6.激戦
ビオス・フィアから二日ほどの位置で、討伐軍とビオス・フィア軍が対峙する。平地から山間に伸びる街道の外れ、小高い丘とそのふもとに討伐軍が布陣し、丘の下からビオス・フィアが攻め手を伺う。
有利な地形に陣を布いたことで守勢にまわった討伐軍と、難攻不落の都市から出て決戦に臨むビオス・フィア軍。その有り様は、そのまま、両軍の未来を暗示するかのようで。
双方が対峙したのは僅かな時。数の利、地の利で不利なはずのビオス・フィア軍が攻撃する形で、戦端が開かれる。
◇
「……次はあそこ」
「あの騎馬ね、下降」
「了解」
バードは眼下に討伐軍を見据え、次の目標を定める。魔弾を装填、魔法式も刻印された魔法杖を手に。発動式を刻んで投擲するだけの状態で、敵が射程に入るのを待つ。
狙いは伝令兵。敵軍の情報伝達を妨げることを狙った行動。
「……まあ、僕の放った魔弾、まだ一発も当たっていないけど。乗る馬をびっくりさせて落馬させたことが数回だけだよね」
「別に当てなくても良いって、イーロゥさんもリン・アーシさんも言ってたし、良いんじゃないかしら。……あの二人、王子がこんなことをするのも反対みたいだったし」
フレイの言葉にバードは苦笑する。多分、そうなんだろうなと。
バードが空から伝令兵を狙い撃つことを話した時のリン・アーシの反応は、僅かに歪めた表情と、「バード殿は兵士ではないのです。攻撃に加わる必要はありませんよ」という言葉だった。
その言葉を聞いて、なおバードは上空から狙い撃つことを選んだ。この戦いが、僕たちとビオス・フィアの命運を分ける大事な戦だからと。自分にできることをやりたいという想いから。
伝令兵が射程に入り、バードが魔法杖を振るう。爆発魔法が刻印された魔弾を投擲する。そして、結果を見ずに座席に座る。
「上昇!」
「了解。落ちないでね」
バードの声にフレイが反応する。トロア・ミルバスが降下から水平に、水平から上昇に転じる。バードの体がシートに押し付けられる。
「また外したわ。っと、イーロゥさんが凄い勢いで突入してきたわ」
「……また、だね」
地上では、トロア・ミルバスが急降下するのを見たイーロゥが、その先の伝令兵に向かって単騎で突撃し、連続して魔法杖を振るう。魔法杖から放たれた魔弾は正確に敵兵を捕らえる。周りの兵士は近づくこともできず。無人の野を駆けるかのように戦場を駆けぬけ、あっさりと伝令兵を倒して、また自軍に戻る。
(イーロゥ先生、飛行機よりも神出鬼没だと思うんだ)
イーロゥの戦いぶりを上空から見て、バードは嘆息する。魔法発動の速さと正確さに。
そうやって、急所を狙い襲撃をし、偵察もこなしながら。討伐軍とビオス・フィア軍が一進一退を繰り返すのを歯がゆく感じながら。バードはただ、自分のできることを、繰り返す。
◇
「右陣を進ませろ! 敵を丘に押し込め!」
グリードは声を張り上げる。勝機はいくらでもあった。兵さえまともに動けば。丘の上に配した兵との挟み撃ちさえ成れば。だが、指揮の伝わりが鈍い。思い通りに動かない。
グリードは急降下と上昇を繰り返す飛行機械を見る。伝令を阻害する最大の要因を。打つ手のない、厄介極まりない敵を。
(耐えろ。アレはまだ、落とせない)
思うように動かぬ戦況にそれでも。千載一遇の好機を望みながら。目の前の戦の指揮を続ける。
グリードが戦っているのはビオス・フィア軍なのか、空を舞う飛行機械なのか。思い通りに動かぬ事態への苛立ちを、空の飛行機械への憎悪に変える。
今の状況が、己の策に依るものだという事実さえ、意識から外して。苦境の元凶、空の飛行機械に。届かぬ憎悪を向け続ける。
◇
イーロゥは、最前線で単独で突っ込み、前線を混乱させる。通常なら有り得ない無謀。だが、秒に満たない時間で魔法を放ち、接近戦ですら敵を圧倒する。そこには常識などなく。イーロが単独で敵を混乱させてから兵士が戦闘を開始する事こそが常道だと、勝利への道だと。兵士全てがそう認識する。
(右ニ、左一、正面三)
視界の敵を認識し、魔法を放つ。左右正面にそれぞれ一発ずつ。ひるませることを目的とした魔法行使。そのまま正面に駆け抜け、倒し、その先の兵に魔弾を投擲する。
彼が作り出したあげた僅かな混乱。だが、彼のいる前線では常に突破口があけられる。一進一退の戦場で。互角の戦いのなかで。その働きは千の兵にも匹敵し。
丘の下の戦いは、徐々に、確実に。ビオス・フィアへと勝利の天秤は傾き始める。
◇
(討伐軍の動きが鈍いですね。これはこちらの妨害だけではない。……空を気にしているのでしょうか?)
ビオス・フィアの後方から、リン・アーシは考える。確かに、伝令兵を狙う彼らの案は有効だろう。だが、それでも不可解だと。そう考えながら、丘の上の敵兵を見る。
完全に遊兵と化した兵。戦闘していない、動こうともしない兵を。
(……賭けに出るべきかも知れませんね)
丘の上の敵兵に備えて温存していた予備兵力。それを投入することを決断する。グリードに向けて。王国近衛が固める敵の本陣に向けて、温存していた兵で決死の突撃をすることを。
◇
グリードは戦場の空気を感じる。どこか空気が変わった事を。情報が欠けたまま、それでも何かを察知する。
「丘上の部隊も攻撃に参加させろ。挟撃まで持って行きたかったが、何か不穏だ。……本当は、敵をビオス・フィアに撤退させずに、一気に勝負を決めるための部隊だがな。負けては元も子もない」
「はっ!」
何かを察知し、敵を逃がさない戦法から、確実に勝つための戦法に切り替える。だが、その視線は、空を舞う飛行機械にむけたまま。
(まだだ。まだアレを落とせる状況ではない。アレさえ落とせれば)
どこかで思い通りにならない状況を肌で感じながら、己の、妄執と化しつつある思考を重ねる。……否、それはもはや思考とは言えず。上手く行かない状況を空飛ぶ機械のせいにし。現実を見ず、思考を止め、憎悪を深める。
グリードの中で育つ憎悪は、空飛ぶ機械を落とす妄執へと変貌していく。
◇
戦の天秤は、時を追うごとに、確実に。ビオス・フィアへと傾き始める。討伐軍は攻め手を増やしてもなお、戦線を食い破れず。ビオス・フィアの決死隊はグリードのいる本陣に迫り。そのことにグリードが気付いた時には、すでに情勢は定まりつつあった。
◇
「近衛で敵を抑えろ。数はこちらの方が多い。じきに前線は喰い破れる! そうすれば……
「そこまで持ちません。すでに近衛も敵兵と交戦中。これ以上、本陣を防ぐ部隊はありません」
グリードの命令に、近衛兵団長の現実を見据えた答え。その答えを聞いてもなお、グリードは空に妄執を燃やす。
「あの飛行機械さえ……
「そこに固執しすぎたのでしょう、私達は。ビオス・フィア軍は決して侮れない、そんな相手だったと、それだけの話です」
近衛兵団長は、敵陣の方を見る。今にもここに到達するであろう敵の決死隊。その先頭に立って獅子奮迅の働きを見せる男。上空の飛行機械、その姿に目を奪われ、地上の男に気付かなかったことこそが敗因だろうと。
(魔法とは、ああも自在に操れるものなのか)
自身が魔法を操るからこそわかる。その男の異常性に。魔法の欠点は速射性だ。式を刻印し、投擲する。魔法式の刻印には熟練者でも数秒はかかる。だが、その男は。式を刻むことなく投擲している。
(違うな。式を刻みながら投擲しているのか)
それは一体どれほどの高みなのか。嘆息せずにはいられない。そして、そのような男がすぐ近くにまで迫っているのだ。幾ばくの猶予も無いと悟る。
「後退を進言します。一旦は離脱し、後方の部隊と合流してください」
「……近衛でも防げぬのか?」
「おそらく」
その言葉に、グリードは、傍らの、軍を支え続けた近衛兵団長に語りかける。
「わかった。先に行く。あとから必ず近衛も合流するように」
「御意。グリード公を守り、後方まで送り届けよ!」
近くに布陣していた近衛兵が数騎ほど集まり、グリードと共に後退する。
「では。我らはここで敵を足止めします。……貴公の名を聞こう!」
そうして、グリードを逃がした近衛兵団長は。常に先頭に立って戦い続けた男に、その名を問う。王国の武の頂点に立つ男としての誇りをかけて。
◇
こうして、グリードは戦場を後にする。妄執に捕らわれながらも兵を指揮し続け、敗戦の理由もわからぬまま。その恨みを上空の飛行機械に向けて。
グリードは、四騎の近衛に守られて、軍を抜け、街道を駆ける。
◇
その様子を上空からバードは察知する。グリードが逃亡するのを。周りにそれを阻止する兵がいないことを。そして、その様子を見て、一つの決断をする。
「駄目だ。あの人は逃がしちゃいけない。追おう!」
「……追ってどうするの?」
「魔弾で攻撃する。大丈夫、相手の数は少ないんだ。そこまで危険じゃない」
「……そうね。でも、無理をするつもりは無いわ。危なくなったらすぐ引くわよ」
「わかってる!」
そこにあったのは油断だろうか。幾度となく襲撃を繰り返し、なお危険を感じなかった故か。高度を落とし、グリードを魔法の射程に捕らえる。
すでにグリードは自軍を抜け、街道をひた走る。上空のバードたちに気付きながら。手を出すことも無く。ただ街道を駆け抜ける。
駆ける馬の速度に合わせて。失速域すれすれの速度で。グリードの前方上空に位置を取り。身を乗り出して。バードは魔弾を投擲する。
◇
「は! はは! はははっ! そうだ! そうだったのだ!! 何故こんな簡単なことがわからなかったのだ! アレは私の敵なのだ!!」
上空からこちらに針路を向けて飛来する飛行機械を見て、グリードは嗤う。その目に殺意の炎を燃やして。妄執を胸に抱いて。
「私が逃げればアレは追ってくる! 近づいてくる!! そこを落とせばいい! 簡単なことだったのだ!!」
狂気をはらんだ叫びを上げながら。近づく飛行機械を前に。周りの近衛兵に厳命する。
「良いか、こちらからは一発も撃つな。魔法杖も隠せ。相手の魔法など、どうせ当たらん。近づいてこない限りはな」
自分を守る近衛に、自分を守るなと厳命する。守っては近づいてこない、それでは落とせないと。
飛行機械から魔弾が投擲される。大きく外れた後方で爆発する。
(そうだ。撃ってこい。その距離では撃ったところで当たらないだろう。魔法が当たる距離まで近づいてこい)
左後方で爆発音が響く。右前方で魔法が炸裂する、その中を、グリードは駆ける。近衛を引き連れ。無抵抗のまま。空を飛ぶ敵が罠にかかるのをただ待ち続ける。
◇
山間に添うように通る街道を五騎の騎馬が疾走する。その上空を先行するように、トロア・ミルバスが追走する。
左手には山、右手側遥か先を河が流れ、街道と河の間、街道よりもやや低い位置に林が広がる。その風景の中。一機の飛行機がまるで先導するように。五騎の騎馬兵がまるで追従するかのように。敵味方が疾走する。
上空から放たれる魔弾が、山肌を削り、街道を傷つける。機関士席から身を乗り出すという不安定な姿勢が、狙いを狂わせる。
「駄目だ。この距離では狙いが付けられない。もう少し近づこう!」
「……危険だわ。戦争には勝てそうなんだから、そこまでは……
「大丈夫。相手は魔法杖も弓も持ってない!」
「……そう、そうね。わかったわ。でも、危険を感じたらすぐに離れるわよ」
当たらぬ魔弾に苛立ちを覚えながら、バードは接近するようフレイに伝える。フレイはトロア・ミルバスを下降させる。そこに罠があるとも知らずに。速度を合わせたままで。
速度を合わせた状態であれば、トロア・ミルバスの持つ機動力も意味が無く。魔法の腕だけの勝負となる。そして、未熟なバードの魔法と王国の誇る近衛の魔法、どちらに利があるかなど明白。だが、グリードはそれに気づかせない。反撃をせず。魔法杖を隠して。
無警戒のまま、一撃で落とすために。爆発魔法の轟音が響く中、狙いを定めさせないよう、時に速度を変えながら。グリードは無抵抗を装い、牙を隠す。
◇
そうして、徐々に両者の距離は縮まっていき。バードが魔法を放った直後。その時は来る。
「放て!」
グリードが叫ぶ。四騎の近衛兵が魔法杖を振るう。爆発魔法が至近で爆発し、火炎魔法が命中する。尾翼が折れる。胴体後部が抉れ、炎を上げる。プロペラの動力が切れ、惰性で回る。
トロア・ミルバスは失速する。フレイは必死に機体を制御する。だが揚力を失った機体は上昇せず。抉れ、ひずんだ胴体は重心をわずかに狂わせ。進路が街道から外れ。街道脇の坂を滑り落ち、その下の林に、惰性のままに。機体を地面にこすりつけながら。どこまでも滑る。
魔法杖を振るうために身を乗り出していたバードは機体から投げ出され。機体はフレイを乗せて地面を滑り、抉りながら。林の中を突き進む。
◇
(落とした、落としたぞ! あの忌々しいヤツを!!)
グリードは嗤う。バードの魔法を至近で受け、落馬し、地面に投げ出されながら。全身を打ち付け、傷を負いながら、それでもなお、妄執は消えず。魔法杖を持ち、立ち上がる。
周りを見渡す。周りには、同じように爆風のあおりをくらい、落馬した近衛兵が気を失い、横たわる。だが、彼の目にそれは映らず。
街道の先に上がる煙、街道脇に残る重量物を引きずった跡だけが目に入る。
(向こうか)
グリードは傷ついた体をそのままに。その跡に向かって歩く。静かに、一歩ずつ、確実に。その先にバードが居ることを確信しながら。
(居るのだろう? まだ私は生きているぞ。またここで足を引けばいい! その時に……)
ここに至り、グリードが思うことはただ一つ。
(殺す)
純然たる殺意を胸に、歩き続ける。
◇
街道脇の坂の下、林との境界線で。バードは意識を取り戻す。
(ここは……?)
バードは周りを見渡し、地面を抉った跡を見つける。何が起こったのかを思い出す。
(……そうか。魔法の直撃を受けて)
辺りを見回して、自分の魔法杖を拾う。体の状態を、魔法杖の状態を確認する。
(目立った傷は無し。大丈夫、普通に動ける。魔法杖は壊れちゃったか。……まずはフレイを探さないと……っ!!)
そう思いつつ、地面の抉った後を辿ろうと向きを変え。こちらに向けて魔法杖を振るうグリードを視界に映し。反射的に、大地を蹴る。
背後に爆発を感じながら、爆風に押されながら。バードは大地を駆ける。坂の上のグリードを見る。
揺れ動く視界に。魔法杖を下に構え。次弾を装填し。刻印を開始し。静かに狙いをつけるグリードの姿が映る。
(背中を向けたら撃たれる。……なら)
相手との距離を確認し、壊れた魔法杖を握りしめ。バードは決断する。ここで戦うしかない、と。




