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#03-02.「本屋さんにカミングアウトしてみた」

 空模様が怪しくなってくる中――。雨が降り出す前に屋敷へと帰り着く。


「帰ったぞ」

「お帰りなさいませ。お坊ちゃま」


 両手を体の前に揃えて、メイド姿のちとせが深々とお辞儀する。学校のカバンと、買ってきた本を袋ごとを渡しつつ、ちとせの顔を見るとなぜだか落ちつくな、とイッセーはそんなことを考えていた。


「本日も本屋さんですね。御首尾のほうは、いかがでしたか?」

「うむ。成果は上々だったぞ。ぴろん、も何度も聞こえてきたからな」

「ぴろん?」

「ああ、こちらの話だ」


 好感度なるものが上がったときに、「ぴろん♡」という音が聞こえてきているのは、イッセーが修練の果てに辿り着いた境地である。

 そう聞こえるように感じる、というだけであり、なにも本当に聞こえているわけではない。


「お食事の用意はすぐに整いますが。先にお食事をされますか。それともご入浴をされますか」

「そうだな……」

「センパイ、そこはもうひとつ足さないとー。〝私になさいますか〟って言わないとだめですよー」

「菜々子!」


 菜々子の入れてきた茶々に、ちとせが鋭い声をあげる。

 その顔は赤い。


「なんだ? その――〝私になさいますか?〟というのは?」

「お坊ちゃまは知らなくてよいことでございます」

「ふむ。そうか」


 イッセーは鷹揚にうなずいた。


「まずは紅茶をもらおう」


 そう言ってソファーにかける。


「はい」


 ちとせがそう言って、紅茶の支度に入る。

 菜々子がそれを手伝う……というよりは、つきまとって、お茶菓子のおこぼれを狙っている。


「そういえば、明日の予定だが……」


 立ち働くメイドたちの背中に向けて、イッセーは声を投げかけた。


「はい」

「すべてキャンセルだ」

「はい」


 うなずいたあとで、ちとせは付け加えるように聞いてきた。


「……外相との会合ですが、よろしいので?」

「そんなものよりも重要な要件が入った。明日は、松浦詩織と市立図書館に行く約束だ」

「……は?」


 要件を告げると、ちとせは固まっていた。

 イッセーはちとせの顔を、不思議そうに見つめた。


「お坊ちゃま……、デートですね!」


 菜々子が騒ぐ。


「デート?」

「ご主人さまー、デートというのはぁ――」

「知っている。だがこれはそういうものではない。彼女と図書館に行く約束を――」

「だからそれがデートなんです!」


 ちとせが大声でそう言った。


「余の理解によると、デートとは、男女が二人きりで性的な目的のために、ロマンティックな場所に出掛けることを〝デート〟と呼称するはずだが?」

「まんまじゃないですか」

「いや。余はパンツを見たいだけであって、性的な気持ちなど、まったくないぞ」

「……」


 ちとせは黙りこんだ。そのちとせの耳元で、菜々子が聞く。


(ご主人さまは、あれって……天然なんですか?)

(わかっていないんですよ。……ちぃっ)


 ぎりっと顔を歪め、ちとせはそこで凄絶な舌打ち。

 びくぅ、と菜々子が怯える。


「どうした?」

「いえ……、少々驚いていただけです」

「なにを驚く?」

「いろいろなことに。……とりわけ、お坊ちゃまがデートの約束を取り付けてきたことに驚いています」

「当然だろう」


 イッセーはふっと鼻息を洩らした。

 JKの咲子(にこ)のときには、ちとせからずいぶんとアドバイスを受けたものだった。


 今回はイッセーは自分で攻略を進めている。

 ただ本を買ってくるだけで、「ぴろん♡」「ぴろん♡」と好感度アップ音が連打されている。

 アドバイスを受ける必要がないというか。挫折がないというか。


「今度の女はちょろいのですね」

「うむ?」

「いえ。今回はすごいスムーズですね、とそう申しあげました」


 イッセーが聞き返すと、ちとせはそう言い直した。


 どうもさっきから、ちとせの様子がおかしい。

 菜々子に目をやるものの、菜々子の目はワゴンに載ってる紅茶とお茶菓子セットを注視していて、ぜんぜん、こっちを見やしない。


 ちとせは大きなため息をひとつついてから、カップに紅茶を注ぎはじめる。

 蒸らし時間はきっかり三分間だ。


「お坊ちゃまがフラグをへし折ってこられないので、サポートするこちらとしては楽なのですが……」

「フラグ? なんだそれは?」

「お坊ちゃまに説明しても、たぶんご理解なされないと思います」


 ――またそれか。

 ちとせはよく、そう言って説明を拒むことがある。

 これまでは深く考えず、問い直すこともしなかった。ちとせが言うならそうなのだろうと、それで済ませていた。


「余はその〝フラグ〟とやらを、折っているのか?」


「わざとやっているのではないかと思うときがあります。お金を積み上げてみたり、第一声にパンツを見せろと叫んでみたり」

「ふむ?」

「ご主人さまー、百年の恋も冷めるっていうやつですよー」


 スコーンを頬張りながら、菜々子が言う。その頭を、ちとせの手が、べしっとはたく。

 メイドのヘッドドレスが落っこちて、菜々子が慌てて拾いにかかる。


「ふむ……」


 紅茶を口に含みながら、イッセーは考えた。


 ――わからない。

 最初に目的を伝えることは、こちらの意図を明確にする行為であり、誠実な振る舞いだと思うのだが……。なにがいけないのか。まったく理解できない。


 目的を隠して近づくことのほうが、よほど不誠実に思える。


 イッセーは紅茶を一口、飲んで――。


「……!」


 とんでもないことに――たったいま、気がついた!


「お坊ちゃま?」


 物凄い勢いで椅子から立ち上がったイッセーに、ちとせが聞く。


「出掛けてくる!」

「えっ? 外は大雨ですよ?」


 ちとせは窓の外を見る。夕方から雲行きがおかしかったが、いまはもう、すっかりどしゃ降りとなっている。


「それでは車をご用意――」

「いらん!」

「あっ! ちょ――!」


 ちとせの声を振り切るように、イッセーは部屋を飛び出した。


    ◇


 走った。走った。走った。

 大雨の中を、駅前に走った。書店へと、全力で駆けていった。


 到着したとき、閉店時間をわずかに過ぎていた。店のシャッターはまだ半分ほど開いていて、店内の灯りが足下だけに洩れ出している。


 イッセーはシャッターをくぐって、店内に入った。


「はぁっ……、はぁっ……、はぁっ……」


 水を滴らせながら、荒い息をつく。


「ど、どうしたんですか? お、お客……イッセーさん?」


 びしょ濡れで店内に現れたイッセーを、詩織はびっくりした顔で見つめている。


「わ、忘れ物……とか? ……ですか?」

「……」


 イッセーはただ詩織を見つめるばかり。


「ああもうそんなびしょ濡れで――、どうしましょう? どうしましょう? ああそうだタオルが――、とにかくこれで拭いてください――」


 わたわたと慌てる詩織は、自分の私物らしきタオルを出してきて、イッセーの頭からかぶせた。

 だがイッセーは構わず、まっすぐに詩織を見つめるばかり。


「おまえに言っておかねばならないことがあった」

「あっ――、は、はい。……な、なんでしょう?」

「余が最近、足繁くこの店に通っていることには――理由がある」

「は、はい」


 詩織は話を聞こうとして身構える。


「おまえのパンツが見たかった。それが理由で、この店に通っていた」

「……はい?」


 詩織はぽかんと、口を半開きにした。


「最初にそれを言うべきだった。余のミスだ」


 イッセーは頭を下げた。生まれてはじめての謝罪だった。


「ええっと……。つまり……。お客さんは、エッチなつもりで、お店に来ていたと……、そういうことですか?」

「いや。そういうつもりはない。ただ余はパンツを――」

「同じでしょう。どこが違うっていうんですか」


挿絵(By みてみん)


 詩織の声は冷え切っていた。眼鏡の下の目を嫌悪に染めて、詩織はイッセーを睨むように見ていた。


 イッセーは彼女の体から立ち上る陽炎のようなものを見た気がした。


「ええ。はい。……わかりました」

「わかってくれたか」


 イッセーは、ほっとした。

 目的を隠して近づいたわけではない。目的を言うのを、うっかり忘れていただけなのだ。

 十数分前、そのことに気がついた。よって可及的速やかに、伝えにきたのだ。全速力で。


「お話はわかりました。お客さんが、最低な人だったということが、よく、わかりました」

「う、む……」


 〝最低〟の言葉を、イッセーは甘んじて受けた。


「お帰りはあちらです」


 詩織の目がシャッターに向けられる。


「詩織……」

「名前、呼ばないでもらえますか。あと、もう閉店していますので、帰っていただけますか」


 弁解の余地は、もらえないらしい。


「あ、ああ……」


 イッセーはうなだれると、店を後にした。


 外に出ると、傘を手にしたちとせが待っていたが、イッセーはその横を通り過ぎた。

 傘を受け取らず、雨に打たれながら歩いた。

フラグがへし折られましたが、明日はデートの約束の日です。

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