#04-03「冥界生活」
「おい。駄神。夕飯はなにがいいのかを言っておけ」
作業場にアヌビスの姿を見つけると、イッセーはそう声を掛けた。
冥界では、空はおかしな模様が渦巻いているばかりで、いまが何時なのかはまったく見当がつかない。
腹が減ったときが飯時であり、眠くなったら夜であり、起きたときが朝なのである。
そんなアヌビスの怠惰な生活サイクルに合わせて生活を続けていた。
天才であるイッセーには、体内時計を調節することなど造作もない。現世にいたときにも、世界各地を飛び回っていたが、時差ボケで悩まされたことは一度もない。
「おい。聞こえないのか。駄神」
「……」
つーん、と、アヌビスは顔を背けている。
手にした棒で、ぐっちゃぐっちゃと引っかき回している。
「……いま、駄神とゆったであろ」
「ああそれは駄目な神という意味で――」
「説明しろなどと、ゆうてないわ!」
「そうか」
「妾は怒ったのだ。絶交だ。おまえとはもう口を聞かん」
「そうか」
「……」
アヌビスはそれきり口を閉ざしてしまった。〝絶交〟とやらを実行中らしい。
「その絶交とやらは、いつまで続くんだ?」
「……」
アヌビスは口を閉ざしたままで、返事をしない。
イッセーはため息をついた。
ふと、アヌビスのやっている〝作業〟
さっきからアヌビスは、金属の棒を手にして作業をしている。
死者の亡骸を相手に作業をしている。
ここは冥界であり、アヌビスは冥界の神なのだから、亡骸があるのも、それを相手に作業をしているのもいいとして――。しかし、なにをやっているのか?
鉤爪のついた棒を鼻から突っこんで、ぐっちゃぐっちゃとかき回しているように見えるのだが……。
遊んでいるのでなければ、なにか意味があるのだろうか?
「それはなにをしているのだ?」
「ほほう! 興味があるか! これはミイラ作りの作業の初期段階で――」
「もう〝絶交〟はいいのか?」
「……」
指摘をしたら、アヌビスはまた黙りこんでしまった。
「ミイラ作りと言ったな。趣味でやっているようにしか見えんが、それがおまえの仕事なのか?」
「趣味であり、妾の仕事でもある。妾の手によりミイラにされるのは、大変、栄誉なことなのだぞ。
「かつてオシリス神のミイラを作ったと――と、物の本には書いてあったな」
「そう! そうなのだ! あれはまさに芸術的な出来で――そう! ミイラとはつまり芸術なのだ!」
「それでジャズか?」
イッセーはアヌビスの隣に並んで座ると、片耳からヘッドフォンを抜いて、自分の耳に刺した。
なぜ「MADE IN JAPAN」のポータブルプレーヤーがあるのかは、いまは問うまい。
ヘッドフォンからは、ジャズが流れてくる。
コードの長さの関係上、体をくっつけなければならなかったが――。
「なっ……、なっ……、なっ……!?」
「いい曲だな」
「そ、そうか……? の、脳味噌をかき出すときには、このリズムがよいのだ……」
ジャズのリズムに合わせながら、アヌビスは棒をかき回した。
時折、触れてくるほっぺたが、すこし熱かった。
◇
「お、お邪魔しまーす……?」
頭の先端から、病室にそーっと入っていきながら、咲子はまず確認から行った。
右見て左見てもういちど右を見る。
よし。誰もいない。
「もうイッセーってば、いつまで寝てるんだかー」
寝たままのイッセーに話しかけつつ、椅子を引き出してそこに座る。
ICUから一般病棟に移されたイッセーは、だいぶ普通で穏やかに見える。点滴の管と心拍数のモニターのコードが一本ずつあるきりだ。
「これ今日のぶんのプリントね」
咲子はプリントを出す。サイドテーブルに置く。
リンゴと果物ナイフを取り出す。しょりしょりと剥きはじめる。
「ほらー、ウサギさんだよー」
イッセーの口許に持ってゆくが、意識のないイッセーは、当然、口を開かない。
咲子はウサギさんに剥いたリンゴを、すべて自分で食べた。
「ほらー、起きないとー、イタズラしゃうぞー♡」
イッセーのほっぺを、指先でつんつんする。
ほっぺたをへこまされても、意識のないイッセーは、抗議ひとつあげない。
じわぁ、と、咲子の目に涙が浮かぶ。
指先で涙を拭って、咲子が元気な顔を見せようとしたとき――。
「お、おじゃましま~す……?」
部屋のドアが薄く開いて、頭だけが現れて……。
右を見て、左を見て、また右を見て、そして前を見て――咲子と目が合った。
「あ……」
松浦詩織さん。
咲子とはもう顔見知りだ。イッセーのよく通う書店の従業員だ。咲子と同様、暇をみては、こうしてイッセーのもとに通っている。
「あの……、ど、どうぞ……」
「は、はい……」
おたがいに神妙な顔になりながら、咲子は部屋に招いた。
考える事は同じだなぁ。
◇
「のう~、か~ま~え~、かーまーえー!」
「絶交はどうした」
くっついて回るアヌビスに言いながら、イッセーは現場を歩き回っていた。
「そこ! 設計と違うぞ!」
巨石を運ぶ亡者の一団に図面を提示して、間違いを正す。
イッセーは天才であるので図面など暗記できてしまえるが、相手に見せるためには、やはり図面が必要だ。
「あと現場ではヘルメットをかぶれ」
「かぶっておるじゃろ」
「それはヘルメットなのか?」
犬の耳のついた装飾品は、コスプレグッズだと思っていたのだが……。
亡者を率いて、イッセーはモニュメントの建設を進めていた。
ここ冥界では、大勢の亡者が列を作っている。
冥界という場所は、食事も休息も不要な場所らしい。(その割には、この駄神は一二時間きっちりと惰眠を貪るわ、三度三度、ばくばくと駄馬のように食べているが)
ただぼんやりと突っ立っているだけの亡者たちは、見ようによっては、大量の人的資源である。遊ばせておくのは勿体ない。よって徴用することにした。
「亡者どもを使って、いったいなにをしようとしているのだ?」
「おまえが褒めよ称えよとうるさいからだろう」
駄神が感動で打ち震えるような荘厳なモニュメントを建設中だ。
かつて地上にあったどのような建造物よりも素晴らしいものとなるだろう。
「古来より、神々は箱物を喜んでいたはずだ」
「む? そういえば、ちょっと前に、エジプトでいろいろと作っておったな」
数千年が〝ちょっと前〟になってしまう。神々の時間感覚は天才にとっても理解の外であった。
「オシリスやイシスやセトばかり神殿が作られて、ずるいのじゃ。妾はマイナーなのか? 人は誰しも最後には死に、妾の腕に抱かれるというに」
「だからおまえのを作ってやろうとしている」
「おまえからのプレゼント、というわけじゃな。……楽しみに待っておるぞ」
アヌビスは笑顔を浮かべる。
何千年生きているのかわからないが、アヌビスは、見た目的にはイッセーとそう年齢も変わらない若い娘だ。
年相応の笑顔――と呼べる表情が浮かぶ。
「それはそうと。イッセーよ。――返してもらおう」
「なにをだ?」
「しらばっくれても無駄じゃぞ。おまえが持ち出したのはわかっておるのじゃ」
「だから、なにをだ?」
まるでわからなくて、そう聞き返す。
「妾の神具じゃ。天秤じゃ。おおかた、神具がうらやましくなったのじゃろう。だがあれは人間が手にしてもなんの意味もないぞ。――さあ。返すのじゃ。いまなら妾も怒らずに、許してやってもよいぞ」
「しらん」
「……ふふふ。しらばっくれおって。そうだな。あの甘い菓子を作ってもらおう。スコーンとかいうやつだ」
「だから、しらん」
「まだ言い逃れを――」
「本当にしらんのだが」
突きつけてくる人差し指を、ぎゅっと握って、イッセーはそう言った。
「……」
「……」
二人、見つめ合う。
やがて、アヌビスはガタガタと震えはじめた。
「で、で、で――、ではっ――! て、天秤はどこに……!?」
「しらんな」
「お、おまえが持っているのでなければ、ど、どこにあるというのだ! こ――困るぞっ!?」
「落ちつけ」
小刻みに震える肩を、ぎゅっと抱いてやる。
「落とし物をしたときには、最後に、どこまでは覚えがあるのか、それを確認するのが鉄則だ」
イッセー自身は、天才であるが故に、落とし物と忘れ物をしたことは一度もない。
本屋通いで乱読した本から得た知識だ。
「今日は? 天秤は?」
「ええと……、今日は……」
まだパニックから抜けきっていないアヌビスは、なかなか思い出せずにいる。
イッセーは助け船を出した。
「朝にはあったのか?」
「そう。朝だ。おまえがあまりに神に対して不遜なのでな。妾が死者を裁くところを見せてやろうと、天秤を持って、外に出て……」
「それから?」
「それから……、いつものように、〝穴〟に寄ったのだ」
「穴?」
「下界を見ることのできる穴じゃ。おまえらの世界は、見ていて飽きんな。ころころとすぐに変わりよる」
ふむ。そんな場所があるのか。
てゆうか。なぜまっすぐに来ない?
「おお。そうじゃ。最近下界では、冥界の王である妾を祭る宗教が出来ておってな。なかなか感心な者たちじゃ」
「それはどうでもいい。……で? その穴とやらを立ち去るとき、天秤はまだ持っていたんだな?」
「……」
嫌な感じの沈黙があった。
「……おい、どうなんだ?」
「持っておったような……。持っておらなんだような……」
「どっちなんだ?」
「……持っていなかったよーな。……気がする」
「確定だな」
イッセーはうなずいた。
「おまえは天秤をその穴に落としたのだ」
「なんと……」
アヌビスはまたショックに陥っている。
ストレス耐性の低いやつだ。
「落ちつけ。場所がわかれば簡単な話だ。取りに行けばいい」
「行けんのだ!」
「なぜだ?」
「神々のルールじゃ。……神が地上に降りることは禁じられておる」
アヌビスは、手を唇にあてて、しばし考えていたが――。
「こうなったからには仕方ない。おまえに行ってきてもらうぞ」
「なぜだ?」
「死んだ魂を戻すほうが、神が直接降りるよりも影響が少ないからの。あとおまえの場合には、死んだというよりも――おっと、その先はヒミツじゃ」
イッセーは、眉根を揉みほぐした。
客観的にみて、すべてアヌビスのミスなのだが。なぜ自分がリカバリーする話になっているのか。
「案ずるな。〝穴〟から覗いてサポートはしてやる。声も届くぞ」
「了承したつもりはないのだが」
「おまえに拒否権などないのだ。妾の命令じゃ! 天秤を取ってまいれ!」
「はぁ……」
イッセーは、大きなため息をついた。
「ほかに、言うべきことはないのか?」
「助けてたもれ! おまえだけが頼りなのじゃ!」
頼まれたなら、仕方がない。イッセーは引き受けることにした。




