五十六話『遥か遠い むーくらうど』
――― …
「…おや」
村にあるという高台は随分と高いもので、上るのにも一苦労だった。
高台というよりは木で作った塔、と言った方が正しい。耐性のない者なら気絶しそうなほどの高さのある代物だ。
俺が何十分かかけてようやく頂上にたどり着くと、そこには見知った顔があった。
町長の執事さんだった。
双眼鏡のような道具から顔を離すと、シワを伸ばすようににっこりと、落ち着いた笑みを俺に浮かべてくれる。
「マコトさん。ご無事だったというお話は聞いていましたよ。またお会いできて何よりです」
「執事さんも。お互い生きて出会えたのが奇跡みたいですね」
「…マコトさんには申し訳ない事をしてしまいました」
「私の操縦の腕が確かであれば、マコトさんをあんな危険な目に合わせずに済んだものを…」
「本当に、申し訳ありませんでした」
丁寧な角度でお辞儀をする執事さんに、慌てて俺は首を横に振った。
「な、なに言ってるんですか!魔力船を掴まれたのはまったくの不意打ちだったじゃないですか。誰のせいでもありませんよ」
「むしろ、こうしてイオットの村まで安全に悠希と敬一郎を連れてきてくれたのも、執事さんのおかげなんでしょう?感謝するのはこちらですよ」
俺の言葉に、執事さんはもう一度頭を下げて、あの後の経緯を話してくれた。
「折れた鉄製のクレーンをつけたままの航行は不可能でしたからね。いけるところまでムークラウド方面に戻り…神樹の森を抜けた辺りのところで、不時着致しました」
「イオットの村があるのは存じておりましたからな。近くに身を隠せるところがあって、幸いでした。年寄の知識というのも案外役に立つ時があるのですな」
そう言って執事さんは上品に微笑む。
「…でも、この村、魔力がないと見えないんでしょう?悠希は多少あるけど… 執事さんが見つけた、って聞きましたよ」
「魔法、使えるんですか?執事さん」
俺の探りに対して、執事さんは双眼鏡のような道具でムークラウドの方を再び向き直す。
「いえいえ。昔取ったなんとやら… ですよ。大したものではありません、マコトさん」
そう言ってはぐらかすようにまた高台からの監視に専念する執事さん。
…タダ者ではないな。俺はそう感じた。
――― …
「見えますか?」
執事さんが使っていた双眼鏡を借りて、俺は先ほど執事さんがやっていたようにムークラウドの方向を見てみる。
「魔眼鏡 という物らしいです。魔力がその機械の中に蓄積されていて、遠くの景色を肉眼以上に正確に見る事が出来るとか」
「とはいえ、ムークラウドからはかなり離れた場所ですから、そこまでハッキリと見えるワケではありませんが…」
これも魔法アイテムって事か。とはいえ、使用効果は現実世界の双眼鏡と大差ないな。
高台から見える景色は、一面の草原。俺と執事さんの後ろには神樹の森が広がり、前の方向には地平線の先の方まで緑の草木や樹木が生えた広大な土地がある。
肉眼では何も見えない。
しかし、魔眼鏡を使った俺の視界の先には…。
本当に小さく、だが… ムークラウドの街の、塀が見えた。
門が閉じているかどうかさえ分からない小さな視界。
だが… その街から、おかしな『煙』が立ち上っているのが見えた。
「… 瘴気。あれが…」
その煙は、塀の内側から。まるで街全体が火事になっているように、空へと昇っている。
だが、火事ではない。
『瘴気』と呼ばれる煙は炎の煙より遥かに薄く… そしてそれは、紫の色を帯びているのだった。
薄く立ち上る瘴気が、ムークラウドの街全体からフワフワと浮かんでは消えていっているのが、俺の目に見えた。
執事さんが俺の横につき、同じ方向を向きながら話してくれた。
「瘴気とは、まあ子どもにも分かるように言えば…『悪い魔法の気配』ですな」
「黒に近い紫の魔力。主にアンデッドなどの魔物や魔族が潜みやすい魔力の結界だと推測されます」
「つまり… ムークラウドの街中に魔物がいるっていう事ですか!?」
「可能性は高いかと」
執事さんの言葉に俺はゾッとした。
あの街中全てに、瘴気は見えている。という事は…。
「じゃあ…街の中にいる人達は!?ムークラウドの住人は…今どうなっているんですか!?」
「街の門が閉じている以上、分からないというのが現状です。外部との交流を遮断していますし… 通信機でも魔力が届かないのです」
「ムークラウド全体が魔力のバリア…瘴気の結界に包まれているようですな」
「… … …」
じゃあ… あの街の中にいる人達は、どうなっているんだ?
ムークラウドには大多数のモブキャラ… 学校の生徒達が無意識に夢の時間を生活しているんだぞ…!
キオ司祭… 安田先生は?
ゴトー町長… 校長先生は?
シャーナ… 宮野沙也加は…!?
瘴気が魔物の気配だというのなら、まさか…。
俺は考えたくない事実を、認識しはじめていた。 しかし、思慮しはじめたところでその考えを執事さんが強引に打ち切らせる。
「中の住民に危害が加えられていると考えるのは早計だと思いますよ、マコトさん」
「…え?」
その言葉に俺は魔眼鏡から目を離して執事さんの方を向いた。
「例えばこの間のように魔物の襲撃を受けたとする。それであれば、街の門が全て閉じられているのはおかしいと思いませんか」
「普通であれば東西南北、どれかの門に住民が殺到して、少しでも逃げ延びようとするはずです」
「ところが、門は全て閉じられている。しかもあの街から住人が逃げたという話も聞かない。ムークラウドの周囲は草原ですが、このイオットの村方面に逃げてくる人がいてもおかしくないはずです」
「私はここにきてから絶えずムークラウドの方面を監視していますが… 街の門は開かず、中から逃げてくる人もいません」
「どう思いますか、マコトさん」
「… … …」
街の中から瘴気が溢れているのは確かだ。
しかし…住人が外に出る様子も、気配もない。門は開かないまま…。
まるで…。
「中に、閉じ込められている?」
俺の考えに、執事さんも頷いた。
「そう思うのが妥当かと」
「街は高い塀に囲まれていますから、魔物の襲撃は先日のゴブリン達の襲撃のように分散されます」
「それであるのならば、門を閉じたままにしておく必要がないのです。最悪の場合は街から逃げ出す選択肢を出しておかなくてはいけませんからな」
「西から襲撃があれば、東へ。北から襲撃があれば、南へ… 逃げ出せる。しかし四方の門は未だ開かない」
執事さんはムークラウドの方向を見てそう語ると… 俺の方を向いて、真剣な目で言った。
「そしてもう一つ。イオットの村には周辺の魔物の気配を察知する能力を持った人間も多数います」
「この村の長であるルーティアさんもその一人。この場所からでもムークラウドの街の方面に魔物が近づけば… 気配を察知するくらいなら出来るそうです」
「先日のゴブリン達も、ルーティアさんは魔力を感知できたそうです」
「… しかし、今回の場合… ある日急に、あのように街の門が閉じられ、瘴気が街に溢れだした、と」
… … …。
つまり、どういう事だ。
魔物がムークラウドの街に全く近づかず… かつ、今の瘴気まみれの街になっているという事なのか。
つまり… あの中にいるのは、魔物じゃない…?
しかしあの禍々しい色の瘴気は… 一体なんなんだ?
「… その謎を、解き明かしにいかなくちゃいけないんですね」
「ですからルーティアさんも、マコトさんの腕試しをしたのだと思います。魔法生物をけしかけていましたからな」
「見ていたんですか…」
「ええ。この上から。 お見事な戦いぶりでした」
なんだか少し照れる。
… なんにしても、執事さんの言葉を聞いて… 俺の中に渦巻いた謎が、住民の危険という恐怖心を打ち消してくれる。
とにかく、あの瘴気の謎を解決しなければ話にならないという事だな。
街の人達がどうなったか…もしかしたら全滅しているんじゃないか。
そんなネガティブな考えをしている暇があるのなら、とにかく行動だ。 街はあそこにあるんだ。あの瘴気の正体を突き止めにいかなくては。
学校の生徒達を守るという、決意をした。
だからこそ… 悲しみや恐怖を覚えるより、まず行動しなくてはいけない。
俺は自分の頬を両手で叩いて、自分自身をけしかけた。
「俺、とにかく行ってみます。ルーティアさんにまず相談して、必要な装備を整えられ次第、ムークラウドに向けて出発しようと思います」
「承知しました。ケーイチローさんとユウキさんも、そう思ってマコトさんを待っていたのです。… 貴方が生きていると信じて」
「遅くなってすみませんでした…! とにかく、みんなの所に行って、すぐ作戦会議をしましょう!」
俺は高台の階段を下り始める。
「… あ」
俺はその途中、思い出したように執事さんの方を振り返った。
「すいません… あの…」
「名前、聞いていいですか。執事さん」
執事さんはにっこりと微笑んで、礼儀正しく俺に一礼した。
「ベルク・ラミュードと申します。…どうぞよろしくお願い致します。ムークラウドの街の英雄様」
初老の紳士、ベルクは俺に優しくそう告げた。
――― …