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鯨飲

 いや、それ血の盟約とは違うだろ。

 思わず口から出そうになったことばを、やっとのことで飲み込む。

 「ハーラント、君は勘違いしている。私はただの兵士にすぎないんだ。命令でここにきているだけで、別の命令があれば他の場所へ行くことになる。部下たちも私に従っているわけではなく、指揮官の指示を守るという約束で俸給をもらっているだけにすぎないんだ」

 「だったら我の一族になればいい。もちろん、我がキンネクの族長になれれば、だがな」

 自分のことを誰も知らない土地で、新しい人生をやりなおすことに少しだけ魅力を感じたが、それが非現実的であることも理解していた。あと三十年くらい若ければ、もう少し真剣に考えたかもしれない。

 「その気持ちには感謝するが、無理だな」

 「ひょっとして、よそに嫁や子どもがいるのか?」

 鬼角族のなにげないひとことが心をえぐる。私の表情が曇ったことに気がついたハーラントは、あわてたようにいった。

 「なにか悪いことをいったか。ひょっとして、嫁や子どもを病で――」

 「違う」思っていたより大きな声を出してしまう。「子どもはいない。嫁とは理由があって別れた」

 「だったら、ぜひユリアンカをもらってくれんか」

 一滴の酒も飲んでいないのに、なぜ酔っ払い相手にペラペラ自分のことをはなす気持ちになったのかはわからない。どうせこの会話のことも、明日になればハーラントは忘れてしまうと思ったのかもしれない。

 「まわりがすすめるので、私は若い女を妻にした。はじめての結婚だったので、妻のことを宝のように、子どものように大切にしたんだ。だが、アストは私を裏切った。だから別れた」

 「相手の男はぶっ殺したのか」

 真剣な顔をした鬼角族は、私の目をじっとみつめる。

 「ああ、ぶっ殺したよ」

 私の答えに、ハーラントは破顔した。

 「ではお前の名誉は守られた。キンネクの掟では間男も女も殺すが、人間の掟は違うのだな」

 「人間の掟では、殺した方が悪いことになる。私は運がよかったので、ここでこうしているわけだ」

 ハーラントはもう一つのコップを手に取り、こちらに突き出す。

 「飲め。キンネクは偉大な戦士を尊重する。お前は我に勝ったのだから、敬意を払うのは当然だ。キンネクは戦士としか酒を飲まない」

 コップを受け取り、新しい瓶をあけてハーラントと自分のコップに酒を注ぐ。

 酒を飲むのは久しぶりだ。

 鬼角族のコップに、自分のコップを軽く打ち合わせる。

 コツンと木の音が鳴り、火酒で喉がひりついた。

 それから後のことは、あまり覚えていない。


 「おい、起きろ。起きろよ。酒の強さも戦士の実力だぞ」

 野太い声に体を揺すぶられ、しぶしぶ瞼を開くと、どこからが首でどこからが肩かわからない筋肉の上にある丸い顔がこちらをのぞきこんでいた。

 大失態だ。敵の前で意識を失うほど泥酔するとは、完全に指揮官失格だろう。

 鬼角族さえその気ならば、寝首をかかれても仕方ない状況だ。

 心臓が血液を全身に送るたびに頭がズキズキと痛むが、これ以上の失態は許されない。

 何事もなかったように椅子から立ち上がろうとすると、同じ姿勢を続けていたことによる痺れから膝が笑う。軽くテーブルに手を置き、痺れがとれるのを待ちながらハーラントに声をかける。

 「昨日は飲み過ぎたな。水を持ってくるから、ここでしばらく待っていて欲しい。あと、私がいないときに、テントを出ないようにしてくれるかな。黒鼻族が君を見て、槍を撃ちこんでこないとも限らないからな。朝飯を食べた後に、今後の計画を立てることにしよう。君にはいろいろとききたいことがあるん――」

 私のことばをさえぎるように、ハーラントがいった。

 「おう、いつまでもダラダラ話してないで、できるだけ早く水を持ってきてくれ」

 わかってる。膝の痺れがとれれば、すぐにでも持ってきてやるよ。

 そのあと、天気のことや雨のこと、どうでもいいことをたっぷり話した後に、私は天幕を後にした。

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