5.前哨戦
リン・アーシさんと二人、臨時の滑走路となった研究所前の大通りにトロア・ミルバス一号機を止めて。フレイが戻ってくるのを待つ。
王国との合意が成立してから一週間。王都の情勢を知ったであろう討伐軍が動きを見せる。本来であれば気付かなかったであろう、隠密行動めいた動き。だけど、その様子は上空からは丸わかりで。合図の光弾を空に放ち。ビオス・フィアの軍が動いて。
開戦から二週間目にして、初めて、軍と軍がぶつかり合う。その様子を遥か上空、安全な場所から見下ろす。敵も味方も遠い、そんな場所で。
経済封鎖のために分散された討伐軍。分散されてもなお、数の優位と陣地に守られた討伐軍が、その優位を捨てて移動を開始する。その出鼻をビオス・フィアの軍勢がついて。ちょっとした勝利を手にする。
この日、僕たちは。遠い上空から。始めて戦場を、戦争を目のあたりにする。
◇
「大丈夫?」
青い顔をして戻ってきたフレイに声をかける。
飛行機から降りたフレイは青い顔をしていて。空から見下ろした戦場の様子に衝撃を受けたんだと思う。僕も少しだけ平静を失いそうになったから。戦場から離れた今でも、思うことが無いわけじゃないけど、逆に言えばそれだけ。僕はフレイみたいに、体調を崩すほどの衝撃は受けていない。
……多分、フレイはまだ身近な人を亡くしたことが無いから、僕よりも衝撃を受けたんだと思う。戦争云々じゃなくて、人が死んだことに。軽い気持ちでこの場に居る訳じゃないと思う。それでも、周りで人が死んだことが無いから、死ぬってことを深く考えることが出来なかったんだと、そう思う。
「ええ、大丈夫よ。それより、先の話をするべきだわ」
それでも。全然、大丈夫そうに見えないまま。フレイは先の話を促す。その声に、リン・アーシさんは先の話を始める。
「……そうですね。貴方がたの偵察で、討伐軍の意図は大体掴めたと思います」
明らかに衝撃を受けているフレイをよそに。淡々とリン・アーシさんは話を進める。……なんでだろう? 僕にはそれが、リン・アーシさんなりの気の使い方に思えてくる。
良かったとも悪かったとも言わず。任務の重要性も口にせず。ただ、僕たちの仕事を元に、相手の意図や自軍をどう動かすか、そのことだけを伝えてくるその態度が。感情よりも仕事に集中してた方が楽だという想いで話しているような、そんな風に思える。
「討伐軍は経済封鎖を解き、本陣に向かって集結しています。……そうですね、二日もあれば、一旦は集結するでしょう」
「集結して、その後はどうするつもりかしら」
「わかりません。ですが……」
「ですが?」
「長期戦を諦めたのだけは間違いないでしょう。近日中に勝負を決めてくると思いますよ」
その言葉に。今日のような小競り合いではない、総力をかけた戦いを想像して、息をのむ。フレイもその言葉に沈黙して。リン・アーシさんは、そんな僕たちに言葉をかける。
「集結するまでは、討伐軍は分散しています。今のうちに出来るだけ叩いておきましょう。フレイ殿とバード殿には引き続き偵察をお願いします」
こうして、討伐軍とビオス・フィアは衝突し。僕たちは空からの偵察任務につくことになった。
◇
その後も少し話をして。僕とフレイはすぐにトロア・ミルバスに乗り込む。
まずは敵の合流を防ぐ。兵の数で劣る僕たちは、無駄に兵を損失することは出来ないから。そのためには、常に上空から敵兵を監視し、少数で移動する部隊を伝える。戦闘中の味方に、兵の救援部隊の接近を伝える。
僕たちが直接戦うわけじゃない。だけど、僕たちの役目は誰よりも重要だって。リン・アーシさんもイーロゥ先生も口を揃える。だからフレイも、気を使われることを望んでない、そんな感じがする。
そうして。戦場の上を飛び回って。夜になるまで任務は続いた。
◇
「大丈夫?」
「大丈夫よ」
次の日、偵察任務の合間を縫って、フレイに声をかける。
昨日よりは幾分ましな、それでもいつもより張りが無い声で。大丈夫と返事を返す。
……ちょっと無理してるかな、なんて思ってると、重ねてフレイが返してくる。
「本当に大丈夫よ。……考えてたのは違うこと」
「違うこと?」
「なんで大丈夫なのかしらってね。……もしかして私、冷たい人間かしらって」
その答えに聞いて、昔を思い出す。ああ、僕もそんな事考えたことがあったなあって。
一瞬だけ考えて。話を組み立てる。ちょっとだけ、酷い事をいうから。間違えないように。慎重に。……大丈夫、きっと伝わる。
少し勇気を出して。フレイに語りかける。
「そうかもね」
うん。我ながら酷い。フレイもそう思ったのか、一呼吸おいた後に文句を言ってくる。
「……ちょっと王子? そこは普通、違うことを言うところじゃないかしら」
「そうかな? でも嘘は言えないから」
「……あのね、王子」
「だから正直に言うけど。僕はもっと冷たいから。……僕は、母親と父親を同時に亡くしたんだ。母さんが亡くなった時は悲しかった。正直に言うと泣いたりもした。だけど、父親が死んだ時は何も思わなかったんだ。会ったことも無い人だったから」
僕にとっての家族は血のつながってない人たちだけ。僕にとっては血のつながった人はみんな赤の他人だった。
「今僕が戦おうとしてるのは僕の叔父だ。あの人が今のまま実権を握ってると、僕が困るんだ。だから戦ってる。死んでも良いと思ってる。これって冷たいのかな? ……僕は違うと思う」
僕は血のつながっていない家族のためだけに戦うんだ。フレイは故郷のために戦ってる。その中には両親やリョウ・アーシさんもいる。僕より沢山の人を想って戦ってる。
だから、フレイがどう思おうと、僕よりは普通で。決して冷たくなんか無い。フレイが冷たいのなら、僕はもっと冷たい。
フレイが冷たいだなんて、僕は認めない。
「血のつながった相手に、死んでも良いなんて思ってる。もしかしたら、僕は冷たいのかもしれない。だけどね、グリードが死んでも、父親が死んだ時みたいに、何も思わないと思う。悲しくならないと思う。
フレイも一緒じゃないかな。死んだのは故郷を攻めてきてる、赤の他人なんだ。自分で手を下した訳でもないんだ。衝撃を受けたって、すぐに回復する。きっと、人ってそういう風に出来てるんだ」
これが僕の本音。非難されたって良い。フレイの心が軽くなるなら。自分のことを冷たいだなんて悩みを、少しでも軽く出来るのなら。
「もしかしたら違ってて、僕たちが冷たいだけかも知れないけど。僕はその方が良いと思う」
そうして、想いを出し切って。
「……そうね。今は目の前のことよね。確かにその方が都合が良いわ」
聞こえてきたのは、すこしだけだけど。重荷をおろしたような感じの声。その声色に少し安心する。
「そうそう。大丈夫、フレイだけじゃない。僕だって冷たいんだから。一緒だよ、一緒」
努めて明るく、軽く。重く考えずに済むように。そう意識しながら、最後の言葉を伝える。
「そうね、一緒かもしれないわね。……後から一緒じゃないなんて言わせないわよ」
「言わないよ、そんなこと」
ほんの少し明るくなったフレイの声を聞きながら。熱空機関を操作しつつ、返事をする。
――
集結前の兵にビオス・フィア軍は攻撃を仕掛け、討伐軍に出血を強いる。空からの偵察による情報の有利。敵の数を把握し、完全に周辺を把握することから生まれる必勝。トロア・ミルバスは、ビオス・フィアに連戦連勝をもたらす。
しかし、その出血はごく僅か。討伐軍中核、グリードの指揮は的確さを失わず。浮き足立った軍をまとめ、離脱者を許さず。兵数を千ほど減じながらも、分散された兵は続々と本軍に合流を果たす。
――
「思った通りには行ってないみたいね」
「そうだね」
偵察任務をこなしながら、フレイと話す。
上空から戦況を眺めてて、そう感じる。とにかく、敵兵が襲いかかってから救援が駆けつけるまでが、早い。叩く時間が与えられない。
確かに勝ち続けてる。でも、損害はほとんど与えていない、そんな感じ。まるで襲われてることを織り込んで、どこが襲われても救援に行けるように備えている、そんな風にすら感じる。
半分以上が既に合流してるし、この小競り合いが最後かな、なんて。上空から見て、そんなことを感じる。地上では、イーロゥ先生が前線で腕を振るって、後方からリン・アーシさんが指揮をしている。
どちらも、もう少し損害を与えたかったんだろうなと、そんなことを思いながら。上空からの偵察を続ける。
――
(気に入らないな。これではまるで……)
最前線で魔法杖を振るい、敵の前線を乱す。突撃する味方の兵を横目に、イーロゥは一人足を止め、考える。
襲い掛かるだけの隙があり、それでありながら早期に訪れる救援。ビオス・フィア軍は、勝ちを続けながら、思うような損害を与えられていない。その状況が、まるで作られたかのように感じる。
(上空からの偵察。空からの視点で戦闘を有利な方に導く。それこそが私達の生命線だ。それもちゃんと機能している。だが、この状況は……)
堅硬な城塞を攻略するのなら、おとりを使って敵兵を出撃させて、野戦で叩くのは一つの常道だろう。だが、上空からの目が、兵を潜ませることを不可能にする。故に私たちは出撃して、敵兵を削ることも可能となる。
だが、敵から見ても、私たちが出陣しているのは好機なのだ。深追いをせず、周辺の敵を察知できるから補足できないだけで。そんな敵を相手にどうするか……
そこまで考えた所で、上空に赤色の光弾が打ちあがる。王国近衛兵の接近を告げる合図。魔法王国の誇る魔法騎兵。機動力と破壊力を兼ね備えた精兵が、勝利を重ねることで警戒を弱めたビオス・フィア軍に襲い掛かる。
――
「まずくないかしら、これ」
フレイの声。地上の戦況。接近する敵の騎兵。ビオス・フィアまでの距離。ここまで見てきてわかったビオス・フィア軍の行軍速度。そこから得られる結果は明白だった。
このままでは、ビオス・フィア軍は撤退よりも先に補足される。
状況を素早く把握して、出来ることを考える。僕たちは攻撃力が無いから、出来ることは限られてる。だからこそ、一瞬のうちに。やれることに思い至る。
「僕たちで足止めしよう」
「どうやって?」
「地表ぎりぎりを飛ぶ。魔法を放つ。それで少しでも馬を驚かせれば、時間稼ぎになる」
僕の言葉に、フレイが考える。
「いいわ。だけど、無理はしないわよ」
「それで良いと思う。武器が無い以上、出来ることは限られるんだから」
やれることだけ。無理はしない。もしかしたらいい方向に転ぶかもしれないから。
「……いくわよ。下降!」
「了解!」
魔法杖を手にしながら。身体の固定を外して。身を乗り出せるよう準備して。ほんの僅かな襲撃、その準備をする。
――
騎上から。ビオス・フィア軍に向けて駆けるグリードの目に。降下する飛行機の姿が映る。その姿に警戒をする。
(何をしてくるつもりだ……!)
兵を集結させると同時に、ビオス・フィア軍を釣り出し、殲滅するという策。そのために、足の遅い歩兵部隊に隙を見せ、同じように足の遅い歩兵部隊に救援させる。
伏兵が使えないなら、深追いさせ、機動力を持って退路を塞ぐ。その策は図に当たり、あとは退路を塞ぐだけとなった局面で。上空の飛行機械の今までと違う動きに気付く。
グリードは知らない。上空を舞うように飛ぶ飛行機に攻撃能力が無いことを。グリードは知るのは、上空を舞うように飛ぶ飛行機は、時に王城の壁を破壊するような破壊力を持つことのみ。
故に。バードたちの行動は、彼らが想定するよりも強い警戒を呼びさまし。そして……
「全軍、上空の飛行機械に備えよ。魔法兵は上空に向けて攻撃準備」
その警戒が、騎兵の足を止め。想定以上の効果を生む。
「放て!」
グリードの声。打ち上がる爆発魔法に大量の矢。だかそれは空を覆いつくすには程遠く。高速で飛行する飛行機械には当たることは無い。
そうして、上空を悠然と舞ったのち、飛行機械は飛び去っていくのを見て。グリードは敵の目的を悟る。ただ足止めだけが目的だったと。
グリードは、飛び去っていく飛行機械をただ見つめる。その目に憎悪の炎を宿して。
(またも邪魔をするか……! 塵芥の分際で……!)
バード・パラノーマ。この地に来るまでは重きを置かなかった存在。一度は傀儡にし損ねたが、それも城外街あってのこと。ここでビオス・フィアを手にすればお釣りがくる、その程度の存在だった。
だが、その認識はこの地に来て。目の前で意味不明な口上を上げてのけ。その内容が、城外街や他者の罪を利用してまで自分を貶めてきたことに気付き。やがて王都から馬鹿げた報が伝えられるに至り。グリードは一つの結論を導き出す。
(あれを消す。あれは己の足を引く存在だ)
グリードは気付く。自らの策が失敗したとき、そこには常にバードの影があったことを。そして結論付ける。バードが生きている限り、自分の邪魔をすると。
グリードはバードの存在を認識する。利用出来ない者として。邪魔者として。この苦境の元凶として。卑しい愛妾の子という、人に届かぬ身でありながら、王族たる自分に刃向かう者として。
グリードは空を見る。憎悪を込めて。嫌悪を込めて。その心に渦巻く闇と醜さを育てながら。
――
敵陣の上空を駆け抜けて、再び高度をとって。安全圏で一息つく。
「……思ったより危なかったわ」
「そうだね」
城外街で低空飛行した時は矢がこっちに向かってくることも無かったから。今回の低空飛行も一緒かなって考えたんだけど。まさか、足を止めて一斉に魔法を撃ってくるなんて思わなかった。
……ほとんどが機体の後ろの方で爆発したんだけど。近くで爆発した魔法もいくつかあって。ちょっと肝を冷やした。
結局、こちらから魔法を放つ余裕なんか無くて。速度を落とさないために熱空機関に熱を供給し続けて、なんとか無事に済んだと、そんな感じ。
「多分、次はもっと狙いを定めてくると思う」
「……そうね。次が無い事を祈るわ」
そんなことを話しながら。それでも、今回はうまく行ったことに満足しつつ。ビオス・フィアへと帰投する。
◇
集結した討伐軍は、難攻不落のビオス・フィアを攻めたてる。不足した兵士、攻城兵器の準備もなく。落城など程遠く。それでも飽きる事なく。絶望的な攻城戦を三日三晩、愚直に繰り返す。
ビオス・フィアに落ちる気配は無く。討伐軍に脱落者が出る様子も無く。双方決め手を欠いたまま、惰性のような戦闘が続く。
だが、その状態は長く続かず。討伐軍の一部が不自然な撤退をして。次いで本体がビオス・フィアから距離を置く。その様子に、リン・アーシは思考を巡らせ……
「罠、と見るべきだろうな」
イーロゥの意見に同意する。離脱したのは約半数。八千余の兵が残り、ほぼ同数の兵がビオス・フィアから秩序だった撤退を見せる。ビオス・フィアは五千の兵。だが、空からの目を駆使すれば互角に戦えるであろう数。
軍事的に見れば、策かどうかに関わらず時を置くべき場面だろうと、リン・アーシは思う。だが、政治がそれを否とする。防衛力を見せつけることこそが、独立後の安定を約束すると。
故に。この状況でも離脱者を出さないグリードの手腕を認め。離脱は見せかけと看破しながら、それでもなお。この事態を好機と見る。
「誘いに乗りましょう。撤退した兵はどこかで止まるでしょう。その時を見計らって決戦を挑みます」
――
(たとえ策とわかった所で、ビオス・フィアは乗ってくるはずだ)
グリードは討伐軍の本陣で一人思う。自らを餌とした策。別働隊が本当に戻ってくるかわからぬままに立てた策。
自らの破滅を早めかねないその策を、あえて取らねばならぬこの状況に。相手の状況を的確に読みながらなお、自分の方が追い詰められていると自覚する。
だが、この戦いに勝利しても、もはや王国にグリードの居場所は無い。心の奥底ではそのことを理解している。それでもなお、一縷の望みを勝利に託す。勝利がもたらす名声に全てをかける。
否、グリードが真に願うのはただ一つ。彼をこの状況に追い込んだものを破滅させる、そのことのみ。そのための、バードを戦場に引きずり出すための状況をただ、作り続ける。
理由をつけて、己を騙し。自分でも気づかぬままに。昏い願いを胸に、破滅の道をただ進む。
先のことなど考えず、全てを賭けて。バードを殺す事だけを。心の奥底で渇望する。
――
こうして、ビオス・フィアと討伐軍は共に戦いで決着をつけることを望み。最後の戦いへの道を突き進む。




