#04-02「集中治療室」
日本最大最高の巨大病院、そのVIP用ICU(集中治療室)の室内では、一分間に四十数回のリズムで、電子音が刻を刻んでいた。
ベッドに横たわる少年の傍らには、二人のメイドの姿があった。
片方は疲れ果てて眠っていて、もう片方は、目をくわっと見開いて少年を注視している。
膝の上に揃えられた手には、ぎゅっと力がこもっていた。指の関節が白くなるほどに――。
「イッセー!」
ばん――と、扉が開いて、茶髪の女子高生が部屋に飛びこんでくる。
「お静かに。病室ですよ」
メイド――ちとせは、カーテンの内側から出て、入ってきた少女に向かった。
本来であれば面会謝絶であるものの、ちとせの権限によって、入室を許可した相手だった。
「あっ――! す、すいません! あ、あのっ――!?」
いきなり年上の見知らぬ女性から咎められて、女子高生は混乱している。
彼女――藤野咲子にとっては、ちとせは初対面の相手である。
ちとせのほうは、咲子を深く知っている。
以前、イッセーのおパンツ攻略ターゲットとなったので、家庭環境から友人関係に至るまで、かなり詳細なデータを手に入れてている。
ちとせにとっては、ぶっちゃけ――他人とは思えないほどに、よく知る相手となっていた。
だが咲子のほうは、それを知らない。
ちとせのほうも、そのことを伝えるつもりはない。超法規的手法によって、貴女の個人データを丸裸にしました、なんて、言えるわけがない。
「あっ、あの――! イッセーが……、豪徳寺君が、トラックに撥ねられたって聞いて――」
「ええ。重体です」
「……!?」
咲子は、絶句する。
青ざめた顔で立ち尽くす咲子の、その背中側から――。
「イッセーさんの病室ってここですかぁ――!」
もう一人の来訪者が駆け込んできた。
大学生ぐらいの年齢と思われるその女性は、さすがに女子高生ほどは騒がない。
こちらの女性も、ちとせは知り得ていた。
書店の従業員――松浦詩織だ。
「おぼ――イッセー様は、こちらでお休みになられています」
ちとせは二人にカーテンの奥を示した。
「顔を見られても構いませんが、決して触れたり揺さぶったりはなさらぬよう。――お坊ちゃまは重体で、ここはICUなのですから」
カーテンを引く。
膨大なモニタリング装置に繋がれて、包帯まみれとなった細いからだの少年らしき人物を――咲子と詩織の二人は、はじめ、イッセーだと認識できなかった。
包帯に巻かれて小さく見える体で横たわり、意識のない相手が、イッセーなんだ――と、わかったとき、二人の心臓は、どきり、と高鳴った。
詩織はその場にへなへなとしゃがみこみ、咲子は、よろめきながらも前に出て、イッセーに手を伸ばす。
その手首を、ちとせは掴んだ。
「お手を触れずにお願いします」
「は、はい……。ご、ごめんなさい……!」
「いえ。ショックなのはわかります。でも最高の医師と、最高の治療を受けています。ですから大丈夫です。きっと」
「は、はい……」
咲子は蒼白な顔だが、うなずいて返してきた。
「イッセーさん……、イッセーさんがあぁ……」
しゃがみこんだ詩織は、茫然とした目を遠くに向けている。放心状態だ。
「菜々子。――詩織さんを」
詩織は居眠りをしている菜々子に声を掛けた。
「ふぇっ? ……あっ? ……えっ? えっ?」
目を覚ました菜々子は、右を見て左を見て、そしてベッドのイッセーを見る。
「あっ! ご主人さま! ご主人さま! やです! 死んじゃ――」
疲れ果てるまで心配して、疲れて寝入った菜々子は、起きたらまた心配をはじめた。その菜々子に――。
「菜々子。お客様の御世話をなさい」
「はっ――はいっ!」
立ち直った菜々子が、詩織をソファへと連れて行った。特別仕様の病室なので、調度品も他とはまるで異なっている。
「お坊ちゃまは……、イッセー様は絶対に大丈夫です。必ず助かります」
菜々子を指揮し、支え、イッセーの大事な女性たちにイッセーの危機を伝え、ここに呼び寄せ、そして励ましている。
気丈に振る舞ってはいても、その心の中は不安でいっぱいだった。
イッセーのことは、ほかの誰よりも、いちばん心配している。
子供の頃から御世話をしている人物なのだ。主人なのだ。
「きっと大丈夫ですから。こんなことでどうにかなるはずがないんです」
いまにも不安で折れそうな心で、ちとせは自分自身にいい聞かせるように、そうつぶやいた。
◇
「メシができたぞ」
エプロンを着け、フライパンとお玉を持った格好で、イッセーは家主を呼びにいった。
家といっても、ここは気象というものが存在しない冥界。床と壁だけがあって、天井のない、開けた空間となっている。
ヘッドがわりのクッションの上に、ごろりと寝転がったままのポンコツに、イッセーは声をかけた。
「おい。エサだ」
「んー、まだ眠いのじゃー」
ポンコツは、そう返してくる。
「八時間三二分と十三秒、たっぷりと寝ただろう。長時間過ぎる睡眠は脳の機能を低下させるぞ」
「妾は神だからー、問題ないのじゃー」
ポンコツは、そんな幼稚な論を述べてくる。反論にさえなっていない。
だいたい、神とかいっても、食って寝て、生理機能は人間と大差ない。ぐーたらぶりと、堕落ぶりも人間と大差ない。
この数日間、生活を共にして、イッセーはそれをよく知ることとなった。
ここ数日、イッセーはアヌビスの身の回りの世話を行っていた。
食事の支度にはじまり、掃除にゴミ出し、ありとあらゆる家事を行った。
屋敷にいたとき、イッセーはその種のことは一切、やらなかった。しかし「できない」のではなく、「やらない」だけだった。
だがこの神は、まるで動こうとしないのだ。〝趣味〟を除いて、自分からは、なにひとつしようとしない。こちらは「やらない」のではなく、「できない」ほうである。
「おい。エサができてるぞ」
「あと五分~」
「食わんのなら、余がすべて食ってしまうぞ」
「ああ、もう~、食う。食うのだ~」
ようやく身を起こす。
さっきまで、しどけなく横たわっていたとき、服の裾がまくれあがっていた。
もしかしたら、角度によってはパンツが見えたのかもしれない。
だが、そういう偶然であってはならない。あくまで必然として、本人が自分の意思によって見せたものでなくてはならない。
了承なしに、あるいは隙をついて見ることは、違うのだ。
それではただの覗きである。
ただパンツを見れればよいのではない。おパンツを拝みたいのだ。
……自分でもなにを言っているのかよくわからないが。
アヌビスをテーブルに着かせる。
食事を皿に盛ってやって、ナプキンを首から提げてやり、手にフォークとナイフを持たせる。
そしてテーブルの反対側に自分も座る。
「食べさせてほしいのう」
「自分で食べろ。そこまでは面倒見切れん」
「ほれ。あーん……」
アヌビスは目を閉じて、口を開けて……、ずっと待っている。
まったく無視して、イッセーは自分の食事を続けた。
「……恥ずかしがらなくてもよいのじゃぞ?」
薄目を開けて、そんなことを言う。
「恥ずかしがってはいない。呆れているだけだ」
「おまえは〝好感度〟なるものを上げようと思っておるのだろ? 妾に対して、あーん、と、恋人イチャラブプレイを行えば、好感度がダダ上がりとなることは確実じゃ」
「そういうものか」
「うむ。そういうものじゃ」
イッセーは、渋々、嫌々ながら、フォークで突き刺したソーセージを、アヌビスの顔の前に突き出した。
最後の二、三センチばかりは、自分で動いてきて、アヌビスはソーセージを口に入れた。
「美味い」
「こんなもの。誰が調理しても一緒だ」
「いや。冥界の囚人たちより、おまえのする料理は、まったく美味い」
「天才だからな」
料理など、したことはなかったが、この数日の施行において、たしかに極めた感はある。
「ただ焼いているだけなのに、なぜ味が違うのだ? ……おまえの料理を、妾はずっと食っていたいぞ」
「そうか」
む? いま「ぴろりん♡」と、音が鳴ったぞ?
どこで鳴った? アヌビスからではなくて、もっと近くから鳴ったようだが……?
音の出所を突き止めるのを諦めたイッセーは、自分の皿のソーセージにフォークをぶっ刺して、口に運んだ。
しかしこの冥界……。ところどころ現世臭いところがある。
このソーセージだってそうだ。
現世の食材が、なぜあるのか?
アヌビスの私物で、ポータブルオーディオプレイヤーなんかが無造作に転がされていたりする。「MADE IN JAPAN」と書いてあったりする。アヌビスはそれでジャズなんかを聴いている。
「ところでアヌビスよ」
「なんじゃ」
「世話をしろというおまえの要求を、聞いてやったぞ。――そろそろこちらの要求も叶える頃合いではないか? 等価交換だ」
「ふっ。妾のは命令じゃ。聞かねば、アメミットに貪り食わせるだけのことよ」
「ではそうすればよいのではないか?」
最初の段階でアメミットとやらに食わせなかった以上、それができない、なんらかの事情あるいは都合が、向こうにあるに違いない。
「ぐうう……。貴様、神と取引とは、いったい何様のつもりだ?」
「しらん。神であろうとなんだろうと、取引は取引、契約は契約だ。それを破るというのであれば、神とやらは、所詮、その程度の存在だったということだ」
「だから契約などした覚えはないというに……」
アヌビスは困った顔をしている。
言うべきことをすべて言い終えたイッセーが無言で食事を続けていると、ちら、ちら、と、こちらを伺ってくる。
「き……、貴様の望みとは、なんなのじゃ? 叶えるという約束はせんが、いちおう、参考のために聞いておいてやろう」
「おまえには記憶力というものがないのか?」
やや呆れて、イッセーは言った。
最初に伝えていたはずだが……?
「そ、そうだな……。仮に貴様が、この冥界で永遠の生を得たいと願うのであれば、特別に、妾の世話役として使ってやってもよいぞ。本当はいけないのだが、特別、特別なのじゃぞ……?」
ちらっ。
「もしおまえがどうしてもと言うのであれば……」
ちらっ。
なにかを期待するような、この目線が、なんだかウザい。
菜々子が「ご主人たまー! これ食べていいですかー!」と言うときに通じるものがある。
「いや。結構」
引きこもりニートの世話をして、エサを食わせてやる役割からは、可及的かつ速やかに解放されたい。
いまは仕方なく〝好感度〟のためにやっているだけであり……。
「永遠の生はいらんのか? エジプトの王族どもは、こぞってそれを願ってきたものじゃが?」
「余をそんな俗物どもと一緒にするな」
「ではなにが望みだ? 人なりし身でありながら天才に生まれた者よ? 其方は、いったい、神になにを望む?」
だから以前、二度も言ったのだが……。
神とやらも、記憶力はないのだな。
そう判断して、イッセーはもう一度望みを口にすることにした。
「パンツを見せろ」
「……は?」
「だからパンツを見せろ」
「……は?」
この手のリアクションには、イッセーは慣れていた。
天才であるイッセーがなにか口を開くと、凡人はこの手のリアクションをよく返す。
神が凡人の側に含まれるというのが、すこし意外だったが、いつもの辛抱強さで、凡人の脳が追いついてくるのをじっと待つ。
「おパンツだ」
「おまえの言う……、ぱんつというのは……、つまり、下着のことかえ?」
「うむ。そのおパンツだ」
「……」
アヌビスはようやく理解した顔になった。
「出会ったときにも、最初に、おなじことを言ったろう」
「あれは死ぬ前の未練によって混乱していたのではなく……?」
「ああ。余は本気だ」
言い切ると、アヌビスの視線は、じっとりと湿度の高いものに変わった。
疑うような目つきをイッセーに向けてくる。
天才の脳裏に、ふと、閃くものがあった。
――待て? そもそもこいつは、パンツを穿いているのか?
「待て。その前に、まず、確認しておくことがある」
「な、なんじゃ……?」
「おまえはそもそも、パンツを穿いているのか?」
「……は?」
「神というものが、もしノーパンツな存在であるなら、パンツを見ることはできないことになる」
いちいち説明するまでもない自明の事実を、イッセーは説明してやった。
凡人ならぬ凡神に対して、どこまでも説明してやった。
「……は?」
「どうなのだ? おまえはその下に、パンツを穿いているのか? いないのか? まずそこを聞いておかない限りは、すべてがまったく無為に終わるぞ」
「な……!?」
「どうなのだ?」
食卓のテーブルに、ずいっと身を乗り出して――イッセーは迫った。
「……そ!? そんなことを話す必要がどこにある!?」
「そうでなければ契約が成立せん」
「な、なんの契約なのだ! そもそも貴様! 人間の分際で!! 神に対して契約を迫ろうとは……! 身の程を知れ!」
アヌビスは席を立って、憤然と歩いていこうとした。
その背中に、イッセーは声を掛ける。
「おい。料理がまだ残っているぞ」
アヌビスはダッシュで戻ってくると、席についた。
イッセーは笑いながら、憤然かつ黙々と食べているアヌビスの皿に、自分の皿からソーセージを一本、移してやった。
ばくばく食ってるアヌビスを見守りつつ――。
ふと、いつも自分の世話をしてくれるちとせなども、こういう気持ちだったのだろうかと――イッセーはそう思った。




