#02-01.「ギャルJKに札束積んでみた」
「さて。片付けちゃいますか」
メイドの仕事は多岐に渡る。
一般的な家事――掃除、洗濯、食事の支度はいうに及ばず、豪徳寺家のメイドの場合には、来客への応対などもメイドの仕事に含まれる。
さらに彼女――伊東ちとせの場合には、執事の仕事の領分まで、その職分に含まれていた。
秘書のように、お坊ちゃまのスケジュール管理を行うのも彼女の仕事の一つである。
いま取りかかろうとしているのは、お坊ちゃまの部屋の整理整頓……。
放っておくと、二日とかからず、魔窟と化してしまうのだ。
天才であるが完璧ではないと、彼女だけが知っている。散らかし放題の部屋を見ると、ちょっと可愛く思えたりもする。
「あれ? お坊ちゃまが、そういうことに目覚めたということは……。ひょっとして、そういう本も、どこかに隠してあったりとか……」
まさかそんな、と思いつつ――。
ちとせが〝お宝探し〟の興奮を覚えはじめたところで――。
「ちとせーっ!! ちとせはいるかあぁ――!!」
お坊ちゃまの声が屋敷中に響き渡った。
◇
イッセーは自室から慌てて出てきたメイドを見つけるなり――大声をあげた。
「なぜだ――っ!?」
「なぜ、と申されましても……。主語と述語を省略されましては、なんとお答えしようもないのですが」
「おまえは金を積まれてパンツを見せた。だが金を積んでもパンツは見れなかった。だから、なぜだ――と聞いている!!」
普段のイッセーなら決して出さない怒声が響き渡る。窓ガラスがビリビリと震える。
イッセーと一緒に部屋に入ってきた別のメイドが、ひゃああぁぁ、と、頭をおさえてしゃがみこんでいる。
「私はお金を積まれてパン――下着を見せたわけではありません! だいたいあのお金は、あのあとで――お返ししたじゃないですか!」
ちとせは負けじと、声を大きくして返した。
この屋敷において、イッセーに意見できるのは彼女だけである。
「全額、先輩名義で、預金されてますよう」
うずくまっていたメイド――菜々子が、そう言った。
「なぜ――!?」
「ひゃああ!」
「余に二言はない。あれはもう支払った金だ」
「それじゃわたしがお金でパン――し、下着を見せたことになってしまいます!」
「だから聞いている。おまえは金で積んだらパンツを見せた。だがそうはならなかった。それはなぜかと――」
「はいはいはい! はーい! いい解決策がありまーす!」
菜々子が手をあげる。
言い争っていたイッセーとちとせが、菜々子を見やる。
「先輩がいらないっていうなら、わたしがもらっちゃいまーす! ――なんたる名案!」
二人は菜々子から顔を外した。再び見つめあう。
「私がお金を受け取ったかどうかはともかく――。お話が全然みえないんですけど? なにがだめだったんですか?」
「それなのだが……」
だいぶ冷静に戻った二人のあいだで、ようやく、会話らしきものが成立する。
イッセーは、学校で起きたことを語り始めた。
◇
「でさぁー、カレシがしつこくてー。返事してくんなーい、とか! 甘えんぼうかっつーの。もう二時なワケ」
「あはははー、ないない」
「だからエロい自撮り送ってやったら、イッパツで静かになってさー」
「ギャハハ。超ウケるー。ナニしたか超ワカるー!」
二限目と三限目との合間の短い休み時間――。
うちのクラスのギャルどもが、品があるとは言い難い会話で盛りあがっている。
開け放たれた窓に腰掛けて、イッセーは外を眺めていた。
自分の席の近辺は、いまギャルどもに占領されている。自分の席に戻れないともいう。だが下々の者の振る舞いでイッセーが腹を立てるようなことは特にない。
自分の机に誰のデカい尻が乗っていようが気にしない。
いまイッセーが気にすることがあるとしたら、それは、さっき急に心にのぼってきたあの感覚だけであり――。
「どしたん? ニコ?」
ギャルの一人が、仲間の一人に声を掛ける。その一人は、さっきから会話に加わらず、考えこむような顔をしていた。
「ああうん……。お尻、下ろそうよ。そこイッセーの机だし」
仲間に対してそう言ったのは、ギャルの中の一人――藤野咲子だった。
茶色い髪のギャル仲間ではあるが、彼女だけは人様の机に尻を乗せずにいる。それどころか仲間のデカい尻をイッセーの机から下ろしてくれようとしている。
「ああン? 〝余〟なんか、どーでもいいじゃん」
クラスの一部の者から、イッセーは〝余〟と呼ばれている。イッセーの用いる一人称が面白いらしく、そう呼ばれている。――イッセー自身はまったく関知していないのだが。
こうやって馬鹿にしてくる者もいるが、そんな様が〝超然としている〟と好感を持たれていたりもする。女子の一部からは、別な人気もあったりする。
そちらの女子は、〝余〟というあだ名のほうではなく、〝イッセー〟という名前のほうで彼を呼ぶ。
「なぁにー? ニコってばー? 〝余〟のことぉ、気になるのぉ?」
「ち、ちがうって! べ、べつにあんなの! な、なんとも思ってないし!」
「た、し、か、にぃー? カオだけは、イケメン、で、す、がぁー?」
「ちがうって! さっきからイッセーがこっち見てるから! だから気になってんのかと思って!」
ギャルたちは、いつもと同じ話題で盛りあがっている。
いつもと違うのは、自分が話題に登場させられていることだったが、やはりイッセーは感知しない。
ギャルたちの話題はいつも恋愛やカレシとかの話だ。
イッセーはそんなことには興味はない。
彼の興味があることは、ただひとつ――。
「ちがうって! ちがうって! ちがうって!」
「ニコかわいー! もっとイジメていい?」
藤野咲子が声をあげるたび、ミニに詰めたスカートの裾がひらひらと揺れる。見えそうで見えない。
あのスカートの内側にあるものを、いま、とてつもなく見たい。
余は――おパンツが見たいぞ。
「おい、ニコ」
「だから違うって! てゆうか、呼び捨てぇ?」
「おい、藤野」
呼び捨てはだめだと言われたので、上の名前で言い直す。
「なに? イッセー?」
そちらは呼び捨てなのにこちらはだめなのか。どうしてだ。まあいいが。
イッセーは速やかに用件を告げることにした。
天才は時間を無駄にしたりしない。
「おい藤野、パンツを見せろ」
「……は?」
咲子は、ぽかんと口を半開きにした。
む。いかんな。
いつもの命令口調がつい出てしまった。
「いまのは言いかたがまずかったな。――パンツを見せてくれ」
「いや、それおんなじだし……」
「まだ理解できていないか。何度でも言うが。スカートの中のパンツあるいは下着あるいはショーツといわれる物体を視覚的に確認したい。これで理解できたか?」
「なにそれ? 詫びで……、見せろとか、そういう話?」
「なんの詫びだ?」
ああ。さっき友達がデカい尻を机にのせていた件か。
そんなことは1ミリも気にしていなかった。思い出すのにさえ苦労したほどだ。
「ギャハハ! 〝余〟――素直すぎー! チョクで言うかねー! ニコのパンツは高っかいぜー! あたしのパンツだったら、漱石の一枚も出したら、いくらでも見せてやっけどー? ギャハハ!」
ギャルが高笑い。
なるほど。高いのか。
イッセーはポケットからスマホを取り出した。
近くの男子が、「マジぇ!?」とか言いながら財布を確認していたが、イッセーは気にせず、スマホに素早く数文字ほど打ちこんだ。
送信。と。
「ちょ!? イッセー――! まさかとは思うけど……、あのウワサ、信じてないよね?」
「噂とは、なんだ?」
「わたしが、その……、あれやってるっていうハナシ……」
「あれ、とはなんだ?」
「だからあれだって! ……、……んこー、だってば……」
「聞こえん」
「だからエンコー! ああもう! イッセーまで信じてちゃってるとか! マジアリエナイんですけど! あんなの本気にするとか! バカなの!?」
「そのエンコーとやらはどうでもいいが。……とりあえずパンツを見せろ」
イッセーはそう言った。
天才である彼は、一度見聞きしたことは忘れないが、〝エンコー〟というものは、一度も聞いたことがないので知らない。言葉自体は、クラスメートたちの会話に何度となく出てきているが……。
いまはそのことは、どうでもよい。
とにかくパンツが見たいのだ。――余はパンツが見たいぞ!
スマホに数文字打ちこんでから、数分は経っただろうか。
廊下を慌ただしく走ってくる足音を耳にして、イッセーは口許に笑いを浮かべた。
「お待たせしましたあぁぁ!」
がらりと戸を開けて、ロングヘアの少女がスーツケースを携えて教室に飛びこんできた。
メイドさんだ! メイドさんだ! ――と、男子が騒ぐ。
たしかに本物のメイドではある。
イッセーの館の使用人の実田菜々子だ。
ただしメイドはメイドでも、先輩の伊東ちとせのような完璧メイドとはほど遠く、ドジっ子メイド、駄目メイド、無駄飯食らいメイドと、三冠王の名を欲しいままにするほうであるが。
「菜々子。遅いぞ」
「校門のとこから走ってきたんきたんですよう! この重いの持って! 褒めてください特別ボーナスください! 具体的にはこの中身の一パーセントでいいですから!」
イッセーはとりあわず――命じた。
「積み上げろ。縦にだ」
「はい! 縦積みですね! またですね!」
どんどんどん、と、
おいおいあの束諭吉じゃね? ――とかいう声がクラスの中から聞こえてくるが、イッセーも菜々子もどちらも気にしない。菜々子も屋敷で働くからには、このくらいの現金には慣れている。
「身長、一五九ぐらいですかー?」
菜々子に聞かれた咲子は、そのノリと勢いとに押されて、こくんと、首を折るようにしてうなずいた。
「はい! 背の高さまで、積みおわりましたー!」
菜々子が敬礼する。クラス中の視線が集まっているなか、気にせず元気に、明朗かつ快活に、イッセーに報告をする。
「よし。ご苦労」
褒められちゃったー! と笑顔を輝かせる菜々子から目を外して、イッセーは咲子を見やる。
そして言う。
「この金で、おまえのパンツを見せてくれ」
「……」
咲子は無言。
「うっわ! ヤッバ! これ諭吉何枚あんの!?」
かわりにギャルが騒いでいる
「ニコ見せちゃいなって! ほらすごいよぜんぶ本物だよ! てか見せるだけじゃなくていっそ売っちゃえー!」
「黙って」
友達に、ぴしりと言って――。咲子は凄い目つきで、イッセーのをにらんできた。
眉間に縦皺が寄りきっている。
茶色い髪で派手な容姿の咲子が、そうして凄い顔をしていると、相当な迫力があった。
思わずイッセーも、たじろいだ。
「な、なんだ? た、足りないか? 足りないなら――おい、菜々子」
「イッセーが、わたしのこと、どう思ってんのか。――わかった」
「む? わかってくれたか?」
「ええ。……やっぱ、思ってたんだ。ウリやってるって。あんな噂。信じてたんだ?」
「うむ。買おうとしている。――背丈まで積んでみせたから、これでパンツを」
「見せるわけないだろおぉぉ、がっ!」
咲子の手が、一閃した。
◇
「――と、いうわけだ」
イッセーは学校で起きたことの一部始終を、ちとせに語った。
遮らず、話をすべて聞き終えたちとせは、深く深く、ため息をついた。
「はぁ……っ。バカですか」
「いや。余は天才だが」
「いえ。言いかたを間違えました。お坊ちゃま。それは引っぱたかれて当然でしょう。グーでなかったところは、むしろ優しいです」
イッセーの顔の反対側に、くっきりと残った手形を見ながら、ちとせはそう言った。
「引っぱたかれたことは、どうでもいい。――なぜだ? なぜパンツを見せてもらえなかったのだ?」
「あたりまえです! ……いえ失礼しました」
イラッときて、思わず声を荒げてしまったちとせは、すぐに謝罪した。
イッセーが本気でわかっていないということは、彼女にはわかっている。
「だかおまえは金を積んだらパンツを見せたぞ。身長と同じだけ積んだのだ。しかし見れなかった。――なぜだ? ――どうしてだ?」
「だからわたしはお金でパンツを見せたわけでは……。いえ……。わからないでしょうから、もういいです」
すっかり諦めの心境で、ちとせは言う。
「だいたい、あなたもあなたです。――菜々子」
「ご主人様の命令でしたのでー」
悪びれず、菜々子は言う。
「従うべき命令とそうでない命令とがあります!」
「余の命令に異を唱えられるのは、おまえだけだぞ。――ちとせ」
「それはまあ、そうですが……」
「まあいい。それよりも、理由だ。おまえには理由がわかっているようなだな。説明しろ。なぜ余はパンツを見れなかった? なぜ拒絶を受けた?」
「それをお坊ちゃまに説明しきれる自信はありませんが……」
前置きをしたあとで、ちとせはあきらめ顔で、話しはじめた。
「まず、そうですね……。人には〝好感度〟なるものがあると思ってください」
「ふむ。好感度……、だな?」
「それが今回のバカな……いえ、お坊ちゃまの無思慮な成功体験による繰り返し手法により、マイナス一億点になってしまったのだと思ってください」
「ま、マイナス一億点……」
イッセーの顔に驚きが広がる。うまくいかなかったことは、多少、気づいていたが……。そこまでだったとは……。
「そ、それは……、ど、ど、どうすれば……」
動揺しているそのイッセーの顔が、年相応の高校生の少年の顔に見えて、可愛く思えて――。ちとせは一瞬、ドキリとした。
だがすぐに主従を思い出す。
「相手の女性は、クラスメートなのですね?」
「うむ。藤野咲子という。隣の席だ」
「なら好都合です。なるべく一緒の時間を過ごしてください」
「授業はいつも一緒だぞ」
「授業以外も、なるべくです。クラスの移動とか、昼食時とか、ありますよね」
「ふむ。了解した」
「最初は嫌な目で見られるでしょうが、針のむしろは我慢してください」
「目つきのことか。余は気にせんぞ」
ああそういう人でした。――と、ちとせは思った。
「好感度をあげるところからスタートとするべきです。そのための方法は、いろいろとお教えします」
「うむ。頼りにしているぞ!」
イッセーは笑った。
イケメンの笑顔は犯罪よ――とか思いつつ、ちとせは、なんでこの人に仕えちゃったんだろう、と嘆いていた。