#05-04「巫女さんを気遣ってみた」
「心配ですね。いおりさん」
帰宅し、上着を預けたところで、メイドはそんなことを言ってきた。
ふむ……?
会話の内容よりも、イッセーがむしろ気にしたのは、彼女の呼びかたが変わったことについてだ。
今回の攻略がはじまったすぐのときには、ちとせは、彼女――出雲いおりのことを、「新しい女」あるいは「巫女さん」あるいは「出雲さん」と呼んでいた。
それがいつのまにやら、「いおりさん」――と、下の名前で呼ぶようになっていた。
ちなみにイッセーは天才なので、忘れることは不可能だ。よって「いつのまにやら」という表現は、正確にいうなら、「今夜より」という意味になるわけであるが。
いったいどのような心境の変化が、そこにあったのだろう。
下の名前で呼ぶという行為が、特別な親密さの証であるということを、イッセーは詩織お勧めの少女小説から学んでいた。
たとえば例をあげるなら――。
えっ? ヤダ! 隣の席のちょっと不良っぽくて怖いカオしてるんだけど、じつは根は優しいアイツが、あたしのこと! はじめ名字で呼んできてたのに、なんだか最近名前で呼んでくるようになってるー! やだコレ? どうしよう、どうする!?
……とかいう感じに、親密さの段階が一段階変わったことを示すエピソードだったりする。
ちとせといおりのあいだで、なんらかの心理的な距離の縮まるエピソードでもあったのだろうか?
「被害者友の会ですよ」
なにも聞いていないのに、ちとせはそう言った。
なぜおまえは心が読めるのだ、とか、無為なことを口にするかわりに、天才は実利的な問いを発した。
「なんの被害者なのだ?」
「ねえ先輩、先輩っ! これ素ですかー? それともロイヤルなユーモアっていうやつですかー?」
ちとせのかわりに菜々子が答える。だがこれではまったく答えになっていない。
「素です」
ちとせが菜々子に答えている。
二人の間では、この意味不明なやりとりで会話が成立しているようである。まったく凡人の会話というものは、天才には計り知れないものがある。
理解できない部分はさしおいて、最初の、気になる発言を、イッセーは問い返すことにした。
「心配、というのは?」
ちとせはさきほど、いおりが心配だと口にした。
「自称霊能力者でしたら問題なかったのですが。どうやら彼女は本物のようですので」
「ふむ」
「根を詰めて霊力……体力を消耗しすぎていないとよいのですが」
「それは心配だな」
たしかに、いおりは毎回毎回、自力では立ち上がれないくらいの消耗をみせている。
イッセーは手を貸すのだ。彼女を立たせるために。今日もそのようにしていた。
汗ばんだその手の感触が、まだ残っているようで――イッセーは自分の手を、ふと見つめた。
「……お坊ちゃま?」
「……いや。なんでもない」
ちとせは、そんなイッセーの様子を不審がりながらも、話題を変えた。
「それにしても、おぼっちゃま。成長なされましたね」
常人であれば、「は?」と聞き返すところだろうが、イッセーは天才だ。ちとせの発言の意図はすでにわかっている。
「もう他人ではないからな」
これまでのイッセーであれば、そこまで他人を気遣うことはない。
だがいおりはパンツを見たくなった相手なのだ。イッセーにとって他人ではない。
完全かつ完璧な答えだったが、ちとせはなぜだか、むっとした顔になる。
その表情の変化にもイッセーは気づいていた。
少女小説の読破という修行を経て、イッセーは、常人の表情や感情の変化に注意を向けられるようになっていた。
だが、ちとせがなにについて、むっとなったのか――そちらのほうまでは、わからない。
まだまだ修行が必要なようである。
ちとせの淹れてくれた紅茶を口に運びながら、イッセーは考えた。
根を詰めすぎる彼女に対して、自分はなにができるだろうか。
◇
「なんだ咲子。話というのは?」
休み時間に咲子に連れられて、屋上へと出る。
話があると言われた。イッセーも咲子に聞きたいことがあったのでちょうどよかった。
拭き抜ける風にスカートの裾をしきりに押さえながら、咲子は睨むような目をイッセーに向けた。
「いおりさんのとこ、通ってるんでしょ」
「呼びつけられているといったほうが近いな。邪気を払う必要があるそうだ」
その必要はないのだと、もう何度も説明しているのだが。
それに関してはイッセーはもう諦めていた。
「今日も……、行くんだ?」
「うむ。スケジュールは空けてある」
連日、放課後のスケジュールはすべて空けてあった。
各国の外相、CEOなどとの会談は、すべてキャンセルだ。数日後には某国の大統領との面談を申しこまれていたが、それもキャンセルせねばならないだろう。
大変な影響が出ているが、仕方がない。
すべてに優先されるのだ。おパンツは。
「そ……そんなに……、見たいんだ」
咲子は聞いてきた。なにをあたりまえのことを――と、イッセーは思う。
イッセーは返答せず、じっと咲子のことを見つめ返した。
返答の必要は感じなかった。
「そ……そんなに……、見たいんだったら……、わ、わたしが……、見せてあげても……。い、いいんだけどっ」
「おまえのパンツなら何度か見ているが」
花火のときに一回、そのほかにも、時折、不意に衝動がはしることがあって、ちとせや詩織や咲子に見せてもらっている。
「そっちじゃない!」
咲子は怒ったようにそう言った。
そして顔をそっぽに向けつつ――。
「わ、わたし……、いま……、は、はいてない……かもよ?」
ゆるい風が、咲子のスカートの裾を揺らす。
「……?」
咲子の発言の意味が、イッセーにはわからなかった。
天才であるイッセーにとっては、はじめての経験かもしれない。
「しゅれー……てぃん? なんとかのパンツ……だったっけ? ほ、ほらっ! はいてないパンツを、見たかったんでしょ?」
はいてないパンツは見ることができないが。
咲子がなにを言っているのか、イッセーは理解した。
巫女服の下に、おパンツをはいているかいないのか、そのことを話題にしたことがあった。
シュレーティンガーのおパンツは、いかなることがあろうとも、観測されねばならない。
「しゅれなんとかのパンツは、わ、わたしが見せてあげるから……! だからもう! いおりさんのとこ! 行っちゃだめーっ!」
目を閉じて、咲子は叫ぶ。
「いや。結構だ」
片手を立てて、イッセーはそう言った。
「へ?」
勇気を振り絞って声をあげた咲子は、ぽかんと口を開きっぱなしにした。
まさか断られるとは思っていなかった。
「……な、なんで?」
「おまえは、それ、はいていないんだろう?」
イッセーは、ぴっと指先でスカートの裾を指差す。
咲子は、びくう、と、身を固くする。スカートの裾を、ぎゅうっと手で押さえる。
「だ、だ、だ……! だからっ! み、見ればっ!? 見て確認して観測すればって言ってんの! だからいおりさんのところには――行っちゃだめーっ!」
「なぜだ?」
「ちとせさんと詩織さんはしかたないけど! もう増やしちゃだめだから!」
イッセーがパンツを見た女性のことを言っているのだろう。だが一人足りない。
「アヌビスは数に含めなくてよいのか?」
「ま――まだいたのっ!?」
「そうか話していなかったな。冥界で世話になった――、いや、世話をしていた駄神で――」
「もうっ! だからもうこれ以上増やしちゃだめ!」
「なぜだ?」
イッセーは問うた。
パンツが見たくなってしまったなら、しかたがないだろう。
「だっ――だから! 見たくなったら! わたしが――見せるってば! ほら! いま! はいてない――かもよっ!」
やれやれだ。
イッセーは先ほどと同じことを、もう一度、言った。
「だから結構だ。――咲子。おまえはなにか勘違いをしていないか?」
「え? 勘違いって……?」
咲子は混乱した顔になる。
顔は半笑い。手ではスカートの裾をしわくちゃにしている。
「あの……ね? わたし、いま……? はいてない……んだけど?」
「もはやシュレーディンガーでもなんでもないな」
「ほ、ほらっ……。ど、どう……?」
咲子は顔を真っ赤にして、スカートの裾を一センチばかり持ちあげる。
はあ~っ、と、イッセーは、深い深い、ため息をついた。
「え? え? え? ……見ないの? なんで? どうして?」
咲子は、わけがわからない、という顔になっている。
こんなに勇気を振り絞ったのに――。こんなに悲壮な決意を固めてきたのに――。
「だから言ったろう。まったく興味などないと。余が興味あるのはおパンツだ。パンツのないスカートの内側になど、なんの興味もない」
「えっ……?」
咲子はショックを受けた顔だ。
「イッセーって……、そこまで……、パンツが……。本当に、パンツで……。パンツだけで……」
「ようやくわかってくれたか」
咲子が理解してくれた。イッセーは笑顔を浮かべた。
「イッセーの……、ぶぅわかあぁぁ――っ! しんじゃえーっ!」
なぜだか咲子は、脱いだ上履きを投げつけてきた。
避けることももちろんできたが、イッセーはあえて、上履きを顔面に食らった。
咲子の去って行った昇降口を見つめながら、上履きを拾ったイッセーは、
死ね――というのは、もういちどアヌビスのところに行ってこいという意味だろうか。
べつにあいつのパンツは、いまは見たくないのだが。
咲子がなにやら怒っているということは理解しても、なぜ怒っているのかまでは、天才の思索をもってしても届かない。
凡人の考えることは、本当にわけがわからない。
◇
「咲子。おい咲子」
学校帰り。イッセーは咲子の後ろを歩いていた。
「ついてくんな。変質者」
咲子はまったく、にべもない。
「おまえに聞きたいことがある」
「わたしは話なんてしたくないから。しんじゃえばか。近寄んなパンツ神。おまわりさーん、こっちでーす」
咲子はまだ怒っているようだ。放課後まで何時間も、よく怒りが持続するものだ。
「おまえの友達に、真面目すぎて、根を詰めすぎるやつがいるとする」
「聞いてないし。聞かないし」
咲子は、つーんと、そっぽを向いて、そう言った。
「おまえぐらいしか頼る相手がいないのだ」
「……聞くけど」
口説き文句のような、その言葉に、咲子はしぶしぶ、足を止めてイッセーに顔を向けた。
友達がどうのと、さっき聞こえた。イッセーは友達のためになにかしようとしているっぽい。
まったく……。こいつは……。
なんだかんだいって、いいやつなのだ。
自分のときにも助けてくれた。まえにアズサと一緒に観に行こうと約束していた花火大会が中止になりかけて、急遽、開催されたことがあった。そのおかげで、アズサときちんとお別れすることができた。
その花火大会が急に開催された件に、イッセーが関わっているのではないかと、咲子はそう思うようになっていた。
「真面目すぎて根を詰めるやつがいたとしよう。おまえなら、どうする?」
「そりゃぁ……」
咲子は唇に指をあてて、上を向いた。
「……遊びに連れて行くとか?」
親友のアズサが、高校受験のとき、ぶっ倒れる寸前まで思い詰めていたことがあった。
そのとき、咲子はそうした。
むっちゃウザがられて、迷惑がられたけど、一日だけ、ハメを外して二人で遊びまくった。
「ふむ……。遊びか……」
咲子からの回答を、イッセーは検討した。
なるほど。天才には思いつかなかった。
天才は遊ばない。そんな非効率的なことを、するはずがない。
「ありがとう。咲子」
「え? そんなんでよかったの?」
「ああ。大変参考になった」
「じゃあ。また明日。学校で」
「あっ……、うん。学校で」
咲子は手を振ってイッセーと別れた。
しばらく、てくてくと歩いてから、イッセーの話にでてきた〝友達〟というのが、一体誰だったのか、思いあたって――。
「ああああぁぁ――っ!!」
大きき叫び声をあげたが、それは後の祭りというものだった。




