七十五話『神樹の えき』
――― …
「… 駅長さん!駅長のおじいさん!」
クリスさんが、そう言ってホームの片隅のベンチに座って目を閉じている老人の身体を揺さぶる。
駅長、と呼ばれた老人はゆっくりと目を開けて、目の前の赤髪の女性を薄目で見つめた。
「… おや。クリスちゃんかい。おかしいの。今日は列車の運行はしない予定のはずじゃが」
「臨時便です。お客様を乗せて欲しい、とルーティア様からの指示が。それで私、ここまで案内してきたんです」
「… 臨時便」
老人はベンチから立ち上がり、クリスさんは何やら書面を老人に手渡す。
胸ポケットから老眼鏡を取り出すと、駅長はまじまじとその書類を見つめ… そして俺達の方を見る。
「… 4人。クリスちゃんを入れると5人かね。貸し切り列車じゃの」
「ええ。お願いできますでしょうか」
「勿論。ルーティア様の頼みであれば、断る理由もあるまい。指示書は確かにいただいたしのう」
老人はそう言って笑うと、クリスさんから手渡された書類を折り、ポケットにしまう。
そして先程まで座っていたベンチに置いてあった、紺色の帽子を被り、俺達の方に歩み寄って頭を下げた。
「ようこそ、お客様。 『神樹の駅』へようこそ。 ワシが駅長ですじゃ」
白髪と白鬚の老人は、にっこりと優しそうな笑みを俺達に向けてくれた。
――― …
『神樹の駅』は、森の中にまるで溶け込むように存在する、小さな駅だった。
木造の小さな駅長官舎がポツンと一つあるだけで、あとは木で造られたホームとベンチがあるだけ。
線路にもホームにも、苔と木々が侵入するように生い茂り、結界などなくても誰にも気付かれないような古く小さな駅だった。
しかし、その駅を圧倒するような巨大な『魔力列車』は、悠然とその駅につき、俺達を待ち構えるようにそこに存在している。
炭水車のような形の先頭車両に繋がれる客車は、3両。後ろに貨物列車が、3両。
客車はどれも大きなもので、全部含めれば数百人は収容できるであろう。
窓から車内を覗くと、全体を落ち着いた赤で統一した車内は、豪華な特急列車をイメージさせた。
向かいあわせの座席が複数。俺達のいた世界のような近代的なものではなく、ほとんどの車内設備は木製で統一され、モダンで豪勢な印象を与えさせる。
古い映画で見るような、豪華な列車。
魔力列車は、出発の時を待ち構えていた。
「さ、みなさん。出発しましょう!」
クリスさんにそう言われても、俺達は駅のホームからその列車を呆然と眺めていた。
「… カメラ、持って来ればよかったっスね」
「… 夢の中に持ち込めたらな。 くそー、現実の世界じゃこんな豪華な列車、乗れるコトないんだろうなあ…」
まあ、夢の世界ならではか。まさしく『夢で見るような光景』の駅と列車に、俺達は静かに感動していた。
「ぼ…ボク… こ、こわいです…。列車なんて乗り物、見るのも乗るもの、ハジメテで…」
カエデの言葉に、駅長は白鬚を揺らして笑う。
「まだ実用して運行されている魔力列車はないですからの。これはあくまで試作車…。 魔科学研究所とイオットの村を結ぶだけの、お試し路線ですじゃ」
駅長に続けて、クリスさんも俺達に説明してくれる。
「イオットの村で作成された高精度の魔力物質や作成物、それに森や山で採れる魔力石なんかをこの列車で研究所まで運んでいるんです」
「運行は…まあ、一週間に一回程度ですかね。列車もこの子一つしかありませんし、ピストン輸送のみ行っています。私も何度か乗って、研究所で勉強しにいきました」
「試作段階とはいえ、安全面はお済付きですから。安心してくださいね、カエデさん」
「は… はい…」
そう言われても、カエデは生返事しか出来ないようだった。
「えーと、魔科学研究所まではどれくらいの距離を…?」
俺が聞くと、駅長さんは少し考えて答えてくれる。
「ざっと200km… 時間にして4時間程度ですかの。短い旅ですじゃ」
4時間というと… 現実世界よりは大分ゆっくりしたペースで走る列車らしい。
敬一郎が手を上げて、次の質問をした。
「線路をずっと走るワケでしょ?魔王の手先に見つかったりはしないんですか?」
今度はクリスさんが、勝ち誇ったような怪しい笑みを浮かべて返答する。
「魔力列車の車体の周りには、この駅と同じような車体の存在を消す魔法のバリアが常に張られています。見つかる事はまずありません」
「同様に、駅、線路、研究所、全てに同じ結界魔法がかけられていますから…。まあいってみれば『幻の』路線なのです。魔法使いのみ使える、魔法の列車ってワケですね」
魔法の列車か…。なんだか、ワクワクしてきたな。
「積もる話もあるでしょうが、とにかく出発しましょう!4時間程度とはいえ長旅ですから、みなさんの質問にもたっぷり答えられますよ!」
クリスさんが言い、駅長も頷く。
「そ… そうだな。それじゃあ… 出発して、もらおうか」
「うおー!ついに乗れるんスねー!! あああ、ホントにここにスマホがあれば思い出に残せるのにぃぃ…」
「脳裏に焼き付けておこうぜ、悠希ちゃん」
「す、すまほとはいったい… もうボク、分からない事だらけで…」
混乱して目を回しているカエデの手を引いて、俺達は列車のドアの前に並ぶ。
「ところで、運転はどなたが?」
俺が聞くと…。
駅長が、魔力列車に告げた。
「オープン」
そう言うと、まるで執事がドアを開けるようにゆっくりと静かに、列車の入り口が横にスライドして開いた。
そして駅長はにっこりと微笑み… 帽子の位置を直しながら、俺達に言う。
「魔力列車、まもなく出発致します。 ワシが駅長兼運転手の、しがない爺ですじゃ」
――― …