#02-05.「ギャルJKのために花火大会を救ってみた」
「どうした? ニコ? 浮かぬ顔だな」
授業の合間の休み時間。
窓枠に顎をのせて、ぐだーっとへたっている咲子に、イッセーは声をかけた。
「……」
咲子からの返事はない。
現在、好感度はマイナス一億点……のはず。
学校で声かけても、つーん。
バイトでも、つーん。
ここ数日、とりつく島もなかったのだが、今日の咲子はずいぶんと元気がなかった。
いつもの「呼び捨てすんな」の言葉さえ返ってこない。
なにかすこし寂しい。なにかすこし物足りない。
「ニコ。パンツを見せてくれ」
「……」
もののためしで言ってみた。
いつもなら「ふっざけんな!」と、すごい嫌なものを見る目つきで睨まれるのだが。
最近、それがなんとなく日常となり、習慣化しつつあるのだが。
今日はそれさえもなかった。
「ぎゃははは! ニコ! 余がパンツを見たいってさー!」
咲子のギャル友達が、怪鳥のようにけたたましい声をあげる。
「アタシのみるー?」
「いや。安いパンツはノーサンキューだ」
「あっはははーっ! アタシのパンツは安いってかー! そうだけど!」
菜々子のやつも、身長の高さまでお札積んでくれたら見せますよー、とか言ってくるのだが……。いつでも見れるパンツは、どうも見る気が起きない。パンツならなんでもいいというわけではない。
「ニコ。元気がないように見えるぞ。どうかしたのか」
嫌な顔を期待しての言葉ではなく、友人として、真面目に心配して声をかけてみた。
咲子はしぶしぶといった趣で、顔を持ちあげた。
「はあ……。空気読めよ」
「余は天才であるが、そのエアリーディングという超能力は、持ち合わせていなくてな」
「屋上」
「む?」
「わたし行くけど。ついてくるんなら。……ご勝手に」
そう言うと、咲子は廊下に出ていってしまった。
イッセーは教室に残された。
「余? いかんの?」
ギャル友達がイッセーに言う。
「なぜだ?」
「あれ――、屋上でワケを話してやっから、ついてこいって意味でしょ?」
「そうなのか!」
「なのか――、じゃねえよ! イケっての!」
ギャルはイッセーの脚を蹴ってきた。このギャルは空手だかムエタイだかをやっているので、蹴りは本格的だ。
「ふむ。では行ってこよう」
イッセーは屋上に向かった。
◇
昼休み以外には、屋上にはあまり人はこない。
咲子は鉄柵にもたれかかるように立っていた。
イッセーが近づくと、咲子は校庭にぼんやりと目を落としながら、顔も向けずに、つぶやくように話しはじめた。
「わたしさ。……トモダチいるの」
「うむ。おまえはクラスでも人気者だな。ギャル仲間もたくさんだ」
「そういうんじゃなくて……。大切なトモダチ。クラスは違うけど。D組の梓川……、って、しらないか」
咲子は決めつけていたが、イッセーはじつは全校生徒の名前を知っていた。
なにしろ天才なので。
梓川というのは、咲子とは違って、地味な感じの女子だった。
自分の前髪を指先でもてあそびながら、咲子は言う。
「わたしさ……。中学の時って、髪もこんなんじゃなかったんだよ? ……もっと地味でさ。髪なんて真っ黒で……。高校デビュー! しちゃったもんで……。あとクラスも違っちゃったしで……。アズサとはちょっと遠くなってたんだけど。でも大事なトモダチなの」
「そうか」
いわゆる〝親友〟と呼ばれるものなのだろう。
だが〝親友〟という言葉を容易に使わないあたり、咲子らしいと、イッセーは思った。
「アズサ……、引っ越しするんだって」
「いつだ?」
「二学期になったら……、もういない」
「そうか」
「花火大会……、あるじゃん?」
「来週だそうだな」
近くの土手で花火大会がある。毎年恒例となっている。
「あれ。中止になるかもしれないんだって」
「ふむ?」
中止になるのか。なぜだろうか。
「アズサと一緒に……、二人で……、最後に花火見ようねって、約束してたんだけど……」
なるほど。理解した。
離ればなれになる親友との最後の約束が叶えられなくなるので悩んでいたわけだ。
「ニコ……」
イッセーは咲子の隣に並んだ。三十センチの距離を間に置いて、ただ傍らに寄り添った。
二人並んで、時間が過ぎてゆく。
「あー、ごめん! こんな話をしたって、どーにもならないよねっ!」
咲子はしばらくすると、イッセーに顔を向けてそう言ってきた。
「空気読めないあんたなんかに、心配させちゃって、ごめん!」
空気こそ読めないが、咲子の様子が変なことには気づいていた。
なぜなら、ここのところずっと、咲子のことばかりを見続けていたからだ。
「でも聞いてもらえて、すこし楽になった。そっかわたし。あんたが気づくほど、ようすがおかしかったんだね……」
咲子は噛みしめるような顔で、そう言った。
「ごめんね。ありがと。こんな悩み、みんなには言えないし。聞いてくれて助かったよ」
「ふむ。なにに感謝されているのかは、よくわからないが……。感謝したというなら――」
「ストップ。その先はゆーな。まーた、引っぱたかなくちゃならなくなるでしょ?」
疑わしそうな目つきを向けてくる。
ふむ。好感度とやらがまだ足らないようだな。
ここは引いておこう。イッセーはそう判断した。
◇
「花火大会。……で、ございますか?」
屋敷に帰り、ちとせに訊ねる。
「うむ。中止になりそうだという噂があるようだが。理由と原因を調べろ」
「はあ。わかりました」
そう言ってから、ちとせは不思議そうな顔をイッセーに向けてきた。
「あのう……」
「なんだ?」
「ひょっとして、咲子さん絡みですか?」
「なぜわかったのだ?」
「いえなんとなく。強いて言えば女の勘というやつでしょうか」
「はあはあ、なるほどなるほど。咲子さんのために、その花火大会をなんとかしたいという話なのですね」
「そうだ」
「ふふふっ……」
イッセーはちとせを見返した。
なぜ微笑む?
「いえ。お坊ちゃまが他人のことをそれほどお気になさるなんて……。はじめ、パン――下着を見たいなんて言い出したときには、どうしたものかと思いましたけど。他人の心を案じられるようになったり、悪いことばかりでもないのかなーと」
「他人ではないぞ」
「えっ?」
「余がパンツを見たいと思った相手は、既に他人ではないからな」
「あっ……」
ちとせは言葉を飲みこんだ。
その意味を解してゆくにつれ、頬がちょっと熱くなる。
お坊ちゃまは、いまは咲子さん――正確にはそのパンツ――に夢中であるが、そのまえの標的は自分であったわけで……。
他人ではない、などと言われると……。困ってしまう。
「とにかく任せたからな」
「はい。承りました」
ちとせはうなずくと、主のために紅茶を淹れはじめた。
◇
花火大会の運営本部では、どんよりと重たい空気が立ちこめていた。
地元の商会長。協賛企業の担当者。大勢の大人たちの顔には諦めた色が浮かんでいる。倒産前の会社のような息の詰まる雰囲気だった。
さんざん引き伸ばしてきた結論を、今日、いま出さなくてはならない。
何十年もの伝統のある花火大会だが、その開催が、今回は大変なピンチにあった。
巷でも噂になっている。
花火大会を行うには大勢の警備員が必要なのだが、その警備員が集まらない。
昨今の人手不足と、人件費の高騰とが理由だ。
無理をして集められない事もないのだが、確実に予算オーバーとなってしまう。
今年はなんとか借金をして開催したとしても、来年以降はどうするのか。
開催費用がこのままであれば、来年以降、どんどん借金が膨らんでゆくばかりだ。
引くのであれば、傷の浅いうちだろう。
「やはり今年の開催は……」
本部長は、ようようのことで、重たい口を開いた。
苦渋の決断を口にしようとする。
「やはり中――」
そのとき――。
「ちょおぉっと待ったあぁ!」
会議室の扉が、ばーんと開いて、部外者が入ってきた。
若い男と、かしづくようにその後につづく、黒い服――メイド服の女。
「な、なにかね君たちは!?」
「事情はすっかりわかっているぞ! カネだな! カネで解決する問題なのだな!」
乱入者はまくしたてるように、そう叫んだ。
「そ、そうだが……?」
乱入者の勢いに押されて、誰何も忘れて――本部長はそう答えてしまった。
「ならば問題ない! カネならある! さあ花火大会を決行するがよい!」
男が顎をしゃくると、もう一人のメイドがジュラルミンケースを台車《、、》に載せて運んでくる。
ぱかりと開かれたスーツケースの中に入っていたのは、ぎっしりと詰めこまれた一万円札の束。
束。束。束。
「うおっ!」
本部長は絶句していた。
「とりあえず二億円ほど現金で用意した。足りなければ言うがよい」
「あ……、あなた様は……?」
テーブルの上の現金と、謎の乱入者の顔とを、交互に見比べながら、本部長はようようのことで、そう言った。
「名乗るほどの者ではないが、NPO法人――HOMとでも名乗っておこう」
「HOM?」
「花火を大いに盛り上げよう、の略だ。花火大会の開催を応援するぞ。今年だけでない。来年も再来年も安心しろ」
そして男はきびすを返すと、入ってきたドアに向かった。メイド二名が、しずしずとその後についてゆく。
「そうだ。――ひとつだけ、要望があった」
男は出てゆく前に振り返ると、そう言った。
本部長は、おずおずと聞く。
「な、なんでしょう……?」
「せいぜい盛大な祭りにしてくれ」
◇
花火大会の当日。午後7時。
からん、と下駄を鳴らして、イッセーは河原を訪れた。
後ろにはちとせと菜々子の浴衣姿もついてきている。ちとせは浴衣の着こなしも落ちついたものだが、菜々子のほうは巾着袋をぶんぶんと振り回して、屋台の食べものを次々と指し示しては騒がしい声をあげている。
運営本部の前を通りがかると、ハチマキを巻いた本部長が気づき、駆けよってこようとしたが――手で制した。
今日は一般の見物客としてやってきていた。
「お坊ちゃま。右前方。藤野咲子さんです」
ちとせが言う。
イッセーも咲子の姿をすでに人混みのなかに見つけていた。
「いや。せっかくの逢瀬だ。二人きりにしておいてやろう」
二人は抱き合って泣いていたからだ。
いかなイッセーとて、いまそこに他人が割りこんでいいものだとは思わない。
イッセーは距離を置いて、二人を見つめた。
川面と、二人と、花火とが、すべて視界に収まる位置から、ずっと二人を見守った。
「しかし……」
と、イッセーは、傍らのちとせに目を向けた。
彼女の浴衣姿を、上から下までつぶさに眺める。
「しかし?」
期待する色を顔に漂わせて、ちとせが問いかける。
「メイドからメイド服を取ると、なにも残らんな」
ぴきいぃ、と、ちとせのこめかみに青筋が浮かんだ。
「お坊ちゃま……、そこはお世辞であっても〝似合っているぞ〟とか、言うところですよ」
「そういうものか?」
「そういうものです。お坊ちゃまは、女心というものを、まるでわかっておいででありません」
女心、いま、関係なくね? ――と、イッセーは思ったが、なにやら怒りのオーラを発しているちとせに言うことは控えておいた。
エアリーディングという超能力は一向に身につかないが、他人が怒っているかどうかくらいは、見分けがつくようになってきた。
これまではまったくそういう部分に関心を払っていなかったので、自分でも長足の進歩だと思う。
「ご主人さま! ご主人さま! ごしゅじんたまー! あれ食べていいですかーっ! ああっ! あっちもおいしそう! こっちもおいしそう!」
「好きにしろ」
菜々子に言う。
本日のこれは仕事ではなく余暇のつもりだ。特別の〝おこずかい〟も与えてある。
しかし、余暇だというのに……。
花火客の合間に、ところどころ、黒服黒メガネの男たちが見え隠れしている。豪徳寺の近衛衆の者たちだ。
いついかなるときでも、主であるイッセーを守るのが彼らの役割だ。人混みの中での警護は、さぞ大変だろう。あとで臨時の報酬を与えてやらねばな。
「お坊ちゃま。ボーナスよりも、ねぎらいの言葉のほうが喜びますよ」
「おまえはなぜ余の考えることがわかるのだ?」
イッセーの問いに、ちとせは片目をつぶって、「メイドですから」と答えてきた。
わけがわからん。
「水あめ十本も当たっちゃいましたー!」
菜々子が戦利品を両手の指すべてに持って帰ってきた。
一本だけ受け取って、口の中に入れた。
うむ。甘いぞ。
◇
咲子とトモダチの二人は、並んで花火を見ている。
やがてトモダチが、咲子の耳元に口を寄せて、なにかを言った。
咲子もトモダチに、なにかを言う。
イッセーの距離からは声は聞こえないものの、その口が「ばいばい」と動いたことは、容易に見て取れた。
指先だけを振り合って二人は別れた。
そして咲子は、イッセーのほうに、迷わずまっすぐに歩いてきた。
メイドたちがこっそりと傍らから離れてゆく。
イッセーは咲子を出迎えた。
「まだ花火は終わっていないぞ」
「気を使われちゃった。彼氏を放置プレイでいいのかって。……そんなんじゃないのにね」
「お別れは、もう済んだのか?」
「うん」
別れの感傷だとか、そういった凡人の感性は、イッセーにはいまひとつわからない。それがどういう感情なのか、そもそも理解ができないし、およそ自分がそうした感情に悩まされることはないと思える。
だが理解できないということと、配慮できないということは別だ。
咲子と接することで、イッセーはそのことを学んでいた。
些末なことで大いに悩むのが凡人というものなのだ。原因と理由については理解できなくとも、感情、それ自体は尊重することができる。
混雑を避けて、人気の少ないほうへと、二人で並んで歩いてゆく。
「ああ、ほら……。もうすぐ最後の花火があがるってさー」
咲子がなにかを指差してはしゃぐ。
その手の動きで、浴衣の袖が振られる。
「最後、すっごい、連発でいくって」
咲子と二人で並んで立ち、花火を待つ。
「ねえ、イッセー……」
ふと、咲子が言う。
「なんだ?」
「あのさ。……へんなこと聞くけど、ごめんね」
「べつにかまわんぞ」
「今日のこの花火大会が、突然、中止じゃなくなったのって……。もしかして、イッセーのおかげ?」
「どうしてそう思ったんだ?」
「さあ……。なんとなく……。なんでだろ。おかしいよね。高校生がこんなこと、どうにかできるわけないのにね」
じつは出来ちゃったりするわけだが。以前、背の高さまで札束を積んでみせたこともあるのだが……。あれはなんだと思っているのだろうか。本物の金ではないと思われているのかもしれない。
「さてな。おまえの想像にまかせるとしよう」
「なによそれ」
咲子は笑った。
そして不意に笑うのをやめて、うつむき加減にイッセーに言う。
「……ありがと」
「感謝か。それならば言葉よりも他の形でもらいたいところだな
「え、エッチなこととかは――ダメだからねっ!」
「エッチ?」
はて? これまでにそんなことを要求したことがあっただろうか? というか〝エッチ〟とは具体的にどういうことだ?
ただ「パンツ」を見たいだけだ。
それはエッチとは無関係だろう。……そのはず。
「また言うんでしょ。……見せろって。でもそういうの、順番がちがうよね。でもちゃんと付き合うんだったら、そういうことだって――」
なにか思い違いをしているらしい咲子が、早口でまくしたてる。
最後まで聞かずに、その話を止めさせる。
「ニコ」
「な、なによ?」
「パンツを見せてくれ」
当初からの目的を、咲子に告げる。
「もう! やっぱそれ! またそれ! だから言ったでしょ! いま言ったでしょ! そういうのは、ちゃんと付き合ってからだって――!」
これまでのように張り手はこなかった。咲子は顔を赤くさせながら、大声で叫んでいる。
「いや。パンツだけで結構。〝付き合う〟というのは、どういうことか、よくわからんが、そっちはしなくていい」
「……は?」
咲子の顔が、固まっていた。
「ふーん……。あっそう……。そうなんだ……。付き合うつもりはないんだ」
目の色が、すうっと冷めてゆく。
「それで? パンツが見たいって?」
「うむ。余はパンツが見たいぞ」
「いいわよ。見せてあげるわよ」
おお。
その言葉に、イッセーは歓喜した。
前に回って、よく見える位置に陣取る。
通行人は、若干、いないこともなかったが――。脇から現れた謎の黒服黒メガネの連中に連行されてゆく。
無人の空間が、咲子とイッセーの周囲にできあがった。
咲子は物凄い目でイッセーを見ていた。
眉間には縦皺が寄りきり、その表情は、静かだが高圧の感情で満たされている。
だがイッセーはまったく気にしていなかった。
おパンツ。おパンツ。おパンツ。ようやくおパンツが見れるぞ。
最後の打ち上げ花火のラッシュがはじまった。
それを背景に背負いながら、咲子は言った。
「その目、見開いて、ようく、目に焼きつけな」
もちろんだった。
浴衣の裾が持ちあげられてゆく。左右に開かれるようにして、裾が割れてゆく。
生の脚の白さと、夜の闇のコントラストとが、見事だった。
――と、そこへ花火があがった。七色の彩りが加えられる。
浴衣の裾が太腿を超えて、さらに持ちあがる。
いよいよ、その瞬間がやってきた。
「おお……っ!」
紫だ。
咲子のおパンツは、紫だった。
そして縦縞だ。縦のボーダー柄だった。
「これで満足? この変態が」
「……はふう」
イッセーは、満足しきって……。ため息をもらした。
よいものを見た。
この数日、イッセーを突き動かしつづけていた、飢えと渇きに似たような感情は、完全に満たされた。
充足しきって、イッセーは至福のひとときに浸っていた。
花火が終わった。
大会の終了を告げるアナウンスが流れはじめる。
観客たちが動きはじめる。ざわざわと周囲が騒がしくなってくる。
イッセーは咲子に片手をあげると、すちゃっと合図した。
「明日! また学校で会おう!! アディオス!!」
そしてスタスタと帰っていってしまう。
あとには一人、咲子だけが取り残された。
「……ばか」
咲子は小さく、口の中でつぶやいた。
ギャルJK編。完結です。
毎日更新は今日までで、次回の更新は1週間後になります。更新時間も変更となり、毎週火曜の夜19時を予定しています。
次回からは「本屋さん編」です。「次回予告」的なものを、あとで1話分、書いておきまーす。