祈り
翌日も朝から、順調に行軍を続ける。
羊たちは飲まず食わずで進むので、私たち人間の方が疲労を感じても休むことができずに困ることになった。
ヤビツにきくと、黒鼻族は水なしで五日は進むことができるそうだ。食料も、冬に備えて皮下脂肪としてたっぷりと蓄えているらしく、道草を食うくらいでほとんど口には入れていない。
西方にきてから、私は本当にいろいろなことを知ることができたと思う。無補給で五日間行軍できる黒鼻族は、理想の兵士だ。しかも、自分たちで武器を作れないということは、武器の供給を止めれば戦えなくなり、戦後に反乱などをおこす心配がないので、為政者にとっても都合がいい。恐怖心が欠如したモフモフ羊たちの軍は、ある意味で恐ろしいものになるだろう。
いまの私に二千騎の騎兵を預けてもらえれば、すべての鬼角族を滅ぼすこともできるだろう。遊牧民は気ままに移動しているわけではなく、水場を中心として一年ごとに自分たちの領域を巡回している。この事実を知っているだけでも、いままでのように意味もなく鬼角族を攻撃することが間違いであることがわかる。鬼角族の守るべき水場を攻撃すれば、敵は逃げずにこちらの軍隊と正面から戦うだろう。本当に鬼角族を壊滅させるだけでいいなら、片っ端から水場に毒を投げ込み、汚染させてもよい。
知識は力だ。そして、知識を得るために行動することが必要な場合もある。退役するまで軍事学校の教官であれば、このような知識を得ることはできなかっただろう。もし叶うのであれば、私の見聞きしたことを記録に残し、後世の軍人に伝えたい。
「教官殿、後ろから騎兵が接近してきます。鬼角族の連中に見えますが、どうですか」
ジンベジがいち早く、接近してくる一団を見つけた。目がいいのも、戦闘指揮官としては優れた適正だ。
「一頭の馬に二人乗りが多いな。間違いない、ハーラントたちだ」
シルヴィオが大きく手を振った。
「これで一休みできるのか。ケツが痛くてたまらん」
馬に乗りなれないイングがぼやいている。
「残念だが、まだ休めないぞ。もう少し進まないと、明日の日がのぼっている時間に攻撃準備ができない」
うんざりした顔のイングを横目に、馬をハーラントの方へ走らせた。
「もう少し早く到着するとおもったんだがな、族長様」
ハーラントの表情が急に曇ったものになり、イライラしているのがはっきりわかった。
「精一杯急いできた。これ以上急ぐと馬が潰れるのがわからんか」
しかたなく、今度は笑顔で問いかける。
「この族長は冗談がわからないようだ。前には黒鼻族がいるが、襲わないでくれよ」
怪訝そうな顔でハーラントはいった。
「今日はやけにからんでくるな、ローハン。お前ほどの男が怖気づいているのか」
ジンベジやツベヒ、シルヴィオはまだまだ子どもだ。イングは大人だが、子どものような部分がある。
子どもの前では、親は威厳を見せなければならない。
ハーラントは私より年下だが、族長という地位にふさわしい器を持った大人だ。
自分でも気がつかなかったが、他の大人に少し意地悪をして憂さを晴らしたかったのだろう。
「ああ、はっきりいってメチャクチャ怖気づいてるよ。自分で立てた作戦だが、本当にうまくいくのかどうか自信がない。だが、ユリアンカを助けることができるのは、この作戦だけなんだ」
「だったら自信を持て。うまくいくかどうかは、リーザベル神が決めることだ。人事を尽くして天命を待てばいい」
鬼角族の多くは運命論者で、自分たちの努力など神の前では些細なことであると考えているようだ。
私もヴィーネ神に祈ろう。
神を信じても、頼ることなかれというが、祈ることはかまわないだろう。
ユリアンカを助けるため、この作戦を成功させてくださいと。




