Whatever
スリーキングスの解散。
メンバー全員のバイクの放棄。
最大にして最悪の抗争劇から、数年の時が流れた。
…
…
「あら、スティーブ。今朝は早いんですね」
そう言って微笑む赤毛の文学少女、ケイティの唇をスティーブはキスでふさいだ。
彼女の腹部は大きく膨らんでいる。出産予定は二ヶ月後。
スティーブの子である。
彼らは今、元々ケイティが一人暮らしをしていた一軒家で同棲生活を送っている。
結婚こそしていないが、子供が産まれたら話し合って籍を入れるかどうか決めようという事になっていた。
「いってくる」
スティーブがケイティの顔だけではなく腹を見てそう告げる。
「はい、いってらっしゃい」
晴天のハワードビーチを発ったスティーブは、バスに揺られて目的地を目指した。
…
…
バスを降り立ったのは、かつての職場であるタクシー会社だった。
黄色いクラウンビクトリアが数台、彼を迎え入れるかのように敷地内に駐車してある。
…ガチャ。
事務所の扉を開く。
書類やメモで散らかったデスクに座るミリアの姿があった。
「うーす」
「おはよー、スティーブ。
早出は久しぶりだよね。昨日までは通常出勤だったし。少しキツいんじゃない?」
そう言うミリア自身があくび混じりである。
「どってことねーよ」
「そっか。もうすぐパパだもんね!頑張んなよ!」
「うっせー」
…
抗争の後、しばらくぶらぶらとしていたスティーブだが、今は再び同じ仕事に復帰していた。
問題ばかり起こしてきた人間を受け入れるとは、リー社長の懐の深さには驚かされるばかりだ。
「おはよう。やぁ、スティーブ。
お前の事だから寝坊でもすると踏んでたんだがな」
もう一つ、懐かしい顔が出社してきた。
巨漢のロッソ。かつてスティーブに仕事を教えてくれた先輩である。
デン、と出た腹は相変わらずで、おおらかで物腰の柔らかいナイスミドルだ。
「バカが。俺は元々真面目だっつーの」
「はっはっは、どのツラ下げて言ってんだか。さて、今日も頑張っていこうか!」
「二人とも準備出来たら出発!よろしくねー」
こうして今日も平穏な日常が流れていく。
…
『ようよう!スティーブ!』
昼過ぎに出勤したマーカスの上機嫌な声が無線から飛んできた。
「あー?」
『今朝、遅刻しなかったか?』
「してねーよ」
『あっちゃぁ!アルとの賭けは俺の負けかぁー!』
「何してんだ、てめぇらは!」
大抵の場合、おふざけが過ぎて叱られるのはマーカスである。
『おっと、美人なOLが手あげてら。じゃぁな』
「チッ!逃げやがったか!クソゴリラめ!」
スティーブが舌打ちをして悪態をつくが、おそらくマーカスはさっさと無線を切ってしまっているだろう。
『スティーブ、俺はお客積んでんだが。お上品にしろ、お上品に』
代わりにロッソからそんな声が入ってくる。
「だったら反応してんじゃねーぞ」
『そりゃごもっとも』
ドルン!ドルン!
スティーブの車両の後方から、バイクの排気音。
バッシングをして近寄ってくる。
「…俺にも客みたいだ」
『そうか。それじゃ、頑張れよ』
ドルン!
ドドドド…!
スティーブが速度を緩める。
一台ではない。
何十台というバイクが彼のタクシーを囲んでしまった。
そしてなんと、その連中の背中には『大鎌を持った死神』の刺繍。
数年前に解散したはずの、ファントムズ・モーターサイクルクラブのものである。
「よう、ダディ」
運転席に車体を寄せてきた大男が言う。
「まだだよ、ブタ」
中指を立ててスティーブはそう返した。
男の名はラルフ。
スティーブの前にファントムズを率いていたチームの頭目である。
彼は派兵先でテロリストにより殺されてしまった父親の仇を討つ為に米軍に入隊していたが、数ヶ月前に任期を終えて帰国した。
彼がファントムズを再興したのは言うまでもないが、現在警察官として働いているのだから驚きだ。
以前、冗談混じりにそんなことを口走ってはいたが、まさか実現させるとは誰も思っていなかった。
そして、そんな彼がトップである事もあり、今のファントムズは大きく様変わりしている。
以前のようなバイカーギャングではなく、全員が何かしらの仕事に就いていた。車種も様々で、元のクラッチロケッツやアイアンローチのメンバーも多い。もちろんヘルメットは着用し、ツーリングクラブのような形態である。
さらに、形が変わった事でトライアドの関係者、中国系の人間もつるんで走るようになっていた。
昔の諍いを引き起こさない為のラルフの提案だが、それを良しとは思わないスティーブはファントムズと一線引いている状態だ。
他にはジャック、ラファエル、ジェシカやタカヒロがこれに反対してクラブには所属していない。
「ママはどうしてる?」
完全にタクシーを停車させ、スティーブが訊いた。
「行ってないのか?相変わらず、グースカと眠ってる」
ママとは、ファントムズのナンバー3、ディレクターを務めていたネイティブアメリカンのアンディだ。
彼は先の抗争で大火傷を負った後、意識不明の状態が未だに続いている。
多くの仲間を失った事もそうだが、スティーブが現在のファントムズに不満があるのはこのアンディの痛々しい状態を見続けてきたところが大きい。
「後ろ、詰まってんぞ。
お巡りさんよ」
「おっと…!じゃあまたな、兄弟!」
「おう」
大勢のバイクのせいで渋滞が起こり、ラルフは慌てて隊列を動かして去っていった。
…
…
夜。
仕事を終えて、帰路につく。
ゆったりとバスに揺られて家に辿り着くと、ケイティが夕食を作っているところだった。
「あっ、おかえりなさい」
コンロ前から振り返る彼女に、背中側から腕を回した。
「うまそうな匂いだ」
「特製ハッシュドビーフです!シェフ顔負けだよ!」
元々文学少女だったケイティだが、スティーブとの同棲を境に料理本や育児書などを読みふけるようになっていた。
初めは失敗続きだった料理も、彼女がこうして自信をつける程にみるみる腕を上げていったのである。
「手伝うか?」
「大丈夫。もう少しで出来るから」
「そうか、ちょっと表にいる」
一度、家から庭先に出る。
花がたくさん植えられた可愛らしい前庭だ。もちろんケイティの趣味である。
スティーブは車を持っておらず、ショベルヘッドも手放した。
ケイティは免許すらない。
しかし、庭の隅にひっそりと、銀色のビニールシートに包まれた物体が置いてあった。
ガバッとそのビニールシートをまくり上げるスティーブ。
メンソールを取り出し、ジッポーで火を灯すと、中の物体の姿がぼんやりと浮かび上がった。
バイクである。
ボディの塗装は暗くなった空の下では見えづらい漆黒。そして、彼が今までに駆ってきたハーレーダビッドソンのどのモデルともシルエットが一致しない。
ビューエル・XB12R・ファイアボルト。
現在のスティーブの愛車の名前である。
やはりバイクの魅力に感染していた彼は、形を変えてもそれを降りる事が出来なかったのだ。
ビューエルはざっくりと言えばハーレーダビッドソンの子会社で、スポーツバイクやネイキッドでありながらハーレー製のエンジンを載せるという特徴を持つワイルドなバイクが多い。
重いボディを捨てたハーレーがどうなるか。スティーブはそこに目をつけた。
レーシーな前傾姿勢での乗車を強要してくる攻撃的なスタイリング。
軽快な走りに力強いOHVのV型二気筒エンジン。
アメリカ製。
しかしアメリカンバイクではなく、ストリートファイターと呼ばれるカテゴリーに属し、街中で唸りを上げて暴れまわる姿からアメリカのバイクはデカくて遅いだけだという常識を完全に覆した異端児である。
…
「スティーブ。お待たせしました!」
大きくなった腹を手で支えながら、ケイティが食事の準備が整ったことを知らせにやってきた。
「あら、バイクを見てたんですか?今から走るのかしら」
「いや。メシにしよう」
再びシート下にバイクを戻す。
「なんだか名残惜しそうだわ。本当に好きなんですね。
さ、冷めないうちに料理をいただきましょう!」
そんな言葉を残し、ゆっくりとした足取りでケイティが家の中に戻って行った。
…
…
ハッシュドビーフと付け合わせのロールパンをペロリと平らげ、ソファに座る。
しばらく経つとケイティが隣でウトウトし始めたので、彼女を持ち上げて寝室にあるベッドへと運んだ。
昔と変わらず大量の本棚に囲まれた部屋である。
産休で休んではいるが、後々彼女は司書の仕事に復帰する予定だ。
ケイティの寝息を確認すると、スティーブは照明を消し、再び外へと出た。
彼は、まだ眠るつもりがないようだ。
…
…
ドルン!
ギャギャギャ!
ファイアボルトを起こすと、スティーブは後輪をバーンナウトさせながら急発進した。
軽くクラッチを切ってつなぎ直すと、パワフルなエンジンは前輪を楽々と浮き上がらせ、そのままウィリーの体勢に入る。
ドドドド…!
AGV製の赤いフルフェイスヘルメットにアルパインスター製のバイクグローブ。
本格的なライダーウェアかと思いきや、ワークパンツに半袖のTシャツというちぐはぐな組み合わせである。
現在のスティーブのようなストリートファイターのバイカー達は近年急速にアメリカ全土に浸透した。
彼らの自由度は何もこういったファッションだけではない。その名の通りストリートを縦横無尽に駆け回る、街道の無法者達がそう呼ばれているからだ。
スポーツバイクを使用するならば、クラッチロケッツのようなレース集団もそれに近いかもしれないが、スタント走行に重きを置くという点に差異があると言える。
…
気ままに夜の街を流すのかと思いきや、スティーブはしっかりとした道順で目的地を目指していた。
ドルン!ドルン!
ファイアボルトがストッピーを決めながら停車する。
サイドスタンドを下ろしてヘルメットを脱ぐ。
変わり果てた姿のかつてのアジト、ホームベースがそこにはあった。
焼け落ちた建物の残骸は撤去され、土の地面が剥き出しになっている。
元々のファントムズというよりはスリーキングスの生まれ変わりに近い、現在のラルフ率いるファントムズは、決まった拠点を有していない。
もちろんそれはバイカーギャングではなくツーリングクラブの形になった為で、アジトは特に必要ないからである。
ウォン!
四発。
甲高い排気音と共に、スティーブの横に停車してくる一台のスーパースポーツバイクがあった。
「けっ!600マニアのお出ましか!」
「おめーのイカレた頭じゃ一生理解出来ねーだろうな、ボス」
オーバーサイズのレザージャケットを着たタカヒロがそう言いながらスティーブと拳をぶつけ合った。
今、彼が駆るのは鮮やかなスカイブルーに塗装されたカワサキのZX-6Rである。
600ccクラスとはいえ、実際には636ccの心臓部を持つモンスターバイクだ。
カウル側面から腹下にかけて、オイルやパーツのメーカーのステッカーが所狭しと貼り付けられている。そのせいで一見レーサーに思えるが、よく見るとエンジン周りとリアステップ付近に左右へと突起した円柱型の黒いスタントケージが取り付けられている。
さらに、取り外されたミラー。凹型にへこんだ形に加工した燃料タンクとくれば、一気に危険な香りがプンプンと漂ってくる。
「他の連中は?」
「俺に訊くなよ。ファイアボルトの音が聞こえたからちょっかい出しに来ただけだぜ」
「仕方ねーな。素直に寂しいって言えば少しは可愛いのによ」
「くたばれってんだ」
中指を立てながら、タカヒロは携帯電話を取り出した。
「…ジャックか?ボスがお呼びだ」
それだけ伝えると、すぐに通話を切る。
スティーブを含めて現在のファントムズに戻らなかった連中は、彼を中心とした繋がりが未だにあるようだ。
…
バルン!バルン!
ウォン!
数分後、二台のバイクがスティーブとタカヒロのもとに合流してきた。
一台はオレンジ色のまばゆいボディを持つオーストリア製ストリートファイター、KTM・1190・RC8R。
もう一台は白地のボディ全体に派手なドラゴンのバイナルグラフィックを施したドイツ製スーパースポーツ、BMW・S1000RRだ。
どちらもとてつもなく高いパフォーマンスを誇る、恐ろしいバイクである。
KTMからはラファエル、BMWからはジャックが、それぞれフルフェイスのヘルメットを脱ぎながら降車した。
彼ら二人は背中に同じデザインが入ったレザージャケットを着ている。
その背中に陣取っているのは上下が逆さになった大鷲の刺繍。それは警察の制服などに縫い付けられている徽章をひっくり返した形であり、明らかに彼らを侮辱しているものである。
そしてその横にウィリーをするライダーのシルエットが縫われ、B.S.F.の文字。これはBrooklyn Street Fighterzの略称である。
そう。
彼らはたった四人で再び立ち上がったのだ。
ドッグファイトだけでは飽きたらず、さらなる危険が伴うハイパフォーマンスなバイクでのストリートスタントを武器にして。
「お呼びだって、スティーブ?」
「呼んだのはタカだ。俺じゃねぇ」
顎ヒゲを伸ばして、少し大人びたジャックにそう返す。
「けっ!屁理屈オヤジが!」
「ボス、しけたツラしてんな?
どうせファントムズにでも絡まれてむしゃくしゃしてんだろ」
ラファエルが見事にスティーブの心境を読み当てた。
活発だったファントムズという古巣が、まるで牙を折られた虎のようになってしまった現実を見るのは心地の良いものではない。
だが、危険と快楽を愛し、バイクと暴力という麻薬にどっぷりと浸かっていた彼らの伝統は感染する。
たった四人の大馬鹿者達が、ここ、ニューヨークのストリートを再び熱狂させる日は近い。
…
「そんな傷心中のボスに朗報だ」
携帯電話の画面を覗いてタカヒロが告げる。
「あぁ?」
「ママが目ぇ覚ましたってよ」
「…チッ!」
ドルン!ドルン!
「おい!?スティーブ!」
「ざけんな、スティーブ!俺が一番乗りだ!」
ファイアボルトが白煙を撒き散らして発進すると、三人の仲間達も次々と爆音を奏でてそれに追従する。
「アンディ、てめー…クソおもしれーな!」
疾走するバイク。ヘルメット内の声は、風の中に消えた。




