秘密兵器
それから八日で陣地はできあがった。
横五十歩、縦三十歩の本陣の外側には、大人の肩くらいまでの深さで、歩幅で三歩ほどの幅の壕が掘られ、土は内側に土塁として積み上げた。
馬でこの陣地に突っ込むには、かなりの勇気が必要になるはずだ。
本陣の両翼にも、腰くらいまでの深さの壕と土塁を五十歩ほどの幅でつくっておく。
陣地が完成したことに満足して眺めていると、ストルコムが話しかけてきた。
「教官、陣地の濠と土塁はいいんですが、両翼の壕は必要なんですか。それに、方陣の手前にも壕と土塁をつくって、相手の突撃に備えるべきでしょう? 方陣の両翼に障害物がないので、騎兵なら陣地を無視して横から集落に侵入できますよ」
ストルコムは、予想以上に優れた軍人だったようだ。
騎兵の突撃を防ぐなら、馬が進めないように壕と土塁を組み合わせて、できるだけ真っすぐ進めないような陣地をつくるべきなのに、今の陣地なら馬が土塁を容易に避けることができるので、対騎兵用にはなっていない。そのことに気がつくのだから、この男は有能であることは間違いない。
「君のいうことはもっともだ。しかし、我々には三十人の兵士しかいない。補充兵が来ても六十名だ。こちらにとって、絶対的に有利な陣地に相手が攻めてくるなら対抗もできるかもしれないが、普通に戦っても勝ち目はない。隙のない陣地は、逆に私たちの首を絞めることになるとは思わないか」
「なるほど、さすが教官ですね。たしかにはじめから陣地に立てこもっていれば、鬼角族もわざわざ攻めてきませんものね」
いいにくことだが、ここははっきりさせておかなければならない。
「たしかに陣地にたてこもるのが最善の策だが、私たちは黒鼻族を守るために何かをしなければならない。君にだから正直にいうが、はじめから陣に立てこもってしまうと、今後黒鼻族からの物資の支援は受けられなくなる可能性がある。仮に敗北するとしても、一度は敵部隊と当たらなければならないだろうな」
「そんなものなんですか」ストルコムは感心したようにいった。「レエフザン隊長の時は、どうせ意味がないからといって陣地もつくらなかったし、適当に展開して小競り合いをするだけでした」
現状では、ストルコムが副官がわりなのだから今後の計画を伝えておくべきだろう。次の襲撃で私が死ぬ可能性もあるのだから。
「次の襲撃を撃退する力は、我々にはない。次の襲撃をなんとかやり過ごして、その次の攻撃に対しての備えがこの陣地だ」
「そんなものなんですか。教官は色々と考えてるんですねぇ」
そして、無精ひげの伸びた顎を撫でるストルコムに告げる。
「他人事ではないよ。私が死んだら君がこの部隊の指揮官になるんだ」驚いた顔でこちらを見つめるストルコムにむけ、話を続ける。「君だけが、この陣地の欠陥を指摘してくれた。部下からの信望も厚いし、そろそろ小隊指揮官にくらいにはなってもいいだろうと思う。推薦書は大隊長に送っておく」
ストルコムははじめ驚き、うれしそうな顔で礼をのべたが、私はその笑顔を曇らせるようなことを伝えなければならなかった。
「喜んでいいことかどうかは、わからないと思うぞ。私は鬼角族と真剣に戦うつもりだ。一度本当の戦いがはじまると、そのあとは血で血を洗う殺し合いが延々と続くことになる。今までのように、どこか真剣さのない形だけの戦いは終わりになる。毎日のように誰かが死ぬかもしれないが、それでもかまわないのだろうか」
少し考え込んでいたストルコムが、ぽつりといった。
「ここにいる連中はみな半端者です。貴族の三男四男、農家の口減らし、親に勘当されたもの。まともな人間は、こんな地の果てまで来ませんよ。だけど、みな心の底では一旗揚げて、自分たちを捨てたものを見返してやりたいと思っています。教官がそのチャンスをくれるというなら、喜んで命を懸けるでしょう」
どんな状況であっても、人は自分の命以上に大切なものはないと考えているはずだ。戦場で武功を上げるという命を賭けたギャンブルの代償として、私は兵士たちに何を与えることができるのだろうか。
「そういってもらえると気が休まる。君には私の計画を伝えておくから、なにかあった時は参考にしてもらいたい。作戦の肝はこれだ」
私は腰にぶら下げた、細長い棒をストルコムに差し出した。
「これはなんなんですか、教官。棍棒にしては細いし、すぐに折れそうだ。前と後ろにかぎがあるところは、母ちゃんが使っていた編み棒そっくりだ」
ストルコムは、私の渡した棒を縦にしたり横にしたりしながら、どう使うものか一生懸命考えていた。
「片側に溝が掘ってあるのがわかるか、そちらを上にして使う」ストルコムから棒を受け取り、溝を上に、後ろ側のかぎを上に向けて握って見せる。「だれか、槍を貸してくれ」私の呼びかけで、一人の兵士が槍を渡してくれた。「槍をこの溝にのせ、後ろの石突をかぎのところに当てる。槍の石突にもくぼみをつけておくと、もう少し威力と精度があがるが、いまはこれで充分だろう。あそこにある木の杭を見ていてくれ」
ここから五十歩は離れたところにある、壕の端を決めるために地面に突き刺さった杭を指さす。
右手で振りかぶり、左、右、左と三歩目を踏み出すタイミングで、槍を前方へ真っすぐ振りぬく。
勢いよく飛び出した槍は、ほとんどぶれることなく一直線に杭へ向かって飛翔した。
それを見ていた兵士からどよめきがおこるが、槍はほんのわずかに杭を右にそれ、地面に突き刺さった。
惜しいという声や、ため息がもれるが、すぐに見ていた兵士からやんやの喝采がおきる。
みごと杭に命中していれば、隊長としてさぞ尊敬されたのだろうが、そうはうまくいかなかった。
「教官、いまのは手品はなんですか!」ストルコムが驚いたような声をあげる。「槍をあんなに遠くまで投げるなんて、槍投の贈物でも持ってるんですか?」
「英雄ウゼじゃないんだから、そんな贈物はないよ。私のような変わり者以外には、ほとんど知られていないが、古の戦士はみな戦争でこれを使っていた。投槍器が、戦争の主要兵器であった時代もあるといわれている」
ストルコムは納得できないような顔で、私に質問を投げかけてきた。
「こんなにも威力があって、簡単に作れる武器がなぜ使われなくなったんですか。たぶん、投げる槍もそれほど立派なものでなくてもいいんでしょう。こんな便利なもんが、なんで使われなくなったんですか?」
「答えは簡単だ。弓のほうが優れているからだよ」ストルコムの腑に落ちるまで待ってから、話を続ける。「確かに投槍器は強力な武器だが、一人の人間が何本の槍を持ち運べると思う? 弓なら、もっと簡単に、もっと素早く、もっと遠くまで射ることができるし、一人で数十本の矢を簡単に持ち運べる。たしかに槍よりは威力が劣るが、人を殺すには充分だ」
ストルコムの顔が、尊敬に満ちたものにかわった。
とても気分がいい。
むかし親友にいわれたことがある。
お前は物知りだが、その物知りを鼻にかけた態度は腹が立つと。
おそらく、いま私はものすごく自慢げな顔をしていると思う。
私に忠告してくれた親友は、五年ほど前に戦死してしまったが、そのことばを忘れることはないだろう。
ゆるんだ表情を引き締める。
「この投槍器は、私たちが使うのではない。人間なら、弓の訓練をするほうがよほど戦場で役に立つはずだ。しかし、六十人の兵士では、どうやっても鬼角族には勝てない。だから、私は黒鼻族を兵士としようと思う」