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冬の日暮れは早い。
なにもない平原で羊とたちと野営をすることになったが、黒鼻族たちは固まって眠るだけなのでなんの準備も必要ない。私たちだけが、食事を用意するために竈をつくり、火を燃やした。
敵に見つかりやすくなるので火を使わないという選択もあったが、奇襲をかけるわけでもなく、斥候に見つかっても問題はないだろう。
明日にはハーラントたち鬼角族とも合流する。そうなれば、敵の本隊以外は脅威にならないし、相手がこちらを騎兵中心だと考えているのであれば、槍隊をわざわざ派遣してくることもないだろう。
「教官殿、果たして敵は降参しますかね」
焚火を囲みながら、ジンベジがつぶやく。
「おい、ジンベジ。勘違いするな、降伏するのはこちらだろ」
ツベヒのことばを無視し、ジンベジが続ける。
「教官殿、こちらが降参するにしても、口約束で降参するんですか。なんかこう、書類みたいなものはないんですか」
ジンベジのことばに、顔から血の気が引いていくのがわかった。こんな基本的なことを忘れているとは、私も焼きが回ったものだ。
「ありがとう、ジンベジ君。私は、とても大切なことを忘れていたようだ。降伏するといっても、口約束はないな」
ニヤリと笑ったジンベジが、嬉しそうにツベヒの方へチラリと視線を向ける。
初めからともに戦ってきたジンベジからすると、後から合流したツベヒに思うところがあるのだろう。
男の世界にも嫉妬はある。
ジンベジは槍使いとしてなかなかの腕前だが、今のところ、指揮官という器ではない。部隊の先頭に立って、兵士を率いる野戦指揮官にはなりうるだろうが、軍団を率いるような士官にはなれないだろう。
一方でツベヒには、他人を指揮する才能がある。生まれながらに、他者へ命令を下すことのできる人間だ。誰もが軍団長や将軍にあこがれるが、適材適所ということもある。私が軍団長や将軍に向いていないのと同じだ。
「頼みたいことがあるんだが、いいかな」
ジンベジとツベヒが、こちらを見る。
「条約には、正式な書式で書かれた文章が必要なんだ。今から、どうやって書類を作成するか見せてやる。だが紙に文字を書くための台が必要だ。硬いペン先を使う。なんでもいいから、書くための台を用意してくれ」
二人はすぐに焚火から離れて、台になるものを探しにいった。
私は、自分の馬のところにいき、鞍にぶら下げた鞄から羽ペンとインク、紙の入った包みを取り出す。
羽ペンの先を短刀で平らに削り、インクに浸して端切れに試し書きを何度かおこなう。
「教官殿、これくらいしか見つかりませんでした」
しょんぼりしたジンベジが、鞍に下げている鞄をこちらに手渡す。軍用の鞍には、両端に薄く、跨いでも邪魔にならない鞄がついている。ただの走り書きなら革の上で書けるだろうが、外交文書に準ずる書類をつくるには硬さが足りない。
すぐにツベヒも戻ってきたが、こちらは手ぶらだった。
「ローハン隊長、硬いペン先の下敷きになるようなものはありませんでした」
ジンベジが、ほら見たことかとニヤニヤする。今度はツベヒが、チラリとジンベジをみた。
「下敷きはみつかりませんでしたが、これではどうでしょう」
ツベヒが腰の剣をスルリと抜き放った。
「かなり幅が狭いのですが、どれほど硬いペンの先でも問題ないでしょう」
ツベヒの剣は私が貸し出しているものなのだが、たしかにこれ以上の台はなさそうだった。
「そうだな、ツベヒ。これ以上のものは、このあたりで見つからないだろうな」
今度はツベヒが笑う番だった。だが、そろそろやめさせなければならないだろう。
「よし、二人ともおふざけはここまでだ。これから公式文章の書き方を教えてやるから、しっかり見ていろよ。いつか、二人とも必要になることがあるかもしれない」
そのことばに、二人は互いに顔を見合わせた。