4.一つの答え
「下降、着陸準備」「了解、車輪展開」
僕もフレイも無言のまま。トロア・ミルバス二号機に交渉官と護衛の兵士、計十一人を乗せて。王都までの空を飛んで。王都から少し離れた場所で着陸する。
目的は王国政府の意思確認。交渉の意志があるかを確認して、可能ならそのまま交渉を始める。無ければ、一旦ビオス・フィアに引き返して、次の都市に鉄球を落とす。そして、再度王国政府に意思確認をする。
交渉には、全権を託された交渉官を立てて臨む。ほんとはリン・アーシさんが行くべきなんだけど、討伐軍に囲まれた状態で最高責任者が外に出る訳にはいかないから。
そうして、王都に特使を送って。返事が返ってくるのを待つ。一時間ほど過ぎて特使の人が戻ってくる。戻ってきた特使の人が、王国政府の返事を持ってきて……
予想外の返事にぽかんとなる。
『パラノーマ王国は、都市攻撃の停止を条件として、ビオス・フィアの独立を視野に入れた交渉に入る準備がある。また、セリオス陛下は、バード殿下との対話を所望されている。交渉と対話を是とするなら、王城まで来られたし』という回答に。
デンカ、殿下、……殿下!
そうだ。僕、王族だった! なんでだろう、すっかり忘れてた! ……違う。王族扱いされたことが久しぶりだったんだ。うん、形だけだったからね、今まで。そんな呼び方、久しぶりだったよ。
こうして、ちょっと戸惑いながら。もう一度二号機に乗って、王城まで移動する。どうして突然、僕を王族として扱い始めたのかもわからぬままに。ただ、何となくだけど。きっと王城にも変化があったんだろうと。そんなことを思いながら。
◇
飛行機を王城の正面広場に止めて。はしごをかけてもらって。機関士席から降りたら、周りの人たちが一斉に。一糸乱れず。僕たちに向かって剣を掲げる。……うん、わかってる。「僕たち」じゃない。「僕」に向かって、だ。
「……王子、偉かったのね?」
「王子だからね」
「正しくは王弟、ですな。バード殿下。お待ちしておりましたよ」
フレイと小声で話してると、正面から歩いてきた人に声をかけられる。
「始めまして。王都執政官リフィックと申します。実は今、政府の高官が軒並み謹慎中でしてな。宰相の真似事をさせて貰っています。……独立交渉は殿下と?」
そうか。王族扱いされるってことは、僕が最上位者なんだ。だからって、僕が交渉するわけじゃないけど。……もしかして、僕も王族としてふるまわなきゃいけない? えっと、チェンバレンさんに教えて貰った口調は……。
「いや、交渉官は別に居る。交渉は彼に一任している」
「そうですか。では、その方と。また、セリオス陛下が、バード殿下との談話を望まれていますので、宜しければ是非。他の方々は別室でお待ち頂くことになりますが、よろしいでしょうか?」
「任せる」
……こんな口調だったと思うんだけど、どうだっけ。
なんか、隣でフレイが唖然としてるんだけど、なんで? 変だったかな? そんなことを考えていると、フレイが我に返って、小声で再び話しかけてくる。
「……王子、偉かったのね?」
「王弟だそうだよ?」
「……王子は王子よ」
「そうだね。僕は僕だよね」
「……そうね。王子は王子よね」
そんな会話を小声でする。……よく考えると意味不明だよね、この会話。
◇
そうして。リフィックさんに案内されて、王城の談話室へ。部屋の中には、この前飛行機の中で見たあの人と侍従らしき人が居て。リフィックさんはそのまま交渉官の人と他の部屋へ。
僕が部屋に入ると、その侍従さんは、部屋の外に向かって歩き出す。たぶん兄さんであろう人と二人きり。世間話みたいなことを望んでると言われたんだけど、どんなことを話すんだろうと思いながら。
侍従さんが部屋から出て。談話室の扉が閉じられる。
◇
始まったのは本当に世間話。砕けた口調で昔の事を聞かれて。メディーナさんのことやイーロゥ先生のことを話す。
僕の話に兄さんは気安く反応して。その態度に、僕も打ち解けていって。
いつしか、相手が王様なんてことを忘れて。普段通りの口調で。王都を脱出したこと、飛行機を開発したことを話し続ける。
そして、話は戦争にまで進んで……
「それは痛快だな! グリード大公の顔を見てみたかったものだ!」
僕が言った口上の内容を話した時の兄さんの反応はそんな感じだった。その態度に拍子抜けする。だって僕が言ったことは……
「うん?、どうした、そんな顔をして」
「……いや、ちょっと反応が意外だったから」
「意外? ……ああ、グリード大公の非難というよりは、私への非難といった方が近いか、確かに。そこか?」
「いや、兄上を非難したつもりもないけど。だけど……」
「そうだな。確かに、誰かの罪ではないかもしれない。だがな、その口上、何も間違っていないだろう」
そんな言葉で、僕の言葉を肯定する。僕の口にした、戦争のためだけに言い放った非難の言葉を。
「賄賂がはこびった事、重税を課したこと、王都への出入りを制限したこと、全て事実だ。どこにも偽りなど無い。何を恥じることがある」
実際に起きた事だからと、事も無げに。兄さんは僕の非難を受け入れる。誰の責任かなど考えることに意味は無いとばかりに。
「昨日からリフィック執政官が政務を仕切っているのだがな。彼が言うには『王とは頂点、王が曇れば国が腐るのですよ』だそうだ。なら、私は無関係だなどとは言えないだろう? 今の状態を続けて良いなどとは思わないからな」
今まで他人に操られていたはずの兄さんは。そんな事は表に出さず。ただ現状を受け入れて。全てを背負って。
王としての当たり前の思いを、当たり前のように。気負う事なく語る。
「私には、王とは何か、まだわからんのだがな。そんな非難がまかり通るような状態は正すべきだろう。リフィックは私を王として扱うつもりらしいからな。まずは、そんな非難をされないように改めろと、そう命じるつもりだ」
わからないと言いながら。多分、兄さんの考え方こそが王なのだろうと、そんな事を思う。誰のせいにもせず、誰かの意に頼る訳でもなく。ただ、国の正道を己の正道とする在り方こそが王なのだろうと。
「『陛下の望むままに、それこそが我らの望みですな。陛下が王であろうと望み、そこに誇りを持つ限りは』、そんな事を言う漢が臣下として仕えてるのだからな。曇る訳にはいかんだろう。まあ、やりたいようにやるさ」
多分、兄さんのやりたいことは、正しいことなんだろう。そんな事を思いながら。同じ言葉を返す。
「やりたいように?」
なんとなく言った質問に対し、返ってきたのは、リフィックさんが言ったっていう、人を喰ったような発言だった。
「……あの執政官はな、『王とは我儘に、民に安寧を押し付けるくらいでちょうどいい』とかとんでもないことを真顔で言うような男でな」
……何だろう。あの人、思ったより真面目じゃない人?
「それ、我儘なの?」
「私も同じことを聞いたのだがな? 『我儘ですな、自分の望むことの為に他者を操り、振り回すのですから』だそうだ。とにかく、彼が言うには『王は我儘であれ』ということらしい。型破りな男なのだろうな」
何だろう。思ってたよりいい性格してそうな感じがする。
「振り回しちゃっていいんだ」
「振り回すことが出来ればな。グリードのことを『陰険さが足りませんな、彼には。私たちは事が無ければ動かない、だから後方に置いておく。実にわかりやすい考え方です。足元をすくえと誘われているようなものです。大人しくしているなど、そんな非礼はおかせませぬな』なんて言う漢だからな。振り回そうとしたところで、こちらが振り回されるのは目に見えている」
その言葉で理解する。相当癖の強い人だと。
「そっか。ビオス・フィアの旗頭も曲者だと思う。気付いたら、あの口上を上げることになってたから」
「どこも一緒か、まったく。……ところで、さっそく我儘を一つ思いついたのだが、どうだ?」
そんなことを言って、その「我儘」の内容を聞いて。その内容に思わず笑って、納得して、頷いて。僕の「我儘」も一緒に入れて、一つの小さな企みにする。
……兄さんも、十分に人を振り回せるよね、なんて思いながら。
◇
談話室を出て。待合室に移動する。と、なぜかイーロゥ先生が待合室にいて。どうも、昨日から交渉の根回しみたいなことをやってたみたい。
「もっとも、意味があったかはわからないがな」
イーロゥ先生と少し話す。リフィックさんも言ってたけど、昨日の時点で政府高官が大きく入れ替わったみたい。今までの人たちと入れ替わって、城外街の人たちが任官したと。その結果、王国はビオス・フィアとの交易を望むようになったと。利害の一致があれば、早期解決を最優先にしてくるだろうって。
なんで、昨日の今日でそんな事になったのか聞いて、ちょっと笑った。笑うしかなかった。
「陰謀はですな、派手にドカンとやった方がいいのですよ」
いつの間にか待合室に戻ってきたリフィックさんがそんな事を言う。どうも、僕たちの襲撃はあの程度では防げない可能性も十分にあると想定してたみたい。「風船が爆発する、そのことを知ってる相手ですからな」なんて。「もっと派手な方が良かったのですが、まあ、仕方が無いでしょう」とも言ってた。その話で、兄上の言ってることが良く分かった。納得した。
昨日のあれをあの程度とか、無茶苦茶だよ! ちょっと、大概にしてくれないかな、この人!!
◇
「ちょっと、気が抜けちゃったかな」
ビオス・フィアに帰投中、フレイに少しだけこぼす。
「まだ、戦争は終わって無いわよ」
そうだよね。わかってる。まだ気を抜く時じゃない。だけど、それでも。肩の荷を下ろされた、背負おうとした荷物が重くなかった、そんな感覚が拭えない。
「違うんだ。……昨日、口上を読み上げてるとき、思ったんだ。これは後戻り出来ないって」
あの時自分が読み上げた内容。謳い上げた罪。目の前のグリードに叩きつけたつもりだったあの言葉。
「元々、後戻りなんかするつもりは無かった。だけど、あの時口にした内容は。僕とは関係の無いこと、誰のせいでも無いことまで相手にぶつけて。
今まで僕のために動いてきた人のためにも、僕は戦わなきゃいけない。その想いに嘘はない。今でも間違ってるなんて思っていない。迷ったりなんかするつもりは無い」
相手がグリードだったから、叩きつけることができた言葉。僕のことを利用しようとした人だから言えた言葉。
「だけど、それでも。どんな理由でも。あれは僕が言った事なんだ。たとえ原稿があったことでも、僕自身が、僕の意志で言ったことなんだ。それだけは忘れないでいようと、そう思ってたんだけど……」
それでも、誰の罪でもないことを謳い上げたことには変わりがなくて。だからきっと、間違ってると思っていた言葉。
言葉の内容は間違ってるかもしれない。だけど、あそこで謳い上げることは間違いじゃない、僕を助けてくれた人を間違いにしちゃいけないから、間違いだなんて認めないと、そう決めて叩きつけた言葉。
ただ、間違ったことを言った、そのことだけは忘れないでおこうと決めて謳い上げた言葉。だけど……
「……けど?」
「兄さんに『何も間違っていないだろう』なんて言われたから。ちょっと分からなくなったんだ」
「……」
「兄さんは王だから。王になることを望んでるから。だから、自分に関係の無い事も背負おうとしている。それはわかる。じゃあ、僕の言ったことは何だったのか、正しかったのか、間違ってたのか、ちょっとわからなくてね」
多分、グリードには届かなくて。兄さんに届いてしまった言葉。僕の想いとは関係なく。兄さんにとっては正しかった、そんな言葉。その事実を前に、どうしても頭をよぎる。
結局、僕がしたことって何だったんだろうって。
そんなことを思いつつ、胸の内をこぼす。と、フレイが意外な答えを返す。
「……それはきっと、どちらでもいいと、そう思うわ」
「どちらでもいい?」
「その時思った王子の覚悟が大事なのよ。結果はたまたまだわ」
「たまたまって……」
「だって、覚悟してたんでしょ? なら、きっと正しかったのよ。私はそう思うわ」
「正しいって……」
フレイの言葉は珍しく、理由も何もない感情だけの話で。だけど、どこか説得力があって。
「明日のことなんか誰にもわからない。私はこの数日で、つくづく思い知ったわ。だから、結果が間違ってたとしても、また覚悟を決めればいいのよ。……それとも、王子は自分の言った事を後悔しているの?」
「……戦うって決めたときに、後悔しないって決めたから。それに、後悔するような事でもないから」
「なら、それで良いのよ、きっと」
ただ慰めてくれているだけのようで。そうでない気もして。それでも。何となくだけど。それでいいんだと、そう思わせる何かがあって。
きっと、これも一つの答えなんだなと。そんなことを、ふっと感じた。
「そうかな?」
「そうよ、きっと」
そうして、少しだけ心が軽くなって。ビオス・フィアを囲む討伐軍を見て。多分、あそこにいるグリードはまだ何も知らないんだろうな、なんて思いながら。研究所の前の道に着陸する。
◇
「ちょっと、事前に説明くらいしてほしいよね」
家に戻ってくるなり、メディーナさんがイーロゥさんに詰め寄る。うん、ちょっと珍しい……、そうでもないかな?
「そうだよね。必要だったんだよね、向こうに残るのも。だけどね、なんで黙ってるのかな!?」
「いや、あれは……
やっぱり珍しいかな? いつもより勢いがある気がする。……メディーナさん、ほんとに怒ると突き放すような感じになるから、多分大丈夫だけど。
「準備してたんだよね!? 用意周到だったんだよね!? 無事に済む見込みもあったんだよね!? だったら何で先に言わないかな!!」
「いやまあ、そうなんだが、確証があったわけでは……
「あのね? 別に私はイーロゥさんのしたことが間違ってるなんて思ってないよ。実際に戦ってきたのはイーロゥさんたちなんだから。私が口出すことじゃないこともわかってるよ。だけどね、一人だけ帰ってこなかったら心配もするんだよ!?」
「その、作戦だからあまり口外……
「私だってね、二年前にバード君を王城から連れ出したんだよ!? 秘密があることだってわかるよ? けどね、そんな言葉で納得なんかできないよ!!」
……大丈夫だよね? メディーナさん、イーロゥ先生に喋ることすらさせずにまくし立ててるけど。
「この前だってそう! 一人で勝手に進めて! そんなに私たちのこと、信用できないかな!? 心配かけようが構わないとか思ってるのかな!?」
「……そうだな。すまなかった」
「わかればいいよ。……ちょっと手を出して」
あっ、終わった。ちょっと安心した。
……イーロゥ先生に手を出させて、その手首に、細い亜麻色と藍色と黄色の糸で編み込まれた組みひものようなものを結んでる。なんだろう、あれ。
「ビオス・フィアの風習でね。『約束の環』って言うんだって。これが切れるまでの間は無事に帰ってこれるっておまじない。切れたらまた新しいのを付けるんだって。……付ける間も無く行っちゃうんだから、もう!」
そんなことを言いながら。怒った声のまま。違った感情を込めて。イーロゥ先生の手に、僕の手に、「約束の環」を結んでいく。その様子をフレイが少し離れた所から眺めてて……
「ほら、フレイちゃんも」
メディーナさんの声。フレイが少し驚いた表情をする。
「なにキョトンとしてるの? 早く手を出して」
そんなことを言いながら。ちょっと強引にフレイの手を取って。僕たちと同じように、その手首に「約束の環」を結ぶ。
始めはすこし困ったように。すぐに照れくさそうに。珍しく表情に出しながら。フレイが感謝の言葉を口にする。
「ありがとう。絶対に帰ってくるわ」
「当たり前だよ。帰って来なかったら怒るよ」
メディーナさんがちょっと矛盾したことを、優しい声色で語りかける。
◇
その後も王都と往復し、二日後にはビオス・フィアと王国との間に条約が結ばれる。交渉官とリフィックが取りまとめたその合意には、ビオス・フィアの独立を認め、対等の関係とすることが明記されていた。
戦争終結後に正式な条約をかわすことを前提とした、一時的な合意。互いの誠意によって担保されたその合意文書には、王国側の責任者としてセリオス国王、ビオス・フィアの責任者としてバード仮王と署名が記され、両者の名において誠実に履行されることが明記されていた。
合意が結ばれ、依るところを失ったグリードと討伐軍。だが、それでも。それ故に。今の状況は、目の前の敵を倒し、城外街の高官を駆逐せねば破滅する、そんな状況にまでグリードが追い込まれたことを意味する。
王都からグリードに発せられた単騎での出頭命令。その命令に従うことはそのまま彼の身の破滅となる。ゆえに彼は勝利を求める。一縷の望みを勝利の名声に委ねる。そこに理などなく。ここまで計画的に上り詰めた面影などなく。ただ負けるなど許さぬと。そのことだけを胸に。
ビオス・フィアも静観などせず。策動を許さぬよう、時間を与えず。合意を現実にするために。手にした可能性を現実にするために。早期の対決を望み。
絶望に浮足立った多数の兵。希望に満ちた少数の兵。共に決戦を望み、決着を望む。




