十七話『怒りと 恐怖』
――― …
「二年生、水泳部の、冴木勇馬くんですが…」
「今朝未明に、死亡しました」
校長の言葉が、体育館に響き渡る。
それだけではない。
俺の耳から、頭の中を。脳を。身体を。心臓を。駆け巡り、支配するようにその事実が俺を硬直させた。
サエキ、ユウマ。昨日のPvPで闘い…負けた、二年生の水泳部。
彼は…負けたあと、ログアウトをしたはずだった。HPが0になり、身体が光に包まれ…消えた。
俺も、敬一郎も…いや、あの場にいた誰もが、彼は強制的にログアウトか何かをしたのだと思っていた。
だが、現実は違った。
死んでいたのだ。
HPが0になり…そして、死んだのだ。
「なんで… なんでだ…!?」
死んだのは夢現世界…夢の中だけの出来事のはずだ。
それが、どうして現実世界で死んだ事になっている…!?ゲームで、HPが0になった…それだけだろう!?現実の世界で死んでしまったら…コンテニューもなにも、できないじゃないか…!!
何故死ぬ必要がある。
どうして、死ななくてはいけない。
どうやって、死んだんだ。
疑問が駆け巡る。次に、恐怖が身体を支配する。
俺も… そうなってしまうのか…!? その考えに、頭が真っ白になる。
「ど…どうしたの?名雲くん」
俺の慌てふためいた様子に、宮野さんが横から声をかける。
いや…当たり前の話だ。自分の学校から、死人が出たんだぞ。しかも今朝。何の前触れもなく、突然。知り合いじゃなくても驚き、嘆くはずだ。
様子がおかしい。
俺は、冴木勇馬が死んだ事に対して驚愕している。他の生徒もそうだ。ざわめき、驚き、悲しんでいる。
同じクラスの奴は涙を流し…膝を地について虚空を見つめている生徒もいる。
その数が、異様に少ないのだ。
全校生徒は1000人。まるでその中の一部の人間だけが、校長の言葉に反応しているように。
…プレイヤーは、100人。
イシエルの言葉が頭をよぎる。
…この状況、当てはまっているのではないか。
1000人のうち…プレイヤーの100人だけが、冴木勇馬の死に反応していて。
あとの900人。つまり、モブとしてゲームに参加している人間は…その事実に、まるで反応しないのだ。
退屈な話の続きを聞くように、淡々と。ただ、その事実を耳に入れ、また頭から出しているように。
それは、隣にいる宮野沙也加も、そうだった。
「名雲くん、大丈夫!?具合、悪いの?」
「ぐ…具合悪いも、なにもないよ…!」
「同じ学校の、同じ学年の奴が、今朝死んでるんだよ…!?驚くに決まってるじゃないか…!!」
俺のその言葉に、宮野さんは、俺の事を見ながら、首を傾げる。
それは…俺の言葉の意味が、本当に分からない。そんな表情だった。
「なんで…!?」
「だって…学校の生徒が死んじゃっただけだよ…!?」
「は…!?」
何かが、おかしい。
何かが、変わってきている。
俺のいるこの学校が。俺の住むこの現実の世界が。
校長が最後の挨拶をする。
「騒がないように。まったく、死んだだけなのに、大げさな…。生活指導の佐橋先生、お願いします」
まるで、俺達がおかしいかのように。校長はそう呟いて、生活指導の先生を呼ぶ。
死んじゃった、だけ。
死んだ、だけ。
なにが、どうなっているんだ。
あまりにも不可解な出来事に、俺の頭は壊れかけていた。
――― …
「敬一郎ッ!!」
俺は敬一郎をスマホで部室に呼び出した。
授業など出ている場合ではない。…安田先生に体調不良だと言って、部室に直行してきた。
安田先生も、自分の学校の生徒の死を何も感じていない様子だった。安田先生に相談したいところだったけれど…どうやら、それは無理のようだったので、俺は同じプレイヤーである敬一郎に相談をする事にした。
「おい、バカ…!でかい声だすなよ、俺もサボってきてるんだから…ここに来てるの先生に見つかったらまずいだろうが…!」
敬一郎は部室の奥で毛布を被り姿を隠している。…体格でモロバレしそうなものだけど。
手招きして呼ばれたので、俺は内側から部室に鍵をかけて敬一郎の方へ近づく。
俺は敬一郎に聞いてみた。
「聞いたか、校長の話…!」
神妙な俺の顔に、敬一郎にも茶化したような顔はない。いつもふざけて気楽な友人だが、こういう時は真剣に俺の話を聞いてくれる。そこが、俺がこいつを親友としている理由だ。
「ああ。お前も聞いたな」
「どう思った?」
敬一郎も、どうやら俺に聞きたい事は決まっているようだった。
俺は俯いて答える。
「…おかしい」
「どこが」
「なんで、夢の中で死んだ人間が…現実の世界でも死んでるんだ」
「あれは…ゲームなんじゃないのか。死ぬなんて話聞いてないし…第一、どうやって死んだんだ」
「…そうだな」
「他に気になっている事はないか、真」
俺達には、もう一つ気になっている事があった。
「なんで…生徒の死を。サエキユウマの死を、みんな、あんなあっさり受け入れているのか」
「…良かったぜ。思うところは、同じみたいだな」
敬一郎はホッとした様子で張りつめていた身体を緩ませ、被っていた毛布を取った。
「質問して悪かったな。…みんな、あんな様子だったからな。まさかお前もそうなんじゃないかと思って、ちょっと聞いてみたかったんだ」
「…おかしくなっているのは、夢現世界に『モブ』として参加している、先生や生徒だけだと思う」
「人の死が、すごく軽くなってた。…まるで、ケガしたみたいに軽く…。…なあ、サエキユウマは本当に、現実世界で死んだのか?」
俺の疑問に、敬一郎は顎に手を当てて考える。
「アイツの家にでも行けば確実に分かるんだろうが…おそらく事実じゃないかと思う」
「冴木勇馬が死んだ。この事実は俺達プレイヤー以外の生徒たちはしっかり受け入れている…。念のため俺のクラスの担任にも聞いてみたが、返ってきた事実は同じだった」
「『冴木勇馬は今朝、自宅で死んだ』…だとさ。当たり前の事聞くなって感じの態度だったぜ」
「… … … どうなってるんだ…!」
「本当に死んだかどうかも重要だが…もっと重要な事は、ある」
敬一郎が俺を窘めるように俺に一歩近づいた。
「あの世界で死んだら、現実でも死ぬ。それが事実であり、一つのシステムであるとして…」
「その事実を、モブの先生や生徒が受け入れてしまうのは、どうしてなんだ」
「まるで催眠術にでもかかったかのように、それが当たり前であるかのように。人の死が、ただの日常のどうでもいい出来事になってしまっている」
「それも…あの夢現世界の影響、なのか。つまり、夢の世界が現実に侵食をしてきている…ということか。これが重要だ」
侵食。
俺はその言葉にゾクッと寒気がする。
あの夢の世界は…仮想現実。それだけだったはずだ。夢の、VRゲームだと。
現実と同じキャラが出てきて、同じプレイヤー同士で参加する、まさに、夢のゲーム。
だが、それは悪夢だったのだ。
夢で死ねば、現実でも死ぬ。そしてその死は…認識されない。ただただ、存在が消えるだけ。消えて、忘れ去られて、風化する…。
冴木勇馬は死んだ。そして、それはあっけなく受け入れられ、忘れ去られる。だがそれは…あの世界にいる俺や敬一郎だって、例外ではないのだ。
あの後に交わした、宮野さんとの会話を俺は思い出した。
「死んじゃっただけ、って…」
「そうだよ。具合悪いなら、保健室行った方がいいんじゃ…私、連れていこうか?」
「宮野さんは…なんとも、思わないの…?人が死ぬ、って事…」
「え…?なんとも、って…」
「だって死んだだけだもん」
そこに、理由はなかった。
死んだだけ。ただ、それだけ。その事実だけ、当たり前に認識がされてしまっていた。
俺が死んでも、そうなるのか。
名雲真は、ただ死んだだけだと。それ以外に何もなく…ただ、サエキユウマと同じように、忘れられていく…。
「とにかく」
俺の壊れそうに捻じれていく思考の中に、敬一郎の声が入ってきた。
「俺は今日は同じプレイヤーの奴からもう少し情報を聞いて…早退するつもりだ。早めにログインして真相を確かめる」
「イシエルから説明があるはずだ。こんな重大な事実、隠しておいていいはずがねぇからな」
「…答えによっちゃ…許さねぇぞ…!!」
敬一郎のその言葉と表情からは、怒りが滲み出ていた。
コイツの事だ。きっと…冴木勇馬とも、少なからず面識があったのだろう。仲間のために、怒っている。
…一方、俺は…。
「真、お前はどうする?」
「俺も… 早退して、早めにログインするよ…」
「そうだな。まずはイシエルに聞かないとな…。あの鳥、しっかり出てくるだろうな…!!」
「ゲームの中で落ち合おう。場所は前の時計塔広場。時間は…あっちの世界の時間で―――」
俺は敬一郎と会う時間を決めた。
そのあと、敬一郎は部室から出て、他のプレイヤーから情報を集めに出かける。
…俺は、その親友の姿に尊敬をした。
俺は…。
俺の心は、夢を見る事への恐怖で、支配されかけていた。
――― …