街に来た、その日の出会い
夜の街を、一人の少女が駆け抜ける。
そしてその後を追うように、さらに一人の男が駆け抜けていった。
知り合い、という雰囲気には到底見えない。恐怖に顔を引きつらせ逃げている少女の顔を見て、あの男が少女の知り合いだと言う奴がいたなら、間違いなくその目は節穴だ。
魔力操作を行って、走る速度を上げてまで逃げている。
もし今の時間が真っ昼間だったり、逃げている場所に少しでも人通りがあったなら、この異常事態を誰かが察し、警察を呼ぶなりして対処してくれていただろう。
動く二つの影の速度は、人の目で追うことなんて出来ない。一陣の風が駆け抜ける、という言葉がピッタリな程だ。
それだけでこの状況が、異常事態だということをしらしめてくる。
しかし今は暗い夜の世界。
この速さの異常事態を見つけられる人自体の数が少ない。
でもだからといって、少しでも人の目に留まってもらうためにと、少女が走る速度を落とすことが出来るかというと、そんなことは無い。
魔力操作で強化された、大の男一人の速さから逃げ続けているのだ。
それはあらゆる意味での全力疾走を意味している。
速度を少しでも落とした瞬間、今の均衡が乱れてしまい、すぐに捕まってしまうだろう。
「っ!」
その均衡は、唐突に破られた。
第三者の手によって。
ガラガラガラ……!!
そう闇夜の中に響く木箱が倒れる音。
倒れる音……というよりか、突っ込む音、というべきか。
路地に突然現れた人影に驚き、全力を出しながらも何とか避けようと身体を捻ったその瞬間──その飛び出してきた男に腕を引かれ、投げ飛ばされたのだ。
「ぐぅっ……!」
少女らしくない、痛みを堪えるような嗚咽。
そんな声すらも、さらに倒れてきた荷物の音で掻き消える。
この音に釣られて、近隣の住人が見に来てくれる……なんて希望は持てない。
厄介事なのは明白なのだ。
酔っ払い同士の喧嘩にすら、誰も好き好んで顔を突っ込まないものなのだから。
「ひゅ~……かん、ぺき☆」
飛び出し、腕を掴んで投げ飛ばした男の自画自賛声。
「おう! バッチリじゃん!」
そんな彼とすれ違うように、少女を追いかけていた男が二歩三歩たたらを踏むよう身体にブレーキをかけつつ、その場に到着する。
すれ違いざまのハイタッチの音が、物が倒れる音が響く中でも、嫌に大きく聞こえてきた。
「な、なんで……!」
倒れてきていた木箱をどけ、何とか上体を起こしながら、少女が声を絞り出す。
何とか逃げ出せないものかと首を左右に振り……ようやく気付いたのかもしれない。
逃げていると思っていた自分が、追い詰められていたことを。
全力を出さなければ追いつかれていた。
だから他に目をくれること無く走り続ける必要があった。
しかしそれは同時に、自分が逃げ場のない場所へと追いやられていても、気付けないことに他ならない。
逃げている途中、チラりと視線を後ろにやった時、相手との距離が少しでも詰まっていれば、つい曲がってしまうもの。
ましてや、直線で逃げている時は徐々に距離を詰められ、曲がれば開いていることを悟ってしまえば。
その際、相手が少し右側に寄っていれば左に曲がってしまうのもまた、逃げる側としての本能としては当然だったとも言える。
その結果が、この人気のない、人が二人並んで歩くのがやっとの広さしかない、建物の背面が立ち並ぶ袋小路の中、というわけだ。
「てきとうに追いかける訳無いじゃん。ちゃんとこっちだって準備してるって訳よ」
ほんの少しだけ開けた場所。
投げ飛ばされた彼女の後ろにある家をもし飛び越えることが出来たなら、すぐさま大通りに出て、逃げることが出来ただろう。
そんな街中の、建物で作られた凹みのような場所。
「本当、ガキって捕まえやすい上に金になるから、こっちとしても助かるわ~」
と、そこへと少女を投げ捨てた男が、自分の両ポケットに手を突っ込み、腹立だしい笑みを顔に貼りつかせ、ゆっくりと彼女へ近づいていく。
「しかも魔法使って逃げたってことは魔法使いってことっしょ? より金になるって話よ」
追従するように、彼女をここまで追い詰めた男も歩いてくる。
その速度は、あくまでも緩やか。
相手に考える時間を与えることで、自分が逃げることのできない状況だとさらに理解させ、恐怖心を植え付けようとしている。
「あなた達……私と同じ魔法使いでしょ!? それがなんで、こんなことを……!」
気丈に“振る舞っているようにしか見えない”少女の言葉。
足と声があそこまで震えていては、逆に相手の嗜虐心を刺激するだけ。
男たちの狙い通りに、恐怖しているのが分かるだけだ。
「なんで? だから、金のためだって言ってるっしょ?」
「分かってないな~。魔法使いは売るとこ売れば金になるの。ま、俺達は頼まれただけだけど」
下卑なニヤついた笑みを浮かべながら、相も変わらずゆっくりと歩いてくる。
少女は思わず、腰を上げることなく後ずさるが、そこには自分が衝突して少し窪んでしまった木箱と、粉々になってしまった木片が足元に転がるだけ。
「わ、私が魔法使いってことを知ってるなら、ここで倒されるとは思わないの!?」
「もしそうなら、逃げてる途中でどうにかしてるっしょ?」
「だ、大体、同じ魔法使いが、魔法使いを売るだなんて……!」
「俺達にはそんなに魔法の才能が無くてね~。でも、その辺の人間みたいに働くのもイヤなんだよ。
だからま、魔法を活かした誘拐ビジネスってのも、悪くねぇと思う訳よ」
「そん、そんなの……! あなた達の、努力不足で……!」
「そう。昔の俺たちは努力をしてこなかった。
だから今努力して、若い子を誘拐するための努力をしてる。それだけの話な訳よ」
「それだけの話、って……!」
「まあね? その相手に偶然選ばれちゃって、残念ってことで──」
──その言葉の途中で、少女の身体が動いた。
不意に姿を現し、彼女を投げ飛ばした男──彼女を追いかけていた男よりも少し前歩いていた男が、その一歩を踏み出したその瞬間に……手に隠し持っていた木片を──彼女の手首から肘までの長さはあろうその凶器を、相手の胸目掛けて突き出した。
夜の帳が下りる時刻。
建物で出来た暗がり。
街灯も届かぬそこは、手を下げていれば、そこに何かを持っていても見えはしない。
まして、男たちは油断している。
これから誘拐されることに怯えているように見えていた少女が、何かしてくるとは思ってもいない。
その隙を衝いた、完璧な一撃。
後はそのまま駆け抜けるよう、再び足に魔力を込めて走り出せば逃げ出せる。
「優しいねぇ、お嬢さんは」
──きっと、誰もがそれを考え、やってきた。
「っ……!」
掴まれた。
その木片を。
魔力を込めた、その手で。