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Peaceful  作者: 石丸優一
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ウー!ウー!

 

 

背後から迫るサイレン。

 

小さめのサイドミラーで赤色灯が近づいてくるのを確認した男は、クラッチを握ってギアを蹴った。

 

アクセルをひねり、エンジンの回転数が増す。

クラッチを離すと、リアタイヤが悲鳴を上げながらアスファルトを踏みしめて、鉄の馬が走り出す。

 

ギャギャギャギャ!!

 

鼻につくゴムが焦げる臭いもやむ頃、縮まる一方だった追っ手との距離が少し開く。

 

「N.Y.P.D.だ!!止まれ!止まらんか!」

 

サイレンに加え、耳障りな拡声器の怒鳴り声が街に響く。

 

 

空は月夜だが、星は見えない。

 

大都会の摩天楼達が放つ人工的な光が、それを隠しているのだ。

 

渋滞中のタイムズスクエアの車列をすいすいと通り抜けてセントラルパーク方面に抜けると、追っ手のポリスカーはもう見えなくなっていた。



 

その公園のベンチの側。

愛車である漆黒色をしたハーレーダビッドソンのショベルヘッドを停め、男はメンソールに火をつけた。

 

「あー…くだらね」

 

この、バイクで逃げていた男の容姿は長身の筋肉質で、ヘルメットなど被っていない頭は栗毛の短髪。

濃い色のロークをかけて口ひげを生やしており、人相が良いとは言えない。さらにノースリーブの革ジャンからでた両腕にはびっしりと手の甲まで刺青が彫り込まれていた。

 

 

ようやく渋滞を脱出したポリスカーが、サイレンを撒き散らしながらあらぬ方向へ走っていく。

完全に男を見失ってしまったようだ。

 

それに中指を立ててサイドスタンドを蹴り上げると、ふいにベンチから男に声をかけられた。

 

「あんちゃん」

 

「あー?」

 

「あんた、あのパトカー撒いたのかい」

 

「さあな」

 

キックダウンしてエンジンをかける。

 

ドルン!

 

「そんなビンテージバイクで、よく鬼ごっこなんかやるよ」


ゴッ!!

 

ベンチにいた男は、次の瞬間にはベンチの後ろに吹き飛ばされていた。

 

バイクに跨がったまま、相手の男に蹴られたのだ。

 

「おい!何しやがる!」

 

「うるせーぞ、馬鹿野郎。じゃあな」

 

バイクの話題が気に食わなかったのか、それだけ言い残すと彼はアクセルを開いて発車した。

 

 

 

クイーンズボロー橋を越えてマンハッタンを脱出すると、クイーンズに入る。

右折して、目指すはブルックリン。

 

郊外と言うほどではないが、人通りや車の数はまばらになってきた。

 

 

やがて見えて来た一つの廃ビル。

壁面にはスプレー塗料で大きな絵が吹き付けてある。

 

それと同じ絵が男の革ジャンの背中にも縫いつけられていた。

 

ドドド…

 

廃ビルの横でバイクを降りると、男はその中へ入った。


 

「ようようよう!」

 

「あー、うるせー奴が帰ってきやがった!」

 

「なんだと!てめぇ殺すぞ!」

 

中には数人がいた。

その内、入り口のそばに立っていた小柄な男が、今入ってきた男と話す。

ケンカしているような内容だが、互いに笑顔なので冗談半分だろう。

 

 

この廃ビルの一階は、彼らの溜まり場と化している。

ソファーやベッド、テレビや照明もあり、スピーカーから音楽すら鳴り響いていた。

 

見かけが良いとは言えないが、彼らのような不良達にはなかなか快適な空間であるのは間違いない。

 

「よう、スティーブ。戻ったか」

 

フロアの一番奥、大きなカウチに腰を沈めていた男が言った。

 

「おー。マンハッタンでおつかいなんかクソ食らえだ」

 

全員から笑いが起きる。

 

「ははは!でも、ちゃんと帰ってこれたじゃねぇか!」

 

カウチからその男が立ち上がり、スティーブの肩を小突いた。


「まーな。次はお前の番だぜ、ラルフ。来月の第四金曜日が楽しみだ」

 

ラルフと呼ばれた男がニヤリと頷くと、両手を広げた。

 

「さあみんな乾杯しよう!

捕まり損ねたスティーブのクソったれと、俺たち『ファントムズMC』にな!」

 

ラルフ。彼はこの不良集団のリーダーで、彼らはファントムズMCと名乗っていた。

ファントムは亡霊や幽霊を表し、MCはモーターサイクルクラブ、つまりバイク乗りの集まりだ。

 

そして先ほどスティーブが行ったポリスカーとの鬼ごっこ。それはなんとチームの恒例行事で、度胸試しやバイクのライディングテクニック維持向上の為に毎月行われているものだった。

 

失敗すれば捕まるか、事故って死んだり大怪我をするのは目に見えている。

だが、この場にいる全員がそんな過酷な行事を乗り越えてきた。一般的なギャングや不良チーム、バイカー集団と比べて少数ではあるが、猛者揃いであることは間違いない。


先ほどビルの壁面やスティーブの上着に描かれていたのは、ボロボロのローブを羽織って大鎌を持った不気味な髑髏のデザインだ。

 

亡霊というよりは死神に見えるが、それがファントムズMCのトレードマークだ。

もちろん全員が同じデザインの革ジャンを着ている。

 

 

ラルフがビール瓶を掲げ、叫ぶ。

 

「スティーブと、奴のショベルヘッドと、ファントムズMCに乾杯!」

 

「「乾杯!!!」」

 

バイカー達の笑い声、アメリカンバイクのエンジン音、ハードロック。

この廃ビルのようにバイカーギャングがアジトとして使う場所はクラブハウスと呼ばれるが、PMC(Phantoms Motorcycle Club)はこの場所の事を『ホームベース』と呼んでいる。

 


 

「スティーブ、これで二連勝かあ?ちっとくらいはバイクの乗り方も覚えたみたいだな」

 

入り口に立っていた小柄な男、リル・トムがスティーブに言った。


彼が言うようにスティーブの警察との鬼ごっこはこれで二度目。

 

メンバーが十数人しかいないことから、毎月一人ずつやるとして、一年半程度で自分の順番が回ってくる計算になる。もちろん、新規メンバーの増加や、死亡や逮捕によるメンバー減少はあるが。

ちなみにこの鬼ごっこはPMC内で『ドッグファイト』と言われていた。

 

「あー?トミー、いつまで先輩風吹かせてんだよ?

俺は公道でもベッドの上でもじゃじゃ馬に跨がってんだ。その辺のミーハーなガキと一緒にすんなよ、チビ」

 

「てめぇ口先だけは達者だな?うるせーから野郎のナニでもしゃぶって塞いでろ、タコが」

 

とんでもない口の悪さだが、これは二人だけでなくクラブ全体に言える。

それが原因で仲間内での小競り合いは絶えないが、ラルフは仲間達が精神面でも肉体面でも成長するだろうと考えて叱責したり仲裁する事は無かった。


「なめてんのか、てめぇ!」

 

ガチャン!

 

ビール瓶が壁に当たって砕けた。

 

「おおーう」と仲間達から声が上がる。

怒ったスティーブが瓶を投げたのだ。

 

「なんだ、やんのかコラ?」

 

リル・トムがスティーブを睨みつける。

彼は身体こそ小柄ではあるが、随分と迫力のある低い声である。黒髪のモヒカン頭にピアスだらけの両耳。ゲルマン系移民の三世で、肌の色は白い。

例によってタトゥーだらけの四肢だが、彼の場合は首下にまでそれが及んでおり、アウトローな雰囲気は満点だ。

 

「んー?どうした?」

 

はやし立てる仲間の間をぬって、ラルフがニヤニヤしながら近づいてきた。

もちろんスティーブとトムのケンカを止めさせるつもりは毛頭ない。

 

「やってやるよ!おらぁ!」

 

ラルフの言葉を無視して、スティーブが先にトムへと殴りかかった。


「甘いんだよ!クソガキめ!」

 

トムの太い腕がそれを防いだ。

そして足をかけてスティーブをうつぶせに引き倒す。

 

「ぐっ!クソ!」

 

すぐにスティーブが顔を上げる。

 

だがトムは追い討ちをせず、スティーブの目の前に鍵を差し出した。

 

「…!?」

 

立ち上がろうしていたスティーブが固まる。

 

「スティーブ、俺と勝負すっか?」

 

「ああ!?」

 

「やるのか、やらねーのか!」

 

鍵を指でつまんでぶらぶらさせたまま、トムが凄む。

 

「ははは!受けてやれよ!少なくとも今のケンカじゃお前が負けてんぞ、スティービー?」

 

ラルフが豪快に笑った。

 

彼はリーダーの名に恥じないくらいの巨漢で、スキンヘッドと生い茂る顎髭がチャームポイントのブリティッシュ系アメリカンだ。


 

 

ドルン!ドルン!

 

ドドド…ドドド…

 

エンジンのアイドリングが安定してくると、スティーブのショベルヘッドは心地よい三拍子を奏で始めた。

 

これがキャブレーター仕様のハーレーダビッドソンのみが『鉄馬』と呼ばれる所以だとも言われる。

独特なドドド、ドドド、というエンジン音のリズムが、疾走する馬の蹄が立てる音に聞こえるという洒落た理由なわけだ。類似する韓国製、日本製のアメリカンバイクや新型のインジェクション式ではなかなかに表現できない味わいである。

 

ドルン!

 

「覚悟はできてっか!」

 

横にリル・トムが駆る真っ赤なスポーツスターが現れた。

 

ハーレーダビッドソン・スポーツスター。

重量感や迫力が売りとの印象が強い同社において、珍しく走行性能に特化したモデルと言える。小振りだが、車重の軽さや馬力を生かしたライディングが可能だ。

さらにトムのスポーツスターはフリスコカスタム。ミッドコンやハンドル周りをコンパクトにまとめ、ハイスピードで街道を走り抜ける事しか考えていない。


「相手にするには不足はねーな!てめぇこそスポーツスターで俺に負けたら言い訳なんてできねーぞ!」

 

スティーブが中指を立てる。

 

そう。

 

彼等はバイカーらしく、レースで勝負しようという事だ。

別に景品が与えられるわけではないが、勝者には名誉が、そして敗者には屈辱が与えられる。

 

「いいぞー!おめーら気合い入れていけよ!」

 

「トミー!負けんなよ!」

 

「おーい、俺はお前に十ドル賭けたぞ!スティーブ!」

 

仲間達がホームベースから出てきて、嬉々として声を上げている。

 

一人の女が、並んで停車しているスティーブとトムの前に歩み出た。

その手には黒いバンダナがある。

 

彼女はメンバーの誰かの女だったな、とスティーブは思った。

ホームベースにはメンバー以外にも、誰かの彼女だったり友人だったりすれば出入りが許されているのだ。


「準備はいいかしら?」

 

ドルン!

 

ドルン!

 

口では応えず、二人はクラッチを切ったままアクセルを一発ひねった。

すでにギアペダルは一速に落としてある。

 

「OK、幸運を!」

 

はらりとバンダナが地面に落ちた。

 

ドドドドド!!

 

轟音を上げて二台が走り去っていく。

 

すぐにホームベースからは仲間達がバイクや車を発進させ、レースの観戦に向かっていく。

 

 

「始まったか。

…ま、スティーブはまだ青い。リル・トムで決まりだろうなあ」

 

ニヤニヤと笑っているリーダーのラルフは、ホームベースに残った。

ウィスキーのボトルをぐいっとあおり、大きなげっぷの音を一つ立てると、他にも少しだけ残っている仲間達と共に、ホームベースの中へと戻って飲み直す事にした。


 

 

「チィ!やっぱ無謀だったか!?」

 

前を行くリル・トムの背中、ファントムズの革ジャンを睨みながらスティーブは怒鳴った。

 

リル・トムが左手を大きく水平に伸ばして親指を地面に向けている。余裕の行動だ。

 

「なめんな、こらぁ!」

 

クイーンズボロー橋にさしかかるコーナーで、スティーブはスピードをほとんど落とす事なく高速でさしこんでいった。

 

ギャギャギャ!

 

バイクを目一杯倒し、膝をアスファルトにこすりながらも何とか転倒を免れ、橋の中腹でトムに肩を並べる。

 

「やるな!だが、そうやって命削らねーと俺には並べねーか!」

 

「次はお前が俺の背中を拝む番だな!」

 

コースはクイーンズボロー橋を渡ってセントラルパークの外周を一周し、ホームベースに戻るというロングコースだ。


ドルン!

 

ドドドド!!

 

ギャラリーの仲間達に追随など許さず、二人は橋の終わりの赤信号に突っ込んだ。

 

ピピー!

 

パパァーーン!

 

当然一般車からクラクションが降り注ぐが、彼等は猛スピードで街を駆け抜けた。

 

緊張でハンドルを握るスティーブの両手が汗ばむ。

 

 

ウー!ウー!

 

ハッとしてミラーを覗く。

 

「来たぜ、お客さんだ!逃げ切るぞ、兄弟!」

 

トムが叫ぶ。

 

「この程度で捕まるかよ!」

 

併走したまま、二人がセントラルパークを周り始めた。

 

直線になると、トムがなにやら懐をあさっている。

 

「…?」

 

すぐに、黒光りするオートマチック式の拳銃が見えた。

 

「これでも食らえ!」

 

パン!パン!

 

ポリスカーを牽制するトム。

 

「おい!何やってんだ!トミー!

攻撃する暇があるならさっさと逃げ切るぞ!」

 

「言われなくてもわかってら!

のろまなてめぇの為だろうが!行くぞ!」

 

アクセルを全開にし、トムが前に出た。


もちろんレースは続行中だ。

 

公園の周りはほとんど直線しかないので、スティーブはトムに追いつけない。

 

少しずつ距離が離れていった。

 

ポリスカーも台数を増やしてまだまだついて来ている。

ギャラリーの仲間達はまったく見えない。

 

「クソ!また橋で仕掛けてやるからな!」

 

 

そして再びクイーンズボロー橋。

 

ギャギャギャ!!

 

ドルン!

 

宣言通り、スティーブのショベルヘッドがかなり速いスピードで突っ込んでいく。

 

だが。

 

「!?」

 

ズッ…

 

倒しすぎたバイクのエンジンが路面に当たり、後輪がわずかに浮いた。

 

「畜生!」

 

ガシャン!!

 

バイクが転倒し、宙を舞って吹き飛んでいった。

 

「ぐあぁ!!」

 

スティーブも地面に落ち、転がっていく。


ドン!

 

まず、バイクが信号待ちをしていたタクシーにぶつかって止まった。

 

スティーブは身体中を強く地面に擦りながら転がり続け、街路樹の低い茂みに当たって止まった。

 

幸い、頭を打ってはいないが、左腕と左足がしびれたように感覚が無く、全身傷だらけの大怪我を負った身体は動くはずもなかった。

 

「ぐっ…」

 

ウー!ウー!

 

「一台倒れたぞ!捕まえろ!」

 

「了解!」

 

銃を構えた警察官が車を降りて数人で走ってくる。

 

 

ドルン!

 

ドドド!!

 

「も、もう一台が戻って来たぞ!」

 

警察官の叫び声を聞いて、耳を疑うスティーブ。

 

「な…に…?」

 

ドドド!!

 

「スティーブ!!バカ野郎!」

 

間違いない。

リル・トムだ。

 

「く!来るな、トミー!引き返せ!!」

 

「この手に掴まれぇ!」

 

倒れているスティーブに向け、バイクを走らせながら手を伸ばす。


しかし、身体が動かないスティーブはその手を掴めない。

 

「何やってんだ!」

 

キキィ!!

 

ドドド…ドドド…

 

トムがスティーブの目の前に停車した。

 

「行け!トム!行けよ、クソがぁ!」

 

力の限り叫ぶスティーブ。

 

「よし!二人共捕まえろ!逃がすな!」

 

警官隊が押し寄せる。

 

「チィッ!失せろ!ウチのメンバーはまだ追いついてこねぇのか!」

 

パン!パン!

 

トムが警官に発砲する。

 

「バ…バカ!撃つな!逃げろ!」

 

言い終わる前に警官隊が反応した。

 

「一人は銃を持ってるぞ!」

 

「構わん、撃てぇ!」

 

「射撃!」

 

パァン!パァン!

 

パァン!

 

「やめろぉぉ…!!」

 

スティーブはかすれた声で腹の底から叫んだ。

 

崩れ落ちるトムと駆け寄ってくる警察官のいくつもの足。

そこで彼は気を失った。














Peaceful








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