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おやすみのキス



「凄い!・・・大きい!」


僕は今、佐世保港でこれから乗る船の大きさに目を輝かせている。

目の前に停泊するのは合衆国強襲揚陸艦「ワスプ」、満載排水量41000tを超える巨大な船。沖縄県南西諸島で行われる離島奪還訓練に参加すべく、沖縄の合衆国海兵隊第31海兵遠征部隊、西部方面普通科連隊第1中隊の隊員とともに、乗艦を待っている。


周りには第1小隊の隊員が、僕を囲むようにして座っている。さすがに、女性特有のにおいが強い。


「道雪、気持ちは分かるけど、顔はふせてて」


「あ!はい」


今度の演習、教子さんの発案で僕は女装をして帯同することになった。いったいどんな格好をするのかと不安だった。結局、ひげを綺麗に剃ったうえ、教子さんに眉毛を整えてもらい少しだけ化粧をしてもらっている程度だ。あとは迷彩柄の丸天帽子を深くかぶれば完成らしい。


こんなんで、よいのだろうか・・・・


「大丈夫よ。そもそも、向こうは男性の医官が来るなんて思っていないのだから。あまりしゃべらないようにして。何かあったら、必ず私か一条に声をかけて」


「道雪君、私ならいつでも何でもOKよ!」


定子さんも興奮気味だ。一緒に演習に参加できるの事を喜んでくれている。背中に大きな胸を押し付けてくる。


「静かに。さあ、もうすぐ乗艦よ」


*****


今度の演習で、僕は衛生部隊の訓練計画に組み込まれていない。表向きの僕の役割は、演習を観察し、設立間もない水陸機動団の、将来の衛生部隊編成と医療・衛生業務の装備品規模について、連隊本部に報告することだ。従って、合衆国海兵隊衛生隊との接点はなく、ひたすら教子さんの背後について訓練を観察すればよいらしい。


隊員たちが立ち上がり順番に乗艦を始める。そろそろ僕たちも乗艦だ。


10:00。佐世保出航後1時間。

ワスプ艦内の士官待機室、狭い2段ベッドが並ぶ。第1小隊士官である教子さん、定子さんと僕は、荷物を自分のベッドにしまい小休止。このあと幹部用食堂で昼食をとり、教子さん、定子さんは日米合同ブリーフィングに、僕は明日未明の訓練開始まで、この場所で待機予定だ。シャワーは訓練終了後の予定なので、今日は寝るだけ。教子さんと同じ二段ベッドで眠れる、そう思うと嬉しい。


12:45。昼食の時間。

教子さんと定子さんに挟まれて食堂に向かう。顔は伏せたまま、迷路のような艦内を歩く。食堂に入ると、先頭を行く教子さんが誰かを見つけたようで、緊張気味に丸天帽を深くかぶり、足早に給仕に並ぶ列に向かおうとする。

列に並んだ直後、大きな声が僕たちにかけられる。


『ハイ!ノリコ!テイコ!久しぶりね。調子はどう?』


ショートヘアの金髪、碧眼。身長は定子さんよりも高い190cm程度。女性ホルモンは定子さん以上ありそうな美丈夫だ。教子さんは、わずかに表情をひきつらせながら英語で答える。


『どうも。悪くないわ。そちらは?』


『あたしはいつでも上々よ。あら?そちらは』


『新人士官のセツコよ。彼女、英語は苦手だから』


『ハイ!セツコ!私はアマンダ・ハサウェイ。アマンダって呼んで!』


アマンダさんは握手をしようと右手を出してくる。

僕はできるだけ顔を見せないようにしてその手を握る。

すると、彼女は、突然、スンスンと僕の匂いをかぎ始めた。

手を離しても匂いをかぐのをやめない。たまらず教子さんが注意してくれる。


『アマンダ!その子は、初めての演習で緊張しているの。やめてあげて』


焦る教子さんに対し彼女は笑顔で謝罪しつつ、わざと声を落として僕たちにささやいた。


『ごめんなさい。で、そのかわい子ちゃん、どうして女装なんかしてるの?』


僕たちの計画は、乗船4時間でもろくも崩れ去った。


*****


16:00。僕は士官待機室で合同ブリーフィング中の教子さんと定子さんの帰りを待っている。まずい。ブリーフィング前に一緒にトイレにつきあってもらえばよかった。


どうしよう、もう我慢できない。

僕は重い扉を開け、トイレに向かうことにする。


場所は確認済みだから大丈夫。だけど僕一人だ。男性用のトイレを探したほうがよいだろうか。これまでの艦内の移動で、男性用トイレは見かけなかった。仕方なく僕は丸天帽を深くかぶり、女性用トイレに入ろうとするも、米国海兵隊員と思しき女性に入口で止められてしまう。身長は2m近い。


『失礼。こちらは女性用ですよ。あなたは女性ですか?』


彼女は笑顔だ。僕を男性と知っていて問いかけている様子だ。これでは入れない。


『ごめんなさい。男性用のお手洗いの場所は。ご存知ですか?』


僕が小さく返事をすると、意地の悪そうな笑顔で僕の全身を見ながら答える。


『やっぱり。昼からずっと男の匂いがしてたから、変だと思ってたのよ。へえ・・・君、どうしてそんな女性のような格好してるの?もしかして変態さん?』


応えてくれない。どうしよう。トイレに行きたい。


僕は何も答えずに彼女に背を向け別のトイレに向かおうとする。確か食堂にもあったはずだ。


僕の直ぐ後をつけるその女性隊員は僕を許してくれるつもりは無いらしい。あえて周りに聞こえるような大きな声で僕の秘密を振りまきながら後をつけてくる。


『ねえ。なぜ化粧なんかしてるの?男の子なんだから、そのままの方が良いんじゃないの?』


周りは何事かとこちらに注目している。僕は構わずトイレに駆け込もうとするけど、その女性は僕の手首を捕まえ大きな声で話す。


『君、だからここは女子トイレだってば。いくら男性でもそれはダメよ』


捕えられた僕はその女性を睨みつける。そんな僕を見た女性はさらに表情を歪めながらその手を思い切り握りしめてくる。


「痛い!」


すごい力だ。このままだと、手首が折れそうだ。

抵抗することを諦めた僕はその女性に頭を下げ、女性用を使わせてもらうことを許してもらおうとする。

その時、横から声がかかる。


『ハイ!セツコ!どうしたの?トイレならさっさと入りなよ』


突然声をかけられ僕と見知らぬ女性隊員はそちらを振り向く。


そこに居たのは先ほど挨拶したアマンダさん。目の前の女性隊員は驚いて手を離す。僕の手首は赤く変色している。思わず手首をさする。


それを見たアマンダさんは、突然、声色が変わったかと思うと、鋭い眼光で目の前の女性に命じた。


『エイダ・・・こんなことが許されると思っているの!訓練への参加は禁止。部屋で謹慎よ!戻りなさい。今すぐ!』


*****


何とかトイレに間に合った僕はアマンダさんに付き添われ第1小隊の待機場所に戻った。そこにはブリーフィングを終えた教子さんと定子さんが心配そうに待っていてくれた。


事の顛末を聞いた定子さんは、謹慎中の女性と格闘訓練がしたいと言った。彼女は水陸機動団一の自衛隊徒手格闘術の使い手で、合同演習でしばしばその技を披露し、第1小隊の面目を保ってきたらしい。


教子さんは、責任ある立場として、誠意をもって謝罪するアマンダさんに応対した。今後、僕に失礼なことがないよう配慮してもらい、数が限られる男性用施設に代わり、僕が女性用施設を使わせてもらうことの許可をもらってくれた。これで化粧を落とすことができ、ほっとする。


*****


21:00、消灯。

僕は自分のベッドの中で、痣がついた手をさすっていた。

すると、横から教子さんが顔を出し、小さな声で聞かれる。


「道雪。手、痛い?」


「大丈夫。握られただけだから」


彼女は悔しそうに僕の手をさする。


「ごめんなさい。あなたを置いていくべきでなかった。道雪も士官なんだから、一緒にブリーフィングに出ていれば、こんなことにはならなかった。私の判断ミス」


彼女の顔を見ると涙を流している。あの気丈な教子さんがこんなことで涙を流すなんて・・・


「教子さんは悪くないよ。あの人、個人の問題だと思う。だから気にしないで」


そう声をかけても、教子さんの悔しそうな表情は変わらない。僕が傷つけられたことが何よりつらいという感じだ。そんな教子さんを見るこちらの方がつらい。僕は彼女の肩を抱きしめ、耳元でささやいた。


「心配してくれてありがとう。明日は朝早いから、そろそろ寝なくちゃ。駐屯地に戻ったら、次の休み、一緒にどこか遊びにいこ?」


それを聞いた彼女の顔は輝いた。



「おやすみ。教子さん」

「おやすみ。道雪」



おやすみの挨拶とともに、僕は初めて女性とキスをした。





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