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演習


佐伯小隊長の朝は早い。

まだ暗いうちから起床し、付近をランニングするのが日課だ。

汗をかいた後、軽くシャワーを浴び、新聞を手に部屋に戻る。

そこには自衛官なら無視することができない記事がある。


<女帝、朝鮮半島の非核化拒否。合衆国は制裁強化へ>


<国籍不明で浮上した潜水艦。共和国の原子力潜水艦と判明>


彼女が所属する西部方面普通科連隊は、日本の南西方面の島嶼防衛を主な任務とする即応部隊だ。

対峙するは共和国。現在は両国のコントロール下、警察力(海上保安庁および沿岸警備隊)による“つばぜりあい”が続く。深刻とは言えないが、油断はできない。


せめて彼がいる間に、事が起きなければと願う。


*****


駐屯地への出勤途中、正門付近で臼杵衛生長を見かけ、駆け寄りながら挨拶する。


「衛生長、おはようございます。」


「おはよう。小隊長。あなたはいつもさわやかね。」


「そんなことは。衛生長、先日はどうもありがとうございました。」


再び頭を下げる佐伯二尉。


「いいわよ。どのみち見学は必要だし、普通に考えたらあなたの隊から開始することになるのだから。

それで、どうなの?思いは遂げたの?」


「・・・連絡先を交換し、名前で呼び合うことを約束しました。」


「まあ!上々じゃない。彼、いい子だから泣かせちゃだめよ。」


「そのつもりです。」


「そうそう。今度の演習、あなたたちの隊も参加するはずだけど、彼も帯同することになったそうよ。

初めての演習帯同だから、いろいろ面倒みてあげて。」


「承知しました。」


はて、次の演習はどのようなものだったか、佐伯小隊長は記憶をさぐる。

詳細は思い出せない。おそらく護衛艦に乗艦することになるだろう。

初めてなら「ひゅうが」クラス以上のDDHならよいが、「しもきた」などのLSTになるかもしれない。

あれは見た目以上に揺れるから、彼には酔い止め薬をたくさん持たせた方が良いだろう、などと好きな人のことを考える。


泣く子も黙る特殊部隊の現場指揮官たる彼女の日常は決して容易いものではない。

でも、彼のことを思う時間は彼女にとってこの上ない幸せな時間となっていた。


*****


朝礼が終わり、課業が始まる。

佐伯小隊長以下、第1小隊の幹部は小隊に割り当てられた事務室で事務作業を行う。


自衛隊の普通科小銃小隊などでは、通常、士官クラスの指揮官1名と、それを補佐する下士官複数名で隊をまとめることが多い。

しかし、彼女の従える第1小隊は少し事情が異なる。

隊長の佐伯教子二尉、副長の一条定子三尉ともに防衛大学卒業の士官であり、さらに下士官クラスがわきを固める。


西部方面普通科連隊はレンジャー資格を持つ隊員の割合が高い精鋭部隊であるが、特に彼女の小隊は全員がその資格を持ち、レンジャー小隊ともいわれる。

任務は、水路潜入や偵察など、合衆国海兵隊の武装偵察部隊に相当する。

潜入時などは小隊単独行動をとる可能性が高く、独自判断で行動できるための組織構造となっている。

これを受け、小隊単独で事務室も与えられている。


小隊事務室で作業中、佐伯小隊長の机に次期演習の計画が届く。

今朝、衛生長が話していた案件だ。やはり、まだ私は知らなかった。

計画を見るうち、彼女の顔は青白くなる。

彼女は受話器を取り、第1中隊本部に連絡を入れる。


*****


現在、時間は15:00すぎ。普段なら、各自トレーニングを行う時間だ。

しかし現在、第1小隊幹部事務室では、小隊長以下、幹部全員が打ち合わせコーナーで腕を組んでいた。望ましくない事態に、全員の表情は重い。


そこに、何も知らない新人男性医官が、あどけない笑顔で入室してくる。


「失礼します。あ!みなさん、お揃いですか。」


その可愛さに、ほんの一瞬幹部隊員も笑顔になるが、そのあどけなさが余計に心配の種を大きくする。

一条三尉が声をかける。


「お疲れ。道雪君。ごめん忙しいときに。」


彼女たち第1小隊幹部は、全員が小隊長と同じく、名前で呼びあう権利を既に得ていた。


「いえ。どうされました?」


「実は・・・・」


*****


教子さんの部屋に呼ばれた。

話を聞いてみると、原因はどうやら僕が参加予定の演習にあるらしい。


合同演習の何が問題なんだろう・・・


「道雪君は知らないのね。

私たちも大概だけど、海外の海兵隊員って筋金入りの脳筋バカなのよ。

油断したら道雪君の貞操の危機よ。」


は?いやいや。さすがに演習でそれはないでしょ。


「もう。あなたは警戒心のかけらもないのね。

私たち水陸両用兵の演習は、大抵、船に乗るの。

船って、陸地から切り離された、ある意味、絶海の孤島も同じなのよ。

乗り合わせた数少ない男性が性的暴行事件に巻き込まれるのは少なからずあるのよ。」


そうなのか・・・でも、命令だし。


ずっと、腕を組んで黙っていた教子さんが、やおら立ち上がると、思いがけないことを口にする。


「仕方がないわね。こうなったらやるしかないわ。

道雪を女性自衛官として乗艦させ、私たちで可能な限りガードする。

それしかないわ。」


は?・・・・今なんて?


すると、同じく黙っていた女性下士官幹部も口を開く。

彼女は30歳ほどのベテラン曹長で、最も経験が豊富だ。


「そうですね。

各国で共有するリストには、人数などの部隊規模の情報しかありません。

性別が公表されていないなら、彼ならいけるのではないでしょうか?」


いや。さすがにそれは。トイレとかはどうするのですか?


「私たちの誰かと一緒に行くことにしましょう。」


じゃあ、シャワーは?


「それも、私たちと同じタイミングにすればよいわ。」


ちょっ!教子さん、本気ですか?

横から定子さんが賛同する。


「それしかないわね。大丈夫、一緒に入ろう!道雪君!じっくりは見ないから!」


いや、ちょっとでもダメでしょ!


「道雪は一番奥、その隣が小隊長の私よ。これは隊長命令よ。」


「ぶう!職権乱用!道雪君はみんなの道雪君なんだからあ!」


僕はあきれてものも言えなくなった。こんな計画がまかり通るとは思えなかったが、意外にも連隊長以下、幹部もこの計画を承認したらしい。現時点で性別情報が知られていないので僕が女性として行動しても誰に対しても嘘偽りにはならなく、ばれたら即公表すればよいだけとの判断らしい。加えて、珍しい男性医官の貞操の危機には、やはり少なからず懸念はあったようだ。実は幹部が僕を帯同させたことに関しては、別の思惑があることを後で知ることになるんだけど。



こうして僕は、初めての演習を、女装医官として望むことになった。





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