!
これはあんまりじゃないか?
「まあ、しょうがない、スプラ伍長を呼んでくれないか?」
「了解しました」
そうして、また曹長が出て行く。
「し、失礼します……」
おずおずと、入って来た女の子は、小さかった。
いや、さっきのアルメラス軍曹よりは背は高い、うん、身長は高い。
もちろん、あの軍曹が低すぎるだけで、この子も一般的に見て女の子としても小さい方なんだけど、それ以上にこの子、何と言えばいいだろう、薄い。
細い、なんだけど、そんな華奢な女の子のそれじゃない。
簡単に言うと、やせ細っていて、死ぬんじゃないかと心配になりそうな女の子だ。
「ス、スプラいっと……伍長です! 本日より、がい……がい……外いえーあ隊に着任いたしましたっ!」
びし、とは言えない敬礼。
あと、外事警察隊忘れて誤魔化したよな?
「外事警察隊です。自分の所属は憶えなさい」
「す、すみませんっ!」
曹長の叱責に謝りながら敬礼するスプラ伍長。
いや、そこ敬礼じゃないから。
肩で切り揃えた金髪がゆらゆら揺れる、全く落ち着きのない子だ。
「あ、あの……」
「何ですか?」
「本当に私、伍長になったんですよね……? 悪い人に騙されてませんよね……?」
不安げに訊くスプラ伍長。
伍長の階級章を胸にぶら下げた軍服を着た女の子に、「私、伍長ですか?」と訊かれるシュールな経験。
いやまあ、気持ちは分からなくもない。
兵士養成所を落ちて働いてたら、そこすっ飛ばして伍長になったんだからな。
さっき俺たちが仰天したことだけど、本人はもっと仰天なんだろう。
「貴官の隊の隊長殿は人質救出などで活躍された英雄だ。彼を疑う事は小官が許しません」
「ひっ!? ご、ごめんなさい!」
ぺこぺこ謝るスプラ伍長。
「いや、だからさ、俺、別に英雄じゃないからさ……」
なんかこの曹長、俺を英雄扱いするよな、こんな俺を。
「で、ですけど、さっき建物の外でセンターキッチンにいた上等兵の人に挨拶したら、ものすごくいい姿勢で敬礼されまして……みんなで私を騙しているのかなって……」
「そりゃ、君は伍長なんだから、上等兵が敬礼をするのは当然だね。昨日までは一等兵だったから君がする側だったんだろうけど。君だって一等兵の時は伍長に敬礼してただろ?」
「してましたけど……」
徴兵同士は、まあ、そんなに階級に厳しくなく、相手が上の階級でも普通の挨拶でいいらしいけど、相手が職業軍人の場合にだけ敬礼をしなければならない。
「軍人って言うのは、階級の違いは絶対なんだよ。この曹長も俺より年上で、俺よりも遥かに立派なのに、階級が上だからこうして従ってくれる」
「中尉、僭越ながら、私が中尉を尊敬し、服従するのは心からの行為です」
「そうだね、そう言うしかないよね? 君は本当に優秀な軍人だよね。 つまりそういうことなんだよ」
曹長が俺を尊敬してるのは分かっているけど、しつこいくらいの英雄賛美に対する仕返しでそう言い返してった。
曹長も俺が伍長を説得していることを理解しているので、これ以上口を挟まない。
その分、少しだけ悲しそうな、悔しそうな表情をする。
やり過ぎたか。後でフォローしておこう。
「とにかく、スプラ伍長、君は間違いなく伍長であり、俺の大切な部下だよ。これからよろしくな?」
「は、はいっ! ありがとうございます! これで両親にも仕送りが出来ます!」
「仕送り……?」
スプラ伍長から、聞き慣れない言葉が漏れる。
オルジス帝国は元々が豊かな国で、今では属国からの税収もあるため、飢える者は基本的にいないし、裕福な国民でなくとも、衣食住に困ることはない程度の豊かさはある。
何しろ金に困ったら志願徴兵に出れば、少なくとも生活は保障されるのだ。
下士官ともなれば最下級の伍長でも、一般的な平民の収入を得られる。
だから、仕送りをする、というのはまあ、分からなくはないのだが。
「両親は何をしてる人なの?」
仕送りが必要な両親って何だろう?
病気で働けないとか?
「うちの両親は花屋を経営しています……ですけど、あまり売り上げが良くなくって……」
「そうか……」
そうだろうな、とは言わなかった。
だが、この軍事国家で花屋を営んでも、売れるのは戦勝記念くらいじゃないだろうか?
貴族も女性を含めて、若い独身の頃は軍人になってるからな。
「それで、両親が交互に徴兵に出てるんですけど……私の収入も含めて、花屋の赤字に充てられるんです……」
それはもう、別の店をやった方がいいんじゃないかな?
「それで、私は軍人になろうと思ったのですけど、断られまして」
「差し支えなければ、何故断られたか教えてもらえますか?」
「基礎体力が不足し過ぎているので、鍛えるのに相当の時間がかかる、と言われました」
まあ、この子が訓練所の地獄の訓練に耐えられたかと言われたら首を捻るんだけどさ。
そんな女の子を俺に預けられてもなあ。
オルティの奴、何を考えてるんだ?