前へ進む勇気
敵の斥候に遭遇する心配は杞憂に終わり、日が暮れた少し後にチュナム集落の近くに到着する。
薄暮の光の中、チュナム集落に大部隊がいないことは目視で確認できた。見張りの兵士もいない。
兵士がチュナム集落に残っている可能性があるので、まずは私とジンベジ、ホエテテの三人でチュナム集落に潜入することにした。ツベヒについては、まだほんの少しだが間者であるという懸念が捨てきれなかったので、あえて今回は連れていかないことにした。
暗くなっても、集落には明かりひとつない。
待ち伏せでもしていない限り、敵の兵士はいないはずだ。
丘陵の西側には比較的しっかりした陣地があるが、南側には集落の周囲に少し壕を掘っただけなので、チュナムへ入るまで警戒するべき場所はない。しかし、丘陵の上から目を凝らしていれば、近づく三人の影が見えるので、待ち伏せ部隊がいるなら絶好の獲物だ。
できるだけ静かに丘陵を登るが、身を伏せたりはしない。
ジンベジは槍を、ホエテテは大太刀を手にしていたが、敵がいた場合は鬼角族に大声で助けを求め、逃げることしかできないだろう。移動中も敵の気配を感じられないか耳をそばだてていたが、特に気配は感じられなかった。
もう少しで集落が見えてくるであろうという時、稲妻にうたれたような痺れが全身を襲う。
殺気だ。
膝から崩れ落ちるように地面に倒れ込む。
私が突然倒れたので、並んで進んでいたジンベジとホエテテも、飛びこむように地面に身を伏せた。
「教官殿、大丈夫ですか」
「大丈夫だ。誰かがこちらを狙っている」
ジンベジの問いかけに、精一杯の声で返事をするが、かすれるような声しかでなかった。
油断したわけではないが、ある程度の規模の敵兵はいないと思い込んでいたのも事実だ。見張りがいるとしても、正体のわからない相手に殺気を向けるようなことはないと勝手に考えていた。
いままでの経験で、私の訓練という贈物の持つ特性について、ある程度わかるようになってきていた。訓練は、武芸百般、ありとあらゆる武器を扱うことができ、多くの兵士に適切な命令を下すことができる。だが、それは自分に向けられた殺意がなければという条件のもとでのみ、発揮される。相手が一人でも、明確に自分に殺気が向けられれば、私の体は思うように動かなくなる。自分自身に向けられたものではなくとも、戦場で多数の人間が相手を殺そうといういう意思を持っていれば、私は飴のようにグニャグニャになってしまう。敵から逃げようとするとき、震えは少しおさまる。
戦場で役に立たないはずの贈物が、敵の攻撃を事前に感知するという、別の意味で役に立つというのは面白い皮肉だろう。しかし、私個人への殺意でなければ、これほど急激に膝が動かなくなるようなことにはならないはずだ。丘の上に数十人が待ち受けていて、全員が我々三人を殺そうと思っていない限りは、これほどの変化は起こりえない。考えられるのは、一人の弓手が私を狙っていて、矢を射かけようとしていることくらいか。
「ホエテテ、ジンベジ、弓で狙われている可能性がある。頭を上げるな」
二人は丘陵を見上げながら、弓兵の居場所を見つけようとキョロキョロとしている。
耳をすまし、チュナム集落の方にどれくらいの兵士が待ち構えているかを計ろうとするが、気配を感じることがほとんどできなかった。特殊な訓練を受けた兵士でもないかぎり、多数の兵士が身を伏せていれば、呼吸や身じろぎの音くらいはきこえるはずだ。ここから逃げ出しても、矢の的になる可能性の方が高いだろう。敵が少数なら、むしろ前進して近接戦に持ち込む方が生き残る目があるだろう。
これは賭けだ。失敗すれば、私たち三人は死ぬ。