#04-01.「大冥界」
冥界の王アヌビス編、はじまりまーす。
冥界は異世界タグをつけなくてもよかったそうです。
「冥界」とか「霊界」とか、現代世界の宗教観の陸続きとなるものは、転生/転移タグの対象外なのだとか。公式Q&Aにばっちりまんま回答が書いてありましたー。
でもまあそのうち、何話か先には異世界にもちらっと行って帰ってくる予定なので、異世界転移タグはそのまま残しておきます。
「さて。今日も片付けちゃいますか」
お坊ちゃまの部屋の前で、ちとせはそう言った。
メイドの仕事は多岐に渡る。
広大な屋敷の掃除、洗濯、食事の支度、来客の対応、電話の応対、お坊ちゃまのスケジュール管理。あと菜々子のミスのリカバリー。(毎日なにか、どんがらがっしゃーん、とやらかすのだ)
そして最近のちとせの場合には、先日M&Aした外食チェーン店の経営問題までのしかかってきている。
それらすべてをちょっぱやで片付けて、ちとせが毎日楽しみにしている「趣味の時間」というものが――。
「もうっ。お坊ちゃまってば。どうして一日でこんなに散らかせるんでしょう。……ふふっ」
イッセーの部屋の片付けである。
まったくもう、毎日、整理整頓しているのに、なぜ、こんなに散らかしてしまうのか――。
天才であるイッセーの弱点のひとつだ。ちとせだけがそれを知る立場にある。
イッセーの部屋の片付けだけは、ほかのどのメイドにもやらせていない。
飲みさしの紅茶のティーカップがテーブルに置かれている。お坊ちゃまのお気に入りのティーカップである。
片付けようと手を伸ばし、把手に指をかけたところで――。
「え?」
ぱきっ、とカップが割れた。
手の中に残った把手を、ちとせはしばらく見つめていた。
はっ――と、顔をあげて、窓の外を見る。
お坊ちゃまの身に、なにか良くないことが起こっていなければよいのだけど……。
◇
「ふっふっふ……。ここがどこで、おまえは自分がなぜここにいるか、わかるまい。それ以前に、自分が誰であるかも覚えていないのであろう」
目の前の女は、そう言った。
イッセーは、軽く目を閉じた。自身のなかの記憶を探る。
わずかな抵抗があったものの、すこし意識を集中させただけで突破することができた。
自分が何者かを、すべて思い出した。
そして、もうひとつ思い出したのは、直前の記憶――。
横断歩道。転がる赤いボール。飛び出す幼女。
迫り来るトラック。
幼女とは距離があった。
いかにイッセーがオリンピック級の身体能力を持つ天才であるとはいえ、距離がありすぎた。間に合うタイミングではなかった。
だがそれは、幼女を助け、自身も無事に済ませるという選択肢の内側での話であり――。
単純な慣性の法則だった。
自身の運動エネルギーを幼女に与え、幼女を突き飛ばした後、自身はそこに留まるのであれば、幼女の擦り傷程度の負傷を引き換えに、命を助けることは可能だった。
よって、イッセーはそうした。
天才であるイッセーは、その判断を行うのに、〇・〇〇一秒しか要さなかった。
迫り来るトラックの運転席で、ハンドルを握りしめた運転手の、ひどく驚いた顔が、イッセーの最後に見た光景だった。
イッセーは目を開けると、目の前にいる女性に言った。
「おお。思い出したぞ」
「……は?」
黒髪の女性は、目を大きく開けて、間抜けな顔をした。
〝神〟も驚くことがあるのか。ということは全知全能ではないようだ。
この空も太陽もない不思議な空間で、イッセーはアヌビスという女性と出会った。
彼女は自身を〝神〟と名乗った。
イッセーは天才であるがゆえに固定観念に縛られるということがない。偏見も持たなければ決めつけもしない。必要以上に疑うこともない。
相手が〝神〟を名乗ったのであれば、反証が出ない限りは、その前提で物事を考える。
「おまえ……、生前の記憶を思い出したというのか?」
「ああ。すこし抵抗があったが、余が何者か、すべて思い出したぞ」
「信じられん……、死者はたいてい、自分が何者かも思い出せずに、うろたえておるのが常だというに」
「うむ。凡人ならば、そうだろうな」
「ここはどこ、私はだれ、なんでここにいる。――の豪華三点セットで、皆、ワンパターンに騒ぐのじゃ」
「問題ないな。ここは冥界だとおまえ自身がさっきそう言った。そして余が何者かは思い出した。なぜここにいるのかも――」
「ほう? 自分が死んだことも思い出したのかえ?」
神――アヌビスは、目を細めて、イッセーに聞いた。
「ああ。死んだ理由についても確認した。トラックと正面衝突では、さすがに助かるまい」
「あっさりしておるな」
「事実を認識して現状把握をしただけだが」
この世俗臭のする神は、イッセーが錯乱して騒ぎ立てることを期待しているらしい。
だが正直、期待には応えられそうにない。なぜならイッセーは天才だからだ。
「むー。つまらないぞ。死んだことを受け入れられない死者をからかって、ぷーくすくすと言ってやるのが妾の楽しみなのに。――どうしてくれる?」
「悪趣味だな。それは置いておいて――。アヌビスよ。余はパンツを見たいぞ」
「唐突だな。そういえばさきほどもそんなことを口走っておったな。なんだそれは? 死ぬ前の未練か?」
「未練などない。いいからパンツを見せろ」
「おまえ。神に対して命令するのか」
「む……?」
〝お願い〟というものを、イッセーはその人生において、何度もしていない
だが「パンツを見せてくれ」という件では、何度か行っていた。
「パンツを見せてくれ」
「同じであろう。要求しているではないか」
「これでも譲歩しているのだ。頼んでみたぞ」
「なぜ妾がおまえにパンツを見せねばならぬのだ」
その問いに、イッセーは、しばし考えた。
「なぜなら。そこにパンツがあるから。……だな」
「わけがわからないぞ。死者は妾の玩具なのだ。おまえも、さあ――妾を楽しませろ」
アヌビスはどこからか金の道具を持ち出してきた。
棒の両端に小皿が一つずつぶら下がっている。天秤という重さを量る道具だった。
「この天秤で、おまえの罪を量ってくれよう」
天秤の片側に、空中から取り出した羽根を一枚載せ――。
そして、またもや空中から、どっくんどっくんと動く、肉色の肉塊を取り出した。
「これはおまえの心臓だ。おまえが生前に犯した罪は、この心臓の重さとなる。もしも羽根よりも重ければ、おまえは地獄行きだ」
「ふむ」
「おまえの魂は転生の輪にも乗ることができず、冥界の獣アメミットによって食い荒らされることになろう」
「そうか」
「ふはははは! 苦しいぞ! なにしろ苦しみは永劫に続くのだからな!」
「なるほど」
「ははははは! もっと怖がれ! 恐れおののくがよい! 神ならぬただの人のおまえには! 恐怖することしかできないのだーっ!」
「おわったか?」
イッセーはそう言った。
わりと辛抱強く待っていたほうだと思う。
「なぜおまえは恐れない!?」
「それで余の心臓を量るのだろう? はやく量ればよいのではないか?」
「う、うむ……」
しぶしぶと、アヌビスは心臓を天秤に乗せた。
そして、天秤は――。
羽根の側へと、傾いていった。
「ば、ばかな……!? おまえが生前に犯した罪は、羽根よりも軽いだと……!?」
「そ、そんな人間が……!? なにも罪を犯していない人間など、いるはずが……!?」
妙なことを言う。
ならばなぜ量るのか。
必ず有罪となるのであれば、そもそも、罪を量る行為が無意味ではないか。
しかし、しょっちゅう驚く神である。
やはり神とやらは、全知全能からはほど遠いようだ。
「用は済んだようだな。それではパンツを見せろ」
「またそこに戻るのか……」
げっそりとした顔で、アヌビスは言う。
ふむ。この反応は斬新かつ新鮮だな。
これまでイッセーがパンツを見せろと言った相手は、たいてい怒りをあらわにしてきた。
「おまえ……。変だぞ……」
なにを言う。パンツを見たいと思う気持ちが、変なわけあるまい。
イッセーは今後のプランを立てた。
おそらく現状としては、〝好感度〟は最低といったところだろう。
まずは、好感度稼ぎからだな。




