#02-02.「ギャルJKに優しくしてみた」
「おはよう。咲子」
朝、学校の教室にて――。
教室に入っていった一斉は、咲子の姿を見かけて、朗らかに声をかけた。
「呼び捨てすんなし」
じろりと睨まれ、不機嫌そうな声で、そう言われる。
「おはよう。藤野咲子」
「呼び捨てのままかよ。――ていうか、話しかけんな!」
「ふむ」
つまり、下の名前で呼ぶか名字をつけるか、敬称を省略するかどうかに関わらず、会話不可ということだ。
これが好感度マイナス一億点とやらの効果か。
「同級生としての朝の挨拶もだめなのか?」
「あんた? 昨日、なにしたか、覚えてないの?」
「記憶力に関しては自信がある。赤子のときからすべての記憶がある」
「じゃ、なにしたかも覚えているわよね?」
もちろん、覚えている。
「うむ。パンツを見せてくれと――」
「だから! 言うなーっ! ――てか! 話しかけんな!」
それ以降、咲子は口を開こうとはしなかった。
◇
朝のHRが終わり、一時限目の授業がはじまる。
隣の席で授業を受ける咲子を意識しながら、イッセーは授業を受けていた。
ちとせに言われたことを思い出す。
いわく――。
「好感度」を稼ぐには、〝優しく〟するのが良いらしい。
〝優しく〟するというのが、具体的にどういうことなのか、イッセーにはいまひとつわからなかったのだが……。
ちとせが言うには――。
「落ちたぞ」
隣の机から、ころんと転がり落ちた消しゴムを、イッセーは拾ってやった。持ち主の机に戻す。
はじめ、目をぱちくりとしていた咲子だったが、ややあって――。
「あ、ありがと……」
小さな声で、そう言ってきた。
会話禁止だったはずだが……。どうやら解除されたらしい。
ふむ……。
これが〝好感度〟を稼いだということか。
ふむ。ふむふむ……。
なるほど。
◇
二限と三限の合間の休み時間。
「ったく。なんでわたしが……」
咲子は大きな段ボールを抱えて、地学準備室から出てきた。
運悪く教師に捕まって、資料を教室まで運ばされる役を仰せつかってしまったのだ。
なにが入っているのか、段ボールはずしりと重い。
こんな重量物を女の子に持たせる教師に、呪われろ、とか思いつつ、咲子がふらふらと歩いていると――。
「持とう」
「えっ?」
咲子が目をぱちくりしている間に、イッセーは横から現れて、段ボール箱をスマートに奪い去っていた。
「えっ? あっ――ちょっ!」
咲子は慌てて、イッセーを追いかけた。スタスタと歩くイッセーのまわりを回りながら話しかける。
「べ、べつに! 持ってなんて言ってない!」
「こんな重たいものを女子に持たせるあの教師は、まったく、ひどいやつだな」
「え? あ? う……、うん」
さっきまで思っていたのと同じことを言われ、咲子は、つい、うなずいてしまった。
優しいところ、あるじゃん。――と、すこしばかりイッセーを見直した。
咲子はイッセーと並んで歩きながら、一緒に教室に向かった。
◇
四限目には、ミニテストがあった。
その最中、咲子は最大のピンチを迎えていた。
やっべー。
芯がない。
シャーペンの芯を切らしてしまった。
もうすぐなくなっちゃうなー、とは思っていたのだ。
買っとかないとなー、とは思っていたのだ。
こんどコンビニ寄ったら買っとこ、とは思っていたのだ。
そう思いはしたのだが、すっかり忘れていた。
あーもー、どうしよう! センセに言えばいいのかな。でも恥ずいし。
と、咲子が迷っていると――。
机の端に――すっと、シャー芯が何本か現れた。
隣の席のイッセーが、答案用紙に向かいつつ、何気ない仕草でシャー芯を三本、置いていったのだ。
やだ……。なんでわかったの……?
自分のピンチを察してくれたイッセーへの好感度が、またごっそりと上がった。
◇
午後の授業は体育だった。
男子がバレーボールの試合をやっている。女子は隣でバスケをやっているが、半分ぐらいは男子の試合を見ていたりする。
「なにー? ニコー? 誰みてんのー?」
「み、みてない」
ギャル友達が寄ってくる。ニマニマとした顔で言われて、ニコはぷいっと顔を背けた。
「誰、だれ、ダレー? ダレめあてー? どのオトコー? ほらぁー、白状しちゃえよー!」
「べっつにー、みてないしー」
「あ。余のやつが、スパイクする」
イッセーが物凄いスパイクを決めて、点を取る。
咲子はしっかりとそれを見ていた。
セッターの男子とハイタッチしたイッセーが、振り返る。咲子と目が合って――。
「見ていたか」
「み、みてないしっ!」
「優しいところと、カッコいいところだったな。――どうだ。いまのはカッコよかったか?」
「か――! カッコいいなんて思ってないしっ!」
「ふむ。足りぬか。ならばもっと活躍を――」
「――そ、それより! ほら! 試合! 試合! つづいてる!」
イッセーがコート脇の咲子と話しこんでいるあいだにも、試合は続いていた。
イッセーがまったく試合に参加しないものだから、相手のスパイクは見事に決まってしまう。
なにやってんだよ、イッセー、と、男子が怒る。
「すまんな」
指先を軽くあげて、イッセーは応じる。それで相手の男子も、しょうがねえな、という顔になる。
前々から思っていたのだが……。
そうした様が、王子様とか貴族とか、そうした雰囲気を備えている。
「ああほら、もう、イッセー。相手、相手、もうサーブ打つって――」
「そんなことよりも、余はいま、ニコ――おまえと話すことのほうが遙かに重要だ」
「だ、だから……、呼び捨て、すんなってのゆーの……。あ、あと……、わたしと話すの、そんなに大事って……」
「ニコ」
「は、はい!」
「あぶないっ!」
「えっ?」
イッセーは咲子に飛びかかるように動いて――。
そしてサーブの打球を、その顔面に浴びた。
「イッセー!」
「ら、らいじょぶだ……」
「大丈夫じゃないって! 鼻血出てるって!」
顔を押さえて、イッセーが言う。だが押さえた手から、つう、と赤いものが流れ落ちている。
サーブは顔面にモロに当たっていた。
イッセーがかばってくれなければ、ニコに当たっていたボールだ。
サーブを打った男子が、わりぃわりぃー、と、謝っている。
わるいじゃないでしょ!? 血が出てるでしょ!?
イッセーもイッセーで! 指を、ぴっと立てて、カッコよく許してんじゃないっ!!
「なにー? ニコ? 余にかばわれちゃってるー? お姫様ー?」
「ば、ばかっ! そんなんじゃないからっ!」
「ねえねえ、余さー? ニコのこと、好きっしょー?」
「うむ。気になってはいるな」
き、気になっているって……。
だから昨日、変なこと言ってきたのかもっ?
イッセーはこんなふうに変なやつだから、こ、好意の表しかたが変だったというだけで……? 本当は……?
「ニコさー?」
「ちがうから!」
「保健室、連れてってあげれば?」
「あっ……」
咲子はイッセーを見た。
鼻血はまだ止まっていない。
保健室には、二人で行くことになった。
◇
ガッコ帰りは、一人だった。
いつもの友達とつるむ気にもなれず、足はなんとなく、駅前のアーケードに向かった。
クレーンゲームがいっぱい置いてある店に、なんとなく入って眺めていると、ちょっと可愛いマスコットが見えた。
「あー、ほしいなー、でもあれは取れないなー」
ちょっと無理っぽい。ていうか絶対不可能な配置に見える。
「あれが欲しいのか?」
突然、背後から話しかけられて、咲子の心臓は、ドキン! と、十センチばかり物理的に跳ね上がった。
「い、イッセー! なんでいんの!?」
「おまえの欲しがっているのは、あの変な人形で間違いないか?」
「質問に答えなさいよ! キモくない! かわいいじゃん!」
「キモイとまでは言ってない。可愛いかどうかは余にはわからん。凡人の感性は、天才である余には理解できたためしがない。あと最初の質問に答えるが、なぜここにいるのかといえば、それはおまえのことが気になっているからだ。――ニコ」
「き、気になっていた……って?」
咲子はほっぺたを押さえた。
またゆった。
やっぱりそうなんだ。やっぱりイッセーって、わたしのこと……。
赤くなったほっぺたを見せないように、咲子は顔を強く押さえた。
「てゆうか……。それ……、ストーカーじゃん……」
咲子は、かろうじて文句を言うことができた。
ストーキングされて嬉しい、なんてことは、思ってもいない。絶対にない。
「ふむ。もう下の名前で呼んでもいいわけだな」
「あっ……」
言われて、気づく。
これまで呼び捨ては許してなかった。毎回訂正していた。
だけど咲子は、なにも言わなかった。
「む? クレジットカードは入らんのか?」
イッセーは、百円の投入口にクレカを通そうとしている。
「ばかなの?」
「菜々子」
イッセーがそう口にした途端――。
「はいですー!」
「うわぁ! なんかいた!」
この前も見たメイドさんが急に現れて、咲子はびっくりした。
「こんどは何億円ご用意しますかー! ご主人様ー!」
「百円玉を、一枚、用意しろ」
「一枚で足りるんですかー? 五十枚包みの棒金もありますよー?」
「余を誰だと思っている。一度の施行にて充分だ」
「はい。じゃあ百億えーん」
メイドさんは、引きずっていたスーツケースからではなく、自分のポッケから百円玉を取り出して、イッセーに渡した。
そして消えた。
百億円とか言うのでぎょっとしたが、百円を百万円とか百億円とか言っちゃう、昭和センスのジョークだったらしい。
「あの変な人形だな」
「だからカワイイって……」
「すまない。カワイイやつだな」
「べつに言い直さなくたって……」
見えにくいところにあるマスコットを指差して確認しあう。自然と体が近くなる。
近い近い近い近いって! ……でもちょっと役得感。
「百円で充分とか、イッセー、そんなに自信あるの? やりこんでる人?」
「いや。このゲームをやるのは、はじめてだが……」
「まっさかぁ」
なら、なぜそんなに自信満々?
「ふむ。①のボタンで横移動。②のボタンで縦移動か」
説明書き、読んでる。
ほんとにはじめてだった!
「よし。見えた」
なにが〝見えた〟というのか。
イッセーはなんの気負いもためらいもなく、無造作にボタンを押しこんだ。
クレーンが動いて、真上で止まる。
そして下りはじめる。
「あっ……、あっあっ! すごい! ほら引っかかってる!」
絶対に不可能と思われた配置だったのに、ストラップの紐がクレーンに奇跡的に引っかかっていた。
「ほら! イッセーがんばって! とってとって! とって!」
「べつに頑張らずとも取れるがな。それにボタンはすべて操作した。余のすることはもうない」
イッセーは筐体に背を向けた。――そして言う。
「完了だ」
その声と同時に、イッセーの背中側で、マスコットが落ちた。
「きゃー!」
咲子は取り出し口に飛びついた。
欲しかったマスコットを手にして、それから思い出して慌てて、イッセーに振り返る。
「あっ――ほらはい! お金、百億円っ」
百円玉を渡そうとすると、イッセーは――。
「プレゼントさせてはもらえないのか?」
「う……」
咲子は困った。
なんか借りを作るみたいで、やだったのだが――。
しかし借りといえば、イッセーには百円なんかよりも、もっと大きな借りが……。
「あ、あのさ……、わたし、謝っとかないと」
「謝る? なにをだ?」
「昨日、ぶったじゃん……」
「ああ、そういえば。昨日、ぶたれたな。誇ってよいぞ。おまえは余を叩いた初めての人間だ」
「ヘンなこと言うから……、ぶっちゃったけど……、だけど、イッセーって、いいやつだし……。今日もいろいろ助けてもらったし……。だから、ぶっちゃったのは、悪かったなー、って」
「ふむ。そうか。好感度は上がったか」
「べ、べつにそんな! ただフツーにいいやつだって、そういう意味だから!」
咲子は力の限り否定した。
だがイッセーは感じ入ったようにうなずくばかり。「やはり正しかったのか」などと、わけのわからないことを言ってうなずいているばかり。
イッセーはさっき、好感度がどうとか言っていた。
そんなべつに、好きになったとか気になってるとか、そういうのじゃない。
「ご、誤解しないでよね!」
咲子はイッセーの手にあるマスコットを指差した。
「それ! 欲しいだけだから! プレゼントで貰うんだったら、そこんとこ、ちゃんとしておかないとだめだって思っただけだから」
「真面目なんだな。ニコは」
前髪をいじった。
「そうだよ。こんななりしてるから、けっこう誤解されるけど……。わたし、真面目なんだから」
茶色の髪をいじりつつ、咲子はそう言った。
「ああ。もちろん知っていたとも」
なんなのこの包容力。
咲子はくらくらとしていた。
「ほら。やるぞ。余からの下賜である」
「あ、ありがと……」
イッセーの手からマスコットを受け取る。
マスコットをさっそくカバンにぶら下げて、手は再び髪に戻る。
「ね? わたし……。黒髪にしたほうが、いっかな?」
「いや。そんなことよりも――」
勇気を出して聞いてみたのに、〝そんなこと〟で片付けられた。
そしてイッセーは、さらに、とんでもないことを口走った。
「余のことを見直したろう? ならば、パンツを見せてくれ」
「……は?」
「だから、パンツを見せてくれ」
聞き間違いではなかった。
こいつはやっぱり変わっていなかった。
咲子は理解していた。
今日のあれやこれは、優しかったりカッコよかったりしたのは、すべて、パンツを見たいがためだった。
咲子は、手を大きく振りかぶって――。
「ふっざ、けん――なぁっ!!」
イッセーの頬が、いい音を立てた。