弟子
「爺、来てやったぞ。剣術とやらを教えろ」
翌日、早朝から私の天幕にユリアンカがたずねてきた。まだあたりは暗いというのに、すでに鎧を着こんでいる。年を取ることでいいことは、眠りが浅いのですぐに目がさめるということだ。そのかわり、どんなに疲れてていても、すぐに目がさめてしまい、疲労が抜けないという問題もある。寝るということは、若さの特権なのだ。若い女性に起こされるのは久しぶりだ。少し胸をときめかせながら、布団の中からできるだけ落ち着いた声で答える。
「いまから剣術を教わるのに、ジジイはないだろう。キンネクには、礼儀というものはないのかな」
謝罪のことばが返ってくるかと思ったが、戻ってきたのは舌打ちの音だった。
「わかったから、おもてで少し待っていてくれないか」
ユリアンカが天幕を出ていく音がきこえたので、布団から抜け出し寝台を降りる。
体中が痛い。
特に一撃をもらったわけではないが、昨日の激しい戦いの名残で全身の筋肉が悲鳴をあげていた。
桶の中の水で顔を洗い、少しでも痛みが和らぐように柔軟運動をおこなう。
待つのも弟子の仕事だ。まあ本人が自分のことを弟子だなどとは思っていないだろうが、気持ちの上で私はユリアンカを弟子にするつもりだった。訓練の贈物で教えられる技術に限界はあるが、あまりにも荒削りな剣の腕前を導く程度なら可能だろう。
人間のことばが話せる鬼角族は、知る限りハーラントとユリアンカしかいない。現状では、こちらの要望を鬼角族に伝えることができる、ユリアンカの命はなによりも重要だった。
そして、これほどまでに美しい存在が失われることは許されない。
柔軟運動で、十分体が温まったことを確認して天幕をでた。
「おはよう、ユリアンカさん。強くなりたいので、私に剣術を習いたいんだよね」
ユリアンカは大きくうなずくと、うれしそうに笑った。
「そうだよ爺。どう考えてもわたしの方が強いのに、昨日は手も足もでなかった。その技を教えてくれよ」
まるで口のきき方を知らない、大きな子どもだ。好きなように行動し、思ったことを口にする。
そこには嘘がない。
表面上はにこやかに笑い、裏では私を裏切っていた妻アストのことを思い出すと、胸をかきむしられるような気持ちがした。
腹が立てば怒鳴り、うれしいと笑う。それだけのことができない、私たち人間はなんと罪深いのだろう。
笑顔のユリアンカに厳しい口調で告げる。
「人であれキンネクであれ、人にものを教わる態度というものがあるはずだ。もし、それが守れないのであれば、君に剣術を教えることはできないし、教えてもけっして強くはなれないだろう」
もちろん嘘だ。軍人である以上、命令は絶対であり、潤滑剤としての礼儀は大切なものだと思っているが、礼儀正しい人間が強くなれるわけではない。強い人間に礼儀が備わるというのも大嘘だ。強さと礼儀との間には、なんの因果関係もないというのが真実なのだ。
しかし、教える方からすれば礼儀正しい生徒にはより親切にしてあげたくなるのが道理だし、人に敬意を持たない生徒を大切にしようとは思わない。一対一の関係であればなおさらだ。
困ったような顔をしたユリアンカは、少し小さな声でいった。
「爺、どうすれば剣術とかいうのを教えてくれるんだよ。大太刀で斬り殺せば教えてくれるのか」
死んだら教えられないだろうと思うが、真面目な顔で続ける。
「ジジイじゃない。私にはローハン・ザロフという立派な名前がある。兵士たちは、私のことをザロフ教官か、親しいものはローハンとよぶ」
「じゃあ、あたしはローハンってよぶよ。ローハンってよんだら、剣術を教えてくれるか?」
上目づかいで私をみつめるユリアンカは恐ろしく危険だった。
その瞳に抗える男がいるだろうか。




