ワンド
西方軍団が大被害を受けたという情報に、数少ない知り合いがどうなったのかを慌ててジルヴィオに尋ねる。
「ストルコムや、ワビ大隊長はどうなったんだ。それにツベヒは」
「ストルコム小隊長は無事でしたよ。部隊は総崩れで各自で都のほうへ逃げ、そこで再編成するという命令でしたから、そっちのほうにいると思います。ワビ大隊長も、私に命令書を渡すまでは無事でした。ツベヒという人は知りません。あ、これがワビ大隊長からの命令書です」
封筒はクシャクシャで、封蝋などの痕跡はなかった。中には、走り書きで書かれた一枚の紙きれが入っている。
ローハン・ザロフ小隊長へ
我々の軍団は移動することになった。当分のあいだ、貴君との連絡は取れないだろう。
現在、国王に対してギュッヒン侯が反乱を起こすという事態がおこっており、貴君の助力を借りたい。
貴君が支配下に置いている鬼角族を使い、敵の東方から攻撃を仕掛けてもらいたい。
鬼角族への報奨は、後日国王からなされるだろう。
これはビグロフ軍団長から発令された正式な命令である。
貴君の健闘を祈る。
追伸
この命令書を持ったシルヴィオが、戦局に風を吹かせるであろう。
テーア・ワビ
ユゴ・ビグロフ
部隊が撤退したことは書かれていないし、支配下に置いたわけではない鬼角族のことを、兵力として動員できるかのように書かれている。この命令書が敵の手に落ちることも想定しているのだろう。だが、戦いに参加することへの報奨も定かではないのに、鬼角族が参戦するのを期待するのは虫がよすぎるのではないか。
おそらく、その場しのぎの約束で鬼角族を動かし、あとでそんな約束はしていないなどといってごまかせとということだろう。それは一時しのぎの策で、長い目で見れば間違いなく鬼角族と人間の関係を悪化させることがわからないのか。いや、わかっていても、背に腹は代えられないのだ。
これからどうするかは、このあとじっくり考えればいい。それより、追伸のひとことが気になる。
「シルヴィオ君。君は戦局に風を吹かすことができるのか」
突然の問いに、シルヴィオは一瞬怪訝そうな顔をしたが、すぐににこやかな表情を取り戻した。
「これのことですか」
シルヴィオが腰の棒を右手に握り、よくわからないことばを唱えはじめる。
詠唱にともなって右手の棒が青白い光を帯び、天幕の中だというのに、どこからともなく風が吹きはじめる。詠唱の声が高まるにしたがって風は勢いを増し、大きな声とともに詠唱が止まると、風もぴたりと止まった。
「魔術の贈物とは珍しいな。しかし、風の魔術を使えるなら、海軍か商船隊で高給で雇ってもらえるんじゃないのか」
軍における魔術の役割は限定的である。強力な火の魔術は兵器となりうるし、土の魔術は陣地を構築するために役に立つ。だが、魔術の贈物を持つものは少なく、強力な火球を撃てる兵士がいたとしても、戦場では百人の弓兵のほうが射程や連射性が高く有益であると考えられている。
土魔法も精巧で強固な陣地をつくることができるが、一個軍団をするような陣地をつくるのであれば、昔ながらのシャベルと鶴嘴のほうが明らかに早い。魔術の贈物は、少数で構成される特殊部隊や魔物を狩ることには向いているが、数千数万の人間が戦う軍隊では戦局を左右するほどの力はない。
「お前凄いな、シルヴィオ。なんで今まで隠してたんだ」
ジンベジは目を丸くしていた。
「鬼角族がどう思うかわからないから、魔術を使えることを隠していたのさ。怪物だと思われて、殺されても面白くないからね」
シルヴィオは恥ずかしそうにいった。
「教官殿、海軍か商船隊ってどういうことなんですか」
「風の魔術は陸であまり役に立たないが、海上では好きな時に帆へ風を吹かせ、船に行き足を与えることができる。これは船乗りにとって神の祝福に等しいから、風の魔術が使えるなら高い給料でいくらでも船乗りの仕事があるはず――」
「おい、シルヴィオ。なんで船乗りにならないんだ」
ジンベジが私の説明を無粋にさえぎったが、その疑問には同感だった。
「酔うんだ。どんな大きな船でも、小さな舟でも船酔いする。なんとかならないかと努力したが、どうしようもなかった」