大きな理由
歩哨たちは、西からの侵入者を警戒している。
脱走者がいるとしても、まさか西に逃げる人間はいないだろう。
もし見つかっても、そのまま走って馬のところまでいけば追跡を振り切ることもできるはずだ。
羊の店の裏口を出ると、来た道を戻る。誰とも出会わず、篝火が置かれた警戒線の近くまでくると、身を低くした。
行き来する歩哨が巡回する間隔をある程度つかむと、隙をみて一気に警戒線を駆け抜ける。足音がきこえたかもしれないが、誰からも声はかからない。
シルヴィオはどこだ。
馬はどこにいる。
暗すぎて、どこになにがあるかわからない。
次の瞬間、頭の右後ろからハッキリとした大きな声がきこえた。
「隊長、こっちです」
思わず立ち止まり、声のした方角を向くが誰もいない。あんな大きな声を出せば、歩哨にきこえてしまうに違いない。
地面に這いつくばり、振り返るが歩哨たちからの叫び声はきこえない。
「隊長、もう少しだけ右を向いてください」
またシルヴィオの声だ。まるで目の前で話しかけられたようにきこえるが、姿は見えない。
少し視線を右に動かすと、見えた。少し離れた場所でこちらに手を振るシルヴィオだ。
低い姿勢で立ち上がり、シルヴィオのところまでできるだけ静かに移動する。
「おい、いまのはどうやったんだ。まるで目の前にいるような声だったぞ」
ささやくような声で問いただすと、満面の笑みでシルヴィオが答えた。
「風魔術の一種ですよ。自分の声を風にのせて飛ばすんです。周りにはきこえませんから、こういう任務には最適なんです」
風魔術は戦闘力に乏しく、帆船の推進力程度にしか使用できないと考えていたのだが、このような用途に使用できるとは思ってもいなかった。いろいろと話したいことはあるが、まずはこの場所を離脱するべきである。
「ありがとう。君のおかげで助かったよ。話は、ここを離れてからしよう」
二人で馬のいる方向へ進み、フェイルの町を後にした。
馬上でシルヴィオに、町にいたのは反乱を起こしたギュッヒン侯の軍隊であり、鬼角族討伐のために集結しつつあることを告げる。これからどうするべきなのかは不明だが、借りのある鬼角族を討伐されることを見過ごすわけにはいかない。かといって、同僚や部下だった兵士と戦うということも気乗りしなかった。
「ところでシルヴィオ君、風魔術にあんな使い方があるなんて初めて知ったんだが、戦場であの魔術は使えるんじゃないか。展開している部隊に直接命令を下せれば、戦場での指揮命令系統に革新的な技術となるぞ」
少し声調をあげたシルヴィオは、嬉しそうにいった。
「ストルコム隊長から、ローハン隊長は上は天文下は地理、戦争のことならなんでも知っているといわれたんですが、隊長にも知らないことがあるんですね」
私にも知らないことはたくさんあるが、ズバリと核心を突かれると少し心がざわつく。
「それはストルコムが、私のことを買いかぶりすぎているんだよ。私にも知らないことはたくさんある。なぜ、風魔術は情報伝達に使われないのか教えてもらいたいんだが、いいかな」
「まず、残念なことに魔術で起こす風は真っすぐにしか吹きません。少しくらいなら曲げることができますが、基本的には真っすぐです。つまり、音声伝達で声を送ることができるのは、見えている相手だけなんです。戦場で味方の指揮官を、常に視認できている状態は稀ですから、実戦ではほとんど役に立ちません」
たしかにその通りだ。櫓のようなものの上から命令を伝達する方法もあるが、弓で狙われるかもしれないし、機動戦になると櫓そのものが足かせになる。
「しかも、この音声伝達の魔術はそれほど遠くまで届かないものですから、戦場での使用は断念されたんですよ」
「なるほど、そういう理由があったのか。教えてくれてありがとう。一つだけききたいことがあるんだが、いいかな」
「なんですか、ローハン隊長」
「陸上での戦いで音声伝達が役に立たないことはよくわかったが、遮蔽物が船しかない海戦では、音声伝達という魔術はものすごく便利なんじゃないか」
私の指摘に、シルヴィオは少し悲しそうな声でつぶやいた。
「そうですね。それも、風魔術の贈物を持つ人間が船乗りとなる大きな理由です」




