勇者の娘は躊躇わない
「ヘメラ、君との婚約は破棄させてもらう!」
絢爛なダンスホールの中央で衆目を集めている集団が居た。
金髪碧眼の見目麗しき少年が中心となっている、女が1人と男が3人の集団と、それと相対する蒼髪金眼の瓶底メガネをかけたあかぬけない少女。
金髪の少年はアリエス・エクリス・アルテイオン、アルテイオン王国の第一王子で、王太子でもある。
そして蒼髪の少女はヘメラ・ステラ・ケイオス、ケイオス侯爵家の一人娘で、アリエス殿下の婚約者でもあった。
その言葉にヘメラは少し驚いたような表情を見せたが、それはすぐに髪に隠れ、淡々とした口調で話し始める
「確認ですが、それは私と貴方の婚約を国として正式に破棄されるということでよろしいでしょうか」
「君が学園でアイラ嬢に数々の暴言や暴行を加えた事は知っているんだ、煙に巻こうとしても無駄だぞ!」
頭に血が上っているのか真っ赤な顔をして怒りつつ一方的に叫んでいるアリエスに対し、ヘメラは少し首を傾げて考え込むような素振りを見せ、暫く黙り込んだ後に話そうとしたが、少年の腕に抱き着いたまま怯えたような表情を見せている茶髪黒目の少女、アイラ・ローズウッドがそれを遮って話し始めた。
「散々我慢してきましたが、もう限界なんです! 階段から落とされたり陰口を叩かれたり……」
「ああ! 可哀想なアイラ嬢、この1年はさぞ辛かっただろうに」
それに合わせてアリエスの傍に付いていた二人の少年も次々と非難を浴びせてきた。
一人はコート侯爵家の次男であり、次代の騎士団長と噂されている少年、キュイラー・コート。茶髪緑眼。
もう一人はスティーレ公爵家の三男、こちらも次代の宰相と噂されている少年、ミスト・スティーレ。茶髪蒼眼。
「そうだ!物を隠したり足を引っかけたりと陰湿だと思わないのか!」
「勇者の娘だからとそのような悪行が許される訳では無い! 何か弁解はあるか」
そう、蒼髪の少女ヘメラは、かつて世界を脅かした魔王を倒しその褒美に侯爵位を受け取った勇者の娘であった。そして一国に匹敵する武力を持つ個人を恐れた王が、それを味方に引き込む為に個人に対して平和条約のような物を結んだ。
その内容を簡潔に纏めると、息子が生まれた場合は王家から姫を嫁がせ公爵家に。娘が生まれた場合は王太子と結婚し、次代の妃に、という内容だ。決して男爵家令嬢に対する虐め程度で破棄をして良いような契約では無いし、そもそも冤罪である。
ヘメラは思った「あ、こいつら話通じねえな」と。そして「マジで契約破棄すんの?」と。
「いえ、つまりは婚約とそれに付随する契約の破棄という事ですね?」
「その通りだ、君との婚約は破棄し、こちらのアイラ嬢を次代の妃とする」
「ファイナルアン……、じゃなくて、本当に?」
「ああそうだ、見苦しいぞヘメ」
その瞬間、空間その物を切り裂くかのような赤色の一閃がダンスホールの中央で煌めくと、アリエスの首がポトリと地面に落ち、一瞬の後に首からは血が噴き出し、周囲を血の色に染め上げた。
「平和条約の一方的破棄ってつまりはつまりは実質的に実質的に宣戦布告? だよね? うん、大将首取ったり? いやまだ大将じゃなかったっけ?」
面倒事がちょうど片付いたと言わんばかりに晴れやかな表情をしたヘメラの両手には、二振りの血の滴る剣が握られていた。
右手には聖剣ハーベスター、左手には魔剣エクリプス。聖剣召喚によって勇者の血族のみが呼び出す事が出来る聖剣と、魔剣召喚によって魔王の血族のみが呼び出す事が出来る魔剣だ。
「たしかこの場合まずは大将殺してから包囲殲滅が最適解? とりあえずここを一人も逃がさなければ反応遅れるよね? やっちゃお」
まるで快晴の春にピクニックにでも出かけるような気楽さで振り回された剣は、未だに反応が出来ていない一人の少女と二人の少年の首を撥ねる。ようやく気付いたかのように悲鳴を上げ、もがくかの如く逃げようとする傍観していた少年と少女達、剣を抜き放ち、こちらに向かってくる騎士達。
少年少女が逃げようとするもドアは闇色の結界で封鎖されていた。
一人の少年が窓から逃げようとするも窓は開かず、物をぶつけても傷一つ付かない。
「うおおおおぉぉぉ!」
騎士の一人がヘメラの元まで到達し、剣を振るうもその剣はヘメラに届かず、聖剣で受け止められたその剣は跡形も無く消滅、その後振るわれた魔剣により首を落とされた騎士はその生涯を閉ざす。
それに続いて次々と騎士が襲いかかるが、その全ては一太刀の元に切り捨てられていく。
「うーん、鍛錬不足? 気合不足? どっちでもいいやもう死んでるし」
ダンスホールを警備していた騎士を全て、踊るかの如く切り捨てたヘメラはにこやかな笑顔を浮かべつつ、逃げようとしている少年少女たちの元へ即死魔法を叩き込み確実に殺していった。
「うんうん、探知魔法の反応ゼロ、全滅成功っと……つーぎーはー」
次の布石にと死霊術を利用し一部の少年少女をゾンビとして蘇生し、幻術魔法で顔色が悪いのを誤魔化していく。
「三十分後にここから大慌てで出て行ってー、怯えた表情をしつつ会場が大惨事という事を伝えながら各自の屋敷に帰還、安堵の表情とともに家族に抱き着いて、家族食い殺してから後は暴れて?」
通常の死霊術ではまともな命令は出せないが、魔王の血族であれば簡易的な命令程度ならば出せる。とはいえあまり長期的な命令は出せないのでこれくらいが限度である。
ゾンビに命令を出し、ドレスに付いた血を洗浄魔法で洗い流し、幻覚魔法で会場からにぎやかな話し声が聞こえるようにした後に廊下に出ると、外で警備していた騎士をさっさと殺害し、ゾンビにして警備を継続させヘメラは早速王城に向かって走っていった。
ヘメラがダンスホールから出ておおよそ30分後、夕焼けの色に染まる王城の中は今、血の色に染まっていた。
爆発炎上する尖塔、崩れ落ちる城壁、そして土の槍に貫かれて百舌鳥の早贄のような姿を晒す騎士たち。
廊下にはメイドや執事などの死骸が飛び散り、逃げ惑う者たちも追尾する光の槍に貫かれて死に絶えた。
「やあ、えーと、ピスケスだっけ?」
「……ヘメラか、……王城で暴れるとは何事だ」
ピスケス・エクリス・アルテイオン、アルテイオン王国国王は今、玉座でヘメラ・ステラ・ケイオスと対峙していた。
満面の笑みを浮かべたヘメラに対し、まるで家族の敵を見るかのような憎々しげな表情を浮かべたピスケス。いや、実際に王太子を殺されているのだから「ような」では無いだろう。
少なくとも既に身の回りの世話をしていた執事とメイドはヘメラが入ってくると同時に皆殺しにされているのだ。
「アリエス王太子が平和条約の破棄を宣言しましたので、その首貰いに来ました」
まるで八百屋で野菜を選ぶかのように平然と宣言したヘメラ。そしてそれを見てますます憎々しい表情を浮かべるピスケス。
ピスケスは一度深く息を吐くと傍らに置いてあった剣を手に取り、それをヘメラに向けた。
王剣アルレシャ、アルテイオン王国に代々伝わる国宝の剣で、持ち手に無双の力を与える魔剣でもある。
「和解の道はあるか?」
「血を固めた橋であれば作れるかもしれませんね?」
ヘメラが考えているのは片方が全滅すれば実質和解という悪質極まりない暴論である。だが王としても王太子を殺し、貴族の子息を虐殺した者を許す事は出来ず、そもそもヘメラは妃としての教育という退屈極まりない事をさせられた鬱憤をここぞとばかりに晴らしているのだ。どちらも和解という選択肢は選べないし、選ばない。
「うおおおおぉぉぉぉ!」
剣を振り上げ、決死の一撃を繰り出す国王。
国王は決して武人としての体躯では無く、支配者として恥にならぬ程度の身体能力しか持たないが、王剣がそれを支える。
しかし、それは所詮宮廷剣術では無双という程度であって幼い頃から英雄たる勇者と、魔王によって育て上げられた少女にとっては児戯に毛が生えた程度の一撃に過ぎなかった。
「そうですね、聖剣や魔剣はあまり表に出せませんし、それいただいていきますね」
剣戟の僅かな隙に寸分違わず突き出された魔剣は国王の脳髄を正確に貫き、ビスケス国王は糸の切れた人形のように崩れ落ちた。
ヘメラは王剣を手に取り、鞘に納めて腰のベルトに差すと国王の死体を炎魔法で跡形も無く焼き払い、召喚していた剣を消すと王座に座り込み玉座の間に突撃してきた宰相と近衛騎士たちを堂々と出迎えた。
「こんばんは、良い戦争日和ね?」
「ヘメラ嬢!こんな事をしてただで済むと思っているのか?!」
クスクスと笑いながら話すヘメラと、怒りの表情を抑え込み真顔で追及する宰相、そして怒りを露わにしている近衛騎士団長。宰相は王の不在を不審に思いつつも、なるべく多くの情報を得る事によって優位に交渉を進めようとするが、そもそもヘメラはマトモに話し合う気等皆無である。
「うん、勿論思ってるよー? あ、そだ宰相、私のとーさんをこの国の王にする気、無いかな?」
「……は? 何をバカな事言ってるんだ、ヘメラ嬢の父上は確かに国と世界を救った英雄ではあるが、流石にそのまま王位を譲る等出来る筈が無かろう。……それにその為の婚約であろう? ……まさか?!」
最初は不思議な物を見るような表情になっていた宰相は、自分で話をしている内に僅かな情報から奇しくも現状をほぼ完璧に把握してしまったようで、青ざめた表情でヘメラを改めて凝視した。
「うん、大正解。アリエス王子殿下から一方的な婚約の破棄を受けたので、現在当家とアルテイオン王国は戦争中です」
「ば……馬鹿な、……最悪王都が滅ぶぞ?!」
顔どころか全身真っ青になりそうな表情をした宰相と、剣を抜き放ちヘメラに切りかかる近衛騎士達。
玉座から立ち上がり、近衛騎士達を全て王剣で切り捨てるとヘメラは剣を宰相に向けて最終警告の言葉を発する。
「で、どうする?」
「……すまないが、宰相として国を裏切る訳にはいかん」
「……そう」
ヘメラは剣を振るい、宰相の首を刎ねると無言で玉座の間から出て行った。
ゾンビとなった貴族達が闊歩する上級区画をのんびりと歩きつつ、うまく防衛している屋敷に向かって炎魔法を放ち混乱を加速させ、ヘメラが自宅に向かうとそこには既に父親の勇者と母親の魔王が旅の準備を済ませて待っていた。
「フハハハハハ! やっぱそうなったかー、そっかー! フハハハハハ! 賭けは私の勝ちだなエレボス!」
「くっ……、アレは確かに頭悪いとは常々思っていたがまさかあそこまでやらかすのは想定外だろ……?!」
勇者エレボス・ステラ・ケイオスと、魔王ニュクス・ステラ・ケイオス。二人は今日のダンスパーティでヘメラが婚約を破棄されるかどうかを賭けの対象にして楽しんでいたのだ。
「ちょっと、子供が振られて悲しんでいるのに何賭けの対象にしてるんですか」
「フハハ! 悲しんでる子供が王城制圧したりゾンビばら撒いたりするわけないだろう?」
「……確かに」
その姿だけを見れば母子の微笑ましい会話であるが、場所と内容共に物騒極まり無かった。既に上級区画の大半はゾンビによって占拠されており、この3人が襲われていないのは単に術者とその家族だからというだけである。
家族の周囲は既に大量の貴族ゾンビやメイドゾンビが道を闊歩していて、一部の上位個体となったゾンビは家族に向かってお辞儀をしている。国を直接運営していた人材はほぼ全てが死亡、またはゾンビ化している為、後は勝手に国は瓦解するだろう。
「さて、次の国では俺が勇者だという事は隠して暮らすべきだなぁ……」
「フハハハハ! となると次は私が目立って面倒毎になるんだな? まあ全て吹き飛ばすから安心するがいい!」
「安心できねぇ……ッ!」
魔王ニュクス、真っ白に輝く腰まで伸びた髪に、煌めく宝石のような金色の瞳。ありていに言えば、凄く目立つ。
青髪青目の勇者エレボスもまた美形であり、ヘメラに至っては二人の美貌をそのまま合わせたような絶世の美少女だ。目立ちたく無いが為に瓶底メガネをかけている程である。絡まれる確率を減らすという判断が出来る分だけ、ヘメラは魔王と比べると非常に常識人であった。
この3人、権力や力を見せつけなければ間違い無く絡まれる。そしてニュクスが警告無しに即死魔法をぶっ放すのだ。旅をしていた時の経験で勇者エレボスはそれを良く知っている。魔王からは逃げられないし、魔王は逃げないのだ。それこそどちらかが滅ぶまで戦いが続く。相手は魔王で、人道など気にしても無駄である。邪魔な羽虫を掃っている程度の認識だ。
「あ、私隣のイズモ国行きたい、新興国だけど醤油とか味噌とか出汁とか、調味料が話題らしいよ?」
「おお、貴族の情報網か?こいつら意外と便利だったんだな!フハハハハハ!」
「それにマヨネーズは賞味期限が短いと思うから現地で買わないと、芋蒸かしてマヨと塩胡椒で食べたい」
「は? それは、お得意の創作料理か? 芋は危ないぞ?」
「芽さえ食べなきゃ比較的安全なんですぅー、まったくこれだから勇者は」
「勇者って悪口だったか……?!」
「フハハハハハ! 良いでは無いかショーユだかミソだか知らないが行ってみようではないかエレボスよ!」
「そもそも芋で腹を壊す原因は芽や緑色になった皮にソラニンと呼ばれる毒素が存在してですね……」
周囲の人間がゾンビで襲われるのを眺めながら3人は大通りを仲良く話しながら歩いていた。助けを呼ぶ声などガン無視である。魔王は家族の団欒に水を差すなという主張をしていた。平時であれば正論である。
やがて門に付くと、門番はまるで救いの神が現れたかのような反応をした。
「おお! エレボス殿! 勇者殿が来てくれたなら百人力だ!」
「すまないが今から旅行に行くつもりだ、出国手続きを頼む」
「……は?」
その会話で一転、絶望した表情で勇者の顔色を窺いながら出国手続きをする門番は、助けてくれないのでは無いかという考えと、何か必要な事があっての事かもしれないという考えが交差し、戸惑いながらも規則に則り出国手続きを済ませると勇者を送り出した。
結果から言うと勇者が門番を助けに来る事は無かった。目的は本当に旅行であり、そこに深い考えなど全く無いのだ。当然である。
そして出国した勇者一行は長い旅路を経てイズモ国に到着した。前の国では結局国を出る事になったが、今回こそ勇者という事を隠してゆっくりと暮らそうと、決意を新たに門をくぐり家を借りる為にギルドへ寄った勇者一行。
「おいそこの女ァ!」
どことなく高価であろう服を着た青年が、さっそく、あろうことか、魔王ニュクスにちょっかいをかけようとしていたのだ。
「ちょ、ちょ、ちょっと……待てェ!そいつは俺の連れだ、女に飢えてるなら他を当たれェ……ッ!」
あわてて勇者という事を表す勲章とギルドの最高ランクを示すギルドカードを見せびらかし、ニュクスを回収する勇者エレボス。半日持たず決意が崩壊したが、このままなし崩し的にまた王都が廃墟となるよりはマシと判断したのである。
勇者の実力は近隣の国であればどこでも理解されているのだ。これで多少の面倒事には巻き込まれるだろうが、最悪のケースは逃れられるだろう。
既に息絶えている青年を見て、勇者エレボスは現実逃避をしながらそう考えた。