#04-05「余はパンツが見たいぞ」
気づいたときには、そこに立っていた。
不思議な渦巻き模様の浮かぶ、暗い空。
冥界に戻ってきたのだと、すぐにわかった。
自分の手の中に、天秤があった。
現世からどうやって持ち帰るのか。神器というものは、物質に見えて物質ではないだろう。
イッセーは周囲を見やった。
アヌビスが立っていた。
「使命を果たして、よくぞ戻った。イッセーよ」
「約束だからな」
事もなげに、イッセーは言った。
天才の言葉は絶対だ。イッセーが口にしたことは実行されなければならない。
相手が誰であれ。――たとえ神であれ。
天秤が、イッセーの手からアヌビスの手に渡る。
「もうなくすなよ。次になくしたら、もう知らんぞ」
「うむ。気をつけよう」
天秤が、光の粒子になってアヌビスの手に吸い込まれる。
そういう便利なことができるなら、はじめからやっておけ。
そうは思ったが、感激の笑顔を浮かべるアヌビスには言わないでおく。
〝女心〟というものを学んで、イッセーは「空気を読む」という超能力を身につけつつあった。
それはイッセーの天才をして、なお困難な道のりであったが、絶えざる鍛錬は、着実に実を結びつつあった。
「おまえには……、褒美を取らせねばな」
目頭を拭って、アヌビスは言った。
「心外だな。褒美が欲しくてやったのではない」
約束をしたからだ。
もっと正確に言えば、アヌビスに頼まれたからだ。
さらに正確さを追求するならば、アヌビスが顔を曇らせていたからだ。
「いや。人間に借りを作っておいて、褒美を与えぬのでは、神の沽券に関わる。なんでも、どんな願いでも申してみよ。アヌビスの名において叶えてやろうではないか」
「ふむ……」
イッセーは考えた。この流れは悪くない。
〝願い〟とやらを聞かれたが、〝願い〟いうものは、イッセーにとって一つしかありえない。
「世の願いは――」
「――ああ。皆まで言うな。わかっておる」
言いかけたところで、アヌビスに止められる。
「おまえの願いは、わかっておるとも」
「そうか」
イッセーはうなずいた。
最初に望みを告げてある。「パンツを見せろ」と、そう言っている。
詩織のときの失敗は二度と繰り返さない。
「別れのとき、あの女たちは、ずいぶんと泣いておったな」
「そうか?」
あの女たちというのは、ちとせや咲子や詩織たちのことだろう。
別れの言葉を告げてはきたが、泣いていたかどうかまでは見ていなかった。
……泣いていたのか? なぜだ?
「わかっておる……。おまえの望みは、あの女たちのもとに戻ることだろう? あの光景を見ていては、妾にもわかるわ。間違えようがない」
アヌビスは腕組みをして、何度もひとりでうなずきながら、確信した顔でそう言った。
「生き返ることが、おまえの望みだ。妾には、ちゃんとわかっておるわ」
「いや。違うが? そんなことを望んではいない」
「……は?」
アヌビスは、まじまじと、イッセーを見てくる。
「間違っているぞ?」
「え?」
イッセーが言うと、アヌビスは、ぽかんと口を開いた。
「最初にも言ったろう? 余はパンツが見たいぞ」
「は? なんと言った?」
「パンツだ」
「そ、それはつまり……、下着的な意味合いの……?」
「そう。そのパンツだ。正解だ」
イッセーはうなずいた。
アヌビスはなぜだか目を見開いている。……が、ようやく伝わったということは、イッセーにもわかった。
「おかしい! おまえ! おかしいぞ! どうしてこの状況で生き返りを願わないのだ!?」
「なぜなら、そこにパンツがあるから。……だな」
じっと腰回りを見る。
アヌビスは腰巻きのスリットスカートを穿いている。
その下にパンツはあるのか? 前から気になっていた深遠なる疑問だ。
「……あるのか?」
「な、なにがだ?」
「おまえはそもそもパンツを穿いているのか?」
ギラつく眼光を目に宿らせて、イッセーは問うた。
「そ、それは……」
アヌビスは眼力に屈して、顔を背けた。
「は、穿いていたら……、ど……、どうじゃというのじゃ?」
「ふっ……。ならば見せてもらおう」
「な、なぜ見せねばならぬ!」
「ならば、神とやらは、それまでの存在だということだ。――貴様はさっき言ったな? どんな願いでも叶えると。――その言葉が偽りだったということだ」
「だ――! だからおまえを生き返らせてやろうと――!」
「そんなことは願っていないぞ。余はパンツが見たい。――それだけだ」
アヌビスはイッセーを睨みつけた。唇を噛む。
「さあ――。選べ。約束を違えるか。それともパンツを見せるか。二つに一つだ」
「くっ……。人間風情が……。神を脅迫するなどと……」
アヌビスは、杖を、どんと大地に打ちつけた。
イッセーには背を向ける。
そして杖を股の間に差しこんで、スカートを少しずつ、まくっていった。
おおっ……!?
イッセーは後ろに回りこみ、低い位置から、徐々に露わになる太腿を見ていた。
これまでで最も困難だったおパンツが、ようやく御開帳されようとしている。
アヌビスがみずからまくり上げたスカートの端から、紫色の布地が覗く。
イッセーは、ばくばくと高鳴る心臓の鼓動を感じていた。
やはり、おパンツはエキサイティングだ。おパンツは素晴らしい。
おパンツ! おパンツ! おパンツ!
ヒップと股間を包む紫の布地が、複雑な皺を作っている。イッセーはそれをまじまじと見つめていた。
おパンツ! おパンツ! おパンツ!
「この冥界におまえの居場所があると思うな」
冷え切った顔とまなざしで、アヌビスが言う。
だがイッセーには聞こえていない。
「はふぅ……」
満足しきった吐息とともに、イッセーは地べたに座りこんだ。
そして、そのまま――。意識が遠くなっていった。
◇
目覚めたときには、白木の箱の中にいた。
白装束を着て、体中に花がのせられている。
そしてなによりも――。
「熱いぞ!」
白木の箱全体が高熱にさらされていた。つまり燃やされていた。
イッセーはすかさず脱出をした。箱を蹴破り、鉄扉も蹴破り、服を少々燃えあがらせながらも、高熱の炉の中から脱出を果たすと――。
「……えっ?」
ちとせがいた。菜々子がいた。
咲子と詩織の姿もあった。
皆、黒い服を着ていた。
そして、皆、一様に――まぶたを腫らしていた。
イッセーは振り返り、自分が抜け出してきた場所を見た。
そして理解した。
「ああ。火葬場か」
「い、イッセー……?」
信じられない、という顔を咲子がしている。
「ああ。神と話をつけてきた。……どうやら冥界に余の居場所はないらしい」
「え……? ほ、ほんとうに……イッセーさん?」
「驚くことか、詩織? 生き返ったのは二度目だぞ」
詩織の手が、ぺたぺたと顔や首筋に触れてくる。
イッセーは触れられるままにしておいた。詩織はいつまでもイッセーに触れて、なにかを確認していた。
「お坊ちゃま。……お帰りなさいませ」
ちとせが言う。イッセーは顔を向けた。
「うむ。戻ったぞ」
「今後のご予定は?」
「屋敷にもどって、おまえの淹れた紅茶が飲みたいな」
「はい。了解しました」
ちとせは目を伏せてそう言った。
「スコーン! スコーンも焼きましょう! 先輩!」
菜々子が大声をあげる。
「そうだ。スコーンもだな」
イッセーは菜々子にうなずいた。
アヌビス編、完結です。
次週、3/26の更新ではは、ちょっと本編から離れて、1話読みきりを挟もうかと思います。




