食事
大きな袋二杯にギッチリと詰め込んだ羊毛は、古着屋に質が良いとほめてもらえたが、買値は銅貨十二枚にしかならなかった。宿屋の代金が銅貨六枚だったので半分は宿代に消えてしまうが、今日は宿に泊まることを固く決めている。
いまのところ、私を捕まえるような手配がされているわけではないと思われるし、明日までに手配が回ってくる可能性もないわけではないが、その可能性は低いだろう。なにより、野宿を続けることに体が悲鳴をあげていた。
宿屋の部屋に入ると、内側から閂をかけてベッドに倒れ込む。外套をとらなければ、靴を脱がなければと思っているうちに意識が遠のいていった。
誰かに体を揺さぶられている。
部屋の閂は内側からかけたはずだ。なぜ人がいるのか。
次第に明確になる意識が、私を揺さぶっている相手の声をことばとして認識しはじめた。
「お客さん、お客さん、起きてくださいよ。もう昼ですよ、お客さん」
どういうことだろう。この宿屋に入ったのは昼過ぎのことだ。目をこすりながら、声のする方向をみると、宿屋の主人が立っていた。
「あーあ、外套を脱がずに寝てしまって。布団がしわくちゃですよ」
部屋に入り、閂をかけてベッドに倒れ込んだところまでは覚えているが、そこから先の記憶がなかった。
「すまない、ご主人。いまは何刻かな」
「さっき六の鐘がなりましたよ」
ほとんど丸一日寝ていたということか。それほどまでに体が疲労していたとは思っていなかった。
「そのまま眠ってしまったようだ」
ベッドに腰をかけ、強張った体をほぐすように動かす。
「なんの返事もないので、死んでるんじゃないかと思いましたよ。眠ってしまったのはかまわないんですが、もう一泊しないのであれば、そろそろ部屋を空けてもらいたいんですが」
「わかった。すぐに支度する。あと、なにか温かい食べ物はないか」
「残り物のスープとパンなら用意できますよ。鐚銭五枚になります」
「わかった。準備してすぐにいくから、食事の用意をしてほしい」
私がそういうと、宿の主人は部屋から出ていった。
高い金を払って、ベッドにも入らずに眠っただけか。しかし、ここ数日なかった程に頭はスッキリとしていた。食事を取って、さっさとこの町から出ていかなければ。
とりあえず、荷物をまとめて部屋をでる。
食べ物の匂いがする方へ向かうと、数人が座れるテーブルの上にパンが無造作に置かれている。
すぐに宿の主人が姿を見せ、スープが温まるまで待つようにいわれた。
温かい食事は五日ぶりだ。スープの香りに涎が落ちそうだ……。
「お客さん、起きてください」
男の声で目を覚ます。スープが温まる時間さえ、睡魔は私を見逃してくれなかったようだ。
目の前には、湯気のあがるスープが置かれている。
すぐに木の匙を取りスープを口に運ぶが、あまりの熱さに吐き出してしまう。
「落ち着いてください。スープは逃げませんよ。なんなら、おかわりもありますから、ゆっくり食べてください」
そういうと、主人は奥の台所らしき場所へ入っていった。
今度は失敗しない。匙でスープをすくい、フーフーと吹いてさましてから口へ運ぶ。ほとんど具も入っておらず、茶色に濁ったスープは、温かいということ以外の取り柄がなかった。だが、その温かさこそが私の求めていたものなのだ。
かたいパンをスープにひたして、口に運ぶ。この温度なら大丈夫だ。
スープを二回おかわりし、大きなパンの塊りを半分以上、胃に納めるまで私の食事は終わらなかった。
結局、鐚銭を追加で三枚、合計で八枚も支払うことになったのだが。
本当はもう一泊くらいしたかったが、食事が終わると食料を買いこんでイブレルを出発した。バイロニという兵士に自分の名前を名乗ったからには、帰路でこの町へ立ち寄ることはできないだろう。危険が多すぎる。
たった一晩のことではあるが、寒風の吹かない部屋でぐっすりと眠ったおかげで、すこぶる体調はよくなっていた。ここからが、一番大きな危険をはらむ道程なのだ。
国王軍、ギュッヒン侯の反乱軍は、イブレルの町から二日ほど南東に進んだところで対峙しているという。前線を大きく迂回すれば一番危険の度合いは低くなるが、五日ほど日数がよけいにかかってしまう。このまま真っすぐに進むと、ギュッヒン侯の偵察部隊に間違いなく発見されるだろう。馬は雪の中を力強く進むが、走るのは遅い荷馬車用の馬だから、偵察隊の騎兵にはすぐに追いつかれてしまうだろう。結局、選択の余地はない。私はいったん南に進み、そこから都へ向かうことにした。