解放
イングの警告に馬上のツベヒと、槍を握ったジンベジが周囲をキョロキョロと見まわす。
私たちの左前方に、槍を持った兵士たちが横列をつくろうとしているのが目に入った。騎兵の突撃に備えるのはいいが、この状況で横列を組んで槍衾をつくるのか。棒立ちの騎兵に各槍兵が襲いかかるほうがいいのではないか。強ばったうまく動かない体とは違い、頭だけが冷静に状況を分析していた。
「左前方に敵! 俺に続け! 全員突撃!」
ツベヒが大声を張り上げて敵の隊列に向かった。重騎兵は顔を覆う兜をかぶっているため、敵の場所をうまく見つけることはできないようだ。しかし、指揮官であるツベヒが進む方向を見て、そちらの方向へ馬首を巡らせ進みはじめた。
私の方へ向いていた殺気が消える。突っ込んでくるツベヒに向かったのだ。
鎧の重さで後続の重騎兵たちの行き足は遅い。戦闘に関しては十人並みのツベヒが、まるで英雄の一騎駆けのように突出する。
「シルヴィオ、援護だ」
風魔術など準備する時間はない。敵の気が散るように、とにかく矢を射こんでくれればいい。
幸いにもシルヴィオも同じ考えだったようで、半弓を敵へ向かい立て続けに射かけた。弓鳴りは矢よりも早く相手に届く。
ツベヒは馬上で姿勢を低くし、右手には剣を持って前方へ突き出していたが、槍と比べれば得物の長さはあきらかに短い。ツベヒはどうするつもりなのか。騎兵の突撃にも、急いでつくった槍衾は形を維持していた。
「ツベヒ!」
若き指揮官は、非常に簡単な方法で敵の十数本の槍衾をかわした。私の叫び声がきこえたとも思えないので、はじめからそうするつもりだったのだろう。敵の目前で馬を急に左へ回し、近づかないという単純な方法で敵の槍から自分の身を守ったのだ。敵兵に弓や投槍があるのであれば、その回避方法は不十分であったかもしれないが、やっと武器を持ち出したような兵士たちには有効であった。
兵士たちの注意がツベヒにそれた直後、重騎兵たちが敵の隊列に飛び込む。
ジンベジが驚きの声を上げる。十騎のうちの一騎が、前方に大きく投げ出されたのがはっきりと見えたからだ。
「ジンベジ、敵を総――いや、落馬した兵士の様子をみてきてくれ」
すでに敵の槍兵は地面に倒れているか、逃げだすかして姿を消していた。十人の槍兵を犠牲にして、一人の騎兵を討ち取る作戦だとすれば、成功したといえるのかもしれない。だが、私なら天幕に隠れ、近づいてきた騎兵を槍で突いたり、物陰に隠れて不意をうつような作戦をとるだろう。
「倒れている兵士に告ぐ! そのまま寝ていれば、これ以上私たちはなにもしない。変な気を起こすのなら、ひとりひとり止めを刺す必要がでてくる。そのまま黙って寝ていろ!」
これは殲滅戦ではない。もちろん、死んだふりをした敵兵が再び襲い掛かってくる可能性もあるが、元をたどれば友軍なのだ。甘いといわれても、譲るつもりはない。
「教官殿、ノカはなんとか無事です。背中を強く打ってますが、とりあえずは死んだりしないと思いますよ」
ノカという兵士の馬は槍に右脚を貫かれ、苦しそうに倒れていた。
「シルヴィオ、弓で援護! イングは槍を集めろ!」
そういうと、私は馬を降りて、倒れた馬のところは近寄っていった。
「もういい、ここでゆっくり休め」
つぶらな瞳で私を見つめる馬の左に回り、左肩、肩甲骨、あばら骨の場所を確認する。馬の心臓は、人間と同じように左胸部にあるが、多くの骨で守られている。力任せでは、馬が苦しむことになる。あばら骨の隙間に短剣を慎重に深く突き刺すと、馬の瞳から光が消えていった。
「親父、俺は馬に乗るより走るほうが得意だから、俺の馬をノカという奴に使わせてやってくれ」
「ありがとうイング、いざというときは、私の後ろに乗ればいい」
そういうと、さらなる目標を探して馬を進めた。