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Peaceful  作者: 石丸優一
5/24

Enough

 

 

『スティーブぅ、今どの辺り?

みんな、お客さん乗せてるからさぁ、グレース教会にお願いー』

 

「…」

 

『スティーブ!いないの!?』

 

「は!?お、おう!

自由の女神!?」

 

ぼんやりとして仕事どころではない様子のスティーブ。

 

『全然違うし!どうやって海越えるのよ!

リバティ島にタクシーなんか行けません!』

 

『ははは!スティーブの車には羽根があるのか!』

 

ロッソが笑っている。後部座席には乗客がいるだろうに気楽なものだ。

 

『グレース教会!行ける?』

 

「あ、あぁ!今、ウエストビレッジだ!すぐ行く!」

 

キュルキュルとタイヤを鳴かせてタクシーが動き出した。

 

 

が。

そのままグレース教会の前を通過した。

 

「…」

 

『スティーブ!!また、お客さんから連絡があったよ!

あなた、今通過したでしょう!』

 

「げっ!?」


『もぉー!バカぁ!

怖かったよぉぅ!』

 

泣きそうなミリアの声が全車に響く。

 

『ゴメスだ。よかったな、ウェブスターホールで客を降ろしたからそのまま教会に行く。

クレーム対応代はラッキーストライクを二つで許してやるよ、スティーブ』

 

『お願いぃー。うぅ…』

 

代わりにゴメスが現場へ向かう。

 

『よう、アルだ。スティーブ、具合でも悪いのか?

早めに上がれ、みんなに迷惑だぞ』

 

「いや、具合は悪くない。何だかぼーっとして呆けちまっただけだ」

 

『マーカスだ!スティーブ!クレームで済めばイイが、事故ったら大事だぜ。

先に帰れよ、てめー!』

 

「わかったよ。すまねーな、みんな」

 

『スティーブのバカぁ!気をつけて帰ってこないと怒るよ!』

 

全員から心配そうな無線が飛んでくる。

確かに何だか変だ、そう感じた彼は早退を選択した。

 

「もう怒ってるじゃねぇか…」

 

回送中のランプを点灯させる。


 

コンビニに停車し、ゴメスとの約束通りラッキーストライクを二箱、手に取る。

 

「えーと、それから。プリンは…?あったあった。

『ふんわりぷるぷるプリン』…これでイイか」

 

他にはペプシを一本手に取り、レジへ向かう。

 

 

 

キキッ。

 

ガチャ。

 

「よう」

 

「スティーブ!バカバカ!バカ!」

 

「ゴメスに渡しといてくれ」

 

ミリアにタバコを渡す。

 

「それからこれ。お前にだ」

 

プリンを電話の横に置いてやる。

 

「ひゃっ…!?ぷ、ぷ、プリン!?」

 

彼女が無類のスイーツ好き、しかもプリンに目がないのはマーカスからリサーチ済みである。

 

「なんだよ。いらねーのか」

 

ひょいと持ち上げ、スティーブが蓋を開けた。

 

「いるいるいる!ギブ・ミー・プリン!」

 

「安い女だぜ」


パッとスティーブからプリンを奪い取り、ミリアはプラスチックのスプーンでプリンをすくい上げた。

そのまま口へ音速で運ぶ。

 

「誰が…安い…女だっ…てぇ」

 

「食ってから言え」

 

スティーブがタバコに火をつけて、プリンに夢中な彼女の横に座る。

 

 

「あー。おいしかったぁ。

惚れたよ、スティーブ。またよろしく」

 

「適当な事言ってんじゃねーよ」

 

「ゴメス、タバコを預かってるよー」

 

会話の途中であるが、ミリアが無線機に話す。

 

『了解』

 

「みんな、スティーブは深く反省している模様なので、以後彼を責めないようにぃ!」

 

『ミリア!おめー、アイツに何か貰って買収されてんじゃねーぞ!』

 

「違うし!プリンとか貰ってないよぅ」

 

『貰ってるじゃねぇか!』

 

マーカスの勘は鋭い。そしてミリアは天然ボケだ。

 

 

「じゃあ、また明日な」

 

「お大事にね」

 

スティーブが会社をあとにする。


途中でレベッカの勤めるガソリンスタンドで給油をして、家に到着した。

 

恐らくスティーブの来店に気づいているので、夜にはなぜ早退したのか彼女に問いただされるだろう。

 

「おや、スティーブ?」

 

「あぁ、お袋。今日はちょっと早退したからよ」

 

母親は専業主婦なのでほとんどの時間、家にいる。

 

「具合が悪いのかい?」

 

「いや、そんなんじゃねーよ。

とにかく、心配ねーから」

 

母親がスティーブの額に手を当てるが、特に熱くもない。

 

「昼寝するよ。夕飯はいらねー」

 

ベッドでゴロゴロと転がる。

昨日ガラス片で出来た身体中の子傷が痛んだ。

 

「ファントムズか…」

 

天井に張ってある数枚の写真。

 

十代の頃の写真も多いが、三年前、ファントムズに入ったばかりのスティーブがメンバーと写っているものがあった。


ピピピピ!ピピピピ!

 

携帯だ。

 

うとうとしていたスティーブがタッチパネルに触れる。

 

「んぁぁ?」

 

「あら、寝てたの」

 

「レベッカか」

 

「さっきアンタが見えたからね。早退?」

 

思っていたよりも早い時間から尋問開始だ。

 

「そうだよ」

 

「具合悪いの?」

 

「お袋みたいな事訊いてきてんじゃねーよ」

 

「なによ!心配してあげてるのに!」

 

金切り声に、スティーブが携帯を耳から遠ざける。

 

「大方、昨日の事を気にして仕事が出来なかったんでしょ!

チームを辞めたなら辞めたで、メンバーともスッパリ切らないからそうなるんだよ!」

 

「うるせー。勝手にアンディが来たんだろうが」

 

「うるさくない!アンタがモジモジしてるせいで会社にも友達にも迷惑かけてるんだ!まったく、情けないよ!」

 

「じゃあどうしろっつーんだよ」


怒鳴り返すのも面倒なので、スティーブは声を張り上げない。

 

「知らないよ!自分が決める事だろ!」

 

「あー?じゃあ、つべこべ言ってくんじゃねーよ、バカ」

 

「バカはどっちだ!

どうすりゃ仲間達の揉め事が収まって、仕事もちゃんと出来るのか。アンタには分かってるんだろ!」

 

「わかんねーよ。何で俺が分かってるって思うんだ?」

 

「あ、いらっしゃいませぇー」

 

プツ。

 

ツー…

 

「なんだ、あのアマ」

 

スティーブはまた寝転んだ。

 

「ファントムズを丸く収めて、仕事も回す方法…?うーん」

 

考えてみるも、思い浮かばない。

 

ファントムズに戻って肩入れすれば、心残りは無くなるだろう。

しかしそれでは必ず会社に迷惑がかかる。

 

逆にファントムズの事を頭から消し去って仕事に打ち込むとする。時間と共に仕事は順調になるだろう。

だが、ファントムズは崩壊する。


「んがぁー!」

 

頭がパンクしそうなスティーブはオーディオのボリュームを上げた。

 

大好きなハードロックで心を落ち着かせる。

 

「クソー!

俺がファントムズに戻らねーと!あー、でも戻る気はねー!

そうだよ、あんなクソ共知った事かよ!あー、でもファントムズは仲間だし!

だいたいラルフが戦争なんか行くから!俺が代わりに行くか!?

何でだよ!あと一年は仕事があるのに!」

 

台本を読む役者くらい派手な独り言だ。

 

「ジャックだ!アイツがネックなんだ!

殺しちまうか?いやそれはできねー。

サツに売るか?いや腐ってもアイツはPMCのホーミーだ」

 

気づけば部屋の中を右往左往しているスティーブがいた。

扉からこっそり母親が覗いているのは言うまでもない。


 

一時間後。

 

「アンディだ!奴は今日から四輪を二輪に進化させて、俺のショベルヘッドを駆る!

アイツのエコノラインと交換だ!そうしよう!雨の日の通勤も安心だぜ、俺!

しかも奴はインディアンだからな!大地のご加護とやらでファントムズどころか、この大陸を制圧して…ひゃっほーう!

ミリア、愛してるぜ!」

 

「アンタ、何言ってんの?」

 

「うおぉぉ!?」

 

ガシャン!!

 

スティーブが豪快にオーディオに突っ込む。

レベッカは大きなため息だ。

 

「へ、変な目で見てんじゃねー!ハッパならもう吸ってねーぞ!」

 

「そりゃ安心した」

 

彼女がスティーブのベッドに座る。

 

「10分も気づかないなんて、アンタ病気だわ」

 

「こそこそ見てんなよ…」

 

「堂々とノックしたんだけど!」

 

スティーブは自身に絡まったオーディオの配線と格闘している。


「あ、そうだ。面白いからアタシと一緒にしばらく見てたけどさ、アンタにお客さん」

 

「あー?

クソッ!ほどけねぇ!どうなってんだ、これ!」

 

レベッカはベッドから立ち上がると、どこかへ行ってしまった。

 

「おい!レベッカ!待て!おーい!」

 

「あらあら、大変だー!

でも、超ウケる!写メとっとこぅ」

 

代わりに別の女の声がスティーブの部屋に残された。

 

「はぁ!?ミリア!?」

 

「ようっ」

 

スティーブを声を真似て挨拶したのは、紛れもなくミリアだ。

状況が理解不能だが、何をするにもまず配線からの脱出は大前提だろう。

 

 

 

「ふぅー!苦しかったぜ!」

 

「もっと穏やかに休んでるかと思ったよ」

 

二人は並んでベッドに座った。

 

「お望みならば、押し倒しちまうぞ?」

 

「いや、リアルすぎて今は笑えないかな」

 

「で、何で家が分かったんだ?」


「大まかな場所は社長に訊いたの。

あとはアレを探して」

 

窓の外。スティーブのバイクを指差してミリアは笑った。

 

「ナンバーでも控えてたか」

 

「そういう事!」

 

なぜか彼女は得意気だ。

 

「こないだ言ったろ?俺は安くないぜ」

 

「あはは!ストーキング成功!」

 

「パブでは気持ち悪いとか言われたのに、二回目は笑うのかよ!」

 

「ねぇねぇ、あの写真がMCの仲間?」

 

スティーブのディフェンスを思い切り無視、中央突破して無理やりタッチダウンしてきた。今年のアメフト、スーパーボウルのMVPは彼女で間違いない。

 

正確には『そう喩えれるくらいムチャクチャな会話』という事だ。

 

「あぁ、そうだよ」

 

ミリアがベッドに立ち上がって天井を見るせいで、スティーブの目の前には彼女の尻が揺れている。


「みんな、イイ顔してるね。楽しそう」

 

「ミリア、イイ尻してるな。柔らかそう」

 

「こらぁ!」

 

ボフッ、と急降下してきてミリアが着座する。

 

「お見舞いに来たのにセクハラとか!最悪!」

 

「何もしてねーだろ!目の前にいるのはブルックリンで一番の英国紳士だぜ!」

 

「アメリカ人だろ!」

 

「よう、プリンうまかったか?」

 

適当にはぐらかす。

 

「おいしかったぁぁ!…ハッ!」

 

「お前、俺よりおもしれーわ」

 

肩で笑いながら、スティーブがメンソールに手を伸ばす。

 

「ねぇねぇねぇねぇ?」

 

「あ?」

 

「ミリア、愛してるぜー!」

 

また声真似だ。子供と話しているようである。

スティーブもそれは同じだが、この二人は互いに相手を格下だと見なしていることだろう。

 

「はいはい」

 

「ミリア、愛してるぜー!」

 

「気に入ってんじゃねーよ!」


そうやってミリアといちゃいちゃしていると、唐突に視線を感じたスティーブ。

扉が少しだけ開いており、やはりレベッカが見ている。

 

スッ、と立ち上がり、それを閉めた。

 

「…?」

 

「いや、少し開いてたからな」

 

「そっか。

…それでスティーブ、何を悩んでたのさ?

身体の具合は悪くないって言ってたから、もしかしたらアタシの事かな!!」

 

「残念ながらハズレだな」

 

「そぉ?プリンのお礼にアタシが相談にのってあげるよ。

なんとなくみんなも気にしてたし。真面目な話、仕事のことじゃないの?」

 

なるほど。やはり周りには必要以上に心配をかけてしまったようだ。

解決に結びつくかは分からないが、相談してみる。

 

「今写真を見てただろ。そのMCの連中の件だよ」

 

「そう。仲間とケンカしたとか?」

 

「少し違うかな」


スティーブは天井から写真を剥いでベッドの上に置いた。

 

ミリアがそれを覗き込む。

 

「ファントムズMCか。そっか、スティーブはこのMCなんだ。

アタシ知ってるよ」

 

「ほー」

 

写真にはチームの名前がプリントされた黒いフラッグも写っている。

 

「古くからあるよね、このクラブ。

アタシのお兄ちゃんの同級生がメンバーだったなぁ」

 

同じブルックリン区に住んでいれば、そういったつながりがあっても不思議では無い。

 

「俺がこのまま何もしなけりゃ、消えて無くなるんだと」

 

「いち大事じゃん!それじゃ、まさかスティーブはリーダーなの?

よっ!クラブの存亡を握る若き大将!メシア!」

 

「違うぜ。つーか、今はメンバーでもねー。

辞めたからな」

 

「えぇー?じゃあ何で関係あるのさ」

 

当然の質問だ。


「話せばごちゃごちゃしてて長くなっちまうが。

今のリーダーがもうすぐチームを辞めなきゃいけないんだ。

仲間が言うには俺が戻って継がないと、内部崩壊してしまう」

 

「戻れば解決?そんなんじゃ悩まないよね。

はい、詳しくどうぞ」

 

ミリアがスティーブを指さす。

 

「問題は現サブリーダーをやってる若造だ。

コイツは腕は確かだ。だが中身はむちゃくちゃで、仲間にも色々と無理強いをしてるって噂だ」

 

「噂?」

 

「そうだ。その無茶な行動で二人の仲間がババ引いて捕まっちまった。真相は分からねー。

だから、これといってソイツをサブリーダーから下ろす証拠もねぇからほっとくしかねーんだ。

つーことは、ソイツがもうすぐリーダーに上がる。今は現リーダーの目もあるからナリを潜めてるが、リーダーになれば堂々と仲間にムチャクチャやり始めるだろう。

そうすりゃ仲間は次々と捕まったりケガをして減っていく」


「そして他にリーダー適任者がいない?」

 

だいたいのところは話を飲み込んでくれたようだ。

 

「正解だ。

そのサブリーダー以上に力を持つ奴がいない。適当に誰かを玉座に座らせても意味ねーってわけだ」

 

「そしてアナタがファントムズに戻れない理由は?」

 

「一つは今の仕事だ。

実は最低一年間の契約になってる。俺も男だからな。適当な事やってリー社長やレベッカをがっかりさせたくねー。

…そしてもう一つは俺の意地。

ファントムズを抜ける時の決意は簡単なものじゃなかったからな」

 

どうだ、難しいだろうと付け加えてやる。

 

「スティーブはどうしたいの?」

 

「俺?そうだな、お前とベッドで仲良くしたい」

 

「もぅ!ふざけてる場合じゃないだろ!」

 

胸を叩かれる。


「ぐぉ!ごほごほ!」

 

スティーブは大げさに咳こみながら倒れて見せたが、ミリアは写真を見つめながら真剣な表情だ。

 

「知り合いでも写ってるか?」

 

「え?知り合い?

あー…うん。この人、お兄ちゃんの同級生だよ」

 

「ほー、どいつだ?」

 

ミリアの人差し指をスティーブの視線がたどる。

 

「…!!リル…トム…?」

 

「そう。トムだよ。一回しか会った事ないけどね。

まだファントムズにいるのかなぁ」

 

ミリアは彼の死を知らない。

写真の中のトムは、太い腕でスティーブにヘッドロックをかけてふざけていた。

 

「スティーブ?」

 

「…いや、大丈夫だ。

トムか。奴はすご腕のバイカーだったぜ」

 

「じゃあトムがリーダーになればイイのにね」

 

「そうだな、奴がいれば何の問題も無かっただろう。

…そうだよな…奴が!奴さえ生きてれば!クソッ!」

 

突然激しい憎悪が自らに襲いかかる。


「え、トムが!?ごめん、スティーブ…

知らなかったから」

 

「違う。お前のせいじゃねーよ。

俺自身にイラついてんだ。奴が死んだのは俺のせいだからよ…嫌な気にさせたなら悪かったな」

 

「そ、そうなんだ…」

 

気まずい雰囲気になる。

互いを責めていないだけ少しはマシであるが。

 

「偉そうに相談にのったのに、何も考えてあげられなかったなぁ」

 

「聞いてくれただけでも充分楽になったぜ。

チーム抜けてからは友達も減っちまったからな」

 

「あはは!根暗じゃん!

ハンドルをキーボードに持ち替えてネットゲームでもやってた方が似合いそう!」

 

「うっせー!」

 

軽口を叩いてくれるのも、今は有り難い。

 

「そろそろ帰るねぇ」

 

「あ、ミリア。携帯番号教えてくれよ」

 

「喜んで」

 

見送りに玄関を出たところで、連絡先を交換する。


「明日、仕事には来る?」

 

「もちろんそのつもりだぜ。この悩みは仕事中以外に解消するよ」

 

「また何かミスしたらプリン百個だからぁ!」

 

トヨタのSUVに乗り込むミリア。

エンジンをかけて、手を振りながら去っていった。

 

 

何もしなくても仕事に支障が出てしまうのならば、あえて何か行動するしかない。

あらためてそう思い直したスティーブは、手始めにラルフにコールする。

 

 

「よう、スティーブ。

ジャックのせいで二度と話せねーと思ってたぞ」

 

「辞めるって聞いた」

 

ラルフの周りの音楽や笑い声が小さくなる。

ホームベースのビルから表に出たのだろう。

 

「アンディか」

 

「さぁな。辞めるのはマジか」

 

「あぁ」

 

「ファントムズが潰れちまうぞ」

 

「何でおめーがそんな事言ってくるんだよ」

 

ラルフの声が苛立ちを帯びる。


「それを分かってて辞めるのか?」

 

「だから何でおめーが気にしてんだよ!」

 

「答えろよ、ラルフ!今のジャックはチームの頭張れる器か!?

このままじゃファントムズが無くなるのが分からねー程お前もバカじゃねーだろ!」

 

「んなこた分かってんだよ!わざわざてめーに言われなくてもな!」

 

沈黙。

ラルフの答えは予想通りだったが、スティーブはそれを聞きたくは無かったのだ。

 

「おい、スティーブ。

俺が、チームを離れる理由は?知ってんだろ」

 

「…あぁ」

 

「どう思う」

 

「分からねー」

 

「お前がウチを辞めた時と、どう違うってんだ。

大切な人が死に、離れる。

俺は親父で、お前はトム。どう違うか教えろよ」

 

その通りだ。彼らの除籍は、人の死が関係している。


「別に変わらねーかもな。

だが、おめーはリーダーだ。そこは違う」

 

「だから俺はお前を引き止めたかったんだよ」

 

ラルフの描いた道が浮き彫りになる。

 

「はぁ?そりゃ都合イイぜ」

 

「そりゃどっちだ!

トムはいねーし、期待してたジャックはあのザマだ!」

 

「何の話だよ!」

 

「二人の運命はお前が関わった事でねじ曲がってんだろうが!

トミーを生き返らせろだの、ジャックを元に戻せだの、終わった事をガタガタ言う気はねーが、お前は自分のケツも拭いていかなかった!

そこへ親父の死だ!いまさらカタキ討ちが理解できねーとは言わせねーぞ!」

 

「…」

 

ラルフもまた、スティーブと同じように板挟みで悩んでいるのだ。

 

「ラルフ、一年間待てねーか。

一年間はどうしても戻れねーんだ」

 

「あぁ?なんだよそれ。

俺は来月から訓練だ。一年も経ったら戦況もまるで違うだろ。

俺は親父の部隊を殺ったテロリスト共の首しかいらねーんだよ」


「一年間ってのは、どうしても破れない約束があるんだ。それまでバカはできねー。

だいたい今から訓練して戦場に向かったとして、間に合うのか?テロリストなんか速攻鎮圧されて終わりだろ」

 

スティーブも別に戦闘に詳しいわけではないが、被害を受けておいて何ヶ月も米軍が手を焼くとは思えない。

 

「やってみなきゃわかんねーだろ。

変な話だが、今はテロリストが生きててくれるのを願うよ。

とにかく一年は無理だ。ジャックがその間にバカやらないのを祈るしかねー」

 

「チッ。証拠がなくても、さっさとジャックを切っちまえばイイのによ!」

 

「あー!?仲間は部下じゃねぇだろ、スティーブ!

ファントムズは切ったり張ったりのハリボテで出来てんじゃねーぞ、コラ!」

 

「冗談だろーが!」

 

そこはリーダーである。

嬉々としてではなく、苦渋の決断で戦争に行くのは痛いほど分かった。


「で、お前はどうするんだ?

今の言いぐさじゃ、一年後には戻るつもりなのかよ」

 

「おめーがいなくなっても一年後にファントムズが生きてるって事は、俺なんか必要ねーかもな」

 

まだ外にいたスティーブは自室に戻る。

 

「はぁ?わけわかんねー」

 

「わかるだろ」

 

「もう切るぞ。

もしファントムズの最期が来たら、しっかりと目に焼きつけといてくれ。俺にはすべてを知る権利がある」

 

「わかったよ。

無責任はお互い様だな、四代目さんよ」

 

ツー…

 

「ラルフはどうあっても説得できねーな。

次は、元凶だ」

 

まだ諦めないスティーブはタッチパネルをスライドさせる。

 

 

すぐにつながった。

 

「ん!スティーブか!もしもーし!」

 

「なんだ、賑やかだな!」

 

「あー!?何だって!?全然聞こえねーよ!

今、ツレとゲーセンに来ててよ!」


ジャックの周りからは確かに複数のゲーム機の大音量が聞こえる。

 

「かけ直すか!?」

 

「あー!?ちょっと待て!

よーし、一着だ!ざまぁみやがれ!」

 

レースゲームでも楽しんでいるのだろう。

決着がつくとそのまま外に出てくれたらしく、騒音はなくなった。

 

「あー、耳がおかしいな…

よう、何か用か?」

 

「何か用かとはご挨拶だな、五代目」

 

「なんだよ、ラルフが降りるのを知ってたか。

外部への情報漏れは組織にとって致命的なんだぜ」

 

それはこっちのセリフだ、という言葉を飲み込むスティーブ。

 

「リーダーになる自覚はわいてきたか?」

 

「イマイチだ。おっさん達が簡単に従うとも思わねーよ。

チームの為にもしっかりしないとなー」

 

これは意外だった。

ジャックはアンディやラルフが思うほどにクズでは無いのかもしれない。


だが口先だけなら何ともでも言えるはずだ、と油断はしない。

ジャックの腹を探っていく。

 

「何か足りねーのか?」

 

「俺に?んー…経験、かな」

 

「なるほどな。分かってるじゃねーか」

 

「でも俺は少し冷めてんだ。

経験豊富な連中はたくさんいるが、アンタみたいな命懸けたアツい走りが誰一人としてできねー」

 

その気持ちはスティーブにも分かるが、それをチーム全員の課題とするのはお門違いだ。

 

「個人個人が長所を極めればそれでイイんじゃねーか?

ファントムズはレーシングチームじゃねーんだしよ」

 

「仲良しクラブか?」

 

「そうは言ってねーだろ。ファントムズメンバーとしての生き様は一人一人が自分で見つけていくもんだ。

それに、お前がムチャやって仲間がパクられちまった話を聞いたもんでな。俺の時と同じ手かよ?」

 

「あれはマジで違うんだよ!俺は何もやってねー!」

 

「どうだかな。前科がある奴の言葉なんか信用ならねーな」

 

「クソが!アンタは俺に説教する為にわざわざ電話してきたのかよ!」

 

ジャックがへそを曲げる。

スティーブは不思議とラルフの時と比べて冷静に話せている。

 

「単刀直入に言うぜ。

ラルフがいなくなったらファントムズは潰れると思ってる。分かるか、ジャック?」

 

「あぁ!?みんなが俺から離れていくって言いてえのかよ!」

 

「当たり前だろ。でもそれはおめーが若いとか経験が薄いとか、そういう理由じゃねー。

てめーの方針、メンバーをスピード狂にしようとする試みが身を滅ぼすんだ。現に仲間は二人捕まったぞ?さぁ、どうすんだ」

 

「何様のつもりだ、スティーブ!部外者の分際でよ!

あれは俺のせいじゃねーって言っただろ!」

 

ジャックが嘘をついているのかは分からない。


「おめーがやったかどうかはこの際関係ねーんだよ!

俺にあんな事した直後だろ!疑われないほうがおかしいだろうが、ボケ!」

 

「知らねーよ!俺だってメンバーがパクられて気持ちがイイはずねーだろ!

俺がわざとファントムズをつぶして何か意味があんのかよ!確かに速いチームにしたいけどよ、捕まった二人にムチャさせた覚えはねー!」

 

「おー?言うじゃねぇか。

チームの頭を張るってのは、一番自由なようで一番不自由だ。

お前の言葉が真実だと願ってるぜ」

 

「なんだよそれ。バカにしてんのか」

 

「二度とツラもみたくねー奴にわざわざ忠告してやってんだ。ありがたいと思え。

じゃあな、ボウズ」

 

「チッ!」

 

 

ジャックのムチャな行動が事実だった場合。それが意図的なものではなく、潜在的なものだったとしたら一番危険だ。

今の会話からスティーブはそれを感じなくもなかった。


「さーて、とりあえずはこんなもんか」

 

この日はここまでとし、スティーブは携帯を置いて自室からリビングに出た。

 

予想通り、ジャックも動かせない。

ラルフとジャックがダメならば、自らをも含めた第三者の力が必要となる。

 

 

もちろんすぐに何か思いつくわけでもなく、スティーブはダイニングで珍しくテレビのスイッチを入れた。

 

コメディやスポーツ、チャンネルを切り替えていく。

めぼしいものがなく、ニュースでも見るかと半ば諦めかけた頃にThe・Offspringのライブの映像が映った為、そこに落ち着いた。

 

冷蔵庫から缶ビールを出し、ライブ鑑賞の供にする。

 

「…」

 

とりわけ彼らのファンだというわけでもないので、スティーブは終始無言である。


 

シャワーを浴びたレベッカがバスタオル姿で現れた。

 

「ビール、ビール…んー!ぷはぁ!」

 

うまそうに飲むものだな、と姉を見るスティーブ。

だが彼と目が合ったレベッカは、少し焦ったようにまくし立てた。

 

「…あぁっ!ちょっと!」

 

「ん?」

 

「アタシのビール!アンタ、勝手に飲んで…!」

 

なるほど、このビールは彼女の物だったようである。

 

「ケチケチすんなよ。今度仕入れてきてやるからよー」

 

「本当に?約束だぞー。

でさ、スティーブ」

 

「あー?」

 

「さっきの女の子はガールフレンド?

可愛い子じゃないか」

 

今も昔も、女が他人の色恋話が好きなのは変わらない。

レベッカも部屋を覗き見する程に気にしていたのだから。

 

「会社の事務員だ。ガールフレンドじゃねーよ」

 

「へー。ふーん。はーん」

 

「なんだ、てめー?

ビール一本で頭イカレてたんじゃ、男もとりつくシマがねーな」


「違うわよ!アンタこそいちいち相手に突っかかるような態度を改めな!

お姉ちゃんが応援してやるから、彼女のハートを射止めてみせるんだよぉー」

 

レベッカはスティーブの頭を一度軽く叩き、そのまま顔を寄せて頬ずりをしてきた。

 

「なんだよ!」

 

「ひっひっひ。スティーブ、ミリアに惚れてるんだろう?

隠さずともよい!恋に仕事に、頑張れ弟よ!」

 

スティーブは気持ち悪がって突き放したが、レベッカは上機嫌で笑いながら彼女の部屋に歩いていった。

 

「うぜー…なんなんだよ」

 

ビールの空き缶をゴミ箱に投げ、テレビに視線を戻す。

 

一時間程度経ったところで、ボーカルのデクスターが「ありがとう、ボストン!」などと言ってステージを去り、番組はお開きとなった。


 

 

翌朝。

 

いつものように起床し、スティーブはショベルヘッドで会社へ向かった。

 

小雨が降っているが、バイクでも問題ない程度だ。

 

「おーす」

 

「よう、スティーブ。気分はどうだい」

 

事務所にはロッソとアルがいて、ロッソが声をかけてくれた。

 

「大丈夫だ。昔のツレの事で心配ごとがあったんだが、解決に向かってるよ」

 

「そうだったか。ま、人生いろいろあるだろうさ」

 

スティーブが適当に返すと、ロッソが軽く頷く。

 

「みんな、おはよー!おっ、スティーブ!来てるね!」

 

ミリアが出社してきた。

その場の全員が会社のマドンナに挨拶を返す。

 

「みんなに心配かけちまったな。まぁ、今日からちゃんと頑張るからよ。勘弁してくれ」

 

「今日はデイビッドとゴメスが休みだな。マーカスは昼からか。

よし、それじゃ今日も安全運転でいこう」

 

年長のロッソがみんなに声をかけ、小さな会社が動き始める。


 

営業成績を伸ばすならば朝方はマンハッタン。

予約でもない限りはそれが常識なので、スティーブ、ロッソ、アルの三台は揃ってブルックリン橋を渡っていく。

 

途中で手を上げていた客をロッソが拾い上げ、どこかへ走っていった。

 

すぐにスティーブも黒人のビジネスマンを拾う。

 

「『この場所へ』」

 

「ん?」

 

聞いた事のない言葉だが、男が地図を指し示してくれている為、車を出す。

 

「英語が話せねーのか」

 

「『…?』」

 

アフリカあたりから来たのだろうか。

慣れない土地で大変だろうが、話が出来ないのならば会話を楽しむことも出来ない。

 

無言のまま目的地に車を停めてやると、男は両手を合わせてお辞儀をした。

 

「ご乗車どーも」

 

「『ありがとう』」

 

料金を丁度で払い、男が消えていく。

チップという概念が無いのだろう。

少し損した気分になったスティーブが軽く舌打ちする。


続いてブロードウェイの南部まで届けた客はポルトガル人の若い女二人だった。

 

カタコトだが英語を話せたので、ヨーロッパ美女達としばしのドライブを楽しみ、スティーブはちゃっかり連絡先まで訊いておいた。

 

 

『んぁぁー!』

 

「うっせーな。なんだ、ミリア」

 

無線から意味不明なミリアの声。

 

『いや、今日は電話が一つもないからさ』

 

思い返せば、確かに今日はミリアからの配車要請がない事に気付く。

 

『姫様がお暇なご様子だな。アル、スティーブ、何か面白い話でもしてやれよ』

 

「人任せかよ、ロッソ」

 

『む?俺のとっておきのオヤジギャグが聞きたいみたいだな、スティーブ』

 

「いらねー」

 

『おーい、団体さん捕まえたぞ。

暇ならどっちか来てくれ』

 

アルから神がかり的な要請が入る。


「若い女がいるなら行くぜー」

 

『残念、おばさん連中がぞろぞろだ。たぶん日本人だろうな』

 

『俺が行こう。アル、どこだ』

 

『リンカーンスクエアの辺りだ』

 

『了解』

 

ロッソがアルとの合流に動く。

 

『スティーブ、アタシに首ったけじゃ無かったのかしらぁ?』

 

「当たり前だろ、ベイビー。

俺はおめーのもんだ」

 

『適当な事いってぇ!』

 

『はは、そんな話してると今日もプリンを買う羽目になるぞ、スティーブ』

 

アルが笑っている。

 

「しかし人がすくねーな。

今日を二人も休みのシフトにしたデイビッドは大したもんだぜ」

 

『たまたまだろ。こないだマーカスとアルが休んだ日があったんだが、大変な目にあった』

 

『そうそう。あの時は人が足りなくて大変だったんだよぉ』


「ふーん。でもその時はもう一人いたんじゃねーのか?

俺の前にいた奴がよ」

 

スティーブが入社する前の話ならその可能性もある。

 

『いや、ジャスミンはもう辞めてたんじゃなかったかな』

 

ロッソが返す。

どうやらスティーブの前に働いていたのはジャスミンという女らしい。

 

「そういえば話を聞いたことがねーな。

どんな奴だったんだ」

 

『お!アル、ついたぞ』

 

『あぁ、見えた見えた。残りの三人を頼むよ』

 

アルとロッソが合流したようだ。

自動的にジャスミンの話はまた今度となる。

 

『スティーブ、今どこ?』

 

「アルファベットシティエリアだ。やっと仕事がきたかよ?」

 

ちょうど、ミリアが客からの電話を受けたようだ。

 

『うん、アタシの友達だけどね。

暇してるってメールしたら仕事をくれたよぉ』

 

「何やってんだ、おめーは」


『イイじゃんイイじゃん!出先からブルックリンに戻るのに、わざわざ電車をパスさせてウチのタクシーにしてもらったのだ!』

 

「分かったから場所を早くいえよ!」

 

イライラとスティーブが答える。

 

『メール待ちなんだよぅ!あー、きたきた。

セカンドアベニューのイーストセブンスストリート!分かる?』

 

「クーパースクエアの近くだな、了解。

友達は文学少女かよ?」

 

『え、マジ!?すごっ!

確かにケイティは本が大好きだけど…』

 

「クーパースクエアにはデカい図書館があんだよ。ユニオンライブラリだったかな」

 

『大人しい子だから、変な事教えないようにね!』

 

「んだよ、それ!」

 

スティーブがハンドルを右に切り、直進する。

 

 

「うほっ!?手を上げてる赤毛のかわい子ちゃん発見!ケイティと認識!通信終了!」

 

『こらぁ!』


キキッ。

 

ガチャン。

 

「こんにちは」

 

「やぁ、キュートなお嬢さん。

ブルックリン方面だよな?」

 

「はい。お願いします」

 

ケイティは赤みがかった髪の毛をポニーテールに結んだ、小柄な女の子だった。

 

真っ白なボタンシャツに赤いチェック柄のひらひらスカート。カジュアルなパンクファッションのつもりなのかもしれないが、フランスあたりの女子高生の制服にも見える。

 

「俺はスティーブだ」

 

車を出し、なぜか自己紹介してみる。

 

「ケイティです。ミリアから友達だって聞いたのかしら?」

 

「そうだ。変な事するなって言われちまったよ。

ブルックリンいちの英国紳士なのによ」

 

「えっと…UKのご出身で?ずいぶんとアメリカ英語がお上手ですね」

 

ジョークを完全にスルー。これは手ごわいぞとスティーブは姿勢を正した。


「ケイティ。図書館にでも行ってたのか?」

 

「はい、ちょっと調べたい事があって。よくわかりましたね」

 

「なんとなくな。本が好きなのか」

 

「はい!文学書や歴史書が大好きなんですよ!

スティーブも本が好きなのかな!」

 

途端に声が大きくなるケイティ。

すぐにハッとなり、恥ずかしそうに口を右手でおさえる。

 

「本か。俺の部屋には散乱してるぜ」

 

「ええっ!?本当ですか!?なんて幸せなんでしょう!」

 

「散らかってるだけだろーが」

 

「うらやましいです!きっと本棚に入りきらないくらい溢れているのね!」

 

「お、おう…」

 

これは強烈だ。

本の話となれば、おしとやかな自分のキャラを平気でぶち壊してくる。

 

「それで、どんな本を!?」

 

「いや、他愛もない趣味の本だぜ。

モーター誌とかファッション誌、音楽誌とかよ」


「音楽誌は私も読みますよ!

クラシックやジャズ、カントリーなんかが好きでCDも聴きます」

 

「ほー。音楽もいけるのか。

俺はもっぱらハードロックだからな。

話は合わねーかもしれねーが、ギターの音があるだけカントリーもロックも一緒だろうよ」

 

スティーブお得意の『適当に会話を返す』作戦である。

カントリーとロックが同じなどと言われては、もはや意味不明だ。

 

『ようよう!真打ちの登場だぜ、みんな!』

 

無線からマーカスの元気な声。

昼を回ったので出勤してきたのだ。

 

「誰?」

 

「あー、ウチの会社いち頭が悪い男だ。バカがうつらないように気をつけろよ、ケイティ」

 

わざと無線に入れてやる。

 

『おい!スティーブか!

誰だよケイティって!営業車でデートとは横柄な野郎だな、こらぁ!』

 

「おっと、麗しきお嬢様のお耳に乱暴な言葉聞かせてんじゃねーよ」

 

二人のやりとりに、後部座席ではクスクスとケイティが笑っている。


『ケイティー!ミリアだよー!聞こえてるかな?

無線で話せるなんて不思議だね!』

 

「あら、ミリア!」

 

代わるか?と訊くとケイティが頷いたので、無線機のマイクを渡してやった。

 

「あーあー。ケイティ・S・マクドナルドです。

みなさんごきげんよう。スティーブは安全運転です」

 

「なんだそりゃ」

 

『クソ!なんか楽しそうだな、このやろー!

ケイティってのはミリアの友達かよ!』

 

マーカスが吠えている。

 

「今日はお客さんです。

残念だけどデートじゃないの」

 

『ケイティ。スティーブが変な事したらすぐに言うんだよぉ!』

 

「しねーよ!」

 

 

タクシーがブルックリンに入る。

建物も低くなり、穏やかな下町といった風景だ。

 

「どこに向かえばイイ?」

 

「家はハワードビーチです」

 

「了解」


 

「あ!このあたりで停めてください」

 

「おう」

 

キキッ。

 

ウインカーを右方向に焚き、スティーブが車を寄せた。

 

「送ってもらってありがとうございました」

 

「たまにはタクシーもイイもんだろ」

 

「はい!すごく楽しかった!

なんだか素敵な会社ですね。わいわい楽しそうに仕事できて、みなさんは幸せです」

 

「また俺たちとバカな話がしたくなったらミリアに言うんだ。

俺か、マーカスか、他にもドライバーはおもしれー奴ばっかだぜ。待ってるからよ」

 

ケイティから金を受け取りながら、スティーブは笑顔でそう言った。

 

「出かける時は必ず連絡入れます!」

 

「ははは、財布の具合もあるだろ。

電車に飽きて、奮発したい時で構わないさ」

 

「ありがとう!」

 

ケイティの可愛い笑顔に見送られ、スティーブはクラクションを軽く叩いて発車する。


 

「メシは家でいいか」

 

昼飯時だが、ブルックリンにいる為に自宅へ向かうスティーブ。

わざわざ外食で散財する必要もないだろうという事だ。

 

ブロロ…

 

路地にタクシーを停め、エンジンを回したままで家に入る。

 

「スティーブかい」

 

「よう、お袋。近くを走ってたからよ、何か食って仕事に戻るわ」

 

「それだったら冷蔵庫にポテトサラダが入っているよ。

コーヒーをいれてあげようね」

 

「サンキュー」

 

冷蔵庫を開け、ボウルに入っているポテトサラダを取り出した。

スプーンでそのまま豪快に食べていると、コーヒーがテーブルに用意された。

 

「おやおや、そんなに早く食べて。仕事は忙しいかい?」

 

「あー?んや、今日は暇だな。

あ、そうだ。初任給が入ったら三人で晩メシでも行こう。わが家のレディ二人をご招待だ」

 

「ありがとう。楽しみだねぇ」

 

しわくちゃの笑顔。

 

「かけがえのない家族だもんな。

よし…それじゃ、ごちそうさん」


 

どうせ暇だからと、スティーブはマンハッタンには戻らず、そのままブルックリン区内を流して何度か客を運んだ。

 

『よう、スティーブ。聞こえるか?』

 

「なんだよ、マーカス」

 

暇なのはマーカスも同じようで、スティーブが帰社しようとしているところで無線が入る。

 

『ケイティはどうだった?』

 

「最高だ。ミリアの次にな」

 

『なんだって!おい、ミリア!すぐさま合コンのセッティングだ!』

 

マーカスの鼻息が荒い。

彼も若い。女遊びに夢中なお年頃なのだ。

 

『嫌ですぅ』

 

『おいおい!楽しくいこーぜ!』

 

「おめーみたいな下心丸出しのバカにはミリアもケイティも十年はえーんだよ」

 

『てめーだけイイ思いしやがって!』

 

「何もしてねーよ!」

 

営業所に到着。

昨日のようなヘマもなく、無事に勤務終了だ。


「よう、ミリアにアル。戻ったぜ」

 

「おかえりー」

 

「スティーブか、お疲れ」

 

事務所内。

手鏡を見ているミリアと、タバコを吸うアルがいた。

 

「ケイティには本当に何もしてねーぞ」

 

「分かってるよぅ!」

 

「スティーブ、本調子に戻ったみたいで良かったな」

 

「あぁ、ありがとう。

そうだ。今朝話してたが、ジャスミンってのは?」

 

不意に思い出し、訊いてみる。

 

「お前が来る三週間くらい前にドライバーを辞めたんだ。

結婚と妊娠を機にな」

 

寿退社というやつだ。どこの会社にもよくある。

 

「ほー。ミリアは置いてけぼりってわけか」

 

「うっさいなー。今に王子様が迎えにくるよ」

 

「アルは結婚してるのか?」

 

「いや、独身だよ。だが男の一人暮らしも案外気楽でイイもんだ」

 

アルが笑った。


彼はアパート暮らしだったな、と歓迎会の日に迎えに行った時の事を思い出すスティーブ。

 

「ロッソは残業か?」

 

「ブロンクスから今戻ってるとこ。

あーあ、アタシだけはマーカスと同じ時間まで残業だよー。昨日の夕方に所長から事務処理押しつけられちゃってさぁ」

 

「事務員だろうが。おめーの仕事は化粧直しじゃねー」

 

「あーやだやだ」

 

ミリアがパソコンの画面に視線を移す。

スティーブがひょいと覗いてみると、なにやらエクセルの表に数字がびっしりと並んでいた。

 

「さて俺は飲みにでも行くか。

スティーブ、一杯どうだ。おごるぞ」

 

アルが帰り際にスティーブを誘ってくれる。

 

「お!マジかよ!あ、でもちょっと待てよ…」

 

ファントムズの件。

何から手をつけて良いかは解らないが、それが頭をよぎる。

 

「都合が悪いならいつでもイイぞ」

 

「あ、いや、行くぜ!一軒だけ付き合わせてくれ!」

 

だがそれもすぐに消えた。


「アタシも行きたかったなぁー」

 

「ミリアはまた今度な。無線借りるぞ」

 

アルがミリアの横にある無線機を手に取った。

 

「よう、アルだ。

マーカス、仕事は暇か?」

 

『あー?ぼちぼちだな。

何かあったか』

 

「俺とスティーブを会社からバーに送る仕事ならあるぞ」

 

『うぜーんだよ!』

 

マーカスがガチャンと派手に無線機を叩く音も入ってきた。

アルは意地悪く笑っている。彼も他の従業員と違わずに冗談が好きらしい。

 

 

「ふぅー、ただいま」

 

ロッソだ。素晴らしいタイミングでの帰社である。

 

「お疲れ、ロッソ。

スティーブと飲みに行くが、一緒にどうだい」

 

「んん?そうだな。まだ時間も早いから、少しだけなら大丈夫だ」

 

「わかった。それじゃ行こうか。

マーカスは使えないみたいだからな、今日は俺が車を出すよ」

 

いってらっしゃい、と手を降るミリアに別れを告げ、三人はその場を去った。

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