平穏な日常
「……つまり、商会を立ち上げたい訳ね」
「そう。必要なお金はリン・アーシさんや兄上が準備してくれるって。……少しずつ返さなきゃいけないけど」
「それって借金よね。……返すあてはあるの?」
近くの公園で、芝生に並んで座って。フレイに話を切り出す。これからのこと、兄上と相談して、リン・アーシさんに持ちかけられた話を。
「どうも、最初の内は、指定された仕事さえこなせば返済できるような仕事を回してくれるらしいんだ。……正直、最初に想像してたより簡単に立ち上げられるかなって」
「そうね。相手がリン・アーシさんや王様でなければ、騙されてるのを疑う位、バードにとって都合のいい話よね」
フレイの返事は、僕が最初思ったのと同じような事で。だから、きっとフレイも僕と同じ結論にたどり着くと思う。きっと兄さんもリン・アーシさんも、飛行機を使った商売に魅力を感じていて、そのために僕を援助しようとしてるって。
だから、きっとこの話が悪い話じゃないってわかってくれる。だから……
「まあね。……フレイには研究があるのはわかってる。だから、できればでいいんだ。けど……」
あとは、僕の望みを、願いを、言葉に乗せて、フレイに届けるだけでいい。
「もし良かったら。その商会、僕と一緒に立ち上げてくれないかな」
……公園の喧噪が遠ざかり、不思議と、静かな、柔らかい自然な空気に包まれるように感じながら、フレイの返事を待つ。
「そうね、私が居なければ飛行機を飛ばせないしね」
その言葉に少しだけ安心して。同意しかけて。
……少しだけ、ほんの少しだけ、その言葉に納得できなくて。
ちょっとだけためらって。思い切って、もう少しだけ、想いを言葉にのせる。
「……誰が飛ばせるか、なんてどうでも良いんだ」
いつの間にか、ほんの少しだけ変わってた想い。いろんなことがあって、慌ただしくて、そんな中で気付かないうちに変ってた自分の夢。
「僕は自由に空を飛びたかった。フレイも空を飛びたくて飛行機を作ったって信じてる」
もう、ただ自由に飛びたいなんて思えない。夢を共有した誰かと一緒に、フレイと一緒に飛べないのなら、僕はもう納得できない。
「きっとこの先、飛行機を飛ばせる人は他にも出てくると思う。だけど、そんなことはどうでも良い」
だから、飛行機を飛ばせないから、なんて理由は納得できなくて。一言ごとにその想いは強くなって。その想いに背中を押されて。もう一度、はっきりと。僕の願いを口にする。
「僕はフレイと同じ空を飛びたい。だから、一緒に来て欲しいんだ」
◇
「……って、フレイ姉ちゃんはバードあんちゃんに言われたそうだぜ」
「それでそれで、どうなったの、ねえねえ!」
「……どうなったもねえだろ。今ここで、俺たちと一緒に働いてるんだからな」
「ちがうよ~、ばーどにぃとふれいねぇだよ~、どうなったの~」
バードあんちゃんが立ちあげた商会の受付で、いつの間にか懐いてた孤児院の子供と、聞きかじった話をする。
こいつ、結構猫かぶるんだよな、大人相手には。まあ、メディーナ姉ちゃんは気付いてるっぽいけど。
「……お前、少し地がでてんぞ。良いのかよ」
「いまはめでぃーなおねえちゃんたち、いないもん! で、どうなったの~」
「俺が知る訳ねーよ。バードあんちゃんたちにはこないだ会ったばかりなんだからな」
初めてバード兄ちゃんたちと会ったのは祭りの夜。あの時はお互い、共通の知り合いがいるなんて知らなかったんだよな。……ただまあ、あんな金持ちが住むような場所で「約束の環」なんてつけてたから、もしかして、とも思ったけど。
その後、メディーナ姉ちゃんが孤児院にバード兄ちゃんたちをつれてきて。兄ちゃんたちが商会を立ち上げるのに人手がいるからって言うのに乗って、俺たちはここで働くことに決めて。今俺たちが受け付けに座っているのはそんな理由。
メディーナ姉ちゃんは、「できれば計算とかが得意な子がいいんだけどな」なんて言ってたけど、「多分、俺、メディーナ姉ちゃんより商売うまいぜ」って言ったら「ホント、小憎たらしいね」なんて笑って言ってたな。
メディーナ姉ちゃんは結局孤児院を止めて商会で働くことになった。もっとも、今は商会がひまだから、半分は孤児院に通ってるような状態だったりするけどな。
そうそう。あの時メディーナ姉ちゃんと一緒にいたイーロゥのオッサン、あの人は孤児院の中に建てられた魔法訓練施設で働いてる。あのオッサン、一見するとゴツいくせに、意外とガキどもにも人気がある。まあ、オッサンの方はあまり子供が得意じゃないみたいだったけどな。
「めでぃーなおねえちゃんたち、はやくかえってこないかな~」
「夜までは帰ってこねえよ」
「おきゃくもこないね~」
「……そりゃ、普通の人を相手にする類の商売じゃねえからな」
この商会は、都市をまたがって輸送するのが専門。だけど、今のところ、誰も使おうとはしない。……そりゃな、王都まで1ヶ月掛けて行くのが当たり前なんだ。それを1日で行けるようになる、なんて言われた所でピンとこないのが当たり前だ。
……ビオス・フィアと王国がお得意様でなければつぶれてるよな、ここ。
今はメディーナ姉ちゃんたちは、全員揃って王都の方に出張中、俺たちは留守番なわけだ。「留守番、いるのかよ」なんて言って、メディーナ姉ちゃんにげんこつ食らったのはつい二日前のこと。
メディーナ姉ちゃん、なんか俺に対して当たりがきつくないか?
「ふにふに~」
……そんなことを考えてたら、飛行機のぬいぐるみを手に取って遊び始める奴が約一名。
「おい、仕事中だぜ。大人しくしてな」
「……ぶぅ~。おきゃくさん、こないのに~」
「客が居ようが居まいが仕事中だっつーの!」
「ううぅ。はーい」
しぶしぶながらも呟いて、ぬいぐるみを元あった場所に飾り直し、戻ってくる。受付の片隅、飛行機の模型と並んで置かれた、愛嬌のある、妙に太っちょな生き物のぬいぐるみの横に。
「かわいい~。このひこうきとか~、ぺんぎんさんとか~」
「……俺にはそのぬいぐるみが鳥だとは、どうしても思えねーんだがな」
「うちのますこっとだよ!」
「……よくそんな言葉知ってたな」
「ふれいねぇがいってた! ひこうきのなまえもここからとったって!」
「……あんときのバードあんちゃん、珍しい表情をしてたのは覚えてるぜ……」
フレイ姉ちゃんがいつのまにかつけた商会の名前。飛行機の名前。看板のイラスト。あれを見た時のバードあんちゃんは何というか、その。とにかくご愁傷様、だった。
ペンギンをかたどった看板に、大きく書かれた「お届け物ならペンギン商会」の文字。トドメとばかりに、飛行機の胴体に描かれたペンギン・ウィングの文字。
……たしかあんちゃんたち、戦争の時には大活躍したんだよな。ここで働いてると、とてもそうは思えないんだよな。
「……ねえねえ」
「うん? なんだよ」
「わたしね、ここ、すきだよ。こじいんとおなじくらい」
「……そうだな。ああ、良い場所だと思うぜ、俺も」
のんびりとした空気が流れ。交代で受付に座りながら。メディーナ姉ちゃんやバードあんちゃんなんかは気が向いた時に掃除とかして。たまにフレイ姉ちゃんが、ぼんやりとしながら飛行機の模型をつんつんとつついてたり。
月に数回、バードあんちゃんとフレイ姉ちゃんが王都に行って。そん時に荷物を運ぶ手伝いをする位の、こんなんで金もらっても良いのかよって言いたくなるくらいの軽い仕事。
イーロゥのおっちゃんなんかは「そのうち嫌でも忙しくなると思うがな」なんて言うけど、そんなん信じられないような、暇な毎日。……だけど、なんていうか、居心地がいいんだよな、ここは。
「へいわだね~」
「どっちかってえと、閑古鳥が鳴いてるんだと思うぜ、俺は」
そんなひねくれた口を叩きながら。温かい空気に包まれて。
今日もペンギン商会に漂う、居心地の良さを感じながら。ちっこいガキと二人、時が流れるのに身を任せた。
◇
「そういえば、兄上の侍従、チェンバレンさんになったんだって」
「……まあ、セリオス陛下の侍従はグリードの息がかかっていたはずだからな。そのままにはしないだろうな」
「うーん、チェンバレンさんかぁ。私は少ししか会ってないけど、しっかりした人だよね」
王城で宿を取って一泊して。午前中はバードとフレイ殿は、王城でセリオス陛下やリフィック殿を相手に、次の仕事の話。その間に、私とメディーナ殿は久しぶりに姉上の所に顔を出した。ちょっとした帰省と、舞踏会とかの立ち振る舞い方を教わりたいと頼みに。
そうしてそれぞれが用事を済ませ、今は全員集まる。いや、今日はこちらが本題だろうか。クローゼ殿、バードの母親が眠る教会への道を、賑やかしながら歩く。
「……僕はむしろ、兄上が心配だけど。リフィックさんにチェンバレンさん、あと今日会った新しい王城研究室の責任者の人、みんなどこか普通じゃないから」
「……そうね。あの人が研究者って酷い冗談だったわ」
クローゼ殿の命日は少し過ぎてしまったが。一連の騒動が終わり、慌ただしさも過ぎ去ったところで。一度、四人でクローゼ殿に報告しようとメディーナ殿が声をかけて。……まあ、せっかく王都まで足を伸ばしたのだからと、ついでに午前の時間を使って雑事をすませたのだが。
今はそれぞれが話に花を咲かせ。明るく歩く姿を見て。これで良いのだろうと思う。きっとバードもメディーナ殿も、自分達の明るい姿を見せたいのだろう。そして、クローゼ殿もそんな姿をみたいのだろうと。
「そういえば仕事の話、どうなったのかな?」
「ちょっと、今回の仕事は大きいかな。……荷物は一つだけだけど」
「……うん? 荷物は一つなんだよね?」
「運ぶのは熱空機関を一つだけ。……ただ、王城の研究室でいろんなことを説明しなきゃいけなくて」
「要は今回の仕事、研究者としてのバードにも用があるってことね。……多分、その日の内には帰ってこれないわ。ちょっと商会を空けることになるわね」
「そっか。またあの子たちに……
「いや。荷物は熱空機関だけなのだろう? なら、二人でも大丈夫じゃないか?」
話が次の仕事の内容に移り、その内容を聞いて。軽く口を挟む。先ほど姉上と二人きりで話した内容を思い起こしながら。
――
「悪いね、嬢ちゃん。ちょっとこの禿頭と話がしたいんでね。席を外してくれるかい?」
舞踏会での立ち振る舞いを教えてもらえないかと相談し。定期的にここまで足を運ぶことが決まり、部屋を出ようとしたその時、姉上が後ろから私の首を極めながら、メディーナ殿にそう話しかける。
メディーナ殿は軽く「わかったよ、じゃあ外で待ってるから」と言いながら部屋を出る。……多分姉弟がじゃれてるように見えたのだろう。姉上の意志一つであっさり落とされるほど完全に技が決まった状態で、私としては冷や汗ものなのだが。
「で、嬢ちゃんとはどうなんだ、上手く行ってるのかい?」
「いや、私はともかくメディーナ殿は……」
首を極めたまま、姉上が話しかけてくる。……多分、いい加減なことを言うと、落とされるのだろう。そんなことを思いながら、返事をする。
……自分でも歯切れの悪いことだと自覚しながら。
姉上から返ってきた言葉は、半ば予想した通り、厳しいものだった。
「アホかい、お前は。そんなこと言ってるからずっと独り身なんだ。ボウズだって抱えてる想いがあるんじゃないのかい? じゃなきゃここまで二人仲良く定期的に来るなんてことするもんかい」
……まあ、そうだな。私も、何も思わずに、こんな行動を取りはしない。だが、同時に。行動を取るのに他の理由を求めてしまうのだ。実際、バードが王族として扱われ、フレイ殿が王の姪に当たることを考えると、教養や立ち振る舞いを覚える必要があるのは事実なのだが。それを口実としたのもまた事実だろう。
理由もなく、ただ近くにいる、そんなことが出来ずにいるのは自覚している。多分、そうしなければいけないのに。そうするべきなのに。
その私を叱りつけるように、姉上は言葉を続ける。
「いいかい? 言葉ってのは伝えるためにあるんだ。何も言わずに都合よく進むなんて考えるんじゃないよ。状況を作るのはまあいいさ。だけどそれを生かせないんじゃ話にならない。やらない方がマシさ、そんなのは」
「だから、やるんだったらきちっとやんな。安心しな。嬢ちゃんはああ見えて好き嫌いが激しいんだ。脈が無かったらそもそもこんな馬鹿げた話、乗ってこないさ。……思わせぶりな行動だけで終わるんじゃないよ」
「……確かにそうだな」
改めて、姉上に背中を押されて。自分の行動の迂遠さに気付かされる。考えなおして、心を決めたところで、追加の忠告が耳に入る。
「……さすがに、今日はやめときなよ。私が入れ知恵したって丸わかりだからね。やるんなら次の機会にしとくんだね」
「……そこまで短絡的だと思われてたのか、私は……」
姉上の、冗談とは思えない響きの忠告に、不満気に言葉を返す。どこかで、いっそ本当にそうなれたらなどと思いながら。
――
「えぇっ!」
私の言った「二人で」という言葉に、軽く顔を赤くしながら、フレイ殿が慌てた声を上げる。……まあ、商会を立ち上げた直後、私でもわかる位に表情を崩していたからな。二人きりなどと言葉をかければこうなるだろう。
「……うん、そうだね。メディーナさんやイーロゥ先生、いなくても大丈夫、だね」
「ええぇっ!」
「……! そうそう、商会の方は私たちで留守番するから大丈夫だよ!」
「ちょっと! メディーナさんまで!」
さらにバードとメディーナ殿が追い打ちをかけるのを聞きながら、柄にもないことを考える。そうだな、この時が絶好の機会だろう。その時までに何か贈るとすれば……、ドレスを仕立てて……、寸法は姉上から聞き出せば……、後は……。
盛り上がる三人から少し後ろを、そんなことを考えながら。教会に、クローゼ殿の眠る墓につくまで。静かに歩き続けた。
◇
クローゼ様のお墓の前で、花を供えて。バード君、フレイちゃん、イーロゥさん、私の四人で静かに目を瞑って、黙祷する。
最後にここにきてから、もう二年以上。バード君はもう成人して。背も私より大きくなった。あれからいろんなことがあった。
何度かクローゼ様に心の中で語りかけてきた。きっとどこにいてもクローゼ様は見てくれていたと思う。それでも。一度、ちゃんとここにきて、成長したバード君を見せてあげて。ちゃんと報告したかったんだ。そう思いながら。クローゼ様に語りかける。今までずっと報告したかったことを。
クローゼ様。結局、色々あって、バード君は王城を出ることになりました。今はビオス・フィアって場所で商会を始めた所です。まだまだ小さくて、仕事もほとんど無いけれど、明るく楽しく毎日を過ごしています。
前に来たときは、鳥に憧れてただけだったバード君、飛行機っていう空を飛ぶ機械を作ってしまいました。びっくりしますよね。
そうそう、バード君にも良い人ができました。今一緒にお参りしているフレイちゃんって子です。バード君と一緒に飛行機を作った子です。ちょっとわかりにくいけど、いい子だと思います。一緒に見守ってあげてください。
セリオス陛下、バード君のお兄さんは、結構バード君とも仲も良くて、多分これからも付き合いがあるのかな、と思います。他にもいろんな人と知り合いになりました。
ちょっと王族らしくないかもしれません。立派な人とは違うのかもしれません。だから、もしかするとクローゼ様が望んだのとは違う道を歩んでるのかな、なんて思うときもあります。
だけど、クローゼ様が胸をはって自慢できる、そんな風に成長してくれたと思います。
何より、今のバード君はきっと、幸せなのだと思います。
きっとこれから、バード君は、自分の道を歩み始めることになると思います。そんなバード君を、これからも見守っていてあげて下さいね。
心の中でそうクローゼ様に話しかけて。目を開けると、すでにみんな黙祷を終えてたのかな。私の祈りが終わるのを待ってたみたい。
「長かったね」
「クローゼ様に、ちょっと色々報告していてね。待たせちゃったかな?」
そうみんなに声をかけつつ、墓参りを終え。飛行機が泊まっている王城までの道を、賑やかに話に花を咲かせながら、歩き始める。
◇
そこにはもう、空を見上げ、鳥に憧れた少年の姿は無く。今はただ、手にした幸せを胸に抱いて、つかの間の平穏に羽を休める。平和で、楽しく、騒々しい、そんな時間が彼らを包みこむ。いつかきっと、遠くを見据えて飛び立つ、その日まで。
◇
「次に王都に行くのはバード君たちだけかぁ、残念だなぁ!」
「……メディーナさん、すごく楽しそうだよね。とても残念そうには見えないんだけど」
「そうかなぁ、バード君の気のせいじゃないかなぁ!」
「……なんでそんなにも私たちを二人きりにさせたがるのよ!!」
「? 僕も二人きりになりたいけど」
「! ?! ……っ!! ちょっと、バード!!」
「事後報告、よろしくね!」
「!! …………!!」
そんなからかい混じりの話をしながら、和気あいあいと。小鳥がさえずり、餌をついばみ。人の気配を察知して飛び立つのを横目に、王城までの道を歩き続ける。
何気ない、掛け替えのない日常を、ほんのささやかな幸せを楽しみながら。
少年を囲っていた壁はもはや無く。空はどこまでも高く。世界はどこまでも広く。遥か彼方から吹く風が頬を撫で、髪を揺らす。
彼らの目の前には、希望に満ちた未来が広がっていた。
以上で完結となります。ここまでに星を付けていただいた方も、思ったままの評価で構いませんので、この作品に対して再度評価をして頂けると、この上ない励みになります。
――最後に、この作品を楽しんで頂けたのなら、作者として、それに勝るよろこびはありません。最後までお読みいただき、ありがとうございました。




