十八話『再び ねむりへ』
――― …
「… … …」
眠る。
ただそれだけの事に、これほどまでの恐怖を感じた事は今までなかった。
窓の外はまだ明るい。夕日がカーテンの隙間から部屋に入ってくる。
布団をかけてベッドに潜り込んではいるが…こんなにも、眠りにつけそうにないと感じた事は、ない。
安田先生には具合が悪いといい、早退をさせてもらった。熱もないのだが、よっぽど顔色が悪かったのだろう、先生はすぐに早退をさせてくれた。…ありがたい事だ。
なんだかんだで生徒思いなのは夢の中でも現実でも同じのようだった。
宮野さんは終始俺の事を心配してくれた。隣の席というだけなのに。どこまでも完璧な女子生徒だ。人気があるのも頷ける。
その優しさが辛く…そして恐ろしかった。人が具合悪いというだけで自分の事のように心配してくれるのに…。
冴木勇馬の死に関しては、まるで事実が存在しないかのように、冷たく、無関心だった。
本当はそんなはずではない。例え見知らぬ生徒だろうと、同学年の生徒が死ぬという事は、ショックで、悲しくて…もっと感情が噴き上がってくるはずなのだ。
…夢現世界の、侵食。
敬一郎はそう言っていた。
夢の世界が、この現実の世界に影響をし始めているのではないか、と。
俺もそう思う。
こんな事が、現実にあっていいはずはないのだから。
「… … … 寝なくちゃ」
真実を確かめるためにも。早くあの世界に行かなければならない。
…でも。
あの世界での死は、現実での死に繋がる。
もしそれが事実なのであれば。
もし初めてスライミーと戦った時、負けていたら?
もしPvPに昨日参加をしていて、殺されていたら?
そして…二日後にはイベントが開始される。
魔王軍が、ムークラウドの街に侵攻していく。
どのくらいの数が?どんな魔物が?僧侶である俺に、勝てるような相手なのか?
イシエルは、推奨レベルは10だと言っていた。
…だが、プレイヤーの死に関しての事を、秘密にしておくように黙っていた奴だ。
そんな奴の言葉を安易に信用していいのか?ひょっとしたらその推奨レベル自体がウソで、俺達を騙す罠。…プレイヤーを、皆殺しにする算段なのかもしれないじゃないか。
「… … … ダメだ」
眠れない。
夢現世界に行かなくてはいけないのに。敬一郎が待っているのに。
…死。
それがこれほどまでに身近に感じた事は、今までなかった。
身体が震える。頭の中が暗闇のように真っ暗に染まる。俺の脳内は、眠りとも覚醒ともつかない状態を右往左往していた。
「… 助けて…」
自分しかいない部屋の中で、俺はそう呟いた。
――― …
眠ったらしい。
俺の意識は夢の中で、再び目覚める。
俺は、昨日ログアウトした教会の中に出現した。
…それでも、眠れはした。その事実がこのゲームの中ならはっきり認識できる。
そこに安心感はない。ただ…死なないように、死なないように。自分の中にある鉄則だけを俺は強く祈って、忘れないようにした。
教会の時計を見る。
まだ外は暗い。教会の壁にかけられた時計の針を見ると、朝の五時を示していた。キオ司祭もまだ眠っているだろう。
「…はあ…」
俺は感情の分からない溜息をついたあと、礼拝堂のベンチに座って、頭を抱える。
どうすればいい。
どうすれば、この夢から逃れられる。
昨日まではあんなにワクワクしたこの世界が一変して、とても薄気味悪いものに感じられた。
イシエルの言葉を思い出す。
『夢現世界は強制参加にさせてもらったよ。プレイヤーを減らさず、究極のゲームを安定して供給できるようにね』
…強制参加。
俺はその言葉に今更ながら恐怖した。
人は、必ず眠る。
いや、生物は必ず、睡眠をとらなければならない。
人が眠らない限界の記録は、確か一週間と少しだったとどこかで見た気がする。だが、そんな事記憶を辿らなくても分かる。
一日徹夜すればどんな精神状態でも眠気が襲い掛かり、二日目にはもはや意識せずとも勝手に俺は眠りこけるだろう。
それこそが、夢のゲームの強制参加の意味なのだ。
睡眠は必ず起きる生理現象だ。無理に睡眠を止めようとすれば、それこそ死んでしまうであろう。
そして、夢を見る。その夢が、今や夢現世界のログインにすり替わってしまっているのだ。こんな恐ろしい事はない。
望まない、強制参加。望まない冒険。望まない…生。そして死。
「…勘弁してくれ…」
こんな夢は、見たくない。見たくないのに…必ず見てしまうのだ。その事実を思い返すだけで、気が狂いそうになる。
… … …。
「スキル…」
俺は唐突に昨日のログアウトの時の事を思い出した。
レベルが9に上がって…そして俺は、ステータス画面を開いて、スキルを確認しようとしていたところで、ログアウトしてしまったのだ。
何かをしていないと気が狂いそうになる。だったら…少しでも何かしていたほうがマシだ。
敬一郎との待ち合わせにもまだ時間があるし…。
俺はベンチに座りながら、右手を前に出し、ステータス画を開いてみた。
「…!!」
驚いた。
【マコト スキル:3】
スキル、3…。レベル9まで一気に上がったから、3つも覚えたってことか?
多分…このスキルの欄をタップすれば、内容を見る事ができるだろう。俺は右手の人差し指で【スキル】の欄に触れた。
スキルのウインドウが大きく開き、目の前に文字列が表示される。
「… … … すげえ」
回復(小):使用MP3
対象者のHPを小回復し、傷を癒す。自分と半径3m以内にいるキャラクター一人に使用可能。術者のレベルに合わせて回復量も上がる。
硬化の術:使用MP5
対象者の防御力を上げ、物理攻撃によるダメージを和らげる。自分が触れた相手、または自分自身に使用可能。術者のレベルに合わせて上昇率が上がる。
解毒の術:使用MP4
対象者の体内にあるあらゆる毒を浄化する。自分自身か自分が触れた相手に使用可能。
…いかにも僧侶って感じのスキルが、3つ。そこには表示されていた。
はじめはその文章に少し喜んだが…すぐに落胆した。
やはり…予想通り。戦闘に役立つ攻撃スキルが、一つもない。
僧侶はサポートジョブ。それは分かっている。だが…分かっていても、欲しかった。
今やこの世界は死と隣り合わせの世界。傷を癒したり死のリスクを軽減するのも勿論大切な事だが…そもそも大切な事は、自分を殺そうとするものを、倒すことだろう。
一人では戦えない。このスキルじゃ…どうやっても、強敵には敵わないんじゃないのか。
「…第一…」
このスキル、どうやったら使えるんだよ。その説明すら俺は受けていない。
明らかに説明が不足している。この世界の事や、システムの事。…現実世界への影響の事。
なんという運営、ゲームマスターだ。プレイヤーを強制参加させられるなら必要不可欠な説明が幾つもなされていないなんて…いい加減にも程がある。
「出て来いよ…イシエル…!さっさと説明しろよ…!!」
恐怖が、怒りへと変わってきた、その時。
『呼んだかい?』
「え…」
脳内に響くその声は…明らかに、今の俺の言葉に向けられていた。
俯いていた頭を上げる。教会の中を、見渡す。
黒い小鳥は、居た。
教会のステンドグラスから漏れる、ほのかな朝の光を浴びるように、そこに滞空していた。
『やあマコト。 説明が、必要かな』
――― …