第1話 今こそ役に立とう
帰ったら、トゥーリィは詰所側に行ったままこちらには来ない。
だから、あの雰囲気の後、俺が曹長の相手をしなきゃならないわけで。
「お帰りなさいませ、隊長殿。警邏はいかがでしたか?」
「うん、シルラ人が思ったより増えていたね」
「カサラ王国の景気が悪いため、移民全体が増えております。その結果、シルラ人も相対的に増えているのでしょう」
曹長の態度は、普通に戻っていた。
あんなことがあった後なので、落ち込んでいるようにも見えるが、そもそも曹長はあまり感情を出す人間ではないから、元からこんなものだったかもしない。
必要以上に気を使うのも変だし、ここは何もしない方がいいか?
……いや、でも……。
「あ、そう言えば、トゥーリィはかなり反省してて、俺が叱るまでもないくらいだったよ」
「そうですか」
淡々とした、何の感情もないような態度。
いつもなら、俺にしか分からない程度に眉をしかめるが、それもなかった。
「あの子はまだ世間知らずだから、家柄とかもよく理解してないしさ、許せとは言わないけど──」
「大丈夫です。問題ありません」
曹長は、礼儀正しい子で、興奮して言葉が崩れる事はあっても、礼儀を失う子ではない。
だけど、今、俺の話に割り込んで入って俺の話を止めた。
これは、もうその話しはするな、という事か。
まあ、気持ちが分からなくもないが……あれ?
「失礼いたしました。本当に大丈夫ですので」
自分の非礼に気づき、詫びると共に、もうその話題はしないで欲しい、再度言われた。
「そうか……」
だから、これ以上は何も言えなくなった。
この違和感の正体を確かめるわけにはいかなくなった、ということだ。
「じゃ、俺、トゥーリィの方をもう一回見てくるから」
「はい、どうぞ」
俺は逃げるように詰所に向かった。
「よく来た。座るがいい」
俺を出迎えてくれたのは、軍曹だった。
余程暇だったのだろう、前にトゥーリィに俺と話すなと言われたことなど忘れた様子だ。
ちなみに、トゥーリィはスプラと話をしていた。
「あ、先輩!」
俺に気付いたトゥーリィは、ててて、と子犬のように走ってきた。
さっきまでの優雅な女主人然とした態度はそこにはなく、年下のあざとい少女のそれのみがあった。
「何かありましたか?」
いつもなら「私に会いに来てくれたんですか?」から始まるところだが、今日はそんなことを言わなかった。
「曹長の様子がおかしい。さっきのシルラ人の件を相談しようと思っていたんだが、一言で終わりだった」
「そうですか……」
さすがにトゥーリィも毒舌を吐かなかった。
「あんな化け物みたいな筋肉女でも、傷つくという機能はあったんですね」
と、思ったらそうでもなかった。
「でも、だったら大丈夫だと思いますよ? 国境警備隊からの資料は、シスリスに届くんですよね? だから、事前に知ってたんじゃないですか?」
「そうかも知れないけどさ」
前に各国境警備隊に頼みに行った入国に関する資料は、一旦曹長のもとに届けられ、その所感のみが俺に報告される。
だから、トゥーリィの言う通り、今回の事は事前に知っており、取るに足らないから報告していなかった、ということなのかも知れない、と言いたいのだろう。
「でも、曹長は近くにいてわかるけどさ、物凄く優秀な下士官なんだよ」
「近くにって、恋でもしたんですか!」
「だから、何でも恋に結び付けるなよ」
「若い男女が同じ部屋にいたら、何も起こらないわけがないんですよ!」
「仕事中には何も起きない。俺も曹長もそう思ってるからな」
本当にこの子は、恋愛にしか結び付けないんだよな。
「話の腰を折るな。あのさ、普通に考えて、俺が異変を感じるような状況を、彼女が、たとえ『取るに足りない』と判断したとしても、報告しないってことがあるかな?」
「あるんじゃないですか?」
「少しは考えろよ。優秀な下士官ってのは、自分の主観はあるけど、自分が判断者じゃないから、異変は全て報告して、そこに主観を混ぜるんだよ」
「そういうものなんですか?」
「ていうか、これは下士官じゃなく俺たちもそうだから習ってるはずだぞ?」
「ま、でも、シスリスは捕虜の件もありますし、仕事が疎かになってるかも知れませんよ?」
「いや、その程度で曹長が仕事を疎かにするかなあ?」
確かに憧れであり肉親でもある父が捕虜になっていて、いつ殺されるか分からないのに、この国は全く動く気配がないって時に仕事が出来るかってのは分からなくもない。
この部屋の全員が仕事に支障を来すだろうし、俺だってどうなるか分からない。
でも、あの曹長だぞ?
「ま、それは分かりませんけど、何かあるんじゃないですかね、また下痢とか」
「俺は彼女の腹の調子が悪かった時でも、離席が多い以外に仕事への影響を感じてないぞ?」
「とにかく、先輩はシスリスに完璧を求めすぎてるんですよ。あれでも人間ですし、うっかりもあるんじゃないですかね?」
まあ、一理あるし、正論でもある。
誰にだってミスくらいあるし、それがたまたまこれってこともあるんだけど。
「分かった、それは後にして、問題はシルラ人だ。伍長、ちょっと仕事してくれるか?」
「え!? は、はいっ!」
「あ、ずるいです!」
伍長を連れて行こうとすると、トゥーリィが止める。
「いや、だからな? 仕事中だし仕事をさせるんだよ」
この子の事だから、どうせデートするのかとか言い出したかったんだろう。
「そうじゃなくって! スプラを使おうとしてたのは私なんですよ!」
「どういうことだよ?」
「先輩はスプラを連れて、シルラ人居住区のそばで周囲の言葉を聞こうって思ったんじゃないですか?」
「!? そうだけど……」
まさか、トィーリィが同じことをしようとしてたって事か?
「でも、この子ってシルラ語喋れないんですよね」
「ああ、そう言えばそうだな?」
「だから、私が連れて行きますよ。この子に『知らない言葉を喋ってたら、それをそのまま声に出して言え』って言うつもりで」
なるほど、そういうやり方があるか。
「で、そのやり方をやるので、先輩にはやらせません」
「なんでだよ?」
「これをやるってことは、スプラに耳元で話しかけてもらわなきゃならないんですよ!」
「分かった、トゥーリィに任せよう」
別にその程度の事で何か思うことはないが、トゥーリィが後からうるさそうなので任せておこう。
「じゃ、行ってきますねー? スプラ、いらっしゃい?」
「は、はいっ!」
少し不安もあるけど、あれでトゥーリィも馬鹿な奴でもない。
今回は見守ろう。




