#02-03.「ギャルJKのためにM&Aしてみた」
「なぜだ――っ!?」
屋敷中に響き渡る大声に、ちとせは眉間を揉みほぐした。
この展開、前にも覚えがある。
「なぜだ! どうしてだ!」
「なぜと申されましても、主語と述語を省略されましては、なんとお答えしようもないのですが」
どすどすと足並みも荒く、部屋の中に入ってきたイッセーに、ちとせはそう言った。
「おまえの言うとおりに〝好感度〟とやらを稼いだ。だがパンツは見せて貰えなかった。だから、なぜだ、と聞いている」
「お坊ちゃま……」
ちとせは、長い長いため息をもらした。
「……まさかとは思いますけど、また言われたんですか?」
「なにをだ?」
「ですから、パン……下着を見せろと、そう迫られたんですか?」
「無論だ」
「それじゃこの前と同じじゃないですか」
「だがおまえが好感度を稼げばよいと――」
「はい。好感度を稼ぎましょうとは言いました。充分に信頼されてからなら、そのように見事な手形を貰ってくることもなかったはずですけど」
「痛かったぞ」
「当然です。乙女の怒りを思い知ってください」
「そういえば、なぜ怒る?」
「お坊ちゃまには決して理解できないでしょうから、説明する気もございません」
「まあ、それはどうでもいい」
そう言うイッセーに、ちとせは、はぁ、とためいきをついた。こういう主人なのだ。
このまえ自分が怒った理由についても、「どうでもいい」で片付けられてしまっているわけだ。
「問題は好感度です」
「好感度であれば充分に稼いだはずだ。なにしろ一日も続けていたのだからな」
「信頼を築くにはもっと長い時間が必要です」
「なんと」
「またマイナス一億点に戻ってしまいましたよ」
「な、なんだと……」
イッセーは愕然としていた。
「ご主人様、フリダシに戻っちゃいましたねー」
お茶の用意をしている菜々子が、イッセーに言う。
スコーンをつまみ食いしながら、紅茶をどぼどぼと雑に注いでいる。
――ああもう、なにやってんだか。
イッセーとちとせが、二人してぎろりと睨みつけると、菜々子は、びくう、と、怯えた顔になった。
「……で。ここからはどうすればよい? 正直、おまえだけが頼りなのだ」
ちとせの胸が、ずくん、とうずいた。
ずるい。ちょっと困った顔をして、そんなことを言って――。
もうこの人は、本当に……。こちらがどんな言葉が欲しいのか、本能的にわかっているというか……。
一番言ってもらいたいことを、一番言ってもらいたいタイミングで言うんだから……。
本当にずるい。人たらしだ。
ご主人様から頼られるなんて、メイド冥利に尽きる。
「きっとこんなことになるだろうと思って、手は打ってあります」
「ふむ」
「お坊ちゃまが簡単に目的を達せられるとは思っておりませんでしたので」
「ふむ。余は信頼されていないのだな」
「いいえ」
ちとせは、にっこりと微笑んだ。
「信頼しております」
ご主人様が、フラグをへし折ってくるであろうことを、ちとせは完全に信頼しきっていた。
「きっと次の手が必要になると思いましたので……。我が家の手の者に調べさせてあります」
「おお」
ちとせはテーブルの上に、資料を並べた。
「あー、黒メガネ部隊の人たちですねー。大変ですねー。探偵さんみたいなお仕事もするんですねー」
資料の隣に紅茶を添えながら、菜々子が言う。
たっぷり焼いてきたはずのスコーンは、一枚しか残っていない。
「その言いかた、おやめなさい」
「だって黒メガネじゃないですかー」
「彼らには近衛衆という呼び名があります」
豪徳寺家に何百年も前から、先祖代々、仕えている者たちだ。本来の仕事は屋敷および主の警護であるが、その他の仕事も必要があれば遂行する。
「彼女に関するデータを収集しました。家族構成。趣味趣向。好きなタイプ嫌いなタイプ。中学校時代の素行。プロファイリングに必要なあらゆるデータが揃っております」
「ふむ」
「それによりますと、彼女の理想の男性像は、常に自分を見てくれていて、支えてくれる頼りがいのある男性。――となりました」
「はーい! センパイ! センパイ! センパーイ!」
菜々子が手をあげて、ジャンプまでしている。
「……なんですか。菜々子」
ちとせは嫌々ながら、菜々子に言った。
「たいていの女の子は、みんなそうなんじゃないかと思いまーす!」
「……で、結論は?」
「はい。結論は――」
ちとせとイッセーは、菜々子を無視して、話を進めた。
「――接触時間を、もっと増やしましょう」
「学校では一緒だが?」
「学校以外でもです」
「ふむ」
「彼女――藤野咲子さんは、週に三日、某外食チェーンのファミレスでアルバイトをしています。そちらでも一緒にいることで、より接触時間を増やすことができます」
「アルバイト……。非正規雇用の時間制労働者のことだったな」
イッセーは記憶を探った。〝労働〟という概念は、彼にとって縁遠いものだったが、知識としては知っていた。
「同じ職場でともに働く〝仲間〟として過ごすことで、学校よりもより濃密に接触することができるのですが……」
「……が?」
「ひとつ問題が」
ちとせは頬に手をあてて、ため息をつきながら言った。
「お坊ちゃまには、無理なんです」
「なぜだ?」
「お坊ちゃまは面接で落とされます。雇用してもらえません」
「だからなぜだ?」
「お坊ちゃまには決してわからない理由です」
ちとせは大きくため息をついた。
こんな人が面接に行って、受かるわけがない。この求人難の、こんな時代であっても、絶対に無理。すくなくとも自分なら落とす。確実に。
「ふむ。なぜか理由まではわからんが、余は採用試験とやらに合格しないのだな?」
「その通りです」
絶対の確信を持って、ちとせは答えた。
「ならば、買え」
「はい?」
イッセーの言わんとすることが、いまいち理解できなくて、ちとせはバカみたいに聞き返した。
「そのファミレスは、どこぞの外食チェーンが経営しているのだったな」
「はい。その通りですが……」
「では、そこのチェーンを買え。M&Aを仕掛けて、買収しろ」
「……はい?」
ちとせは――。馬鹿みたいな顔をして、問い返した。
言ってることがわからない。
いや言ってることはわかるけど。なにを言ってるのかわからない。理解できない。
「通常ルートで労働者として採用されることが不可能でも、その会社の経営権を握れば、業務命令を下して、余を採用させることは可能だろう」
ちょっとなに言ってるのか、わからない。
「労働」という言葉の意味を小一時間ほど説明してさしあげたい。
「え、ええと……」
「返事は? はいかイエスで答えろ」
「ご主人様ーっ! それどっちも同じ意味だと思いまーす!」
「は……、はい。わかりました。ただちに買収の手続きに入ります」
ちとせは、ようようのことで、そう答えた。