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#03-01.「本屋さんに通い通してみた」

「本……ですか?」


 屋敷のメイド――ちとせは、学校から屋敷に帰ってきたイッセーのカバンを受け取ると、不思議そうな顔をした。

 学校のカバンのほかに、袋がひとつ。


 お坊ちゃまが買い物をされてきた。

 そのことはべつにかまわないのだけど――。


 買ってきたものが「本」だったからだ。


「うむ。今日は書店に寄ってきたぞ」

「はぁ。……でもわざわざ買われなくても」


 豪徳寺一声は、天才だ。

 一度見聞きしたことは忘れない。

 本など、数秒もあればすべてのページを、その頭脳に収めてしまえる。


 つまり、読み返す必要がない(、、、、、、、、、)


 よって、本を所有する必要がない。

 実際、イッセーの書斎には一冊の本もない。


「お坊ちゃまは、本の内容なんて、何秒かあれば暗記されてしまえるじゃないですか」

「次のターゲットが、書店の店員なのだ」


 その言葉に、ちとせの顔が、ぴき――と固まった。


(また次の女ですか……)


 小さな声で、口の中だけでつぶやく。


「なんだ? 聞こえなかったぞ?」

「いえ。なんでもありません」


 ちとせは、意識して、表情を柔らかくした。


 あるじの望みは自分の望み。――と言い聞かせる。

 嫉妬なんてしてません。嫉妬なんてしてません。これは呆れているだけです。――と呪文のように心の中で繰り返す。


「まさかまた札束を積んできたんじゃないですよね? マイナス一億点からのスタートは、サポートするこちらも大変なんですけど」

「いや。前回はそれで失敗したからな。同じ愚を繰り返すことはしない」

「それはようございました」


 上着を受け取る。首から抜き取ったスカーフを受け取る。

 十数年も続けてきた作業なのに、なぜか今日は注視ができなくて、その背中から目を外した。


 話題を変えるように、ちとせはイッセーに質問した。


「それで? 次の方は、書店の店員と言われましたか?」

「うむ。駅前の書店だ」

「わかりました。さっそく調べておきます。――黒部」

「はっ」


 ちとせが部屋の隅に声を投げると、突如として、そこに黒服黒メガネの男が現れた。

 いや――。現れたというよりも、はじめからそこに立っていたものが、認識できるようになったというべきか。


「駅前の書店です」

「御意」


 黒服の男の姿は、溶けるようにして、かき消えた。

 次なるミッションがはじまった。


 ちとせは、ふう、と、ため息をついた。


 ちとせのあるじは燃えあがっている。服を脱いだその肌から、湯気のように立ち上がるものがある。


 ちとせは余計なことは考えず、行動するようにした。

 すべては、あるじのために――。


    ◇


「いらっしゃいませー。……あっ」


 店を入って声をかけられたタイミングで、女性店員は、入ってきた客がイッセーだとわかったようで――。顔をほころばせた。


挿絵(By みてみん)


 「あっ」という声には、喜びの色が含まれていたが、空気を読むのが苦手なイッセーには、そこのところのニュアンスは伝わっていない。


 彼女の名前は松浦詩織。姓のほうは名札があるのですぐにわかったが、名前のほうはしばらく不明だった。店内にあったオススメ本のPOPに「詩織のオススメ」とあり、それによって判明した。


「今日も来てくれたんですね」

「うむ」


 イッセーはうなずいて肯定した。

 聞かれたことに簡潔に答えてから、ちとせの「女心講座」とやらを思い出す。


 ちとせ、いわく――。


    『会話は簡潔に終わらせてはいけません。要件を伝えるのだけのものは会話とは呼びません』


 その指南に基づいて、まったく意味のないことを、イッセーは言ってみることにした。


「今日は良い天気だな」

「はい! そうですねー。こんなお天気の日には、お外で本を読みたいですねー。仕事中なので、できませんけど。……あはは」


 おお! まったく意味のないと思われた会話から、なんと、新たな会話が派生した!

 イッセーは驚いていた。


 ちとせ、おそるべし。


 そして彼女の――詩織の笑顔もゲットできた。

 好感度が高ければ笑顔となり、好感度がマイナスになれば嫌な顔になる。

 現在のこの笑顔によれば――現在の好感度は、かなり高い水準にあるに違いない。

 好感度スカウターなるものがあれば良いのだが……。

 こんど技術部あたりに作らせてみるか。開発費を二〇〇億円ほども積めば作れるのではなかろうか。


 ここ数日ほど、イッセーはこの書店に通い詰めていた。


「今日はどんな本をお探しですか?」

「昨日は世界の歩き方を攻めていたからな。今日は手芸か料理の本にしよう」


 各コーナーを時計回りに制覇してゆくなら、今日はその順となる。


「本、お好きなんですねー」

「うむ。知識を得るのは好きだな」


 「ぴろん♡」という音が聞こえたように思えた。

 好感度があがるタイミングというものを、最近、イッセーは掴めるようになっていた。


 菜々子が最近、「ぴろん♡ ぴろん♡ 好感度っ♪ 好感どーっ♪」とか、調子外れに歌いながら仕事をしている。「ぴろん♡」というのは、そこに出てくる音だ。なにかの効果音なのだという。


 イッセーは店内を歩きながら、ちとせから言われたことを思い返していた。


 作戦参謀のちとせからは、「本好きは絶対に否定したらダメですからね」と、強く言い含められている。


 詩織からは、どうも「本好き」と思われているらしい。

 毎日、書店を訪れて、ただ本を選び、十数冊ずつ買って帰るだけ。それで自動的に好感度が上がっていってくれている。

 このボーナスタイムが発生する理由は、「本好き」と思われていることにあるらしい。


 その進言に従い、イッセーは、馬鹿正直に「いやべつに本は好きではない」などと言わないようにしていた。

 言えば、好感度ボーナスタイムが終わってしまうのはわかりきっている。


 いつものように本を十数冊ほど選んだ。

 選ぶあいだにじつは〝読書〟が何十冊も終わってしまっている。買うために選んだ十数冊は、そのなかでも有益な内容の記された本だ。


 レジに持っていって、積み上げると、詩織のメガネの奥で、目が光った気がした。


「いつもながら……、チョイスが……」

「なにか問題があったか?」

「あっ――! いえ! 違うんです! これは! いまのは独りごとで! ああ――いえっ! いつも独りごとを言ってる危ない女じゃないですよ! ただお客さんの選ぶ本が、わたしのお勧めと、いつもかぶるなぁー、って!」

「それはすまなかった」

「いいえ! ぜんぜん! そんなことないです! むしろ素敵っていうか! 本の趣味がこんなに合う人なんて――ああいえっ! べつにそういう意味じゃなくて!」


 〝そういう意味〟っていうのは、どんな意味なのか、まったくわからなかったが……。


 「ぴろん♡」は聞こえた。何回も連続して打ち鳴らされていた。


「ごめんなさい。変ですよね。し、仕事しますね……」


 それきり、詩織は無口になる。

 十数冊の本は、つぎつぎとバーコードを読み取られてゆく。

 ぴっ、ぴっ、という音だけが、店内に響く。


 イッセーの心の耳には、「ぴろん♡」「ぴろん♡」という音のほうも聞こえていたが……。


 しかし……。

 なんにもしていないのに、なぜ、上がる?


 まあいいか。

 イッセーの目的はパンツを見ることだ。手段や途中経緯については、委細、気にしない。


「七三二三円です」

「うむ」


 〝現金〟で支払う。

 一万円札を、ぴっと一枚抜き出したときに――イッセーには思うことがあった。


 この現金払いというのは、ちょっと刺激的な感覚だった。


 ジュラルミンケース満杯で、一億、二億、という単位でなら〝現金〟を使うこともある。

 だが今回のように、一万円札をただ一枚出すとか。あまつさえ〝お釣り〟などをもらうなどというのは――イッセーにとって、生まれて初めての経験だった。


 ちとせが言うには、クレジットカードは使うべきではないのだと。

 現金払いが庶民的なのだと。

 庶民的なほうが、好感度につながるのだと。


「二六七七円のお返しです」


 お釣りなるものが、千円札と五百円玉と百円玉と五十円玉と十円玉と五円玉と一円玉になって返ってくる。

 くらり、とくる。

 なぜこんなに種類が多いのだ。全種類まんべんなく返ってくるとか、これはなにかの罰ゲームだろうか。

 恐ろしく非効率なことをやっている気分になる。


「……間違えてました?」


 手の中の、千円札と五百円玉と百円玉と五十円玉と十円玉と五円玉と一円玉とを見つめて、途方にくれているイッセーに、詩織が声をかける。


「いや。ぴったりと合っている」

「よかった」


 「ぴろん♡」が聞こえた。


 わからん。いまなぜ上がったのかわからん。

 ……まあいい。


 本日のノルマは達成した。相当数の「ぴろん♡」を聞いた。

 このまま会話を続ければ無限コンボになると思うのだが、ちとせによると、それは悪手であるそうだ。

 いつまでも店に居座ってしまうのは、好感度にとっては、マイナス要因であるそうだ。つかず離れずぐらいが良いらしい。

 作戦参謀のアドバイスを信用して、イッセーは引き際をわきまえることにしていた。


「また明日も来る」

「あっ、あのわたし、明日はお休みで……」

「そうか。……では明後日に来よう」


 それはイッセーにしてみれば、詩織がいないのであれば来る意味がない、という意味でしかなかったが――。


 ぴろん♡ ぴろん♡ ぴろん♡


 だからなにが起きているのだ?


 連打される音を聞きながら、店を出ようとすると――。


「あっ、あのっ……!」


 詩織が必死な声色で呼び止めてきた。


 イッセーは足を止めて、話を聞く。


「わたし……、明日はお休みで……」

「それはさっき聞いたな」

「いつもお休みの日は……、と、図書館に行くんですけど……」


 図書館か。

 公共のために本を収集、陳列し、利用者に閲覧と貸し出しを行う施設だったな。

 行ったことはないものの、知識としては知っている。


「あの……、よかったら……、い、一緒に……、行きませんか? ああちがうんです! べつにそんな意味じゃなくてっ!」


 そんな意味とは、どんな意味だろう?


「あそこの図書館、本の蔵書がすごい充実していて……! だから、あの……趣味が合うお客さんと一緒に行けたら、すごく、楽しいだろうなーって思って……!」


 必死に話し終えたのに、まだ口をぱくぱくとさせている。


挿絵(By みてみん)


「イッセーだ」

「はい?」


 眼鏡の下で、目がぱちくりとしている。


「いつまでも〝お客さん〟というのも変だろう」

「そ、そうですね! じ、じゃあこれから、イッセーさん、って呼んでいいですか!」

「もちろん」

「わたしは詩織です。松浦詩織」


 うむ。知っていた。

次回も一週間後の火曜19時更新です。

今後も、週一更新の予定です。

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